岸田総理 自身の責任「国民に判断もらう」 具体的な処分については言及せず

 
小手先の処理で国民がなっとくすると思っているのであろうか?余りにも国民を舐めてかかっている!
 
 
 岸田総理大臣は、自民党派閥の裏金事件に対する自身の責任について「国民に判断してもらう立場だ」と述べ、具体的な処分については言及しませんでした。
 
「私自身については、政治改革に向けた取り組みの進捗ですとか、ごらん頂いた上で最終的には国民の皆さん、そして党員の皆さんにご判断いただく立場にある」(岸田総理大臣)

 岸田総理は、政治資金収支報告書に「個人としての不記載はない」と説明した上で、「自民党総裁としての責任は重く受け止めなければならない」と強調しました。

 一方、安倍派の会長を長年務めていた森元総理に対し、直接電話したことを明らかにした上で、森氏の「具体的な関与は確認できていない」と説明しました。(ANNニュース)
 
 

なぜ「自民のラスボス」森喜朗にダメージが通らない?安倍派幹部“重い処分”で裏金幕引き、岸田自民の猿芝居に国民呆れ

 
明らかに「クロ」裏金還流を指示できるのは森喜朗だけ
 
 
裏金問題の最終ボス、森喜朗を「守り抜く」自民党
裏金キックバックという安倍派ぐるみのインチキな蓄財法をあみだしたのも森喜朗氏なら、いったん取りやめ方針が決まったのに復活させたのも森喜朗氏。安倍派の幹部連中は知っていながら、こぞって口をつぐんでいる。政治に多少の関心がある人なら誰しもそのように察しはついているだろう。
 
岸田首相が“真犯人”を差し出してこそ、世間は納得し、支持率も上昇する可能性がある。それがわかっていても、ムラの長老のような存在に手をつけるのは、あとの“祟り”が怖い。森氏が牛耳ってきた安倍派は、解体過程にあるとはいえ、まだ一定のまとまりがある。総反発を食らう事態は避けたいところ。

どうやら、岸田首相は森氏の疑惑には目をつぶり、その分、安倍派幹部への懲罰を強めにして、問題の幕引きをはかるつもりのようだ。

そのための“儀式”が安倍派幹部への「聴取」といわれるものだ。裏金議員への“処分”を実行するにあたり、不正の真相究明への努力をしないままでは、処分の正当性に疑問符がつけられる。
 
明らかに「クロ」裏金還流を指示できるのは森喜朗だけ
岸田首相は3月26,27日の両日、東京都内のホテルに、安倍派の幹部である塩谷立、下村博文、西村康稔、世耕弘成の各氏を個別に呼んで、話を聞いた。

4人は2022年8月、パーティー券売上の裏金キックバックを、その年の4月に決めた方針通り、取りやめるかどうかを協議したメンバーだ。結果として、キックバックが再開されたことから、この会合で方針撤回が決まったように見える。

だが、政倫審における彼らの証言では、この会合で結論は出なかったことになっている。塩谷氏は「ことしに限って継続するのは仕方がないのではないかという話し合いがなされた」と述べたが、その場で決まったとは言っていない。他の3人はこう語っている。

「事務総長の職を離れた2022年8月直後、還流復活の結論が出た。経緯は全く承知していない」(西村氏)

「8月の会合で現金還付の復活が決まったことはない。(なぜ復活したか)残念ながら分からない」(世耕氏)

「結論が出たわけではなく、この会合で還付の継続を決めたということは全くない」(下村氏)

つまり、派閥の幹部4人とも知らないうちに、いつの間にか還流再開が決まっていたことになる。

だとしたら、4人以外の誰かが決めて事務方に指示していたと考えるほかない。

むろん、そんな勝手なことをして、誰からも文句が出ない人物は森喜朗氏、ただ一人しかいないだろう。

自民内部で意見対立?森喜朗をめぐるリーク情報の奇々怪々
岸田首相が自ら安倍派幹部の聴取に乗り出した目的は、処分をすんなり受け入れさせるための地ならしといった側面もある。
 
だが、森氏がどこまで関わっていたのかが岸田首相や同席した茂木幹事長、森山総務会長の政治的関心事であったことは間違いない。4人との会談は自ずからその“核心”に迫ることになった。

3月27日の聴取が終わると間もなく、日テレNEWSのスクープが放たれた。

岸田総理大臣から事情聴取を受けた安倍派幹部の一部が「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたことが分かりました。

