自民党の茂木幹事長が「公費でドスケベパーティー」を叱責できぬワケ。裏金・会食・接待文化、パリピ自民の本性あらわ

 

自民党青年局の破廉恥パーティーは「誰のために」企画されたのか
自民党和歌山県連の青年局長だった45歳の県議、川畑哲哉氏は党青年局近畿ブロック会議を昨年11月18日、和歌山市内のホテルで開くにあたり、会議と懇親会の企画を担当した。

 

近畿2府4県の府県連が持ち回りで毎年開催するこの会議には党青年局所属の国会議員や近畿の若手地方議員ら約50人が参加するとあって、川畑氏はみんなに喜んでもらえる内容にしたいと意気込んだに違いない。

川畑氏は充実した懇親会だったと確信したのだろう。懇親会翌日、「X」に以下のような投稿をしている。

(前半省略)夜遅くまで語り合った同志の皆様、各地各所で大切な役割を担って下さった青年部・青年局及びご関係の皆様、本当にありがとうございました。

それから何ごともなく112日が経過した3月8日、川畑氏に驚天動地の事態が襲いかかる。

 

産経新聞(電子版)に、懇親会風景の写真とともに青年局近畿ブロック会議に関するスクープ記事が掲載されたのだ。

下着と見まがうような露出の多い衣装をまとった複数の女性ダンサーを会場に招いていたことが8日、関係者への取材で分かった。産経新聞が入手した動画には、ダンサーに口移しでチップを渡す参加者の姿も。

少なくとも5人が音楽に合わせてステージや宴席のテーブル周辺で踊り、参加者にボディータッチなどをしていた。紙幣のようなものを口にくわえ、ダンサーに口移しで渡す参加者や、ダンサーの衣装に紙を挟み込んで尻を触る参加者の姿もあった。

夜遅くまで同志で語り合ったというのは、こういうことだったのか。つめかけた記者たちに、川畑県議は次のように釈明した。

「多様性という会議のテーマの表現として出演を依頼した」「海外でもダンスをされていると聞いている」。

「多様性」と、セクシーなパフォーマンス、参加者のハレンチ行為が、どのように関係するのかはさっぱりわからない。いかにも苦しい言い訳に聞こえた。

川畑県議一人だけの責任であるはずがない
もちろん、彼だけのせいではあるまい。会場は大いに盛り上がったようだ。彼だけが突飛な企画者だったとも思えない。会議の幹事役のお鉢が回ってきたら、過去の懇親会を参考にするだろう。

川畑氏は安倍派の裏金問題の鍵を握る政治家の一人、世耕弘成前参院幹事長の元秘書である。産経新聞への動画流出に、二階俊博県連会長(自民党元幹事長)と世耕氏との政治的対立を関連づけようとする向きもあるが、たいして根拠はなさそうだ。

女性に触ったかどうかは「言えない」藤原崇衆議院議員
懇親会に参加した自民党本部の藤原崇青年局長と、中曽根康隆局長代理は早々に役職を辞任した。「本来止めるなどの対応を行うべきだった」というような理由だ。藤原氏は党政治刷新本部のメンバーでもある。女性ダンサーに触っていたら議員を辞職するかと記者に問われて、こう答えた。

「それについては私の口からは今の時点では言えない。いまの認識では触っていないという認識です。議員辞職は非常に重い話であり、記憶違いが万が一あった時にはすべてを無にするので、そこまでは言えません」

動画の存在が怖いのだろうが、触っていないことに確信が持てないというのは、よほど酩酊していたか、興奮していたのだろう。

「公費(=国民の血税)で女遊び」は自民党の伝統文化
さて、肝心な問題はここからだ。開催費は参加者から徴収したほか和歌山県連が一部を負担したと川畑氏は説明しているという。参加者は国会議員や地方議員たちであり、会費は政治活動費として出しているはずである。そして、県連の財政は自民党本部からの支部交付金で成り立っている。

