岸田首相はなぜアメリカに隷属したがるのか 背景にある深刻な「ナルシズム」と「白人コンプレックス」 古賀茂明

 
 
 岸田文雄首相の訪米は、本人が自覚しているのとは違った意味で「歴史的」なものだった。
 
 岸田首相の米国議会での演説を熟読していただけば、どれほど大変なことが起きたのかがわかるはずだ。 

 私がその演説(https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2024/0411enzetsu.html参照。以下、「 」は演説からの引用)をみて、一番驚いたのは、岸田首相が、演説の締めくくりで、日本は「米国の最も近い同盟国」だと断定的に言ったことだ。本来なら、最も近い同盟国の一つという表現を使うべきところだが、そうではなかった。米国に最も近い同盟国といえば、あらゆる戦争にほぼ無条件に米国と共に参戦してきた英国である。それを差し置いて、最も近い同盟国というのがどういう意味を持つのか。

 日本は、平和憲法の制約下にある「控え目な同盟国」から「強く、コミットした同盟国」へと「自らを変革してきました」という岸田首相の発言と重ねれば、英国のように、あるいはそれ以上の勢いで、日本が米国と共に世界中の戦争に関わっていくという意味になる。

 さらに、日本が米国の戦争に参加する対象地域は、朝鮮半島だけでなく、東シナ海や台湾海峡、さらには、南シナ海も含まれる。だが、実は、さらにそれを超える話を岸田首相はしている。日本は今や「自信を深め」て「米国の地域パートナー」から「グローバルなパートナー」へ成長したというのである。

 岸田首相は、「今この瞬間も、(中略)自衛隊と米軍の隊員たちは、侵略を抑止し、平和を確かなものとするため、足並みをそろえて努力して」いると言った。自衛隊と米軍はすでに共同で戦っているということだ。

 そして、『自由と民主主義』という名の宇宙船で、「共にデッキに立ち、任務に従事し、そして、成すべきことをする、その準備はできています」と語ったが、「成すべきこと」とは、米国の戦争に自衛隊が参加するということに他ならない。
 
「米国と肩を組んで共に立ち上がった日本」は、決して米国を独りにはしないと約束し、「日本は米国と共にある」と宣言した岸田首相だが、それでもまだ足りないとばかりに、演説の最後に、こんな「誓い」の言葉を述べた。

「日本が米国の最も近い同盟国としての役割をどれほど真剣に受け止めているか。このことを、皆様に知っていただきたい」

「信念というきずなで結ばれ、私は、日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」

「今日、私たち日本は、米国のグローバル・パートナーであり、この先もそうであり続けます」

 この前のめりの姿勢には驚くばかりだが、重要なのは、これが岸田氏個人の演説ではなく、日本国民を代表する首相としての宣言であるということだ。

 さらに、岸田首相は、記者団に「日米がグローバルなパートナーとして、いかなる未来を次世代に残そうとしているか。メッセージを米国民、世界に向けて伝えることができた」と述べている。

 つまり、首相の言葉は、日本国民を代表して米国大統領や連邦議会議員だけでなく、米国民及び世界に対しての誓約となったのだ。

 岸田首相の演説は、今後長期間にわたり日本の対米外交政策を縛ることになる。

 それがどういうことか、想像してほしい。

 世界中のどこかで戦争が起きて、米国大統領から日本の首相に、「米国と共に戦ってほしい」と要請があった時、断ることができるだろうか。

 そんなことをしたら、大統領だけでなく、米国議会、さらには米国民から、「裏切り者」とレッテルを貼られ、報復的な仕打ちを受けるリスクがある。米国の要請を断ることは、非常に難しくなったのだ。

 安倍晋三政権によって憲法違反だった集団的自衛権が憲法の解釈変更によって合憲とされ、いわゆる「安保法制」によって認められたのが2015年9月。当時は、日本の「存立危機事態」に当たらなければ、発動できないと政府は約束し、米国に言われたら自衛隊がどこにでもでかけて米軍と一緒に他国と戦うというようなことになるはずがないと言われた。

