「町田米軍機墜落」忘れない 市民ら集い 60年の記録を冊子に 平和の像設置も訴え

 
私も忘れていました…。多発する米軍基地との摩擦で起きている事件。日本の空にはオスプレイはいらない!
 
 
 1964年4月に東京都町田市中心部で住民4人が犠牲になった米軍機墜落事故から60年を迎え、市民グループが事故の記録の冊子を作成した。6日には「追悼の集い」を市内で開き、後世に伝える像を公有地に設置するなどして、事故を風化させないよう訴えた。(宮本隆康)

 冊子には、負傷者や救助活動をした消防団員らの証言を交え、事故の様子や市の対応、市民の抗議運動などが記されている。64年に神奈川県大和市、77年に横浜市で起きた米軍機墜落と、2004年の沖縄県宜野湾市の米軍ヘリ墜落事故についても、地元関係者に寄稿してもらった。

 冊子を作成したグループは13年、事故を風化させないため平和の像を建立しようと、地元住民ら約30人が立ち上げた。ほぼ毎年、事故発生日の前後に追悼の集いを開いている。遺族や被害者の知人らが高齢化し、事故の風化が進んでいるため、発生から60年の節目に冊子をまとめた。
 
 B5判、63ページで税込み500円。500部を発行し、約130部は市内の小中学校や図書館などの公共施設に寄贈する。

 一方、建立を目指す平和の像は17年に完成したが、市に管理費の負担を理由に設置を断られ、現場近くの民有地に仮設置されている。6日の追悼の集いには市民約50人が集まり、市民グループ代表の岩崎俊男さん(78)は「事故を風化させない印にするためにも、みんなに見てもらえる公有地に設置させてほしい」などと訴えた。

 冊子の問い合わせはグループ事務局の奥村憲雄さん=電080(3501)7237=へ。

<町田米軍機墜落事故> 1964年4月5日夕、沖縄県の米軍嘉手納基地から神奈川県の米軍厚木基地に向かう途中の米海兵隊の戦闘機が、市中心部の商店街に墜落し、炎上した。乗組員はパラシュートで脱出したが、生後9カ月の男児を含む住民4人が死亡。32人が重軽傷を負い、二十数軒の家屋が全半壊した。
 
 

本当に安全だと言い切れるのか? オスプレイが沖縄で飛行再開 立川や木更津で噴出した不安と怒り

 
 
 鹿児島県・屋久島沖で墜落事故を起こした在日米軍の輸送機オスプレイを巡り、米海兵隊は14日、世界中で停止していた飛行の再開を発表した。沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場でも、離陸したMV22が市街地上空を飛んだ。オスプレイが配備されている関東の米軍や自衛隊基地周辺でも近く飛ぶ可能性がある。飛行に反対する住民からは「安全を守れるのか」と懸念の声が聞かれた。
 
 この日は、米軍横田基地(東京都福生市など)の周辺住民がCV22オスプレイの飛行禁止などを国に求めた第3次新横田基地公害訴訟の口頭弁論が東京地裁立川支部であった。開廷前の集会で原告団長の奥村博さん(73)は「墜落の原因解明や対策も不十分なのに、見切り発車で許せない。とんでもないことだ。こんな欠陥機を飛ばすわけにはいかない。怒りを込めて裁判でも危険性を立証していきたい」と力を込めた。
 
◆「飛べば飛ぶほど事故を起こすのに…」
 市民団体「横田基地の撤去を求める西多摩の会」副代表の高橋美枝子さん(82)は「人の命より米軍が大切なのか。私たちはいつも命の危険にさらされている。オスプレイは飛べば飛ぶほど事故を起こすのに、(飛行再開は)よくこんなに怖いことができるなと思う。横田では絶対に飛ばしたくない」と憤った。
 
 陸上自衛隊木更津駐屯地を抱える千葉県木更津市は14日、暫定配備中の陸自V22オスプレイについて、飛行の安全性を確認できるまで運用を再開しないようあらためて防衛省に求めた。
 
◆「暮らしの安全を担保できない」
 ただ、木更津駐屯地は、米海兵隊MV22オスプレイの機体の整備場にもなっているため、米軍の判断で飛来してくる恐れがある。
 
 市民団体「オスプレイ来るな いらない住民の会」の栗原克栄さん(73)は「拙速で、少なくとも市長、市議会に対し再開する根拠を示すべきだ。政府は日米間の取り決めで詳細を明示しないというが、それでは私たちの暮らしの安全を担保できない」と指摘する。「『国防は政府のやることで自治体は従え』という声が民間からも出るが、住民の安全確保という自治体の使命に反し到底受け入れられない」と訴えた。(昆野夏子、山本哲正)