森氏が派閥会長だった時代から裏金キックバックが行われてきたことは自民党議員たちへの聞き取り調査でほぼ明らかになっている。だが、22年のキックバック再開になぜ関与しなければならないのか。自分の創始した裏政治資金の仕組みを否定されるのが許せないからなのか。実に奇妙だ。
 
ひょっとしたら、裏金の一部を森氏に上納する仕組みがあり、それが今も続いているのかもしれない。森氏は議員を引退したあとも政治団体を持って多額の資金を集めてきたことがわかっている。

それと、気になるのは、この情報を漏らした「安倍派幹部の一部」とは、4人のうち誰を指すのかということだ。「一部」というからには1人ではなく複数の証言があったに違いない。森氏に疎まれ派閥の後継者レースから排除された下村氏は真っ先に疑われる立場だが、密室のことでもあり、誰が漏らしたとしても不思議ではない。

日テレの報道は、29日早朝の朝日新聞によっても裏打ちされた。

自民党安倍派の裏金事件をめぐり、岸田文雄首相が行った派閥幹部への聴取で、一度は廃止した還流の復活を決めた2022年8月以降について「派閥への森喜朗元首相の影響が強まった時期と重なる」とする証言が出ていたことがわかった。聴取にかかわった関係者が明らかにした。同年7月の安倍晋三元首相の死去後、最大派閥のまとめ役がいない中、派閥の運営全般に影響力を強めた森氏が還流復活の判断に関わった可能性があるとみて、党が調査に乗りだすかどうかが焦点だ。

森氏が「判断に関与」(日テレ)、「判断に関わった可能性」(朝日)と、強弱の違いはあるが、安倍派幹部への聴取で、森氏の関与をめぐる話が出ていたのは間違いないようだ。

ところが同じ29日の夜に共同通信が配信した記事は、前記二社の報道に冷や水を浴びせるような内容だった。

派閥の政治資金パーティー裏金事件を受け、自民党が既に、安倍派会長経験者の森喜朗元首相側から水面下で話を聞き取っていたことが分かった。資金還流が始まった経緯や2022年に復活した状況について尋ね、関与なしと認定したもようだ。追加聴取は現時点で想定していない。

もうすでに自民党が森氏から話を聞き、裏金作りに関与していないと認定したから、あらためて聴取する必要はないというのだ。

どうやら、自民党の内部で森氏に関する意見が対立し、それぞれの派が都合のいい内容をメディアにリークし、報じさせている気配である。
 
岸田首相に「森喜朗を血祭りにあげる」気概なし
森氏への岸田首相による聴取や、国会での証人喚問を求める野党に対し、岸田首相は「森氏も関係者の一人。(聴取対象に)含まれ得る」と述べ、森氏に会うことを否定してはいないが、今のところ積極的な姿勢はうかがえない。
 
森氏のことだから、直接、岸田首相に電話して、火の粉が自分の身に降りかからないよう何らかの圧力をかけているかもしれない。

二度の政権交代を実現した小沢一郎氏は、次の衆院選への不出馬を表明した二階俊博元幹事長にからめ、岸田首相の政権運営を党内グループ会合で、次のように評したという。

「清和会(安倍派)をズタズタにやっつけて今度は二階を引退に追い込んだ。二階氏も劣らずにしたたかだけど、今の状況では(岸田氏に)かなわない。だから注意しないといかん。油断するな」(朝日新聞デジタルより)
 
岸田首相を「したたか」と見るか、「場当たり的」と見るかは意見が分かれるところではある。かりに「したたか」だとすれば、今こそ森氏を血祭りにあげて世間の喝采を浴びるチャンスのはずだ。

しかし残念ながら、岸田首相にその気概はないと見る。

4月10日にはバイデン米大統領の招きにより、国賓待遇で米国を訪問、日米首脳会談や大統領夫妻主催の公式夕食会にのぞむ予定だ。

バイデン大統領に依存して政権浮揚をはかるという、気楽な胸算用は相変わらずなのだ。
 
安倍派幹部への「重い処分」は茶番もいいところ
森氏を不問にする代わりに打ち出そうとしている処分の内容は、どのようなものなのか。当初、麻生副総裁、茂木幹事長と話し合い、安倍派幹部についても「党員資格停止」ていどで合意していたが、それでは選挙を戦えないという党内の声を受け、岸田首相が「除名」の次に重い「離党勧告」を主張しはじめたという。
 
安倍派幹部に厳しく対処し、その他の安倍派、二階派の議員とあわせて40人規模の処分を実施して、裏金問題の幕を引くハラのようだ。

しかし、重い処分も所詮は見せかけにすぎない。彼らが離党したところで、その立候補する選挙区に党が刺客を立てなければ、次の選挙で当選し、禊を済ませたとしていつの間にか復党するお決まりのパターンになってしまう。

