映画『教育と愛国』にも出演した久保敬校長へのインタビュー
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 

大阪という維新の巣でこんな感動的なことが起きていた事は知っていたが…その詳細をの記事を読めた!子供と教職員を守るのが管理職の任務である。堂々と戦いきった校長、心から拍手を送りたい。道理と民主主義教育が理解できない維新の大阪市でともすると管理職は諦めて教育委員会の言われるとおりに動いてしまう。楽だからである。しかし平然と教育の現場に維新行政が介入し教職員の分断狙う通達に許されないと踏ん張った校長の心意気「すごい」の一言。子供と教職員に「学ぶ自由を奪われる」事は許されないのである。

 

このような校長と子供たちと共に成長できる教職員は幸せである。素晴らしい記事を朝から読めた幸せ♡大阪には不屈の人々が腰を据えて踏ん張っているのである。実践者の言葉は重い。

 

 

 現職の公立小学校校長が自ら名乗りを上げて市長を批判した。2021年5月、大阪市立木川南(きかわみなみ)小学校の久保敬(くぼ・たかし)校長(当時。肩書・役職は以下同。また、以下敬称略)が、大阪市長と同市教育長宛てに公教育に関する提言書を郵送したのである。

 事実を表した字面だけを見れば、前代未聞の過激な行動に映るかもしれない。しかし、これに至るまでには、大阪の教育行政を巡る長く深い背景があった。久保校長は、海外特派員協会『報道の自由』賞を受賞し、大ヒットしたドキュメンタリー映画『教育と愛国』(斉加尚代監督、2022年)にも出演していることで海外にも知られた存在である。その提言書を巡る闘いは現在もまだ続いている。

 日本がコロナ禍にあった2021年4月19日、松井一郎大阪市長が定例記者会見で、「緊急事態宣言が出されたら、大阪市の小中学校は原則オンライン授業にする」ことを突然、宣言した。
 それは教育委員会会議も通さず、議事録も残されない中での首長による授業カリキュラムに対するいきなりの介入であった。この方針をマスコミ報道を通じて知らされた現場の教師たちにとっては、まさに寝耳に水と言えた。各小中学校においてネットのインフラは整っておらず、大阪市の公立校で突然のオンライン宣言に何とか対応できる小学校は、10校にも満たないICT活用モデル校だけであった。ハード面の不備もさることながら、事前に何も聞かされていなかった学校側は、殺到する保護者からの問い合わせに答えることができず、教育現場は大混乱に陥った。

 市長の発言から遅れること3日、大阪市教委は、ようやく方針を通達してきた。小学校の場合、1~2時間目は自宅でプリントとオンライン授業、3時間目から登校して給食後に下校というスケジュールであった。児童全員でのオンライン授業は、到底不可能であることを市教委も分かっていたのでプリントとの併用を決めたのだが、問題は登校時間だった。子どもを学校に早く行かせたい家庭には1時間目からの登校も認めるとしたため、その結果、児童たちはバラバラの登校となり、交通や治安におけるリスクが危惧された。

 2021年度末で定年を迎えることになっていた木川南小の久保敬校長は、市教委からの通達を受けた上で、まず校区の保護者に、登校時間と授業についての希望アンケートを取った。突然の通達で家庭や子どもにストレスをかけたくないという一心だった。回答は1時間目からの集団登校と通常授業の継続を望む声が圧倒的に多く、9割を超えていた。校長判断により、木川南小はいつもどおりに集団で登校させ、4時間目まで授業して給食を食べさせて帰すというやり方を通した。それだけではなく、久保は大阪市HPの「市民の声」窓口に、コロナ対策も学びも中途半端になる一斉オンライン授業の弊害と、子どもの安全のためにも朝から集団登校をする方法がベストであると、3回にわたって現場の声を届けた。

