戦闘開始から半年 停戦交渉再開へ向かうはずが、イランが巻き込まれて混沌がさらに拡大

 

 

イスラエルの攻撃によって命を落とした小さな亡骸(なきがら)を、悲痛な表情で悼(いた)む遺族たち。そんな光景が、パレスチナ自治区・ガザでは日常となった。

4月7日、イスラエルとハマスの戦闘が始まってから半年の節目で、イスラエル軍がガザ南部から一部を残し、撤収した。これまでの犠牲者は双方合わせて3万4000人以上(4月8日現在)、うち1万4500人が子どもだという。国際ジャーナリストの山田敏弘氏は「戦闘はまだまだ続く」と見ている。

「イスラエルが軍を撤収させたのは、今後の戦略を見据えての判断でしょう。当初は南部にハマス幹部が逃げ込んでいるという情報があり、そこで幹部を拘束するのが目的でしたが、達成できなかった。そのため軍を一時的に退いて、作戦の仕切り直しをしているのです」

停戦に向けた出口は一向に見えてこない。中東政治が専門の、慶應義塾大学の錦田愛子教授が解説する。

「世論の圧力を受けて、イスラエル政府は人質の解放第一に交渉に臨んでいます。一方のハマス側は『恒久的な停戦』『ガザからのイスラエル軍の撤退』『囚人と人質の交換』などを停戦の条件としていると見られています。ハマス側にとって、ガザを開戦前の状況に戻すだけだとイスラエルと戦争を始めた意味がありません。戦後のガザの統治について、イスラエルが飲みづらい条件を別途、水面下で提示している可能性もあります。これがネックで交渉が進まないのかもしれません」
 

ハマスが積極的に停戦交渉に応じようとしない事情もある。

「ハマスの幹部にとって、今の状況は決して悪いわけではない。幹部はカタールやレバノンに身を隠しており、彼らの命が脅(おびや)かされるわけではないですから。ガザが攻撃されて世界的にパレスチナに同情が集まるのは、パレスチナの国家承認を求める彼らにとってむしろ好都合なのです」(前出・山田氏)

停戦どころか、他国を巻き込んで戦況は泥沼化している。4月1日にはイスラエルがシリアのイラン大使館を攻撃。イランが各国のイスラエル大使館について「もはや安全ではない」との声明を表明する事態となった。

「イスラエル側の警戒が解けたタイミングで、報復に出る可能性が高い。1ヵ月もすれば、ヨーロッパ各国のイスラエル大使館は警戒が手薄になるでしょうから危険です」(全国紙外信部記者)

戦争が長引けば、11月のアメリカ大統領選の行方も戦況に大きな影響を及ぼしかねない。中東諸国からの反発を無視し、エルサレムをイスラエルの首都として認めたトランプ前大統領が再登板となった場合、イスラエルがさらなる強硬手段に及ぶリスクが想定されるのだ。

「イスラエルのネタニヤフ首相には、″トランプが再選すれば、アメリカからより強い後方支援を受けられる″との目論見があります。中東のど真ん中に非イスラムの国としての軍事拠点を持っておきたいアメリカも、イスラエルとの関係は維持したい。トランプ当選後にイスラエルがガザの軍事占領をもとに、実質的にパレスチナから自治を奪うというシナリオも想定されるのです」(前出・錦田氏)

イスラエルは4月8日、「(ガザ南部)ラファへの侵攻日程は決まっている」との声明を発表した。地上侵攻が行われた場合は、数千人規模の犠牲が出るのは避けられない。

人命よりも政治的な駆け引きが重視され、罪のない民間人の命が奪われ続けるという地獄に終わりは見えない。

ガザのアル・シファ病院は2週間にわたる軍事作戦により破壊され、瓦礫の山と化していた

 

 

イスラエルを非難せよ
山添議員 政府の二重基準を批判
参院外防委

 

 


