ガザ侵攻、福島の原発、沖縄の米軍基地。山積する問題に今私たちが考えるべきことは――。斎藤幸平×高橋哲哉でおくる豪華対談「危機の時代と人文学」

 
 
昨年、これまでの自身の研究の集大成として『マルクス解体』を上梓した斎藤幸平さん。今年一月、斎藤さんが多大な影響を受けたという哲学者・高橋哲哉さんとの対談イベントが代官山蔦屋書店にて開催されました。環境問題や戦争――危機の時代に哲学、思想が持つ力とは。前編、中編に引き続き、豪華対談の中身を大ボリュームでご紹介いたします。

パレスチナにみる植民地主義、空間的な転嫁
高橋 先ほどガザのことが出ましたので、この際もう少しそのことを話したいと思います。ガザの問題、つまりイスラエルとパレスチナの関係の問題ですが、資本主義の問題としてどこまで読み解けるかは別として、少なくとも植民地主義という視点からでなければ正確に捉えることはできません。つまり、ハマスとイスラエル軍が暴力の応酬を行っているとか、ユダヤ教とイスラム教の宗教対立だとか、そんなふうに見たら全くこれは理解できないわけです。結局この問題は、ヨーロッパで解決できなかった反ユダヤ主義を外部に、パレスチナに転嫁したことで起こっているんです。そこでシオニストたち、つまりイスラエルを作った人たちは、イギリスをはじめとした欧米の植民地主義を利用してパレスチナに建国し、そこに住んでいたパレスチナ人を民族浄化のような形で何十万人も追放しました。その結果、二世や三世も含めると、今パレスチナ難民は世界に500万人以上いるわけです。この追放をナクバと言うんですが、このナクバが今も続いているというのが現状ではないかと。いわゆるセトラー・コロニアリズム。つまり、アメリカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドを考えていただければわかりやすいのですが、ヨーロッパの人が入っていって最初は少数だったんだけれども、彼らが国家を作り、権力も含めてマジョリティーになって、先住民たちを二級市民にしてしまう。そしてその先住民たちを追放したり、迫害したり、果ては絶滅させたりというところまで進んでしまう。今、ジェノサイドではないかと言われているのは、まさにこの絶滅まで行きかねないようなことをイスラエルがやっているからです。このようなセトラー・コロニアリズムの視点から国家としてのイスラエルを見ると、まさにヨーロッパから外部に転嫁された問題だということがわかります。
 
これに対してドイツがどういう反応をしているかというと、ショルツ首相は「イスラエルの生存と安全、これはドイツのシュターツ・レゾンだ」と発言したんですね。レゾン・デタだと。訳すのが難しいのですが、つまり、国家としてどうしても手放せないものだと言ったわけです。これはなぜかというと、ドイツがホロコーストをやってしまった過去があるからです。つまり、ドイツは反ユダヤ主義の極限まで行ってしまったのだから、それを繰り返さないために、イスラエルの安全保障については、いついかなる場合もイスラエルの側に立つ、それがドイツ国家の大原則だと。ドイツではこの論理から、イスラルの側に立たないこと、イスラエル批判や、パレスチナの側に立っただけで、それは反ユダヤ主義だ、ということになってしまっている。これはおかしい。ユダヤ人イコールイスラエルではないのだから、イスラエル批判と反ユダヤ主義はしっかり区別しないといけないわけです。ドイツは確かにホロコーストの問題については、今の大統領に至るまで深い反省を表明してきています。日本だとヴァイツゼッカーの名前が未だに出されますが、特に90年代以降の方がドイツの歴史認識は公的なレベルでより深まっている。ところが、それゆえにというべきなのか、イスラエルの問題については、ドイツはいついかなる場合も、イスラエルの側に立つとなってしまっているんですね。
 
斎藤 ドイツは大統領や首相も含めてしっかり謝罪をしたり、教科書を各国と横断的に協力して作ったりなど、戦後責任を取るモデルとして紹介されてきて、私はやはりその姿勢にすごく影響を受けてきました。一方で、『SHOAH ショア』のような素晴らしい映画を作るランズマン監督自身がシオニストだったりする。今の話のように、ドイツではパレスチナの側に立つというか、彼らの命を奪ってはいけないというふうに活動をすること自体が反ユダヤ主義の活動になってしまう。イスラエルが行っているジェノサイドを批判することが反ユダヤ主義とされてしまう。これは、日本人からしたら正直全く理解できないロジックなわけですが、ドイツだとまかり通ってしまう。私の知り合いの左派的で環境問題などに取り組んでいる仲間もそういう立場をとっていたりします。一番身近な例だと、グレタ・トゥーンベリさんの呼びかけをきっかけに創設された国際的な草の根運動であるFridays For Futureですね。
 
