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芸能界のド真ん中で仕事をしてきた松尾潔が、ジャニー喜多川スキャンダルについて歯に衣着せぬ論陣を展開している。業界から干されて仕事を失うリスクを背負っても、なぜ松尾は口をつぐまないのか。1968年生まれの松尾と1997年生まれの竹田ダニエルの語らいは、ジェネレーションギャップを超越して驚くほどユニゾンを響かせる。
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日米のZ世代
 竹田 アメリカのZ世代って「私たちの世代は」という言葉をよく使うんですよ。自分が置かれている社会的境遇と経済状況について「なんで自分はこんなに多額の学生ローンを背負わされているんだ」と呪うだけでなく、「この状況の遠因はレーガン政権(1981年1月~89年1月)にあるんじゃないか」と歴史に目を凝らす。過去に起きたことが今にどう影響しているか、アメリカのZ世代はよく認識しています。

 松尾 日本のZ世代は「オレたちが生まれる前から、日本は失われた30年の時代を歩んできた。日本がこんなに長い間没落し続けてきたのは中曽根康弘政権(1982年11月~87年11月)のせいだ」なんて誰も言わないよね。

 竹田 アメリカのZ世代が「私たちの世代は」という言い方をよくする理由の一つは、アメリカ社会に今も厳然として人種差別があるせいだと思います。もちろん黒人は自分たちの親や祖父母の世代が迫害された歴史をよく知っているし、自分たち自身も差別された経験があるわけです。歴史と現在を一直線に結びつけて「なぜアファーマティブ・アクション(差別や格差の是正)が必要なのか」と、自分ごととして理由を説明できる人が多い。

 松尾 「アファーマティブ・アクション」とはジョン・F・ケネディ大統領が語った言葉だけど、それから60年以上が過ぎた今も「アファーマティブ・アクション」は古くて新しいわけですね。

 竹田 もちろん私も「日本には格差も差別もない」とまでは言いません。しかし、アメリカに比べるとはるかに平坦な文化が広がる日本は、「国民運動」と言えるほど激しいアファーマティブ・アクションを起こす必要がそもそもないのかもしれません。アメリカに比べたら、たとえば地方の僻地の学校と東京都内の公立中学校で、教育内容にそんなに激しい差はないですよね。

 松尾 アメリカほどは教育環境に大きな格差はないでしょうね。アメリカの教育格差は日本の比ではないだろうから。

 竹田 生活レベルの格差も、アメリカは半端ではありません。こっちはビリオネアだらけが暮らす町なのに、一つ町を越したら貧困地域だったり。車に乗ってただ走っているだけでも、アメリカ社会に天と地ほどの格差が存在することを実感します。

 松尾 おっしゃるとおり、日本ではそこまで極端な経済的格差はないかな。どこかに厳然として差別や格差が存在することは間違いありませんけどね。

 竹田 なぜ日本のZ世代が、アメリカのZ世代のように「私たちの世代は」という言い方をしないのか。自分が今生きている時間を「連続的なもの」としてとらえるのではなく、断片的なものとしてとらえるのが日本的だと思います。「新年早々とんでもない事故が起きた。大変だ」と瞬間的な危機は感じるけど、大事故が連続し、その対応がしっかりなされないまま時間が過ぎてしまった結果の、「積み重ねの末の出来事」とはとらえられにくい。政権の過ちもすぐ忘れ去られてしまう。

 松尾さんが新刊『おれの歌を止めるな』(30ページ)で指摘していたように「臭いものに蓋をする」どころか「臭いものの蓋を取るな」と言う。「過去に起きたことをいちいち蒸し返すな」という思考の人が多いのかもしれません。

 

日本的な「~するしかない」構文
 竹田 東日本大震災が起きたとき、私はたまたまアメリカではなく日本にいたんです。

 松尾 2011年3月11日のあの日に? 
 竹田 中学2年生当時、たまたま東京に一時滞在していたときにドーン! と震災が起きたんです。震災後の日本の雰囲気は、私にとって異様な感じを受けました。メディアでは「前を向いて進もう」とか「絆」とかいう言葉が連発されましたよね。アメリカで9.11同時多発テロが起きたときに「NEVER FORGET」と叫ばれた雰囲気とは対照的でした。