要するに、参加者たちは税金のかからない政治資金でダンサーたちを呼び、享楽にふけったということになる。

自民党本部は「公費は出ていない」と強弁するが、自民党の収入は、国民の税負担で賄われる政党交付金が70%近くを占め、あとは企業・団体献金の受け皿である国民政治協会や所属議員からの寄附などによるものだ。

お金に色はついておらず、そこから支出されるのはすべて政治を目的とする公費といっていい。私的なお楽しみに使えるおカネは1銭たりともないはずだ。

 

自民・茂木幹事長が私腹を肥やす「法の抜け穴」
藤原氏ら青年局の幹部は、清新な空気を党内に吹き込み、旧態依然とした政治活動のあり方を改革すべき立場にあった。

 

だからこそ、このブロック会議でまとめた意見をもとに、今年2月8日、党改革の提案を茂木敏充幹事長に提出したのだが、そのブロック会議そのものが甚だしく浮ついたものだったと見られても仕方がない。

将来を嘱望される藤原氏と中曽根氏は、詫びるため茂木幹事長に会ったことだろう。

そのさい、茂木幹事長は彼らをしっかり叱責できただろうか。というのは、茂木氏自身、政治資金疑惑の当事者になっているからだ。

 

自民党内では、裏金議員への厳しい処分で自浄能力を示すべきだという声が高まっている。幹事長としてその先頭に立つべき茂木氏の足元が大きく揺らいでいるのだ。

茂木氏の政治資金疑惑は、3月4日の参院予算委員会で、蓮舫議員が火をつけ、翌日の朝日新聞一面トップで大々的に報じられた。

これまで茂木派は裏金作りをしていないとして派閥解散を拒否してきたが、派閥の会長である茂木氏と、事務総長をつとめる新藤義孝経済再生相は、派閥パーティーとは別の方法で、脱法的裏金作りを続けてきたフシがある。

「国会議員関係政治団体」から「その他の政治団体」に資金を移しかえることによって、収支報告書に政治活動費の明細を記載しないですむ。それが、政治資金規正法に埋め込まれたもう一つの抜け穴だ。

 

3億2000万円を“蓄財”か。茂木幹事長に重大疑惑
「国会議員関係政治団体」は、1円以上の領収書を保存し、1件1万円以上の経常経費と政治活動費を明細まで記載しなければならないが、「その他の政治団体」だと、経常経費の記載は不要で、政治活動費も「一件5万円以上」でなければ明細を記載する必要がない。

 

そのため、たとえば9万9000円の支出があっても、2枚の領収書に分ければ、記載しなくてすむことになってしまう。

茂木氏の場合、国会議員関係政治団体として総務省に届け出ている「茂木敏充政策研究会」から、その他の政治団体である「茂木敏充後援会総連合会」に毎年3000万円ほどを寄付、2022年までの10年間で約3億2000万円が移されていた。

後援会総連合会の22年分の収支報告書をみると、収入は約3252万円でその99・9%は政策研究会からの寄付によるものだった。3261万円の支出のうち、明細が書かれているのは約16万円の会合費だけで、使途はほとんど不明だ。

 

そもそも「国会議員関係政治団体」という区分は、2007年に自民党議員の事務所費や光熱水費などをめぐる不祥事が相次いだため、同年末、与野党6政党が話し合い、議員立法による法改正で設けたものだが、それに属さない「その他の政治団体」は緩い公開基準のまま残された。

そのこと自体、立法時の恣意性を感じさせるのだが、いずれにせよ前述の方法をとれば、政治資金を裏金化するのと同じようなことができてしまう。

党の病根を断つ執刀医であるべき幹事長が、違法とはいえないまでも、別の“裏金化スキーム”を使って、せっせと蓄財してきた疑いがあるのだ。

 

「自民に自浄能力なし」は明らか
青年局近畿ブロック会議を企画した川畑県議は責任をとって離党した。

 