 
先般、グレタさんがtwitter(現X)で、フリーパレスチナ、ガザの虐殺を止めろというプラカードを掲げたんですね。気候正義という視点からすれば、弱い人たちの側に立つ、ましてや市民が虐殺されているのであれば、それを止めろと言うのは当たり前のことですが、それによってグレタさんは反ユダヤ主義認定をされて、Fridays For Future Germanyは、Fridays For Futureの国際ネットワークから脱退するという非常にこじれたことになっています。今の状況を見ていると、結局ドイツの戦後責任の取り方というのは、今言っていたような外部化であって、「犠牲のシステム」から結局決別できていなかったんですね。彼らはある意味、パレスチナという新しい犠牲を作り出すことで、ユダヤ人に対する責任を取ろうとしたのではないかということです。つまり、戦争責任に向き合う際に、もう一度別の外部を作って、もう一度さらに弱い人たちを作り出すことで、ホロコーストに対する責任を取ろうとしている。そして、そこにはある種の二級市民、殺されてもいい人たちがいるという。ヨーロッパは植民地支配の伝統から十分に抜け出せていないんですね。同じような発言がカナダのトルドーやアメリカのバイデンたちからも度々出てくるというのは、いかにヨーロッパやアメリカにおいて、白人主義や植民地主義が根強いかの例だと思います。ハーバード大学の学長の辞任騒動(2024年2月に辞任)もパレスチナ問題が関係しているわけですが、そういう意味で言うと、私がずっといろいろと影響を受けたり尊敬したりしている人たちも含めて、この問題に関しては逃げ切れなかったり、むしろ積極的に発言をしなかったり、場合によっては全然違う方向の発言をしてしまうといったことが繰り返されていて、とても悲しく思います。
 
原発という「犠牲のシステム」
高橋 21世紀に入って、過去の植民地主義、植民地支配の問題については、ヨーロッパでは日本と違ってだいぶ進んだと私は思っています。ドイツのシュタインマイヤー大統領は、ガザへの侵攻がはじまってからですが、昨年11月1日にタンザニアに行って、植民地支配時代にドイツ軍がやった虐殺を謝罪しています。また数年前にはナミビアでも、20世紀最初のジェノサイドだと言われている虐殺、これは絶滅命令を出しているのでホロコーストの先駆けなんですが、これについても正式にジェノサイドだったと認めて謝罪もしています。ドイツだけではなくて、ベルギーは特に踏み込んでいますが、フランスあたりまで、植民地支配は不正だったと発言しているんです。国王や国家元首が、ですね。いわゆるダーバン会議で出されたダーバン宣言、また、ヨーロッパ議会が出した「アフリカ系市民の基本的権利についての決議」などでも、植民地支配の不正を認めています。そして何といってもBlack Lives Matter運動がアメリカからヨーロッパに波及したのも大きかった。オランダの国王も奴隷制や奴隷貿易について昨年7月に正式に謝罪しました。しかし、そのヨーロッパがパレスチナ問題になると、ユダヤ人問題、反ユダヤ主義の問題をパレスチナの人々にいつも押し付けてしまう。ここが植民地主義批判にとっての最後のハードルなのではないかと思います。ちなみに、今グレタさんの名前が出ましたが、彼女が原発について何か肯定的な発言をしたことが話題になっていませんか?

斎藤 脱炭素化を目指す中で、原発を使うことについてはそれほど厳しい批判の声を出してないのは事実ですね。必ずしも賛成の意を積極的に打ち出しているわけではありませんが。

高橋この点については、斎藤さんはどう考えていますか。つまり、原発についてどういう論拠でどのように向き合っていくのか、ということですが。

斎藤 例えば、地震がないような地域というのは確かに存在するわけです。後30年で本当に脱炭素化をするとなった際には、そういう地域であれば、原発というのも一つの現実的な選択肢にならざるを得ないのではないか。また、石炭火力ではものすごい大気汚染が起きていて、その苦しみはしばしばその周りに住んでいる貧しい有色人種の人たちに押し付けられてきた歴史が、特にアメリカなどではある。そう思うとクリーンな原発の方がそのような弱い人たちにとっても望ましいのではないか。そういったことを言う気候科学者や気候運動家がいるのは事実です。しかし、原発は安全に運転さえしていれば問題がないのかといえばそんなことはなくて、当然、ウランを採掘する際には被爆労働があります。それはしばしばオーストラリアといった先住民たちの土地を奪うような形で行われているわけですし、運転を続ける限り当然核のゴミが出て、その核のゴミは10万年といった長期的なスパンで将来の世代にリスクを背負わせることにもなります。これはまさに気候変動問題が取り組んでいる課題と同じなわけです。なので、突き詰めていくと原発は使ってはいけないということになるのではないかと私は思います。実際に日本では事故も起きているわけですし、今年元旦に起きた能登半島地震も含めて、地震が定期的に起きる社会である以上、原発は使えないと。しかし、沖縄の基地を本土に引き受けようと言えない人が多いのと同じように、原発はどこにも押し付けてはいけないのだから、脱成長し、便利さといったある種の過剰さを積極的に手放せるのか、未来の世代や外部化されてきた人たちに対して応答できるのかというと、やはり覚悟が問われますし、そこで一気にハードル上がってしまう。私自身はもちろんそれでも脱成長こそがとるべき道だと信じていますが、それが実際にどれくらいこの社会において大きな声になりうるのかというのは、沖縄の問題や福島の問題を見ていると、楽観できないということは現実問題として自覚はしています。