 松尾 「この悲劇を絶対に忘れるな」と怒りに燃えて、報復戦争に突き進んでいきましたよね。震災後の日本には「NEVER FORGET」ではなく、情緒的なオポチュニズム(楽観主義)と連帯意識が広がりました。

 竹田 日本では「原爆の悲劇を忘れない」とは言うけれど、それ以外の悲劇については「忘れるな」とはあまり強調しませんよね。

 松尾 だからあっという間に悲劇の記憶を忘れちゃう。

 竹田 新型コロナのパンデミックが起きたときも同じことを感じました。日本の音楽関係者は「それでも前を向くしかない」とか「自分には音楽を作ることしかできない」という「~しかない構文」を使う人がすごく多くなかったですか? 
 松尾 ほんと多かった。「しかない」は非常時の常套句という気さえします。予想だにせぬ危機に突然直面して右往左往すると、とりあえず思考を強制終了して、再起動するときは「今は前を向いて音楽を作ることだけに集中しよう」という回路をたどる人がじつに多い。僕は正直そんな思考回路には馴染めないんですが。

 竹田 自分がやれることを「~しかない」と一つに限定するんじゃなくて、「同時に複数の仕事ができるのにな」と思うんですよ。例えば、私が好きなH.E.R.(ハー)はフェスでMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)の「Inner City Blues」をカバーするんです。R&Bバラードのラブソングを歌いながらも、その音楽的ルーツにある「抵抗」も示す。

 松尾 Marvin Gayeはベトナム戦争末期の1971年、「何が起こってるんだ」(What’s going on)と問いかけ、その2年後には「心ゆくまで愛を交わそう」(Let’s get it on)と歌った。

 僕は『おれの歌を止めるな』の冒頭(11ページ)で〈芸能と社会的公正を地続きで考えよう。ジャニーズ問題とパレスチナ危機を同じ口で語ろう。政治の話をしたばかりのその声で、あまやかなラブソングを歌おう〉と書きました。

 竹田 1997年生まれのH.E.R.は、今起きている問題を音楽にしながら、過去の名曲をカバーして今の文脈に当てはめて考えている。アメリカのZ世代には、こういう思考法を取る人がすごく多いと思うんです。

 

J-POPに蔓延する「生きることへの不安」
 竹田 アメリカにいるときも、ケーブルテレビで日本の音楽番組を観ることができるんですよ。誰とは固有名詞を言いませんけど、最近のJ-POPって、大きな声で「生きること」について歌うポジティブな歌が流行りすぎじゃないですか。

 松尾 ポジティブでひたすら前向きな曲調に徹する歌い手は、昔も今も多いよね。

 竹田 このところ、その流れがもっと直接的に強くなった気がするんです。単なる恋愛の歌にとどまらず「生きることを肯定してもらう」みたいな。こういう風潮の裏にあるのは、日本のZ世代が抱える「生きることそのものへの不安」かもしれません。

 松尾 そうだと思うよ。僕に言わせると、竹田ダニエルさんがそう感じる曲はソングライティングがそもそも拙いのだと思う。僕もラブソングをたくさん書いてきた人間だけど、優れたラブソングが世に受け入れられたあとは、聞き手が自動的にメタモルフォーゼ(変容)していってくれるものです。

 作り手としてはlove(愛)にフォーカスして書いたつもりなのに、聞き手はその曲の中にlife(人生)を見出す。Aさんが聞いたらラブソングなのに、Bさんが聞くとライフミュージックにメタモルフォーゼされる。それは優れたポップミュージックの証でもある。

 loveがなければlifeは豊かなものにならないし、lifeが充実していなければloveなんて発生しない。loveとlifeは相互的な関係性にあると思うんですよ。それなのに、一つ覚えよろしくlifeを主語に振りかざす歌を歌いたがるミュージシャンは、ラブソングの力と効用を身をもってわかってないのかもしれない。言いすぎかもしれないけど。

 

 

松尾潔「おれの歌を止めるな」はなぜ革命の書か【松尾潔×竹田ダニエル】

 
 
「赤旗」と日本共産党アレルギー
松尾 元旦の「しんぶん赤旗」に竹田ダニエルさんのインタビューがドーン!と出ていました。竹田さんのTwitterで知ったんだけど。自ら〈権力に屈しない媒体こと新聞「赤旗」の1月1日号にて、1ページ丸ごとインタビューが掲載されています。2024年も資本主義に懐疑的に!〉と紹介していましたね。