 しかし、最近では、台湾有事なら、当然のこととして自衛隊が米軍と共に戦うという前提のシミュレーションが堂々と行われている。いかにして日本が巻き込まれないようにするかという議論はなく、いかに円滑に米軍との共同戦争を実施できるのかという方法論が詳細に議論されている。

 在日米軍基地の使用を許すのかという議論もなく、協議を受けて断る権利があることすら忘れられている。米国のCSIS(戦略国際問題研究所)のシミュレーションでは、日本の協力がなければ米軍は中国軍に勝てないが、日本は必ず協力すると書かれていた。

 日本の存立危機事態に当たるかどうかによってその結論が変わることなど全く考慮されていない。

 さらに、もし日米の信頼関係に深刻な溝が生まれるような事態が起きれば、それこそが存立危機事態であるという議論さえ有力だ。日米安保条約は日本の安全保障の根幹であり、それを支えるのが日米間の信頼関係である。これが崩れれば、日米安保体制の基礎を崩すので、日本の安全保障が揺らぐ。したがって、それは存立危機事態に当たるという理屈だ。

 米国の言うことには逆らえないというのと同義である。

 岸田首相の今回の演説は、まさにこうした流れを決定づけるものとなった。
 
 それにしても、岸田首相はなぜここまで卑屈になって、米国に取り入ろうとするのか。

 私は、その背景には、岸田氏個人のコンプレックスと対をなす安倍の「ナルシズム」と「白人コンプレックス」があるとみている。実は、それは安倍元首相と瓜二つだ。

 安倍氏も岸田氏も、米国大統領と共にある時、喜びに満ち溢れた顔を見せた。その象徴が、大統領との自撮りツーショット写真である。スマホに向かって満面の笑みを湛えたその瞬間、彼らは、心の中で「見てくれ!俺はアメリカの大統領と自撮りツーショットを撮れる仲なんだぞ!世界中でそんなことができるのは俺だけだ!」という歓喜の叫びをあげていたのだろう。

 安倍氏の時は安倍氏自らがトランプ氏との写真を自撮りしたが、今回はバイデン氏に自撮りをさせたということで、岸田氏は「安倍を超えた」と自慢したいことだろう。一体誰が仕組んだ演出なのかわからないが、岸田氏にとっては、至福の時だったに違いない。

 さらに言えば、『子供の頃から自分をバカにしてきた』母親への反骨心からでる東大卒の祖父・岸信介という大きな壁を越えようとするがあまり、学歴コンプレックスが変化した「ナルシズム」に取りつかれた安倍氏(この点は、4月22日から再上映されている映画「妖怪の孫」の原案となった拙著『分断と凋落の日本』45ページ参照)。

 一方、開成高校出身ながら2浪しても東大に合格しなかったことを今なお揶揄されることへのコンプレックスへのリベンジ精神から生じた、「俺は本当はすごいんだ」というナルシズムに浸る岸田氏の姿。この二つはぴたりと重なると言えば、多くの人は頷くだろう。

 最後に、安倍・岸田両氏の白人コンプレックスについて、私が尊敬する論客、小原泰氏の最近の論考(東洋経済オンライン4月16日「先進国が掲げる『法の支配』のダブルスタンダード 西洋基準たる『万国公法』の呪縛から脱する時だ」)を参考にして考えてみたい。

 西洋諸国は、自らを「文明国」、非白人の途上国・地域を「未開国」「野蛮国」などと分類して差別し国際法の適用を制限した。日本が列強と結んだ不平等条約はその典型例である。

 皮肉なことに、日本が「文明国」に格上げされたのは、その文化程度が上がったからではなく、日清・日露戦争に勝利したことによる。西洋諸国の基準では、戦争の強い国が「文明国」だったのだ。

 こうした事実上の「戦争強国=文明国」という本質を見抜いていたのが、西郷隆盛や岡倉天心である。次の言葉を皆さんはどう受け止めるだろうか。

「文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉である。(中略)もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮である」(西郷隆盛『南洲翁遺訓』1890)

