今の私の三割から四割は、高橋哲哉さんでできている。斎藤幸平×高橋哲哉でおくる豪華対談「危機の時代と人文学」

 
 
昨年、これまでの自身の研究の集大成として『マルクス解体』を上梓した斎藤幸平さん。デリダを研究しながら日本と世界の諸問題を論じ、近年は福島の原発や沖縄の基地問題にもコミットされている高橋哲哉さんとの対談イベントが、今年一月に代官山蔦屋書店にて開催されました。大盛況のうちに幕を閉じた豪華対談の中身を、大ボリュームでご紹介いたします。

高橋さんがいたから今の私がある
斎藤 どうもこんばんは。お忙しい中、皆さんお集まりいただきありがとうございます。今日は私が去年刊行した『マルクス解体』という本の刊行記念イベントになります。「危機の時代と人文学」と題して、いわゆるエコロジーや気候危機の話だけではなく、今起こっている戦争も含めたいろんな危機に対し、私たちが専門とする哲学や思想がどういう意味を持つのかというところにまで広げながらお話をしていきたいと思います。ただその前に、もしかしたら聞いてくださっている方の中には、今日はマルクスがテーマなのにどうして私と高橋さんなんだろう? と思っていらっしゃる方がいるかもしれません。そこで少しその話をしてから、高橋さんにマイクを渡したいと思います。今回どなたと対談されたいですかと聞かれた際、私が高橋さんにお願いしたいという希望を出して、今日この場に繋がっているんですが、確かにマルクスと直接は関係ありません。ただ、そもそも私がマルクスを研究することになったのは、3割から4割ぐらいは高橋さんの影響を受けているといいますか、きっかけになったのは間違いなく高橋哲哉という人だったんです。


私がアメリカの大学に行く前、2005年に東京大学に入った際、高橋さんがちょうど今私が教えている教養学部の哲学部会の先生をしていらして。当時、駒場の生協の書籍部に行くと、高橋さんの本がたくさん並んでいました。その頃は慰安婦問題や靖国問題を巡っての、いわゆる戦後責任問題が大きな話題になっていたからです。自分たちが直接戦争をしたわけでは必ずしもないし、いつまで謝らないといけないんだという議論も色々とあった中で、高橋さんの本を読むうちに、自分も無自覚的にナショナリスティックなものに染まっていたことに気付いたんです。例えば、サッカー部だった高校時代、ワールドカップの日韓戦で日本をすごく無邪気に応援していたりとか、新渡戸稲造や岡倉天心を読んでいたりとか。戦後責任や靖国問題といったことをもっと考えなきゃいけないなと思ってさらに色々と読んでいくと、その背景には例えばジャック・デリダという高橋さんが専門とされているフランス現代思想の話があって、哲学を研究することと現代の日本社会について考えることは密接に連関するんだということを、高橋さんの著作をきっかけに学びました。それ以前にも、イラク戦争の時期に高校時代を過ごした中で、エドワード・サイードやノーム・チョムスキーといった思想家たちが反戦の主張をしていたことにも大きな影響を受けていたんですが、実践的な問題意識をもって思想を展開する人が日本にもいるんだというのを知って、自分も哲学や思想を勉強したいと思うようになったんです。実は当時、第二外国語はドイツ語ではなくてフランス語で、自分も将来はフーコーやデリダを勉強しようと思っていました。時代の風景もそういう感じで、萱野稔人さんの『国家とはなにか』にも影響を受けました。ただその後、勉強していく中で、いわゆる新自由主義や自己責任論といったものに関心が強まる中で、だんだんマルクスや資本主義に考えが向かうようになり、今マルクスの研究をやっているわけです。ということで、実は今この場にいるのは高橋さんの影響だということで、『マルクスと息子たち』というデリダの本がありますが、私は高橋哲哉の「息子」の1人なんです。

高橋 そこまで言いますか(笑) このイベントの前に一度くらい顔合わせをしておこうと思いまして、先日斎藤さんの研究室を訪ねにいって、少しお話をしたんですね。斎藤さんが駒場に入ったときに、私も含めた駒場の雰囲気、現代思想や現代哲学といったものに興味があって、そこから思想系に入ったんだという話は聞いていたんですが、3割から4割とはちょっと多すぎるんじゃないかな(笑)