裏金作りの張本人とおぼしき人物が口を閉ざし、永遠に真相を闇に葬ることを許すようでは、岸田首相ならびに自民党への国民の信頼は地に堕ちる。
 
米大統領の言いなりになるご褒美ともいえる華やかな晩餐会で目をくらませようとしても、そうはいかない。

 

政権崩壊ギリギリ「岸田首相」の秘密会談の相手は 誰でも首相になれる千載一遇のチャンスを狙う面々

 
 
岸田首相や二階氏には処分なし
 岸田文雄首相の命運を握る4月28日投開票の衆院3補選が近づいている。とはいえ、自民党は長崎3区、島根1区、そして東京15区のうち、独自候補を擁立するのは島根1区のみ。それだけにその勝敗に注目が集まるが、他方、永田町では支持率の上昇が長らく見込めない岸田政権がいつ倒れるのかが既定路線となり、さまざまな水面下での動きが始まっている。
 
 まずは、自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題からおさらいしておこう。安倍派と二階派の39人の議員らの処分内容が4日、発表された。

 安倍派の座長を務めた塩谷立元文科相と参院側の代表・世耕弘成前参院幹事長に「離党の勧告」が、下村博文元文科相と西村康稔前経産相にはその次に重い「1年間の党員資格の停止」が、安倍派解散決定時まで事務総長を務めていた高木毅・前国対委員長には「半年間の党員資格の停止」が、それぞれ下った。

 一方で、自民党のトップであり、自ら率いる派閥の会計責任者が立件された岸田首相、同じく自ら率いる派閥の会計責任者が立件され、派閥を率いた二階俊博元幹事長はおとがめなしとなった。

島根1区の情勢は
「当初取り沙汰されていた処分よりはかなり重くなった印象で、世論の厳しさを反映したと見られています。が、岸田首相や二階氏に何の処分も下されないというのでは、国民の納得を得るのは難しいでしょう。加えて、安倍元首相が廃止の方針を打ち出したキックバックについて、安倍氏の死去後、存続を決めた会議に出席していた安倍派内の4人(塩谷、下村、西村、世耕の各氏)の間で処分に差があるというのも分かりにくいように感じますね」

 と、政治部デスク。岸田首相としては不祥事に厳然たる対処をしたことで世の中の評価を得たかったのだろうが、なかなか目論見通りに行かないようだ。首相は4月10日に国賓待遇で訪米し、バイデン大統領と会談する。「外交の岸田」をアピールしたいところだろうが、これもまたアピールポイントとしては物足りないものとなりそうだ。

「4月28日投開票の島根1区の結果が岸田政権の命運を握っているのは間違いありません。細田博之前衆院議長の死去に伴う“弔い選挙”だけに与党側有利のはずなのですが、候補の評判が芳しくなく、一時は野党側候補に結構なリードを許していました」(同)
 
事務総長との秘密会談
 もっとも、島根での選挙に与党側が勝利しても、その後に岸田政権の内閣支持率が急上昇すると見ている関係者はほとんどいないのだという。

「連立を組む公明党でさえ、“次期総選挙は岸田氏以外で”という認識でいるほどです。したがって、岸田首相が狙ってきた9月の総裁選での再選どころか、首相が総裁選に出馬できない可能性も大いにあります」(同)

 状況を客観的に見れば、すでに政権は末期。「聞く力」があれば、身を引くタイミングを真剣に考えるべき時期ともいえる。が、ここ最近の岸田首相の政局への対応ぶりから、「聞く力」を標榜しながらも党内では聞く耳を持たず、独善的に振る舞うタイプだとの評価が固まりつつあるとされる。

「その点から、岸田首相がどこかのタイミングで解散に打って出るのではないかとの見方があります。実は3月末、自民党で選挙のカギを握る元宿仁事務総長が“なかなか外しづらいない案件をキャンセルした”ことがありました。表立ってのキャンセル理由が見当たらないことから、岸田首相から解散をテーマに会談を要望されたのではないかとの指摘もあるようです」(同)