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮(さつりく)を行ない始めてから文明国と呼んでいる。(中略)もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」(岡倉天心『茶の本』1906)

「戦争強国=文明国」だとすれば、日本のように憲法で戦争を否定し平和主義を掲げる国は、文明国にはなれない。

 どうしても西洋基準の文明国の仲間入りをしたい安倍氏や岸田氏は、戦争強国を目指した。岸田氏が、平和憲法に立脚した日本を「控え目な同盟国」と称したのは、まだ日本は「未開国」だったと認めたからだ。そして、「自信を深めて」今の日本は米国と共に戦える「文明国」になったと胸を張った。

 その根底には、ぬぐいようのない白人コンプレックスがある。

 世界では、米国を中心とする西側「民主主義」諸国と中国などの「権威主義」の国が覇権を争っているというのが、日米欧の主張だ。もちろん、自分たちが正義で、中国などが悪の枢軸だという。しかし、中東では、アメリカこそが悪であり、アフリカ諸国では欧州諸国こそ暴力で略奪を行った帝国主義者である。そして今やアジアでも、米国の価値観外交に与する国は日韓だけだ。米国離れの傾向は日に日に強まっている。世界の流れは変わったのだ。

 それにもかかわらず、アジアで唯一、米国一辺倒の立場をとり、しかも、その立場を強めていく日本。

 日本の平和憲法は今でもアジア・中東などで高く評価されている。これをかなぐり捨てて、米国と一体化した戦争強国の道を歩むのは、明らかに世界の流れに逆行している。

 西郷のように西洋諸国を「野蛮」と喝破し、岡倉のように、戦争によって文明国と呼ばれるよりも、野蛮国のままでいることに甘んじ、「理想(今日に当てはめれば『日本国憲法の平和主義という理想』)に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」という立場をとることこそが、大きな歴史の流れに沿った王道である。

 自民党の指導者たちのナルシズムと白人コンプレックスによって日本国民が犠牲になることだけは避けなければならない。

古賀茂明
 
 
無邪気な首相演説 「日本は我々と一緒に戦ってくれますよね?」
 
 
 今回の岸田文雄首相訪米のハイライトは、やはり米議会上下両院合同会議での演説だろう。安倍晋三元首相以来2人目となる首相は、「『自由と民主主義』という名の宇宙船で、日本は米国の仲間の船員であることを誇りに思う」と、中ロから挑戦を受ける国際秩序の維持に努める米国の指導力をたたえ、「日本は米国のグローバル・パートナーだ」「米国は独りではない。日本は米国と共にある」と訴えた。米議員たちから総立ちの拍手を受けた首相が、満足げな表情で議場内をゆっくりと見渡す姿はとても印象的だった。
 
 先日、ワシントン特派員当時の旧知の米政府関係者がたまたま来日していたので、一緒に都内でコーヒーを飲んでおしゃべりをした(この人物の名前は仮にA氏としておこう)。A氏は首相の議会演説も現地で聞いていたので、感想を聞いてみた。
 
 するとA氏は一瞬、顔を曇らせ、「日本の立場からすれば憂慮するべき内容だったと思う」と語る。強固な日米同盟構築のために両政府間を忙しく行き来するA氏のことだから、てっきり「素晴らしい演説だった」などと米議員らと同様に首相を持ち上げる反応を予想していたので、意外に思い、どういうことかと尋ねると、こんなエピソードを語ってくれた。
 
 首相の演説が終わったあと、A氏は日本の外務省関係者からも感想を聞かれた。A氏はこう伝えたという。
 
 「素晴らしい演説だったと思うけど、首相があの演説をしたということは、米国がこれから戦争を始めたら、日本は当然、我々と一緒に戦ってくれますよね?」
 
 A氏の言葉に外務省関係者は「えっ」と絶句し、「いやいや、それとこれとは別の話で……」と言い訳を始めたという。