沖縄が日本から分離され米軍統治下に置かれた「屈辱の日」 きょう28日で72年 今も米軍基地の7割が集中

 

「屈辱の日」と言ってもらっているうちが華ですよ、私たち日本人は。 こんな沖縄差別を続けていれば、沖縄の大多数の人が「1952年4月28日のあの時、日本から見捨てられたのは屈辱ではなく、むしろ正しい方向だった」と思う日がくるかもしれない。

 

 

 

 沖縄が日本の施政権から切り離された1952年のサンフランシスコ講和条約発効から28日で72年となった。これにより第2次世界大戦で敗戦国となった日本は独立し、主権を回復。一方、沖縄・奄美などは日本から分離され、米軍統治下に置かれた。沖縄では「屈辱の日」とも呼ばれる。

 

 

きょうの潮流
 

 そこは生い茂る草木に覆われた暗い場所でした。山中を抜ける県道脇に捨てられていた遺体。どんなに恐ろしく、つらく、無念だったか。恋人と幸せに暮らしていた日常が突然絶たれました

 

▼8年前のこの日、沖縄県うるま市の女性が元海兵隊員の米軍属に20歳の命を奪われました。ウオーキング中に襲われ、変わり果てた姿に。当時、犯人は乱暴する相手を探していたと供述しています

 

▼被害者は自分だったかもしれない―。くり返す恐怖や痛みの共有は沖縄の苦難の歴史に重なります。いまも占領者のようにふるまう日米地位協定のもと、基地あるがゆえに脅かされる県民の命と生活。叫びつづけてきた魂の飢餓感です

 

▼きょうは、72年前に沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」でもあります。本土決戦を遅らせるための捨て石とされた沖縄戦の多大な犠牲。米軍に土地を強奪され、圧政にあえいできた戦後。「屈辱」には悲惨な歴史とともに平和への強い思いが込められています

 

▼痛ましい事件が起きたうるま市で今月、画期的な出来事がありました。ゴルフ場の跡地に計画された陸上自衛隊の訓練場を、県民ぐるみの運動で断念に追い込んだのです。ふたたび戦場にさせてはならないと

 

▼大軍拡に走る岸田政権は米軍と一体となって沖縄を軍事要塞(ようさい)化する企てを加速させています。日米の両政府に対し、基地負担の軽減に向けて積極的に協議するよう求める玉城デニー知事。6月の県議選は知事を支え、平和な沖縄をつくるたたかいです。

 

 

「忘れない」「自分ごととして考えて」 米軍属による女性殺害事件から8年 恩納村で追悼

 

献花台の前で手を合わせる人たち=28日午前11時38分、沖縄県恩納村安富祖

 

 沖縄県うるま市で2016年4月、ウオーキング中だった会社員女性=当時(20)=が元海兵隊員で米軍属だった男に殺害された事件から8年となった28日、遺体が発見された恩納村安富祖の現場には献花台が設置された。訪れた人たちは女性を悼み、「事件を忘れない」と誓った。
 

元金武町長で遺族と親交のある吉田勝廣さん(79)は、女性の父親と2日前に会った。父親は「365日ずっと仏壇に手を合わせている。8年間ずっと寂しい。自分の娘に起こってしまったことを繰り返させてはいけない」と話していたという。
 

 4月28日は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が日本から切り離された日で、沖縄では「屈辱の日」とも呼ばれる。吉田さんは「歴史を継承しないと、みな忘れてしまう。そうならないために、県民の決意が必要です」と訴えた。献花台は29日夕方まで設置予定という。
 

 うるま市の伊東ひろみさん(65)は、「女性に合った花を」との思いで、一輪のナデシコの花を手に足を運んだ。
 

 事件発生直後の5月、東京から移住するため、うるま市内で物件を探していた際に事件を知った。市内のコンビニで新聞を買った時、店員は「信じられない。怖くて外も歩けない」と声を震わせていた。対応してくれた不動産会社の社員は「許せない」と怒りの声を上げていた。
 

 28日は、自身の一人娘の37歳の誕生日でもある。「あの事件以来、娘が年を重ねるごとに思い出して胸が痛くなる。全国の人たちにも、沖縄だけの問題ではなく自分ごととして考えてほしい」と語った。
 

 沖縄県警によると、2023年に県内で摘発された米軍人や軍属、その家族などの米軍構成員による刑法犯件数は前年比18件増の72件で、過去20年間で最多だった。摘発人数は前年比14人増の60人。今年2月末時点では8件9人の摘発事案が発生している。
 

献花台に手を合わせる女性。キクやゲットウなどの花々や、ぬいぐるみが供えられていた=28日午前10時39分、沖縄県恩納村安富祖

 

事件後、有志らで遺棄現場近くに植えたキクの花を指す、遺族と親交のある吉田勝廣さん=28日午前10時33分、沖縄県恩納村安富祖