ポスト岸田は
 負けることがわかっている解散総選挙だけに誰もが羽がい締めして止めそうな気もするが、首相が決意を固めていれば翻意させるのは難しいのかも知れない。

「岸田首相の解散戦略の一方で、ポスト岸田への動きも活発化しています。主流派である麻生太郎自民党副総裁と茂木敏充幹事長と非主流派の菅義偉前首相が主導権争いを繰り広げています。それぞれが候補を絞り切れず、ギリギリまで検討を続けることになりそうです。現時点で国民的な支持がほとんどと言って集まっていない候補であってもリーダーに担がれる可能性もあり、ある意味で、誰もが首相の座にたどり着ける千載一遇のチャンスが訪れているとも言えるでしょう」(同)

 永田町内のこうした観測や見立てに、政策論はまったく聞こえてこない。

 新しいトップもまた古いトップと同じようなもの、といった無情というか情けない状況も十分予想される。国民不在の裏金疑惑が忘れられた後、また新たな国民不在の政局が始まりそうだ。
 

2728万円不記載の萩生田氏 八王子市民の本音

 
 
 自民党派閥による裏金事件を受け、安倍派幹部ら39人の処分が決まった。真相を説明しないまま幕引きを図る形だが、有権者からは「市民感覚とかけ離れている」と批判の声が上がる。
 
 処分が8段階で重い方から6番目の「党の役職停止」だった萩生田光一・前政調会長(衆院東京24区)の地元、東京都八王子市。これまで萩生田氏に投票してきたという建築作業員の石田頼義さん(61)は、「軽すぎる。本当は議員を辞めるべきだ」と話した。
 萩生田氏の5年間の不記載総額は2728万円で自民の現職議員では3番目に多い。石田さん自身は半年間、物価高や光熱費の高騰で、外食や酒を減らすなど出費を切り詰めてきた。「自分は好き勝手に金を動かしていたなんて、支持者への裏切りだ」
 
 党のトップでもある岸田文雄首相が処分されていないことにも納得いかないといい、「萩生田さんにも自民にも、もう投票できない」と語った。

 20年間萩生田氏を支持してきた同市のトラック運転手堂迫(どうせこ)隆久さん(60)は、「慣例にしたがってやっていただけだろう」とかばった。期待するのは地元への還元だといい、処分についても「役職が外れ、八王子のインフラ整備や教育に専念できるようになるなら、ちょうどいい」と話した。

 一方、3番目に重い党員の資格停止だった下村博文・元文部科学相(衆院東京11区)の地元、東京都板橋区。下村氏の事務所近くに住む40代のパート従業員の女性は「処分は当然だがモヤモヤする」と話した。
 
 

世耕弘成議員に離党勧告処分 元国会議員の祖父は東条英機に反旗を翻し、孫と真逆のことをやっていた

 
 
 毀誉褒貶という四字熟語がある。「毀」と「貶」が否定を、「誉」と「褒」が評価を意味する。祖父は毀誉褒貶が相半ばする政治家だったが、その孫は今のところ「毀貶」だけのようだ──。誰の話かと言えば、衆議院議員で経済企画庁長官を務めた世耕弘一氏(1893~1965)と、その孫である自民党安倍派の世耕弘成・前参院幹事長(61)の二人だ。
 
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 世耕弘成氏に自民党は4月4日、党規律規約で2番目に重い「離党勧告」の処分を下した。改めて振り返ってみると、3月14日に開かれた参院政治倫理審査会では「記憶にない」を連発。全国の有権者が怒り心頭に発しただけでなく、身内の自民党からも「呆れた」という声が出た。

 今の世耕氏は政治家としての倫理観はもちろん、国会議員としての器そのものが問われていると言える。そして彼は、祖父と伯父に続く三代目の世襲議員であることはよく知られているだろう。この記事では、祖父である世耕弘一氏の人生と、孫である世耕弘成氏の人生を比較してみたい。率直に言って、孫の情けない姿が鮮明になるからだ。

 祖父の弘一氏は1893(明治26)年、現在の和歌山県新宮市に生まれた。高等小学校を卒業すると経済的な理由から進学を諦め、市内の材木店で丁稚奉公を始めた。その後、東京の材木商社に転職し、苦学して日本大学に進み、法文学部を卒業する。

 1923(大正12)年にドイツへ留学。4年後に帰国すると、日本大学の講師に就任した。家族は学者としての人生が始まると考えていたようだが、弘一氏は1928(昭和3)年に突然、衆議院選挙に出馬することを決断。当時の和歌山2区から立候補した。

反東条の急先鋒
 しかし結果は落選。次の30(昭和5)年の総選挙にも挑んだが雪辱は果たせなかった。ようやく32(昭和7)年2月の衆院選で初当選を果たした。担当記者が言う。