斎藤 まぁそうなんですが(笑)、高橋さんの影響がなければ、今のようなアプローチで哲学を専門にしなかった可能性もあったので、やはりすごく影響は大きいです。

70年代の東大、哲学の風
高橋 私が大学に入ったのは、斎藤さんと30年くらい違うのかな。

斎藤 私は今36歳です。

高橋 そうですよね、一世代違うんですよね。私が入ったのは74年なんですが、当時まだマルクス主義の影響はありました。いわゆる学生運動や全共闘運動は収束していたので、残念ながらセクト間の内ゲバといったイメージが強かったんですが、まだ思想的にはマルクス主義は生きていました。私が取った哲学の授業は、坂部恵先生と廣松渉先生でした。坂部さんは最初の授業で、ミシェル・フーコーの『Les mots et les choses』(『言葉と物』)の原書を持ってきて、いきなり「エピステーメー」とか板書し始めた。それで私は同級生と『言葉と物』の読書会を始めたんです。そこから哲学の勉強を始めたので、マルクスの影響を直接は受けなかったですね。でも同時に、3年生になったときだったかな、駒場で1,2年生向けの廣松さんの哲学概説を聞きました。廣松さんは名古屋大学で助教授の頃、学生運動で学生側にたって大学を辞職。それから大森荘蔵先生に誘われて復帰したんですね。廣松さんの本はほとんど読みました。一番面白かったのは『科学の危機と認識論』ですね。相対性理論と量子力学について、廣松さんが自身の視点で解説をするという内容でした。当時は廣松渉校訂版の『ドイツ・イデオロギー』が崇拝されていました。廣松さんが授業に入ってくると、講壇の下に「疎外論から物象化論へ」と誰かが書いた紙が垂らされていたり、そういう時代でした。

斎藤ファンのような方がいたんですね。

高橋 そうですね。私は廣松さんの視点からみた哲学史を教わったと思っていて、哲学史の見方は廣松さんの影響を相当受けています。3割か4割(笑)、それ以上かもしれない。当然、『マルクス主義の地平』や『世界の共同主観的存在構造』、『事的世界観への前哨』などには親しんだんですが、経済学はほとんどやらなかった。

斎藤 いわゆるマルクス経済学なども含めてですか?

高橋 唯一やったのは、大内力さんが宇野弘蔵の『経済原論』をテキストとした講義で、当時は通年授業でしたから多分4単位で1年間、これは聞きました。なので、いわゆる宇野理論のテキストは一応読んだんですが、あまり覚えていないですね。マルクス関係はそれくらいかな。その後はフッサールやハイデガー、現象学などドイツ語の文献を読んでいた時期を経てフランス現代思想へ。マルクスについてはデリダも1993年に『マルクスの亡霊たち』を出していましたし、もちろん関心のどこかにはあったんですが、本格的にやることはなかったんですね。

推理小説のように面白い
斎藤 そんな中、急に今回『マルクス解体』を読んでいただくことに。

高橋 斎藤さんの『人新世の「資本論」』はベストセラーになっているし、これは読まなきゃいけないと思って買っていたんですが、積読になってしまっていて。この機会に『マルクス解体』と『人新世の「資本論」』を読むことができました。2冊とも、ものすごく面白かったです。

斎藤 ありがとうございます。

高橋 レベルが高くても面白い論文というのはなかなかないんですよね。面白いというのは、推理小説を読むような感じ。非常に論争的で、こっちの理論をやっつけ、あっちの理論をやっつけ、最後はどこに行きつくんだろうというのを常に想像させる。犯人捜しみたいなところがあって、本当に面白かったというのが第一印象です。

斎藤 ありがとうございます。そんな風に言っていただけるととても嬉しいです。日本の歴史において、マルクスといえばやはり廣松、宇野、そして柄谷行人の3人が世界的にも名が知られていて外せないわけですが、この本の中ではその先人たちのことをそんなに批判はしていません。しかし、かなり意識して、彼らの解釈とは違うものを出そうと思っていました。彼らとは世代が違う分、私のマルクスの解釈やイメージもだいぶ異なります。私が大学に入ったときには、マルクスなんてもう終わったと言われていました。ソ連が崩壊して、学生運動もすごい下火になっている中で、90年代に大学に入った世代の間では、フランスの現代思想、デリダやフーコー、ドゥルーズが流行っていて、逆にマルクス経済学やマルクス哲学は廃れていました。それこそ2005年に私が入った頃には、90年代の初めくらいに大学に入った人たち、例えば萱野稔人さんや國分功一郎さんがフランス現代思想について面白い論文を書かれていて。私も彼らから大きく影響を受けていますが、やはりそこにマルクスがないこと、あるいは資本主義というテーマ設定がないことに不満も感じていました。そういう意味であえて21世紀の文脈で、ソ連が崩壊した世界でマルクスをもう一度読み直すということをやろうとしました。そのときに廣松がやったことや宇野がやろうとしたこと、柄谷がやろうとしたことを単に繰り返すだけではもちろん不十分なので、全然違うものにしようと。その一つにエコロジーというテーマがあったわけなんですが、高橋さんはその辺りはどんな風に読んでくださったのでしょうか。