 日本共産党の山添拓議員は23日の参院外交防衛委員会で、パレスチナ・ガザのイスラム組織ハマスやイランの攻撃を非難する一方で、19日にイランを攻撃したイスラエルを非難しない日本政府の姿勢を「ダブルスタンダード(二重基準)であり、法の支配と相いれない」と批判しました。

 山添氏は、13日のイランによる攻撃の報復措置として、イスラエルが核施設を防護するレーダー設備を標的に複数のミサイルを発射したとの米メディアの報道に言及し、事実関係をただしました。

 上川陽子外相は、イラン側が事実を調査中だとしたうえで「事態のエスカレーションにつながるいかなる行動も強く非難する」と答えました。

 山添氏は、上川氏が16日にイランとイスラエルそれぞれの外相と電話会談を行い、双方に自制を求めていたと指摘。イランへの攻撃は日本政府をはじめ国際社会の警告を無視して行われたとして、「事態をエスカレートさせるものとしてイスラエルを非難すべきだ」と求めました。

 上川外相は「(双方に対し)さらなる緊張の高まりを防ぐ必要があるとして自制を強く求め続けている」と述べましたが、イスラエルは非難しませんでした。山添氏は「ダブルスタンダードだ」と批判しました。

 

 

「ガザ危機」が引き起こした「世界的規模の思想戦」…じつはいま「コロンビア大学で起こっていること」が示すもの

篠田 英朗 

 

米国ニューヨークの名門コロンビア大学で事件が起こっている。イスラエルのガザ侵攻と、それを支援するアメリカ政府に抗議する学生の集団が、キャンパスにテントを張り、いわば座り込みをする運動を始めたのである。これに対して大学側が警察による取り締まりを要請し、100人以上の逮捕者が出た。学生グループはあらためてキャンピングを始めた。警察との小競り合いが続いている。他方で、この学生たちの動きは、ハーバード大学など他の米国の有力大学にも波及している。

ガザ危機の問題の射程が、世界の知のあり方の問題になっていることを示す動きである。ガザ危機が、単なる地域紛争や、民族自決の問題ですらなく、世界的な思想戦となっていることを、われわれも知っておかなければならない。

コロンビア大学で起こっていること
コロンビア大学は、もともとリベラルな校風が特徴である。1960年代末にもベトナム反戦運動で大きな学生運動が起こった。私自身はコロンビア大学に2002-03年に在外研究で滞在したことがある。その頃にはイラク戦争反対デモに参加したりしていたのだが、コロンビア大学にいる限り、いったいアメリカで誰がブッシュ大統領を支持しているのかわからない、という気持ちがしていた。

 

 

今回は、自国の戦争ではなく、他国が行っている戦争をめぐって、学生が抗議運動をしていることが、特徴だ。つまり自分たちが戦場に行くのを嫌がっているわけではない。しかし米国政府がイスラエルの国際法違反行為を支援していることに抗議している。さらにはイスラエルの行動の背景にある植民地主義・人種差別主義の思想に、自分たちの生活にも関わる社会問題の要素を見出し、自分事として受け止めているのだろう。
 

学生たちが、コロンビア大学に長く奉職していた故エドワード・サイードを参照している姿も見られる。サイードの『オリエンタリズム』は、ガザ危機が悪化している中で、私があらためて読み直したくなった本だ。サイードは、パレスチナ系アメリカ人のコロンビア大学教授だった。『オリエンタリズム』は、1978年に出版されたサイードの超有名な主著である。欧米人の「オリエンタル」なものに関する言説に根強く存在する偏見が、植民地主義的・帝国主義的な野望の隠れた正当化として作用してきたと主張した。いわゆる「ポスト・コロニアル」理論を確立した古典として知られる。やはりコロンビア大学にいたガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』(原書1988年出版)も、今や「ポスト・コロニアル」研究の古典としての地位を獲得しているだろう。なおアフリカ系アメリカ人研究の大家として知られる哲学者で、今年の米国大統領選挙への立候補も表明している元ハーバード大学教授のコーネル・ウェスト氏らは、コロンビア大学に駆け付けて、学生との連帯を表明した。

 