高橋 今おっしゃったように、グローバルサウスとの関係、そして未来の世代との関係という話は、気候変動問題や原発問題にどう対応するのかということとまさに重なってくるところだと思います。国内だけを見ても、コストといった論点から原発には反対できると思うのですが、どうしても国内だけで議論が終始しがちなんですね。ウランがどこから来るかと考えたら、これは先住民が住んでいたところがほとんどなわけで、日本はずっとそこから輸入しているんですね。先日のCOP28では、2050年までに世界の原子力発電の発電容量を3倍に増やすということに20か国以上が賛同しました。そこには日本も入っています。とんでもないことだと私は思います。ニュークリア・レイシズムという言葉もありますが、原発はほとんどグローバルノースがこれまで作って使ってきているわけで、その原料そのものはグローバルサウス、つまり先住民の生活環境を破壊して取ってきているわけです。原発だけでなく、核兵器も同様です。これはレイシズムでもあるわけなんですね。ただ電気を使っているだけだという認識では、原発が「犠牲のシステム」だということに気がつかないんです。

危機の時代に立ち向かうための思考法
斎藤 3倍を目標にしていこうというのは、当然途上国に原子力発電を売っていこうという目論見なわけです。それ自体が本当に成功するかどうか、正直どれくらい可能性があるかは疑わしいですが、そういう提案が出てきてしまうこと自体が、レイシズムや資本主義の成長が内包する構造的差別の問題にCOPに集まるエリートたちが向き合えていないままということを意味しているし、それに賛成するような日本の代表を私達が送ってしまっているとうのも、やはり国内の認識が依然としてそういうレベルにとどまってしまっているということだと思います。そういう意味でいうと、不可視化されているだけで、身近なところにいろんな差別や構造的な問題、「犠牲のシステム」があるわけですね。そういったものをもう一回丁寧にすくい上げていこうという呼びかけの一つが、実はこの『マルクス解体』の試みでもあるわけです。今日、この場で少しでも伝わればいいなと思うのは、哲学者みんながそうではありませんが、特に私たちはそういう現実の問題を考えるための、最初の理論として哲学をやっています。『マルクス解体』の中には抽象度の高い議論もありますし、マルクスの引用を詳しく解説しているところもあり、一見マルクスの話をしているだけのように見えるかもしれません。しかし、環境問題に限らず構造的な差別や構造的な不平等を考えるときに、『マルクス解体』で述べている抽象化されたマルクスの思想などはいろんなところで使いやすいものなので、難しいと感じられた方もいらっしゃるとは思うのですが、ぜひ読んでいただけたらと思っています。

高橋 もう時間が来てしまいましたが、最後にうかがっておきたいことがあります。沖縄の基地も、明らかに日本が本土で処理できないものを沖縄に転嫁するという植民地主義の結果だと私は思っています。本土の圧倒的多数で安保が支持されているかぎり、本土で引き取るべきだというのが私の主張なのですが、これに対して斎藤さんがどう応答してくれるのか気になります。

斎藤 高橋さんの『犠牲のシステム 福島・沖縄』などの本を読んでいて、どうしてそのような提案を私たちがしてこなかったのかという反省と、自分もこういう本を書けるかと考えると、やはり書けないでいる自分の臆病さを感じます。一昨年に沖縄に行って、辺野古も含めていろいろ現場を見せていただき、現地の方とも議論させていただく機会がありました。その際に、構造的差別の問題や資本主義の問題が「犠牲のシステム」として再生産されているということを認識しました。沖縄に基地が集中していて良くないよね、と言っているだけでは駄目で、まずはその認識の上で、単に基地を沖縄から海外に移設するのか、あるいは安保を我々が支持している以上、本土に受け入れるのか、または安保そのものを含めて日米の関係自体を見直すべきなのか、そういう議論をしていく必要がありますよね。今後、台湾や南西諸島の問題で緊張関係が高まってくると、基地も利用されるようになってくるわけですが、その負担を沖縄の人たちにまた押し付けてしまうことがないように、そういう問題が起こった時は自分も発言できるように、もっと勉強しておきたいと思います。