ミュージシャンや俳優の場合、宣伝してもらえるなら「赤旗」だろうがどこだろうが喜んで出る人は一定数います。だけど自分のSNSで「赤旗に出ました」とは言わず、そっとしておく人が多いかもしれない。「赤旗」を定期購読している人だけ読んでくれればそれでいい、と。

竹田さんはあれだけ大きいスペースを取ってインタビューされた記事を紹介するのみならず、「赤旗」のことを〈権力に屈しない媒体〉と紹介された。20代のモノ書きの中で、ここまでアッケラカンとしている人は珍しいんじゃないかな。

竹田 日本の共産党アレルギーは独特ですよね。あのインタビュー記事は日本共産党の宣伝でもないし、とりたてて政治的な話をしているわけでもありません。みんな腫れ物に触るようにせず、書かれている内容、主張されていることを普通に扱えばいいのに、と思います。

松尾 僕もそう思うよ。大手メディアの政治部は政権に忖度して腰が引けた記者が多すぎるという印象がある。記者クラブありきだから。

一昨年の参院選挙期間中に、日本共産党の山添拓さん(参議院議員)が早稲田大学の正門前で街宣をやってるというので、たまたま見に行ったんですよ(2022年7月6日)。山添さんはあそこの法科大学院で学んだと聞いていたので、同じ大学出身の僕は勝手に親近感を覚えていて。街宣を見ていたら誰かが「松尾さんですよね」と見つけてくれて、演説を終えた山添さんと2ショット写真を撮ったんです。「SNSに載せていいですか」と言われたので「どうぞ」と気楽にOKしたんですよ。秘密の会合でもないわけだし。

するとしばらく経ってから放送関係者から問い合わせがあった。「事実確認をするだけです。別にこの写真が何とかってわけじゃありませんから」とか何とか言いながら身元調査しているうちに「なんだ。松尾さんは共産党支持者ってわけじゃないんだな」とだんだんわかってくる。だって僕は自民党の石破茂さん(衆議院議員)と対談することもあるし、立憲民主党の小川淳也さん(同)とも面識がありますからね。

竹田 面倒ですね。

松尾 こういう面倒なことが重なっていくと、どんどん無口になってい人も多いんだろうなとは思いましたよ。僕は口をつぐまないけど。

ネット上では、2022年夏にたった一回共産党の街宣を見に行ったときに撮られた写真が、デジタルタトゥーのようにずっと残っていくわけですよ。「あいつは共産党シンパだ」と絶対に思われたくない人たちの頑さは徹底している。ゼロから1に行きたくない。だからわずか一回の機会も未然に防ごうとして「赤旗」の取材依頼を断る人も多いんじゃないですか。

マルクスの『資本論』について熱弁する米国学生
竹田  私は以前から共産主義に対するアレルギーも嫌悪感も忌避感も全然ないので、「赤旗」からインタビュー依頼が来たときに断る選択肢は特にありませんでした。

私のまわりにいる友だちは政治的なテーマをバンバン話題に上げるんですよ。ヒッピーが多い土地柄ということもあるかもしれないけど、友だちのハウスパーティに出かけたら、酔っぱらった子が部屋の中を歩きながら「あんたは『The Capital』(マルクスの『資本論』)読んだ? 読んだ?」と訊いて回っているんです。

「今の自分の生活状況が悪いのは資本主義のせいだ。過去に書かれた『資本論』という本を読んだところ、自分が抱いている違和感を言語化してくれていた。あんたもこの本を読んだほうがいい」。ただそれだけの話なんですよ。アメリカのZ世代は冷戦を経験していないこともあり、共産主義や社会主義に対して抵抗意識を持つ人も、上の世代に比べて少ないと言われています。

松尾 日本の若者が飲み会で「マルクスの『資本論』読んだ?」と友だちを質問攻めにしたら、もう二度と呼ばれなくなっちゃうかもね。

竹田 もちろんジャーナリストに対する視線や期待について言うと、アメリカの縛りのほうが日本よりずっと厳しいです。ジャーナリストという肩書きで仕事をしている人が、取材ではなく参加者としてプロテスト(抗議集会やデモ)に出ようものなら、その瞬間に仕事を失いかねます。特定の政党に偏った活動をしてはいけませんし、選挙で誰に投票したとも言ってはいけません。