「弘一氏が2月に初当選すると、5月に五・一五事件が発生。36(昭和11)年には二・二六事件が勃発します。日本が軍国主義に塗りつぶされていくのを深く憂慮し、弘一氏は一貫して抵抗の姿勢を示しました。特に1941(昭和16)年、陸軍大将の東条英機(1884~1948)が首相に就任すると、“反東条”の旗幟を鮮明にしたのです」

 1942(昭和17)年の衆院選は「翼賛選挙」の悪名で知られている。戦争の遂行に賛成する候補者は徹底して政府が優遇し、反対する候補者は警察が弾圧した。

「弘一氏は反東条の急先鋒でしたから当然、弾圧されました。支持者が無実の罪で投獄されたり、米や肥料の配給を止められたりと、今では想像もできないほど露骨な選挙妨害が行われた結果、弘一氏は落選してしまいます。ところが日本が敗戦を迎えると評価が逆転し、“ファシズムに抗った気骨ある政治家”として一目置かれるようになったのです」(同・記者)

 弘一氏は1946(昭和21)年の衆院選で国政に復帰。しばらくすると、強烈な存在感を発揮する日がやって来た。戦争末期、軍部は本土決算のため様々な物資を備蓄していた。ところが戦争が終わると、関係者が勝手に備蓄物資を闇市場に放出し、巨利を貪ることが頻発したのだ。
 
日銀ダイヤで脚光
「日本人の多くは、今日の食事にも事欠く状態でした。ところが一部の役人などは不正利益を求めて奔走していたわけです。軍部が秘匿していた物資は『隠退蔵物資』と呼ばれるようになり、国会で弘一氏は政府が率先して隠退蔵物資を差し押さえ、正規の流通ルートに乗せれば日本人は餓死しないと主張したのです。これを食糧難に苦しむ国民が注目したのは当然で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の後押しもあり、隠退蔵物資等処理委員会を設置。弘一氏は副委員長に抜擢されたのです」 (同・記者)

 さらに弘一氏の知名度を高めたのが「日銀ダイヤ」の問題だ。戦時中、工業用ダイヤの不足に直面した政府は、国民に宝飾品としてのダイヤを供出するよう求めた。

「国民が差し出したダイヤは日本銀行の金庫に保管されているはずだったのです。ところが弘一氏が調べると、その大半が行方不明だと判明しました。政府関係者が勝手に売ってしまったのは明らかで、弘一氏は回収に乗り出します。そして一部を取り戻すことに成功したため、国民の喝采を浴びることになったのです」(同・記者)

 とはいえ、弘一氏の手法は常に物議を醸した。例えば倉庫に隠されていた水飴を確保する際、警察が非協力的だったことに業を煮やし、地元の暴力団に差し押さえを依頼、という調子だったのだ。弘一氏は隠退蔵物資に関する情報提供者には報酬を支払うとの法律も策定させたため、彼の周りを怪しげな人物が十重二十重に取り囲んだ。

国会に証人喚問
「弘一氏の攻撃的な姿勢も問題になりました。何しろエリート官僚や検察官、警察官を筆頭に、かなりの公務員が不正に関与していると糾弾。さらに有力政治家や閣僚の関与まで主張したのです。その発言に関係者の多くが反発し、逆に『弘一氏こそ物資の不正流用に関与している』という怪情報を流されたこともありました」(同・記者)

 当時の有力なフィクサーが検察の取り調べに対し、「弘一氏に現金を手渡した」と供述。そのため1947(昭和22)年2月に設置された隠退蔵物資等処理委員会は、わずか半年後の8月に廃止されてしまう。さらに翌年、弘一氏は国会に証人喚問され、衆議院の不当財産取引調査特別委員会で現金受取に関して証言を求められた。

「委員会でもフィクサーの証言内容が示されましたが、弘一氏は『そういう金は受取っておりません』と全面否定。隠退蔵物資処理等委員会で不正摘発に尽力している際、買収資金が様々な名目で手元に届けられたことを明らかにし、『万一私がそういう金に手を染めたら最後、隱退藏物資の摘発の仕事は終りを告げなければならぬということを私は覚悟いたしておりました』と潔白を主張したのです」(同・記者)
 
近畿大学と日銀ダイヤ
 弘一氏は「選挙で他人の世話になったことはない」と力説し、その証拠として「8回立候補して4回落選した」ことを挙げた。これには特別委員会の国会議員も圧倒されたようで、金銭の授受はなかったと「了承いたしまする」と発言した議員もいた。