あいかわらず自民党は“トカゲのしっぽ切り”で問題の幕引きを図ろうとしている。これでは何も解決しない。

会食や接待で仕事の円滑化をはかろうとするのは日本の社会に染みついた悪しき体質である。

だが、なぜ政治活動の中まで、私的な享楽を紛れ込ませるのか。その根本原因にメスを入れなければ、同じようなことが今後も繰り返されるだろう。

 

 

自民党・財政健全化推進本部の「大いなる欺瞞」…馬車を前に進める気がない男が御者である限り日本は確実に地獄に落ちる

 
 
このままでは日本の衰退は止まらない
 岸田総理は今、財政を健全化するために、官邸直属の委員会として「財政健全化推進本部」を設置しています。座長は、自民党の古川禎久議員です。
 
 その古川氏が、NIKKEIのラジオポッドキャスト番組「NIKKEI切り抜きニュース」(1/11(木)配信)でお話しされている内容を過日たまたま耳にしたのですが、卒倒しそうになる程に酷い内容でした。

 参照)自民党・古川禎久氏「ポピュリストに財政運営できない」(日経2024年1月11日)

 一言で言いますと、この方に日本の財政の「御者」(ぎょしゃ=馬車の運転手)を任している限り、日本は停滞・衰退を続け、日本国民には最悪の未来しか訪れ得ないということがハッキリを分かる内容だったのです。

 彼はまず、次のように発言されているのですが、これに関しては全く「正しい」例えです。

 「馬車の手綱を取る役割が財政。馬の中には社会保障馬がいたり、防衛馬がいたり、あるいは公共事業馬等。時として暴走すれば馬車は転覆。御者は時に応じて手綱をひいたり、緩めたりして馬車を安全に走らせなければならない。これが財政の役割」

 要するに財政が拡大しすぎて、それで何らかの「破壊的事象」が起こると大変である(これは、古川氏が「転覆」と表現している事象ですね)、だから財政を「引き締める」ことが必要な時がある、という指摘はまさにその通りです。

 しかし、御者には、古川氏が繰り返しているような「手綱を引く」ことだけではなく、「手綱を緩める」ことも求められます。

 ところが不思議なことに古川氏は、「手綱を引く」という行為の根拠となる「馬車の転覆」という危機的事象を避けて「安全な運行」をなすべしという点について言及するばかりで、「手綱を緩める」という行為の根拠となる事象については一切触れていないのです! 

馬車を「前に進める」ことの重要性
 通常、御者は、「転覆を避けて安全に運行する」という役割を担う一方で、「前に進む」という目的を持つ存在です。だからその御者が「無能」でない限りにおいて、安全のために「手綱を引く」一方で、前に進むために「手綱を緩める」のです。

 とりわけ、他の馬車と「競争」をしている場合には、「安全を確保しながら、できるだけ早く前に進む」ことを目指します。

 つまり、御者としての財政は、支出しすぎて(例えばハイパーインフレになる等の形で)「転覆」するという破壊的事象を避けることは重要な任務ですが、支出しなさすぎて(例えばデフレやスタグフレーションが続くという形で)「停滞」「衰退」するという破壊的事象を避ける(つまり成長させる)こともまた重要な任務なのです。

 というよりも、そもそも御者は、馬車を前に進めるために雇われてるのであって、本来的には前に進めることこそが職務だとすら言える存在なのです。今日のように激しい国際競争が繰り広げられるグローバル化の時代においては、御者として馬車を「前に進める」ことの必要性はとりわけ重大なものになっているのです。

 それにもかかわらず古川氏は、「安全の必要性」や「ハイパーインフレによる転覆」については言及しているものの、「前に進むことの必要性」や「デフレやスタグフレーションによる停滞・衰退」という点については、一切言及していないのです! 何という欺瞞でしょう。