松尾 ジャーナリストはそうかもしれないけど、エンターテイナーに政治的な縛りはありませんよね。なのに日本のミュージシャンやタレントは政治的な話題を頑なに避け、中庸的な「不偏不党」を標榜します。

竹田 「ジャーナリストにバイアスがあってはいけない」という原則はアメリカでも日本でも遵守したほうがいいと思いますけど、エンターテイナーや作家など、いわゆる「個人」にバイアスがかかっていてもいいじゃないですか。「バイアス」と言えども、個人の思想と価値観、選択ですから。

松尾潔が敢えてモノ申す理由
松尾 特に芸能界のド真ん中で仕事をしている人たちは、共産党的なるものとの親密な感じがSNSに少しでも出るだけで「仕事がなくなっちゃうんじゃないか」とビビッてる人たちだらけですよ。

竹田 そうなんですか。私にはその感覚は全然わからないな。

松尾 共産党の国会議員と2ショット写真を撮られても平気な僕は「気が狂っている」と思われているかもしれない。

2023年3月18日、BBCがジャニー喜多川の性加害について取材したドキュメンタリー番組を放送しました。衝撃を受けた僕がSNSやメディアでこの件について発言を始めると、15年間在籍したスマイルカンパニーからマネージメント契約をいきなり打ち切られてしまったんです(2023年6月30日/詳しくは新刊『おれの歌を止めるな』参照)。

僕の行動について「松尾潔ほどの立場とキャリアがあれば声を上げられるかもしれないけど、自分に同じことができるわけないじゃないか」と憤りを抱く若い音楽関係者もいると聞きます。一方で、僕より遥かに豊かなキャリアを誇るミュージシャンや芸能人の大半が声を上げていないわけです。

竹田 アメリカのあるジャーナリストは私に「もしユダヤ系当事者がイスラエル支持の投稿を”いいね”しても許されるけどパレスチナ支持の投稿を”いいね”するだけでもどうなるかって? クビになるジャーナリストはたくさんいるよ」と言いました。

イスラエルのガザ攻撃について、アメリカのジャーナリズムの世界でもどこの企業でも、モノ言えぬ陰鬱な雰囲気が漂っています。ジャニー喜多川の事件と位相は全然違いますけどね。

大学のキャンパスでイスラエルのガザ攻撃に抗議した人が退学処分を食らったり、言論・表現の自由も問われています。

このように、アメリカの若者を取り巻く情勢は刻一刻と変わるし、政治や社会から大きな影響を受けます。私は自分の連載や本の中で、現在進行形で今起きている事柄を記録しておきたい。それが私が文章を書く一番大きな目的です。

松尾 竹田さんが猛烈なペースで文章を書き、メディアに露出する理由は「今起きている事象と時代をスケッチしておきたい」という動機がとても強いんですね。

竹田 それは松尾さんの本(『おれの歌を止めるな』)も同じじゃないですか。

松尾 なんとなくそうかなと自覚していたけど、竹田さんからそうおっしゃっていただいて、誤解ではなかったことに安心しました。SNSでの発信についても本を書くことについても、僕は今日本社会で起きていることを実況中継しているつもりなんですよ。

竹田さんは『おれの歌を止めるな』に素晴らしい推薦文を寄せてくださって、そのなかに「革命」という印象的なワードを使ってくれたんですが、その意図はどんな感じだったんですか?

竹田 革命っていうのは一人一人の行動や発言が積もることで起きるもので、誰もが当事者としてアクションを起こすことを促す書籍が松尾さんのパーソナルな言葉で書かれていること、そして音楽業界の人が政治について発言するという元来タブー視されることを軽やかに実現していること、そしてこの本に記録されている一つ一つのエピソードがたとえ些細なものだったとしても、その違和感や社会の変化の記録というのが「革命」の記録だなと思ったんです。The personal is politicalのフレーズの通り、日々の生活も選択も購買も発言も、「革命」の一部になりうる、というメッセージも込めてます。
 
 

政治的責任を求められるテイラー・スウィフトやビヨンセ【松尾潔×竹田ダニエル】

 
 