「完全にシロだと証明されたとは言えないにせよ、『クロではない』と認定されたことになりました。結局、弘一氏に捜査の手が及ぶことはありませんでした。その後も衆議院議員として活動を続け、第2次岸内閣では1959(昭和34)年1月から経済企画庁長官を務めました」(同・記者)

 弘一氏は近畿大学の発足にも深く関わった。1925(大正14)年に日本大学が大阪府に専門学校を設置し、1940(昭和15)年に経営分離。その後、1943(昭和18)年から学内で内紛が発生したため、弘一氏が学長などの任に就き、騒動を収束させた。そして戦後、弘一氏の元で新制の近畿大学として再スタートを切ったという歴史を持つ。

 この近畿大学と「日銀ダイヤ」に思わぬ“接点”が生まれたことがある。弘一氏は1965(昭和40)年4月に死去するが、週刊新潮が5月17日号に「世耕氏と日銀ダイヤ─棺を覆うてなお賑やかな十六万カラットの周辺─」との記事を掲載したのだ。

祖父と孫の比較
「日銀ダイヤの取り戻しに尽力した情報提供者が、近畿大学の内紛問題で逮捕され、長時間の取り調べを受けた後に急死。しかも亡骸は遺族に戻される前に火葬されたという事実が明らかになったのです。当然ながら国会でも弘一氏と情報提供者はダイヤを巡って何かあったのではないかと問題視され、弘一氏が衆院法務委員会に出席するよう求められていたところ、何と弘一氏も急死してしまったのです。このミステリアスな経緯を週刊新潮が報じ、弘一氏を『波乱にとんだ生涯』と評しました」(同・記者)

 死してなお「毀誉褒貶、相半ばする」政治家だったと言えるだろう。ただし、弘一氏が様々な圧力に立ち向かい、国民に正々堂々と潔白を主張する胆力の持ち主だったことは明らかだ。ならば孫のほうはどうなのか──。ベテランの政治記者が言う。

「興味深いことに東京地検特捜部の前身は『隠匿退蔵物資事件捜査部』なのです。弘一氏が設置に深く関わった隠退蔵物資等処理委員会の実働部隊という位置づけでした。祖父と関わりの深い歴史を持つ特捜部が、今回の裏金事件では孫の捜査を行ったわけです。歴史の皮肉と言えるのではないでしょうか。祖父は証人喚問の要請も応じ、自身の潔白を国会で主張しました。一方の孫は政倫審でも逃げの一手で、証人喚問は論外という姿勢のようです。比較すると、その差は大きいと言わざるを得ません」
 
祖父と孫、遺産の違い
 近畿大学の理事長は現在、孫の世耕弘成氏が務めている。そして3月29日、オンライン署名サイト「Change.org」は「世耕弘成参議院議員に近畿大学の理事長職からの辞任を求めるオンライン署名がスタート」とメールなどで発表した。

 署名を呼びかける文書では、弘成氏に対する強烈な批判が記されている。その一部をご紹介しよう。

《「裏金問題を解明する情報に接することのできる重要な立場にいながら、すべて秘書に責任転嫁をし、本人は今に至るまで、知らぬ存ぜぬという態度を貫いています」》

《「国民の負託に応えるべき政治家としての責任を放棄し、都合のよいことしか話さない人物が、理事長として『人格の陶冶』を語れるでしょうか? 自分自身が、『愛される人、信頼される人、尊敬される人』たり得ているでしょうか?」》

 産経新聞は2019年、弘一氏の評伝を連載した。その中に、弘一氏が残した“遺産”について興味深い記述がある(註)。

《長男の政隆(後に近大総長・理事長、参議院議員)にはこの借地に建った一軒家、弘昭には電話の加入権しか残さなかった》

 弘一氏の清貧を伝えるエピソードだ。一方、弘成氏が収支報告書に不記載だったとしたパーティー券の還流分は、2018年からの5年間で総額1542万円。祖父は遺産を残さなかったことを誇りにしたのに対し、孫が残そうとしているのは裏金疑惑。これでは弘一氏も草葉の陰で泣いているだろう。

註:【倒れざる者 近畿大学創設者 世耕弘一伝】第2部(17)(産経新聞2019年3月2日大阪夕刊)
 
 

塩谷立氏「まるで生けにえ」「首相も責任を」 離党勧告に弁明書

 
犯罪者はブチブチ言うなよ。言うなら国民が言っている。小手先の処分を食らうだけのことしたんじゃないか💢
 
 
 「まるでスケープゴート(生けにえ)のよう」――。自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件で4日、党から「離党勧告」を受ける安倍派(清和政策研究会)の塩谷立・元文部科学相が党に提出した弁明書を毎日新聞は入手した。党執行部による処分の決定手法は「独裁的・専制的」で、「到底受け入れることはできない」と明記。党に処分の不服申し立てを行う意向を表明し、処分対象にならなかった岸田文雄首相(党総裁)についても「道義的・政治的責任も問われるべき」だと訴えた。