久保敬(2024年1月15日撮影。オンライン取材協力:隆祥館書店)1961年大阪府枚方市生まれ。85年、大阪市立小学校に新卒で赴任。以後、同市の公立小学校を転任しながら教師、教頭、校長を務める。2022年、校長を務めた大阪市立木川南小学校を定年退職し、同年4月から近畿大学非常勤講師。著書に『フツーの校長、市長に直訴! ガッツせんべいの人権教育論』(解放出版社、2022年)、久保を取材した書籍『僕の好きな先生』(宮崎亮著、朝日新聞出版、2023年)がある。

 

唐突な「オンライン授業宣言」が招いた混乱

 

久保

「うちの学校は、21年1月に1人1台ずつ端末が届いたので、2月に全家庭と繋いで試してみることにしたんです。ところが、Wi-Fiルーターのない家庭があるんです。それは教育委員会が貸し出してくれると言われていたんですが、足りない分をいざ借りようとすると『もう在庫がない』と言われて困りました。何とか隣の学校から3台貸してもらったんですが、それも設定し直す必要があって、大変やったんです。家によってもネット環境が違うので、『うちは動画が見られない』という家庭があったり、2人兄弟で子ども部屋一つの家庭は、ヘッドセットなんか配られていないから2人同時にやってお互いに『うるさいねん』と兄弟げんかになったり。『毎日こんなことされたら困ります』って、保護者の人も困惑されていたんです。家庭に貸し出すルーターを早く何とかしてほしいと市教委に伝えても『いや、予算を今、計上しているところで』と、なかなかいい返事がない。そんな中でオンライン宣言されたわけですから、『もう、市長がやるとしているのに届かない家庭がある。どうしてくれるんですか』と言ったら、担当の人に、『そんなん足りないの、お宅の学校だけじゃないんですよ』とキレられました」

 久保は、他の学校もまた苦しんでいることに気がついた。


久保

「『できひんのは、うちだけやない』と分かったんです。僕のところなんかよりもっと大変な学校がいっぱいあったんですよ。3月のぎりぎりに1人1台端末が到着したところは、入学したばかりの小学1年生にいきなり使わせるなんてできないし。うちは単学級(1学年1クラス)やったから、学年移行でもそのまま持ち上がれば設定は簡単なんですけども、クラス替えしてはる学校は、もう一度初期設定からの紐づけを先生のパソコンでしないとあかんのです。
 同じ区のよく知っている教頭先生がおられたんですが、『連日、帰宅したの午前様です。職員にそんなの働き方改革でやらせるわけにいけへんから』って言ってらして。結局、管理職にもすごい負担をかけられていたんです。これでオンライン授業をするのか、いや、できるというのか。
 メディアではモデル校だけが取り上げられ、児童も保護者も苦しんでいるのに、一般的には問題ないとされていくことに危機感が生まれてきました。それで大阪市のHPにある『市民の声』に現状を伝えたわけです」

 

教壇に立つ久保校長(当時)(映画『教育と愛国』〈斉加尚代監督、2022年〉より)

 しかし、教室や家庭の環境を顧みず、突然、マスコミを通じて方針を発令するという松井市長のやり方はさらに続いた。5月12日に市長は、「夏休みを短くすることを検討している」と記者会見で発表する。文科省はオンライン授業を授業時数にカウントしないため、学校教育法施行規則によって示された標準授業時数が足らなくなる。それを夏休みにリアル授業を行うことでカバーするというものであった。現場に向けて打診も相談もせずにオンライン授業をトップダウンで決定し、授業時数が足らないとなると、今度は子どもたちにとって最大の楽しみである夏休みを削って授業をするという。そこには、本来学校の主役である児童・生徒と教師に対する視座はない。ただ大人たちの都合で「GIGAスクール構想」を前倒しにしたいだけではないのか。
 ここに至り、久保は提言書を提出することを決意する。文章を書き上げたプロセスをこう振り返った。