日本でも1980年代頃から、フランスのポスト構造主義に影響を受けた「ポスト・モダン」な思想が興隆した。サイードは、1970年代にいち早くミシェル・フーコーに影響された著作をアメリカで発表した先進的な知識人の一人だった。フランスのフーコーは、『言葉と物』(原書1966年出版)で、フランス革命期に生まれた「人間」の誕生を、歴史的に相対化してみせる議論を展開した。近代「人間」の理解は、西洋中心主義的な知の体系によって成り立っている。それは西洋近代ともに相対化され、やがて終焉していくだろう、というテーマは、大きな衝撃を持って受け止められた。『言葉と物』の約10年後に、社会科学の言説を分析して、西洋近代の思潮に潜む自文化中心主義的な偏見を露呈させてみせたのが、サイードの『オリエンタリズム』だった。

『オリエンタリズム』の21世紀の国際政治への問いかけ
ただし、フーコーはもちろん、サイードの議論ですら、これまで国際政治学をはじめとする社会科学分野に大きな影響を与えてきたとは言えない。文化的偏見の有無や所在に関わらず国際政治の現実は存在する、米国を中心とする欧米諸国が持っている圧倒的な影響力は思想家などに影響されることなどない、という考え方が、国際政治学などの分野では、根強かったからだろう。

 

ただしコロンビア大学のような国際的知名度が高く、そしてリベラルな性格を持つ大学では、様々な地域・階層から集まってく学生たちが、「オリエンタリズム」に代表される視点で、現実世界を見続けていた。

果たしてコロンビア大学の学生が、浮世離れした理念家なのか?

それとも現実のほうが、西洋中心主義ではない世界へ変容してきているのか?

ガザ危機が問い直しているのは、このような大きな問いだ。

ワシントンDCのエスタブリシュメント層は、現実の変化を否定し、イスラエルを支援する米国の覇権が続くことを自明視しているようだ。しかしコロンビア大学の学生たちは、そのような態度を疑って、抗議している。

 

ガザ危機が問い直す「オリエンタリズム」
19世紀に世界史に類例のない拡張を見せた欧州の帝国群は、20世紀後半の脱植民地化の過程をへて、全て崩壊した。しかし欧米中心主義的な世界観は、欧米人の思考様式から拭い去られてはいない。欧米諸国との関係を重要視してきた日本人の思考様式においてすら、欧米中心主義的な世界観が根深い。

イスラエルがガザの人々を征服すべき他者として扱う姿を見て、理性的には国際法違反だということがわかっていても、心理的には自然な出来事として受け入れてしまう人たちがいる。イスラエルの宗教右派の人々の思考に、人種差別的発想があることは否めない。そのため、白人至上主義への非難に対してすら、「ダブル・スタンダード」に陥っている欧米諸国の指導者たちを擁護することが難しくなっている。

 

 

昨年10月7日のハマスのテロ攻撃を見て、欧米諸国の指導者たちは、ウクライナのゼレンスキー大統領を含めて、異様なまでに感情移入した熱烈なイスラエル支持の感情を表明した。苛烈な抑圧を続けてきた占領者であるイスラエルに全面的な支持などを表明してしまったら、今日のような事態を招くこと、そして自国の外交的立ち位置を危うくしてしまうことは、必至であった。しかしそれを、欧米人の指導者は、全く見通せなかった。

彼らは、イスラエルの行動を見誤っただけではない。コロンビア大学をはじめとする欧米の大学で「ポスト・コロニアル」研究が、社会に不可欠の価値観を提供する知的基盤の一つとみなされていることを、軽視していた。彼らの姿勢は、国内世論対策としても近視眼的であった。

 

「オリエンタリズム」と呼ぶべき根深い欧米中心主義の世界観が、21世紀の今日においてもなお、欧米諸国の指導者たちの眼差しを常に曇らせ続けてしまっている。ウクライナでは、「ポスト・モダン」どころか、旧ソ連の桎梏から抜け出して、今さら「西洋」の仲間入りをすることが国是となってしまっている。