政治について語りたがらない日本のエンターテイナー
松尾 アメリカでトランプ旋風が吹き荒れた当時、Taylor Swift(テイラー・スウィフト)やJennifer Lopez(ジェニファー・ロペス)、Lady Gaga(レディー・ガガ)といったスーパースターが次々と政治的立場を鮮明にしました。

二大政党制のアメリカでは「赤いアメリカ」(共和党支持者)と「青いアメリカ」(民主党支持者)が過去40年にわたって拮抗しているでしょ。仮に一方のグループからソッポを向かれたとしても、残り1億数千万人のアメリカ人のヒーロー、スターであり続けることができます。トランプを批判することによって、共和党支持者からチケットを1枚も買ってもらえなくなってもどうってことない。

僕は90年代、アメリカで活躍するR&Bやヒップホップのアーティストに大勢インタビューしてきました。彼らはほぼ全員民主党支持です。そして、自分がそういう政治的立場であることを隠そうともしない。なぜ日本のミュージシャンやアーティストは政治的発言を頑なに控えるのでしょうね。

竹田 ミュージシャンやアーティストに限らず、国民一人一人のレベルでも政治について議論できる文化がアメリカと比べて少ないですよね。

松尾 たしかに。昔から「野球と政治と宗教の話は出すな」なんて言うからね。

竹田 日本では政治の話題に限らず、意見が対立することを嫌がる人が多いと思います。和を重んじる文化のせいなのか。調和を求める文化のせいなのか。いずれにせよ、自分の政治的立場を明確にしたがりませんよね。

昔から「人種のるつぼ」と言われてきたアメリカは、日本よりもはるかに人種的にも、価値観的にも多様な国。たまたま隣に座っている人と人種も宗教も価値観も違っているのが「普通」のことなので、むしろ共通点を見つけることの方が大変なほどです。 

松尾 自分と他人の考え方や政治的立場なんて、違っていて当たり前ですからね。

竹田 そう。違って当たり前なんです。それからアメリカ人は総じて、政治を当事者性が高いものだと考えています。マイノリティであればなおさら、国レベルでの政治、ローカルレベルでの政治がどのように自分たちに影響を及ぼすのか、関心もあるし「決定権」を公使する意欲が高い人が多いようと実感します。権利を行使しなければ、声を上げなければ、「損」をするという考え方が強い。逆に言えば、自己主張したもん勝ちの社会です。
 
松尾 「自分たち99%の末端労働者は、わずか1%の資本家階級から搾取されている」と自覚しているから、誰を政治リーダーに選ぶべきか、当事者として真剣に考えている。政治のシステムが変われば、自分たちの生活の向上に直結することをよく知っているんですよね。

竹田 アメリカは、何かにつけて大きな声で自己主張しなければ生きていけない、生活する上ではとても面倒くさい国です。言いたいことがあるのに黙っていたら、誰かにいいとこ取りされちゃう。日々の細かい生活においての自己主張も、政治に対する自己主張も同じく。日本は自己主張なんてしなくても、ミドルクラスでそこそこ普通の生活をしていけますよね。

アメリカでアーティストやセレブリティの社会的影響力を測る尺度は、SNSのフォロワー数だけではありません。自分の発言によって、カルチャーや社会全体に何かしらの「良い変化」を起こすために、その社会的影響力を行使する。そのこと自体が高く評価されます。

松尾 大統領候補がヒスパニックやマイノリティをメチャクチャに攻撃しているのに、口をつぐんでいたらカッコ悪い。政治的立場を明らかにすることによって、アーティストとしての価値も影響力もますます高まるんですよね。
 
セレブは影響力をどこに使うのか?
竹田 松尾さんが著書『おれの歌を止めるな』(31〜33ページ)でBeyoncé(ビヨンセ)について書かれていました。トランプが大統領選挙を戦った2016年に発表したアルバム「Lemonade」の中で、彼女は人種差別に触れたり政治的なメッセージを積極的に発信しています。

その彼女は、ガザ地区で起きているジェノサイドについて、2024年1月現在特にコメントを発表していません。それどころか、彼女の音楽映画「Renaissance: A Film by Beyoncé」(2023年12月公開)はイスラエルでも上映されました。この事実に落胆しているリスナーはたくさんいます。