提言書に込めた思い

久保

「提言書の前に出した『市民の声』は、『オンライン授業は今の状況だったらできません』とか、『これは子どもにとっても教員にとっても負担が大きいし、保護者の人も大変な思いをしている』というような書き出しだったので、提言書もそれにつないで書こうと思ったんです。でもなかなか上手く書けなかった。要するに伝えたいことは何やろうかと自問したときに、それは単にオンライン授業の改善ということじゃなくて、もっと抜本的なこと。こういうことの一つ一つが現場の教員、子ども、保護者の思いを取り入れられずに勝手に決められていくことについて、何なのかと。他にも大阪市は『民意を反映した教育』とうそぶいて、義務教育の段階でそれぞれの学校を競い合わせて、児童に学校を選択させることをしてきました。
 でも本来はどこに居たって、どの子にとっても学校は同じように安心した居場所になるというのが公教育であるべきなんです。僕はここ数年間、本当の意味での公教育が大阪でないがしろにされているというのを、ずっと感じてたんです。僕が言いたかったことは、そのことなんだと気が付いたわけです」

 2011年に当選した橋下徹元市長が公約に掲げた学校選択制により、学校の序列化が始まって学校間格差が広がり、学校と地域とのつながりも希薄になったという。かつての大阪の教育は教師ひとりひとりに自由な裁量が与えられ、やんちゃな子どももテストの点が低い子どもも同等に接し、信頼関係を築いてきた。久保の教え子だったお笑いコンビ「かまいたち」の濱家隆一(はまいえ・りゅういち)は教科書も持たずに学校に行くような小学生だったが、久保が担任になってからは生活態度が一変したという。「久保先生に出会えてなかったら人間歪んでたかも」(宮崎亮『僕の好きな先生』〈2023年、朝日新聞出版〉より)と公言して憚らない。

 しかし、2012年に「教育行政基本条例」や「学校活性化条例」が制定されると、学校は児童・生徒にとって過度な競争の場となり、現在は数値と競争、そしてルールを守らない児童・生徒の排除が教育の軸に置かれる。教師もまたテストの結果が評価の要素とされて給与に反映される制度が出来上がっている。          

 熟考の末、再び筆を執った久保は、テストの点数だけで児童・生徒を評価しようとする全国学力調査や、平均点の数値で教師を画一的に評価しようとする新自由主義価値観を教育現場に押し付ける大阪市の姿勢にも言及した。          
 以下、文面を抜粋する。          

大阪市長 松井一郎様 大阪市教育行政への提言「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。(中略)


 3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。(後略。全文は「大阪市立木川南小学校・久保校長の『提言』全文」〈「朝日新聞デジタル」2021年5月21日〉参照)



競争主義への意義申し立て

久保

「2000年以降、すごく競争主義、市場原理が導入されてきました。そして『先生らが怠けている』『子どもを競い合わせなあかん』という新自由主義の風潮が、橋下徹さんが首長になったことで加速されていきました。現場の教師に対して、いろんな命令が降りてきて、それらは「この通りにやらないと、違反の対象になります」という締め付けがセットでした。僕ら教師は痛みを我慢しても良いのですが、本当にこれが子どものためになっているのかな、こんな数値目標を追いかけてそれを達成することが学校の仕事なのかなと常に思っていました。教師も教育委員会も管理されると、ナチス・ドイツのアイヒマンと一緒で、『これは自分の業務なんだ』と疑問も持たずに仕事をする。また、そういうことができる人が評価もされ、重宝され出世していく、そんな構造になってしまいました。
 自分はそれなりに抗ってきたつもりやけど、結局は、それに加担してきた。やっぱり、どっかで『もう仕方がないんや』『僕1人が言ったところで、どうなるわけでもないし』とか、ごまかしていた。あんまり考えるとしんどくなるから、考えないようにしてたんやと思います」