あるいは21世紀の今だからこそ、古い欧米中心主義と新しい現実とのギャップが顕在化しやすい、とも言える。かつて欧米諸国が中心になって欧米中心主義的な規範体系として作り上げた国際法は、20世紀後半の構造転換をへて、非欧米諸国を守るものとして機能する。さらに言えば、そもそも欧米諸国の政治的・経済的な力は、相対的に低下し続けている。力の裏付けを弱める欧米諸国指導者の「オリエンタリズム」の「ダブル・スタンダード」を、非欧米地域の人々は、突き放して、冷ややかに見ている。

欧米諸国は、ロシアやハマスの蛮行は非難しても、イスラエルの蛮行は非難しない。それは欧米諸国が、自己都合で恣意的に国際規範を運用しようとしているからだ。欧米諸国が振りかざす国際人道法の諸原則や自由民主主義の価値観は、結局のところ、欧米諸国の敵対者にだけ厳しく適用され、欧米諸国の仲間には決して適用されない…。こうしたシニカルな「ダブル・スタンダード」批判が、急速に世界中に広まっている。言うまでもなく、このような国際世論の動向は、ガザ危機だけにとどまらず、ロシア・ウクライナ戦争をはじめとする諸問題をめぐる欧米諸国の立ち位置を、非常に脆弱にしていく。

「テロとの戦い」論の求心力の低下
イスラエルは、昨年10月7日のハマスによるテロ攻撃の直後から、自国の行動をテロとの戦いとして位置付けようとしている。これに欧米諸国が反応して、イスラエルへの熱烈な支持を表明する根拠としている。「対テロ戦争」は、自由民主主義を掲げる欧米諸国が、その価値観に挑戦する「ならず者」を駆逐する戦いの構図を強調する。イスラエルは、欧米諸国の陣営の一員として、中東における唯一の民主主義国の自負を持って、テロリストという自由民主主義の挑戦者を駆逐する、という物語を欲している。

 

 

ただし、非欧米地域において、特に中東地域においては、アメリカが主導した2001年以来の「対テロ戦争」は、非常に評判が悪い。イラクやアフガニスタンで米軍及びその同盟国が行ったことは、大きな被害を出し、地域に混乱をもたらす結果を招いただけであった。「対テロ戦争」と言えば、「欧米vsイスラム」の構図が前面に出てきてしまうことも、不信感が助長される大きな要因である。

その「対テロ戦争」の構図を、パレスチナを占領し続けているイスラエルが振り回しても、その行動に普遍的な支持が集まることはない。ましてハマス殲滅を掲げながら、3万人以上の一般市民の犠牲を出す軍事作戦を行っているということであれば、イスラエルに厳しい批判が集中するのは、当然である。

イスラエルと欧米諸国は、イランをテロ国家と位置付けて、イランの脅威を強調する政策をとっている。この論理を用いて、イスラエルは昨年10月まで、「アブラハム合意」にもとづくシーア派のイランを警戒するスンニ派のアラブ諸国との関係改善を図ってきた。イランが支援するレバノンのヒズボラ、イエメンの首都などを実効支配するフーシー派などはもちろん、シリアのアサド政権、さらにはイラクのシーア派政権中枢部も、イランを中心とするテロリストのネットワークに加わっているという認識が生まれる。

その一方で、イスラム国(ISIS)などの過激派は、イラン、ロシアなどにテロ攻撃を仕掛け続けており、イスラエルやアメリカの権益には手を出さない傾向が顕著になっている。ISISは、もともとイランに近いシリアのアサド政権に対抗する勢力の中から生まれた。テロに苛まれているのは、イスラエルと欧米諸国が、テロリスト国家として非難する相手の側なのである。

イランを中心とした「テロリスト」のネットワークにハマスも位置付けたうえで、「テロとの戦い」に中東地域あるいは世界全体の世論を誘導しようとするイスラエルやアメリカの態度は、功を奏していない。支持基盤が弱い。今後も空振りの傾向が続くだろう。

