きょうの潮流

 

 穏やかな波がうちよせる海岸は恋人たちの聖地でした。悲恋伝説が語り継がれ、愛が成就するという幸せの鐘を鳴らすカップルの姿も絶えませんでした

 

▼能登町にある恋路(こいじ)海岸。そこはいま崩れてきた巨石が転がる無残な光景に。海の様子を見にきていた地元の漁師は津波で船が流され、「先がまったく見えない状態」と嘆きます

 

▼恋路海岸から珠洲市の見附島(みつけじま)まで続く海岸線は「えんむすびーち」と呼ばれます。しかし地域のよりどころとなってきた見附島は先の地震と津波で3分の1ほどに崩落。海岸線を沿う道路の両脇には倒壊した家々や傾いた電柱が連なっています

 

▼年明けを襲った能登半島地震から3カ月。先週、被災地を訪ねましたが、いまだに復旧のめどさえ立たない所は多い。断水も珠洲市のほぼ全域で解消されず、輪島市や能登町でも水が出ない家が少なくありません。つぶれた建物や倒れた電柱、ガタガタの道が続き、まち全体が傾(かし)いでいるような錯覚さえおぼえます

 

▼雪の中を歩いて仮設風呂に入りにきたお年寄りはこれが唯一の楽しみだといいます。珠洲市内の避難所で支援活動に携わってきた女性は「必要なのは住まいと生業(なりわい)。残念なのは、ずっと景色が変わらないこと」だと話します

 

▼ふるさとに残るため地元のフィットネスクラブに就職したという輪島の青年は今後を憂いていました。もともと過疎が進んでいたのに、もっと人が減っていく。置き去りにしてきた地方をどう復興するのか。その展望を示してほしいと。

 

<社説>震災3カ月に考える 百年後の能登つくろう

 

 大震災から10年、とある町の神社総代が賽銭(さいせん)箱に入っていた百万円に驚き、寺の和尚を訪ねる-。福島県三春町の僧侶兼作家玄侑宗久さんの短編『火男(ひょっとこ)おどり』は、こんな話から始まる。さて、そんな多額の賽銭を一体誰が?

 その年は新型コロナウイルス禍のため伝統祭事ダルマ市での踊りは中止に。しかし復興住宅に移り住んでいる80代の古老が一人、道端で踊りだした。町の人々に溶け込んで習った「火男おどり」だ。和尚はその様子を見て、百万円の主が、その古老だと直感する…。

◆「日常」に100万円の価値
 玄侑さんは東日本大震災復興構想会議で、福島を追われた人々がまとまって住める新たな自治体をつくれないか、と提案したが、議論は深まらなかった。小説は「実話がベース」と玄侑さん。「古老にとっては、踊りを教わるなど、近所の人たちと気兼ねなく話す何げない日常に、百万円の価値があったのです」

 

 阪神大震災や東日本大震災の復興住宅では今も孤独死が続いている。累計で阪神は千人、東日本は500人を超えるという。維持されていたコミュニティーが住民の高齢化で消滅する例もある。

 高齢過疎地を襲った能登半島地震の発生から3カ月。仮設住宅の建設が急ピッチで進むが、元の集落に建てられるとは限らない。地元を離れた2次避難者には集落単位で暮らす人たちがいる一方で、ばらばらになった人も多い。

 

 いずれ、できるだけ元通りの帰還を実現するためにも、避難先で「絆」を保つことが重要だ。顔見知り同士集まる機会を設けたり、全国に散った住民とも会員制交流サイト(SNS)で情報共有できるような仕組みを工夫したい。

 石川県は「必ず能登へ戻す」を合言葉に、「創造的復興」を掲げる。人口減少など課題を解決しつつ能登ブランドをより一層高めることを狙う。

 阪神、東日本の理念も創造的復興だった。関東大震災で帝都復興院総裁の後藤新平が取り組んだハード優先の計画が原点だろう。だが福田徳三東京商大(現一橋大)教授が生活や生業の再建を重視する考え方、「人間の復興」を唱えたことも忘れたくない。

◆創造的復興VS人間の復興
 無論、道路や水道などインフラの復旧は不可欠だ。だが、ハード面ばかりに目を向け、あれもこれもと「惨事便乗型」の公共投資を集中させることは、真の復興を進めることにはつながるまい。