 それでもたった1人で声を上げたのは、37年の教師生活に対して嘘をつきたくないという思いだった。

久保

「担任を持つと本当に多様な子がいてて、その中で『これ、自分1人だけの意見やから、言わんとこ』と思ってる子たちに『いや、そんなことない、1人の意見でも言っていいんや、それをちゃんとみんなが聞けるクラスにしていこう』、と伝えて、僕は学級運営していたんです。そんな僕が今自分が抱えているモヤモヤに声を上げずに退職したら、今まで関わらしてもらった子どもたちをすべて裏切ることにもなる。逆に言ったら、僕の教師生活を自分でなかったことにしてしまう。一生後悔して、死ぬ時に『なんであの時、言えへんかったんやろ』って後悔するのは、嫌やったんです。市長に向けて書きながら、結局、僕自身に問うてたんやと思います。
 自分は教師になった時に理想があって、こういうことをしたいと思っていたはずやのに、今の大阪はそうじゃない教育になっている。障がいのある子も、外国籍の子も、いろんな子たちが、共に学んで、共に育っていく、そういう学校こそが、公教育、義務教育として必要なもので、自分もそこに教師として加わっていこうと思っていたのに、もう仕方がないと目をつぶってきた。執筆の動機はそのことに対する、自分自身への怒りみたいなところが、大きかったと思います」


広がる支持、しかし下された処分

 現職の校長の手によって出されたこの提言書は多くの保護者、教育者に支持された。255人もの関係者から賛同の意見書が集まり、山本教育長宛てに提出された。

誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。
「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。(提言書より)


 かつてテレビで放映されていた学園ドラマなどには「点取り虫」という言葉が登場した。学校生活において重きを置くのは、「良い学校」「良い会社」に入るために必要なテストの点数だけというガリ勉生徒とその価値を押し付ける教師(たいてい教頭)を揶揄する言葉であった。主人公は人間的な素養や知性とは関係のない愚かな点取り競争を軽蔑していた。しかし、まさに「点取り虫」とそれを生産する教師が評価されているというのが、現在の大阪市ではないのか。

 

 すべての子どもに力をつけさせる公教育の場は、敗者には何も与えられない弱肉強食のプロスポーツの世界ではないのだ。子どもたちと向き合い続けてきた教師としての豊富な実践経験の中から、警鐘を鳴らした久保の言葉には、普遍的な公教育の意義が感じられる。SNSで拡散されたこの提言書の文章については、「支持します」というリツイートが瞬く間に10万件を超えた。

 ところが、2021年8月20日、この提言書を問題視した市教委は久保に「文書訓告」処分を科した。「(久保が)独自の意見に基づいて、現場に混乱が起きていると断じて、懸念を生じさせた」とし、地方公務員法「信用失墜行為」に該当するとしたのである。
 学校現場に混乱が起きていたのは紛れもない事実である。それを無かったとし、逆に久保が混乱を起こしたとする市教委の方がエビデンスを示していない。

 大阪公立大学の辻野けんま准教授は、この久保の提言書と処分について議論する海外向けのジョイントセミナーを開催した。その結果、10カ国以上の研究者が参加し、米国、ドイツ、インドネシア、キューバ、ブルガリア、キプロス等々、各国の大学教授や教育研究者から、大きな支持と賛同のメッセージが寄せられた。

久保

「自分としては提言書を出して、文書訓告をもらっても、むしろすっきりしたんです。僕の提言書を80歳過ぎの先輩の元先生が、『あれは君の教員としての卒業論文や』と言ってくれはったんです。そしたら『文書訓告』は、その“卒業証書”、“合格通知”やな、もう自分自身はこれでええわ。そんなことを思っていたんです。
 ところが、辻野先生のジョイントセミナーで出逢った海外の先生たちが共感して下さって、『教育に対する政治家からの攻撃、これは世界的な問題だ』と言われました。その中で特にドイツとキューバの先生から、久保先生が訓告処分を合格通知だと感じて動じていないのは個人の覚悟としては良いけれども、やっぱりこの結果を放っておくのはあかん』とすごく強く言われたんです。未来の先生や子どもたちにとって、この処分を放置するのは良くないと。教師にも人権があるのだから、理由にもならない理由で処分されて、それを受け止めただけになったらやっぱりあかんと。自分もそう思ったわけです」

