合掌…。

 

伊勢崎市内で22年7月に開かれた相談会に臨む仲道さん(フェイスブックから)

 

 生活困窮者支援に尽力した群馬司法書士会副会長の仲道宗弘さんが3月20日、くも膜下出血のため死去した。享年58。常に弱者の側に立ち、桐生市の生活保護制度運用をめぐる問題を明らかにして事態を大きく動かした。志半ばで倒れた仲道さんの生涯をたどった。(小松田健一)

 不正義、理不尽への怒りが原動力だった。「理の人」でもあり、大声を出すような感情をあらわにすることはまずなく、行政や企業の不当な対応には理詰めで改善を促した。生前に「困っている人のために働くのが、法律資格を持つ者の義務と使命だ」と話していた。

 

 仲道さんは1965年、栃木県足利市に生まれた。小学3年のとき、群馬大学工学部(現・理工学部)の教員だった父の弘(ひろむ)さん(故人)が静岡県立大学へ転身したのに伴い静岡市へ転居し、高校卒業まで過ごす。
 母の治子さん(90)は「人懐っこい性格で、友だちがたくさんいました」とわが子をしのぶ。正義感が強く、学級委員や生徒会活動へ熱心に取り組み、教員との衝突もいとわなかったという。

 そうした反骨精神から、弁護士を志したのは自然だったのかもしれない。千葉大法経学部(現・法政経学部)で学び、卒業後は塾講師や家庭教師のアルバイトをしながら司法試験受験を続けた。しかし、合格できずに司法書士へ転じ、2004年に司法書士登録する「遅咲き」だった。

 09年に両親が暮らす伊勢崎市で「ぐんま市民司法書士事務所」を開設。このころは08年のリーマン・ショックによる不況から生活困窮者が急増し、消費者金融やクレジットカードのキャッシングで多重債務に陥る「クレ・サラ問題」も深刻さを増していた。

 そこで仲道さんは13年、幅広い人びとが結集して生活困窮者を支援しようと「反貧困ネットワークぐんま」を立ち上げて代表に就任し、寸暇を惜しみ手弁当で奔走した。不動産登記など収入を得るための司法書士業務は夜間や休日に取り組み、文字通り不眠不休の生活を送った。

 

21年7月、群馬司法書士会が玉村町と生活困窮者支援協定を締結した際の仲道さん(左から2人目)=同町役場で、本人のフェイスブックから

 

 妻のさゆりさん(58)は「どんな強者でもひるまず闘いましたが、相手の人格攻撃は絶対にしなかった。当事者全員が納得できる着地点を常に探っていました」と、亡き夫の仕事を振り返る。事務所は共同運営していた司法書士によって継続する。

 生活困窮者支援の大きな柱を失ったことで、今後の活動への不安を口にする関係者は少なくない。仲道さんと親交があった「つくろい東京ファンド」スタッフでフリーライターの小林美穂子さん(55)=前橋市出身=は「存在感の大きさをあらためて感じます。助けを必要とする人を置き去りにしないよう力を尽くすことが、残された者の進む道だと思います」と話した。