 処分を巡っては、多数の対象者を出した安倍派、二階派(志帥会)を中心に党内で不満が噴出。岸田首相は4日の関係者処分を裏金問題の節目として8日からの国賓待遇による訪米に備える意向だったが、塩谷氏に続いて不服申し立てが続出すれば、対応変更を余儀なくされる可能性がある。

 塩谷氏の政治資金収支報告書の不記載額は234万円にとどまったが、直近まで安倍派の対外的トップ「座長」を務めていたことなどから、安倍派の参院側トップだった世耕弘成・前党参院幹事長(不記載額1542万円)と共に今回最も重い「離党勧告」を受ける。

 これに関し塩谷氏は弁明書で、「不記載に気づけず止められなかった批判は甘んじて受ける」としつつ、不記載を知ったのは「昨年の事件発覚の際」だとし、「還付や不記載を画策したり、主導したりしたことはない」と主張。「まるでスケープゴートのように清和研の一部のみが、確たる基準や責任追及の対象となる行為も明確に示されず、不当に重すぎる処分を受ける」のは「到底受け入れることはできない」とした。


 党の規律規約に規定される弁明の機会すら与えられなかったと主張。「総裁も含む党の少数幹部により不透明かつ不公平なプロセス」で処分が実質的に決まったことは「自由と民主主義に基づく国民政党を標榜(ひょうぼう)するわが党そのものの否定だ」と断罪した。

 その上で、党の審査会を公開で開催し、その調査を踏まえた上で党紀委員会による再度の「審査を申し出る」とした。


 併せて「国民の政治不信はわが党全体に向けられている」とし、「派閥の解消を唱えるだけでは問題の本質を見誤っている」と主張。「党としての責任、さらには清和研と同様、関係者が起訴された総裁派閥を率いてきた岸田総裁の道義的・政治的責任も問われるべき」だと訴えた。

 安倍氏が塩谷氏ら派閥幹部に現金による還付の取りやめを指示した2022年4月の会合を巡り、当時から還付継続を求める声が派内から多く上がっており「安倍会長も参議院選後に改めて検討する考えだったと思う」との新たな見解も付記した。【宮島寛、竹内望】


  ◇  ◇  ◇

 塩谷氏の弁明書全文は次の通り。

  ◇  ◇  ◇
 
自由民主党 党紀委員長 逢沢一郎殿

弁明書                            令和6年4月4日    衆議院議員 塩谷 立

 清和政策研究会を巡る問題につき、国民の皆様、党員・党所属議員の皆様に多大なるご迷惑とご心配をお掛けし、民主政治の要諦である国民の信頼を損ねたことは慚愧(ざんき)に堪えず、心よりお詫(わ)び申し上げます。党紀委員会の処分審査に先立ち、弁明の機会を頂けましたことに感謝申し上げ、以下の通り私の弁明を述べさせて頂きます。

1. 事実関係の認識・認定

 事件発覚後、検察の捜査、記者会見、党の聴取、衆議院政治倫理審査会等を通じて、私が認識する限りの事実を正直に申し上げてきました。この言葉に嘘(うそ)偽りはありません。しかしながら野党やマスコミから「虚偽だ。隠している。説明責任を果たしていない」等と正鵠(せいこく)を失する発言がなされています。党には、このような声に惑わされることなく、事実を事実として正確に認定して頂くことが処分の前提だと思います。事実認定につき党がどのようなプロセスを経てどのような結論を出されたのか、当事者には何の説明もないままに、報道によれば私には「離党勧告」という厳罰、さらには清和研の多くの同志達にも重い処分が示されようとしています。処分における公平かつ透明性のある基準・理由は不可欠であり、地元支援者に説明責任を果たすためにも明確な開示を求めます。

2. 自らの関与について

 還付は、派閥のパーティーを利用して所属議員が政治資金を調達する手段として認識していましたが、私自身、不記載については全く関知せず、昨年の事件発覚の際初めて知りました。従って、還付や不記載を画策したり、主導したりしたことはありません。