ビヨンセやテイラー・スウィフトがガザ地区の停戦を求めれば、もしかしたら外交交渉が一気に動いて一時停戦が実現するかもしれません。彼女たちの発言はそれくらい政治的に大きな影響力があります。日本のセレブやアーティストには、政治や外交を動かすほどの影響力は残念ながらありません。

アメリカのアーティストは絶大な社会的影響力をもっているがゆえに、ガザ侵攻のような事態が起きたときに説明責任を求められるのです。

松尾 敢えて政治的発言を発信する責任が求められ、何も言わず口をつぐむならば、沈黙に対する責任も求められるわけだよね。

竹田 白人警官による黒人への不当な暴行や射殺事件が明るみになると、アメリカで「Black Lives Matter」ムーブメント(人種差別抗議運動)に火がつきました。あのとき何も声を上げなかったミュージシャンは「あなたは自分たち黒人のために声を上げてくれないのか。だったら私も消費者としてあなたのことを支援しない」という審判を受けざるをえません。

松尾 BLMの盛り上がりを日本から観察しながら、同じ時代を生きているとは思えないほどの深刻な落差を感じましたよ。日本でも在日コリアンへのヘイトスピーチや差別もあれば、嫌韓・嫌中の言説もさんざん飛び交ってきたのに、メジャーなミュージシャンやアーティストは誰ひとり声をあげやしない。

竹田 生きていると疲れますね。

松尾 まったくだね。程度の差はあれ、どの国、どの場所で生活してもそうでしょう。だから僕たちは、現実的には疲労回復のスキルも身に付けながら、少しでもストレスを生み出さない環境づくりを目指すことになる。
 
ガザ攻撃に沈黙を保つビヨンセへの批判
松尾 ガザ侵攻について何もアクションを取らず、何も発言しないことの責任まで求められるアメリカは、ショービズの位置づけがそもそも日本とは違います。ケタ違いの莫大なプロフィットを得ている反面、一歩対処を間違えればリスナーから総スカンを食らう社会的責任も生じてしまう。

日本の音楽ファンや芸能ファンは、ショービズの世界で仕事をしているスターに政治的社会的発言なんて期待していません。自分の夢や希望を仮託するだけにとどまっているから、スターと一緒に社会変革しようとまで考えるファンは稀です。

竹田 日本では「現実逃避としての音楽」とか「現実逃避としてのアイドル」という位置づけなんじゃないでしょうか。

松尾 ままならない日常を生きる中で、3分間の歌を聴いているときくらいは現実逃避してハッピーになりたい、だってポップミュージックは「ひとときの憩い」にすぎない、という諦観。もちろん、その3分間があるから生きていけるというファンの気持ちは切実だとも思うし、有り難いとも感じますが。

本当はその先にどういう付加価値を加えられるのか。時代とどうこすり合い、摩擦熱を起こしていくかが、音楽家の腕の見せ所なんですけどね。日本の音楽産業で仕事をする人たちは、時代とこすり合うなんて作業はハナからあきらめているのかもしれない。



竹田 アメリカの場合、現実逃避という選択肢がないんだと思います。差別も格差も雇用問題も貧困も戦争も、どこか遠い場所で起きていることではなくて、自分たちの目の前に突きつけられているんです。目の前に存在しているつらいこと、自分自身に起きている不平等から目を背けようとしたり、痛みを忘れたくても、忘れようがない。

これまで「Black power」とか「queerness is beautiful」というメッセージを発信して黒人やクィア(性的マイノリティ)と連帯してきたにもかかわらず、今イスラエルがやっていることに対して何も抵抗の態度を示さない。「Beyoncéの態度は、今まで表明してきた自分の言説と矛盾している」「都合のいいときだけ抵抗の言葉を発信したり連帯を示すのか」という手厳しい批判を彼女は今受けています。テイラーに関しても同じく、フェミニストのかがみのようにポップメディアでは扱われているけれども、実際には資本主義的に考えたときに最も「稼げる」アクションのみを取る、という現実を強く見せつけられています。

松尾 これまでBeyoncéを聴いてきたリスナーにとっては、イスラエルによるガザ侵攻はまるで他人事ではない。地続きなんだ。近い将来、彼女が何らかの意思表示を発信してくれることを期待しています。