 こんな前例を残してはいけない。久保を支援しようと多くの市民、教師OBたちが声を上げ、「ガッツせんべい応援団」が立ち上がった。子どもたちが、朝会で「ガッツ!」と叫んで子どもを励ます久保を「ガッツ先生」と呼んでいることからこの名称となった。久保と応援団は、文書訓告の取り消しに向けて動き出した。すべては後進と子どもたちのためであった。2022年1月24日に文書訓告取り消しの要望書を教育委員会へ、2月21日には、大阪弁護士会に人権侵害救済申立書を提出した。4月18日には市教委との団体協議も行った。

久保

「僕が提言書を出したのが5月17日で、文書訓告処分を受けたのが8月20日です。その3カ月の間に教育委員会議でどのように諮られて僕の処分が決められたのかを明らかにしてほしいと教育委員会に要望書を出しました。一応、回答は来たのですが、『慎重に検討した結果、決裁は教育次長がしました』という、いつもの木で鼻を括ったような返事でした。そうではなく、経緯を明らかにして欲しいということなんです。でも、なかなか担当の人は答えにくいし、僕は教育委員会と敵対したいわけではないんです。
 かつての教育委員会は独立性を保っていましたし、そこが培ってきた大阪の教育の歴史があるわけですから、そういうものをしっかり踏まえて、『処分はこういうプロセスで決まった』というふうにちゃんと言ってほしい。そして市教委にはもう一度、政治家に支配されない自立性を取り戻してほしいというのが、要望書を出して協議に臨んだ理由なんです」

文書訓告の背後に何があったのか?

 教育委員会はどのような議論を経て文書訓告というペナルティを科すに至ったのか。久保の応援団が情報公開請求をしたことで、新たな事実が明らかになった。大森不二雄という大阪市の特別顧問をしている人物が、教育委員会の川本祥生総務部長や松浦令教育政策担当課長に直接メールで働きかけて、久保の処分に大きく関与していたことが判明したのである。大森顧問は橋下市長時代に民間教育委員として呼ばれた元文科省官僚で、2016年4月より大阪市特別顧問に委嘱されている。テストの成績によって教育の効果を数量的に把握することを提言した教育振興基本計画を進めてきた人物である。

久保「大森特別顧問が川本教育委総務部長とやりとりしたメールが公開されて明らかになったのですが、市教委は、意見を自由に言うことは決して問題ではないと公式には発表していたはずなのに、実際には僕が反対意見を出したことを最も問題にしているのです。21年6月に総合教育会議というのがあったんですが、大森特別顧問は、自ら進めてきた教育振興基本計画がゆらぐことを恐れて、そこで僕の提言を捻じ曲げて、まるで僕が校長の職責を果たしていないかのような発言をされたんです。特別顧問による演出がここでなされていたんです」

 本来、久保の処分は教育委員会議で教育委員たちが議論すべきことであるが、この大森顧問の教育委員会事務局への介入があり、久保への提言に対して総務部長に反論を書くように指示された。その結果、教育長の名前で各校園長に通達(「本市教育行政に関する教育委員会の基本的な考え方について」2021年7月16日)が出された。この通達の文章にも大森顧問による添削指導が3度もあったことが判明する。
 また大森顧問は報道に影響されて指示を変えていたことも分かり、およそ人を罰したことに対しての信念も決意も覚悟も感じられない。