「占領者によるジェノサイド」論の求心力の高まり
これに対して、昨年10月からのガザ危機を通じて広く浸透するようになったのが、「占領者によるジェノサイド」を洞察する論理だ。ICJでジェノサイド条約に基づいてイスラエルを訴えた南アフリカ共和国が、パレスチナの実情を、人権侵害が相次いだ自国のアパルトヘイト時代と重ね合わせてみているのは、象徴的である。世界の大多数の非欧米地域の人々は、植民地解放運動の過程に重ね合わせて、パレスチナ問題を見ている。占領国と、被占領地域の住民の間の闘争という理解で、ガザの現状を見ている。

 

 

イスラエルは、テロリストあるいは単に武装した勢力と、一般のガザ市民あるいはパレスチナ人を区分けする努力を怠っていると言わざるを得ない。あるいは過激右派勢力は確信犯的に全てのガザ市民がテロリスト(候補)であると主張しているし、兵士の中にもほとんどそのような思想に毒されている者も少なくないようだ。ガザ市民をエジプトに追い払うべきだと主張するイスラエル人も多々いる。

この状況で強烈なアピール力を持って現れてくるのが、占領者と被占領者、抑圧者と被抑圧者、差別者と被差別者の間の非対称関係を強調する「占領者によるジェノサイド」の論理だ。イスラエルは、テロリストと戦っているのではなく、単に占領体制を強化するためにガザでジェノサイドを行っている、という見方である。悲惨で衝撃的なシーンが次々とガザから送られてきて、SNSを通じて世界中に広まっている。イスラエル政府のハマス掃討作戦に関する発表には、信憑性に疑問符が付くものが少なくない。国際法の観点から見ても、ICJの仮保全措置命令が出たのは、イスラエルがジェノサイド防止のための十分な措置をとっていないためだ。「占領者によるジェノサイド」の論理は、欧米諸国を除けば、世界の大多数の地域で、一般的な見方になっている。

世界的な思想戦の帰趨
アメリカの「グローバルな対テロ戦争」は、中東を混乱に陥れ、甚大な被害を出したうえで、2021年8月の米軍のアフガニスタンからの完全撤退の際の共和国政府の崩壊とタリバンの復権という惨めな結果に終わった。「西洋」が「オリエント」に全面敗北した瞬間だった、と言ってよい。

 

 

失意の欧米諸国は、全面侵攻を仕掛けたロシアに勇敢にウクライナが立ち向かうのを見て、ウクライナを全面支援し、そこに「思想戦」の活路を見出そうとした。ロシアは、「西洋」に対抗する野蛮な「オリエント」の新たな代表となった。ロシアとウクライナの間の戦争は二年以上にわたって続いている。今はウクライナの苦境が続いているだけでなく、欧米諸国側も巨額の支援の継続に疲弊してきている。しかしそれでも、欧米諸国は「思想戦」を停止する契機を見出すことはできていない。

そんなとき、イスラエルに対してテロ攻撃を仕掛けたハマスを見て、欧米諸国の指導者たちは、「思想戦」の新たな前線を見出したような気になり、イスラエルを熱情的に支援せざるをえない立ち位置に自らを追い込んだ。だがそれは、あまりに安易な態度であった。

結果として、イスラエルのために欧米諸国が威信を失墜させているだけではない。ウクライナのロシアに対する戦争もまた、「欧米諸国のオリエンタリズムの戦い」として認識される度合いが強まってしまった。

この状況において、日本はどう振る舞うべきか。国際政治の全般動向として、欧米諸国の力は相対的に低下し続けており、それにそって思想的な威信も低下し続けている。それでも日本は、伝統的な同盟国・友好国との絆を尊重することに、引き続き外交政策上の意義を見出し続ける。確かに、国家間の信頼関係は、一朝一夕には形成できない。しかし、それが世界情勢の全般動向を見誤った盲目的な尊重であれば、やがて日本も苦しくなるだろう。冷静な情勢認識を怠ることなく、外交政策を展開させていかなければならない。