高橋 マルクスのエコロジーというのは斎藤さんが言い始めたことではなくて、しばらく前からあったわけですが、脱成長論が入っていないなど、非常に不十分なものであると。他方、脱成長論もこれまであったわけですが、資本主義に対する批判が不十分であると。『マルクス解体』の中では、そうやっていろいろやっつけていくんですね(笑)。最後に脱成長コミュニズムという話が満を持して出てきますが、それは決して頭の中からひねり出したわけではなくて、ちゃんとマルクスのMEGA(Marx-Engels-Gesamtausgabe)の第4部門に収められたノートに依拠している。晩年のマルクスは自然科学や非ヨーロッパ世界について勉強していて、その成果は刊行された本には完全には反映されなかったんですが、その抜粋ノートが残っているんですよね。斎藤さんはそれらを読み込んで、そこから理論を引き出したわけです。僕らの頃は「疎外論から物象化論へ」という風潮で、マルクスのいわゆる『経哲草稿』(『経済学・哲学草稿』)もヒューマニズムも古いと言われていました。しかし、人間と自然との統一、そして物質代謝論の萌芽はそこにもあって、今言ったような点から見返すと、脱成長という話が浮かび上がってくるわけです。そのあたりが面白いんですよ。もちろん地球環境の極端な悪化、地球沸騰とも言われる温暖化などを前に、地球が本当に危機にさらされているという感覚は、私も皆さんと同じように持っているわけです。その問題について、理論的にどうアプローチしていくかとなったときに、私にとって比較的親しい哲学、思想の分野で、しっかりと迫ってくれたという印象ですね。

哲学を通して、社会を考えるということ
斎藤 ありがとうございます。そうおっしゃっていただけてとても嬉しいです。ここで再び高橋さんに影響を受けたという話に戻って、それが誇張ではないという話をしたいんですが、『マルクス解体』を出した際に、「斎藤さんはラッキーだよね」と言われたことがありました。どういう意味かというと、哲学を研究する際、例えばノートや草稿、手紙を読んで研究するといった、オーソドックスで古典的な方法があります。時に「それは訓詁学だ」とか、特に私の場合には「マルクスのテキストを聖書みたいに崇めている」などと批判されることもありますが、研究とはそういうものです。

しかし、そのような研究の際に、これまで誰も読んでこなかったノートにはこういうことが書かれていました、と単にまとめても研究として成立はしますが、さっきの高橋さんの言葉を借りれば面白くないわけです。ではなぜ私の本がちょっと面白いと言っていただけたかというと、一つにはさっき言った推理小説のような側面があること。もう一つは、現代の問題に話が繋がっていることではないかと思います。つまり、現代社会の問題とマルクスという150年前の人が考えていたことが繋がっていて、例えば今の資本主義の問題点に対してマルクスだったらこんな風な見方ができるんじゃないかという話が身近に感じられて、違う視点から現実を見ることができるのではないかと。ただそれは、必ずしも誰もができるわけではない。例えばカントを読んで、気候変動について同じように話ができるかというと、できない可能性が高い。やろうとしている方はいると思うし、もちろん倫理学的な側面から、カントであれば気候変動の責任についてどう考えだろうかという問いも立てられるし、それは研究にもなるとは思います。しかし、マルクスの場合は、彼が勉強していたノートの内容自体が環境問題に深く踏み込んでいるからこそ繋がるんです。そのことをラッキーだよねと言われて、そのときは私も本当にそうだなと思いながらあまり深く考えていなかったんですね。ただ、今日のお話にあわせて高橋さんに影響受けた過去を振り返っていたときに、そもそもどうして影響を受けたんだろう、どういうところに影響を受けたのかなと考えていたら、高橋さんはデリダを研究しながら、彼の「応答可能性」という概念を使って、戦後責任や靖国の問題に応答するとはどういうことなのか、責任とは何か、それによって結ばれる友愛のポリティクスや来るべき民主主義とはどういうものなのかを考えるということを研究していらして。哲学が「机とは何か」みたいな話だけだったら、私は多分大学で哲学を研究しようとしなかったでしょう。ですが、一見抽象的で難解な言葉で書かれている思考を突き詰めていくと、デリダという思想家は具体的な問題を哲学的な思考で考えているんですよね。同様に哲学を用いることで、例えば日本と韓国の関係をもっと良いものにしていくための道が提示できるんだということに私は感銘を受けたんです。自分もマルクスやヘーゲルを読む際に、彼らの思想を、論文を書くために使えるかではなくて、どうしたら現実の問題を考えるために実践的に使えるのか、常に具体的な問題に対してどういう道筋が立てられるのかを考えようとしてきました。私が大学生の時は戦後責任の問題だったわけですが、原発事故の後、高橋さんは福島の問題についても発言されていますよね。

私も原発事故をきっかけにして、これは単に労働者の搾取だけが問題なのではなくて、地方に資本主義的な都市部の生活のツケを払わせている、これはマルクスが都市と農村の対立と呼んでいた問題ですが、それと同じような構造的差別が繰り返されていると思ったわけです。だとしたら、マルクスはこの原発の問題をどう批判しただろうか。単に技術だけ発展させていけば社会主義は達成されると考えていた思想家だったら、原発も良いと言っていたかもしれない。そうではなくて、都市と農村の対立がまさにここに現れているのではないかと言って批判していた可能性もある。そこからだんだん人間と自然の
 
関係性を物質代謝という概念に着目して読むようになりました。原発事故をどう考えるかとか、新自由主義のもとでの非正規労働者の問題をどう考えるか、今で言えば気候変動の問題をどう考えるかという問いを元にしてマルクスを読んできたので、よくよく考えたら、結びつくのはラッキーではなくて当然だったわけです。