情報公開請求により公開された、大森不二雄特別顧問から大阪市教育委員会の総務部長に宛てたメールの一部


 筆者は公正を期すために、東北大学教授の任にある大森顧問に以下の質問状を送ったが、現在に至るまで何の返信も無かった。

1)2021年6月29日に行われた総合教育会議の会議録を拝見するに大森さんは明らかに久保校長(当時)の提言を曲げておられます。さらに大森さんは各校園長に向けて教育長の名前で出す文書に対し、3度に渡る添削指導を行っていることが確認されています。市の特別顧問の大森さんが、ここまで大阪市教育行政に関与するのは明らかな私物化、政治介入ではないかという批判に対してどう思われますか。

2)情報開示請求で出て来たメールにつきまして。同年8月27日に大森さんが、川本総務部長に送られたメールには朝日新聞報道を気にされ、「事情が変わった」として、川本総務部長に反論文書を市教委HPに目立つようにアップするようにとの指示がなされていました。先述の通り、教育委員会は市長から独立した執行機関であるはずです。市教委からの助言を受けての回答ではなく、マスコミへの対応を自ら積極的に指示を出すことは、実態はご自身が意思決定権限を持っておられるということでしょうか。

3)かようにリサーチをし、仙台より大阪の市教委に広報戦略を指示するという行為は今後も続けられるのでしょうか。

4)各校園長に向けて出された通達書により、久保さんは「逸脱行為を行った無責任な校長」と一方的に流布されました。久保さんは、そのことに対して人権侵害救済申立てをされていますが、通達書は大森特別顧問による監修で作成されたものです。流布させた当事者として人権侵害をしたことにたいする受け止めをお聞かせ下さい。

5)市長の補助機関である特別顧問は市教委の職員に直接指示や命令はできないとなっていますが、2021年8月11日の松浦令課長へのメールにはこれ以上は無駄なので、「教育長、市長へ協議し相談する」という文言が見られました。明らかに市長を自身の後ろ盾にしていることを強調し、自身に従わせようと見受けられます。市教委に対してかような言い回しはこれまでも使われてこられたのでしょうか。

6)大森さんご自身、これまで学校現場で小中学生に授業を行われた経験はおありでしょうか。

 下記は大森顧問が推進する中学校対抗内申点争奪戦とも言える「チャレンジテスト個人戦」について、市教委職員に対して動きが遅いと吉村知事の名前を出して叱責しているものである。これらのメールから、大森顧問は自らも国立大学の教授という身でありながら、片方で同じ教師の自治、発言を管理し、さらには処罰させていたことが分かる。教育の自治、裁量権を教授自らが否定する行為である。東北大学はこれをどう見るのか。

情報公開請求により公開された、大森不二雄特別顧問から大阪市教育委員会の教育政策担当課長に宛てたメールの一部


現職教師と子どもたちのために

 本来、指示権限の無いはずの特別顧問による監修で(それをはね返せず唯々諾々と従っている市教委職員も情けないが)作成された通達書により、「逸脱行為を行った無責任な校長」と一方的に流布された事実もまた、久保が人権侵害救済申立てをする背中を押した。
「合格通知」を受け取ったままにせず、後進のために立ち上がった久保は、今その現職の教師と子どもたちに対する憂慮を隠せずにいる。

久保

「僕が教師になった1985年頃は、もっと子どもたちに向き合う時間がありました。今は、学習指導要領の中身だけじゃなくて、『何ができるようになるか』みたいな、到達目標までが決められている。全国学力テストの学校別正答率の公表や学力経年テストの実施が始まって競争が激化しています。テストの点を上げるために市教委から送られてくる過去の問題をやらなくてはいけない。確かに過去の問題をやればテストの点数は上がりますが、それがほんまの学力や考える能力に繋がるでしょうか。ただでさえ時間がない中で、それをやるために学校行事や体験的な活動を潰したりしなくてはならない。テスト勉強に時間を取られ、学校行事を行う余剰時間を捻出するのも難しくなっているのが、現状です。学習がしんどい子は、もう置き去りになっていく。