 阪神では神戸市新長田地区の再開発に巨額を投じたが、地権者の半数しか戻らず300億円を超える赤字に。「復興災害」とまでいわれた。東日本では国土強靱(きょうじん)化として総延長約400キロの防潮堤など公共事業ラッシュとなったが、被災者に直接関係しない分野での無駄遣いも明らかとなっている。

 身の丈に合った復興を進められるのは地元住民や首長にほかならない。石川県は有識者会議を設けて助言を請うようだが、地域の細かな“襞(ひだ)”を理解するのは容易でないだろう。

 

 

スタッフ被災、医療機器損壊、廃業決めた診療所… 地震被害の奥能登「医師や看護師の確保さらに厳しく」

 

 能登半島地震の発生から4月1日で3カ月。地震で甚大な被害を受けた石川県奥能登地方では、廃業を決める医療機関もあり、地域医療の存続が危ぶまれている。医療関係者は、過疎地として被災前から課題だった医師不足に拍車がかからないかを懸念する。(佐久間博康、城石愛麻)

◆中学校保健室を臨時診療所に
 輪島市中心部から約15キロ余り東の山あいにある町野地区。3月中旬、倒壊した木造家屋が多く残る中、東陽中学校の保健室に女性が「薬をもらいに来たわ」と訪れた。地区唯一の診療所で、建物が被災した粟倉医院の臨時診療所だ。畑で採れたホウレンソウを持ってくる男性もいた。

 

保健室を臨時診療所にして活動をする医師の大石賢斉さん=石川県輪島市の東陽中で

 

 「地域の人が生き残るために人としてやれることをやるだけ」と院長の大石賢斉(まさなり)さん(43)。災害派遣医療チーム(DMAT)が1月中旬に支援に来るまで、1人でけが人に対応し、自主避難者らの元を回った。今も薬の処方を中心に住民の健康を守る。
 大石さんは今後、町野地区で診療所を再建したいと考えている。「町野に愛着があって面白い地域になるのを見たいから、ここで頑張る」と力を込める。

◆公立4病院では病床運用8割減
 石川県によると、奥能登の公立4病院では施設の損壊やスタッフの被災で、538床あった病床は約8割減の110床での運用を余儀なくされており、65人の看護師が退職または退職の意向を示している。

 輪島、珠洲(すず)、能登、穴水の4市町が管内の能登北部医師会によると、28カ所の診療所のうち、3月25日時点で2カ所が休業し、26カ所が診療を継続。かかりつけの患者の薬の処方に限定したり、建物が被災して医療用コンテナで活動したりする診療所もある。

 

 

 26カ所に含まれる珠洲市のあいずみクリニックは、3月末で閉院。地震で診療機器が壊れ、継続を断念したという。県医師会によると、地震後、被災を理由に閉院する診療所は県内で初めてとみられる。

 このクリニックで循環器の出張診療を行っていた恵寿総合病院(同県七尾市)の西沢永晃(ひさてる)・心臓血管外科長は「珠洲市内の中心的な診療所。先生は温厚できちんと説明するため住民から慕われ、高齢ながら頑張っていた」と振り返り、「廃業後は他の診療所に患者を振り分けるはずだが、高齢の開業医が多く、大変だろう」と語った。

◆医師数は被災前から全国平均下回る
 厚生労働省の統計によると、2022年末時点の能登北部で就業する人口10万人当たりの医師の数は171.8人で、全国の262.1人を大きく下回る。県は09年度から金沢大医学類特別枠で養成された医師の活用などを通じ、奥能登での医師確保に努めてきた。

 地震後、県は被災した医療機関の建物や医療用設備の復旧費を支援し、奥能登の医療機関などで長期勤務が可能な看護師らを全国から募っている。奥能登公立4病院の機能維持に必要な具体策も検討している。

◆「国が医療機関の経営支援を」
 地震から約3カ月たってもインフラの復旧が進まず、自宅に戻れない避難者は多い。能登北部医師会の千間純二会長は、奥能登の医療体制について「避難者がどれくらい戻るかだが、地震前の水準には戻らないだろう。医師や看護師の確保はさらに厳しくなる」と危惧する。

 被災地入りした日赤愛知医療センター名古屋第二病院の稲田真治・救命救急センター長(58)は「被災者が安心して地域に戻れるよう、国が後ろ盾となって医療機関の経営維持を支援する必要がある」と指摘した。