 令和4年4月に安倍晋三会長より現金による還付は透明性に問題があるとして還付を中止する、との指示がありました。これに対して、パーティー券売上を自らの政治活動費として予定していた議員より還付を希望する声が多く上がり、安倍会長も参議院選後に改めて検討する考えだったと思います。しかし7月に安倍会長が突然逝去され、派内は大変なショックで混乱し、会長はじめ幹部役員体制も整わないまま今後の様々な問題を協議する中で、還付を希望する声に対応して従来通りの還付はやむを得ないとの流れになりました。決して安倍会長の意思をないがしろにしたものではなく、窮余の対応でした。収支報告書への不記載については、4月、8月の打合せ時に全く説明がなく、派として事務的に適切な運用がされているものとばかり思っていました。還付自体は政治団体間の寄附として適法であるとの認識であったことから、私自身、違法あるいは不当な処理をしているとの認識はおよそ有していませんでした。不記載に気付けなかったこと、気付けなかったゆえに不記載を止められなかったことへの批判は甘んじて受け入れます。しかし、不記載に気付きながら放置してきたわけでは決してありません。

 報道によれば、私への処分は清和研のトップだったことも加味されるということですが、私が座長を務めたのは令和5年8月から本年2月1日までの5カ月余りです。令和4年の打合せ時には、私は下村博文先生と共に会長代理に就いていましたが、そもそも、会長代理は、会則に規定された役職ではなく、清和研の運営に関する決定権限がありません。当時の清和研は、会長不在で決定権限を有する者がいなかったことから、複数の幹部で協議して運営を決めていました。ですから、還付への対応の議論に加わった者の責任の有無は措(お)くとしても、議論に加わった他の方と比較して私の責任の方が重いということはありません。

3. 私自身の政治団体への還付・不記載について

 私は、個人パーティーも開催しており、毎年ノルマ達成が精一杯でしたが、コロナ禍でノルマが半減された結果、2018年からの5年間で計234万円の還付を受けました。使途については全額政治活動費として適正に処理されており、領収書を添付した上で収支報告書を訂正しました。

4. 派閥ぐるみの裏金づくりという誤解

 還付分につき長年不記載の既成事実を重ね、是正できなかったことは猛省しております。しかしながら清和研の運用は、あくまで会員個人の政治活動を支援する趣旨であり、派閥ぐるみで裏金づくりに勤(いそ)しんだり、パーティー券売上を派閥にプールして説明できない支出に使っていた等ということは一切ありません。清和研が組織的に不適切な政治資金を調達していたかのような事実は一切ありません。

5. 党としての政治的・道義的責任について

 この度の件において、最も大事な国民の政治への信頼を損ねたことを深く反省し、私自身も政治的・道義的責任を負うと同時に、国民の政治への信頼回復に真摯(しんし)に取り組んでまいる決意です。

 しかしながら、有権者の負託を受けた議員の政治生命に拘(かか)わる重大な事案であるにも拘わらず、明確で公正な基準による判断がなされているかについては、現段階では否定せざるを得ません。

 平成2年の初当選以来30余年に亘(わた)り地元有権者に支えられ、自民党所属の衆議院議員として、党の理念に共鳴し、誇りと責任を持って党に貢献し、真面目に政治活動に取り組んできた自負があります。それにも拘わらず、まるでスケープゴートのように清和研の一部のみが、確たる基準や責任追及の対象となる行為も明確に示されず、不当に重すぎる処分を受けるのは納得がいかず、到底受け入れることはできません。自由民主党規律規約に規定されている政治倫理審査会における弁明の機会も与えられないまま、総裁も含む党の少数幹部により不透明かつ不公平なプロセスによって処分を実質的に決定することは、党紀委員会を形骸化するものであって、自由と民主主義に基づく国民政党を標榜するわが党そのものの否定であり、このような独裁的・専制的な党運営には断固として抗議するものであります。プロセスの明確化を図る上でも、政治倫理審査会を公開で開催し、その調査を踏まえた上での党紀委員会での公正な審査を申し出る次第です。

 政治資金を巡る問題が噴出する中、国民の政治不信はわが党全体に向けられており、自民党のあり方が問われています。派閥の解消を唱えるだけでは問題の本質を見誤っており、党としての責任、さらには清和研と同様、関係者が起訴された総裁派閥を率いてきた岸田総裁の道義的・政治的責任も問われるべきであります。

 その点を明確にした上で、マスコミや野党におもねることなく、政治とカネを巡る抜本的な課題解決に取り組み、自民党政治のあり方等、本質的な問題に党全体で向き合わなければ、わが党の再生、日本の政治の再生は困難だと言わざるを得ません。総裁はじめ執行部には自由民主党幹部として国民が納得できる判断を示されることを求めるものであります。