久保

「松井市長のオンライン宣言は4月19日の夕方のニュースでいきなり流れたんですけど、僕ら教師は勤務時間中なので観ていなかったんです。ところが、保護者の方から学校に電話がかかってきて『今、市長さんが“一斉オンライン授業にします”とテレビで話してはりますけど、そしたら子どもたちはまた学校へ行かなくなるんですか?』と言われたので分かったんです。保護者の方は1年前(2020年)も3カ月にわたる一斉臨時休校で大変だったのに、再び急に休みになったら、またその態勢をとらないといけないので不安で仕方がなかったのですね。とにかく何も聞いていなかったので、『教育委員会から詳しい知らせが来たらお知らせします』と対応しました。僕は市教委にすぐに問い合わせの電話をかけたんですが、『ちょっとまだどういうことなのか、こちらもよく分からない』との回答でした。その3日後にようやく、バラバラで登校させるような通知が来たんですが、まず保護者の意見を聞きました。うちは不審者情報も少なくない地域なので、やっぱり子どもの安全を考えると、いつもどおり朝に集団登校して給食を食べてから下校としました」

 整備されていないネット環境は木川南小にとっても深刻な問題であった。

 

 そうしたくないから、先生らはいろいろ工夫して、一生懸命、教材研究もしています。でも、ほんまに今、もう、人が足りなくて、過労から病気で休んでいく新任の先生や、『やっぱり務まらへん』となって辞めていく先生も多い。代わりの講師の人もいてなくて、今いてる先生が働き方改革どころじゃないことになって、結局、そのしわ寄せは子どもたちにも行くわけです。もうちょっと、社会が今の教育の問題をしっかり分かってくれて、単に先生が頼りないとか、さぼっているとかじゃないと理解してほしいです。『一律これだけのことを学習指導要領でやったらいい』という施策があっても、それをインプットしてやっていく学校の状況がそれぞれ違うし、子どもだって違う。そういうことがわかっていないと思いますね。
 だから、堤未果さんが『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書、2021年)で書かれていたのですが、竹中平蔵さんが、究極は『一人の優秀な教師』がいて、その人が『オンライン授業』するのが『教育の平等』みたいなことを言われるのを読むと、ほんまに僕は怒り心頭なんです。ひとりひとりに向き合ってくれる教師がいなくて、“配信”。それでついていけない子どもは自己責任で切り捨てられていくなんて、公教育においておかしいですよ」

 2024年2月6日、久保は大阪市会へ「大阪市特別顧問による不当な支配に服する教育行政の抜本的な改善を求める陳情書」を提出した。情報公開請求によって、大森特別顧問から市教育委幹部への大量の「指示」メールの存在が明らかになった。久保に対する処分だけではなく、教育政策課長に対してのメールでは、「リベラルアーツ教育」や「チャレンジテスト」についての市教委の意向を覆させていることが判明した。旧教育基本法第10条には、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」とあった(*)。
 今、これもまた看過するわけにはいかない。海外の教育者たちの指摘から立ち上がった久保であるが、その行動には自身の教師体験という大きな裏付けがある。

久保

「確かにこのままでは、教育はだめになる。競争と格差の拡大で学校の体力がどんどん失われているんです。僕が最初に校長を務めた学校では、トリプルワークしてるお母さんがいて、そんな状況やから子どもに対していろんなトラブルも起こすんです。でも、お母さんが、不真面目で悪い人なんかと言ったら、月末になったら電気代を払えないかもしれへん経済状況に追い詰められて大変なんです。そんな人に、『もっと子どものことを見てや』って、やっぱり僕は言えないなと思った。だから、学校や地域がカバーしてきたんです。でも今はそういう共同体が、学力とも言えないテストの点数を上げるという目標に忙殺されて分断されている。僕らはすべての子どもたちの未来のために役に立ちたい。教師って9割しんどくても1割子どもたちに嬉しいことがあったら、それが幸福なんです」