 古川氏がイメージしているのは、兎に角、安全だけを確保しようとしていて、前に進めようという意図を持たない御者なのです。

 そんな御者は手綱を「引く」ことはあっても「緩める」ということはしないでしょうから、結局、その馬車は「止まって」しまうでしょう。そして、その馬車が「競争」状態におかれているとすれば、そんな馬車の敗北は確実です。それは単に、御者としての職務放棄と言えます。

 この時、馬車に乗っている乗客が、「停滞・衰退していたら俺たちの暮らしも人生も最悪だ、もっと前に進まないとマズい」と感じていたとすれば、激怒するはずです。そして、そんな御者を「虐待者」「人殺し」として認識することでしょう。
 
今の日本はどういう状態なのか
 御者が職務放棄しているのですから、客が激怒するのも当然です。ところが古川氏は、そんな「乗客(国民)」の焦燥や憤怒は、劣悪で危険な「ポピュリズム」に過ぎないと、次のようにレッテルをはりつつ激しく批判するのです。

 「手綱を引いたり緩めたりするときには当然、世の中には反発もある。ポピュリストには御車の役割はつとまらない。財政はポピュリストが扱ったらだめ。財政は国民の反発を恐れて良いことばかり言っているポピュリストには務まらない仕事。翻って今の財政はどうだと言ったときに、国民の反発を恐れてなのか、手綱を緩めっぱなし」

 「財政を預かっている政治家が国民の皆さん、ここは国民負担をお願いしますとか、あるいは歳出を削らしてくださいとか、言いにくいことであってもきっちり正面からごまかさずに国民に説明をしてお願いをしてこなければならなかった。我々政治家はそこから何十年逃げてきた」

 要するに古川氏は、「前に進めろ進めろ」という乗客(国民)の意見など、愚かな大衆の戯れ言だと見なしてガン無視すべきであり、兎に角、今よりももっと強く手綱を引いて、増税して、支出カットを拡大すべきだと主張しているわけです。

 では、今の日本はそういう状態なのでしょうか? つまり、古川氏が言う、「社会保障馬」「防衛馬」「公共事業馬」が牽引する「日本という馬車」は「暴走」している状態なのでしょうか? 
 決してそんなことはありません。事態はむしろその正反対の状態にあります。

 下の図を見てください。日本と世界各国・各地域のGDPの推移を表したグラフです。GDPとは(公共事業や科学技術投資等を含めた)日本が行うあらゆる活動によって産み出された価値の総量、すなわち「総生産」ですから、要するに古川氏が言うところの「馬車のスピード」です。

 ご覧のように、世界中の国々・地域が成長し続けている中、日本だけ1990年代半ばから停滞していることが見て取れます。

 これは、日本は今、古川氏が言うように「手綱を引かねばならない暴走状態」からはかけ離れていることを意味します。それよりむしろ、「手綱を緩めて、前に進めなければならない(そうしないと“ヤバい”)状態」であることを意味しています。

 すなわち、日本は、1990年以降、「手綱を引きすぎ」であり、その結果として、成長がストップしてしまったのです。そして、2010年には中国に抜かれ、今年はついにドイツにも抜かれてしまったのです。
 
岸田総理の任命責任
 このような状況にもかかわらず、古川氏は「日本は暴走している! もっと手綱を引け!」と主張し、実際に、これまで四半世紀以上も続けられてきた増税と予算カットに基づく財政引き締めが、継続・加速されようとしているのです。

 これはもはや「狂気」です。

 こんな「狂気」に日本が支配されれば、日本経済が成長し、国民が貧困から逃れられると同時に成長し、国際競争で諸外国に追いついていく、という「明るい未来」は絶対に訪れないでしょう。

 古川氏のような状況認識のできぬ者に、もうこれ以上、我が国の財政の「御者」を任せては絶対になりません。このままでは、我々に訪れるのは国家的な“死”以外にあり得ないでしょう。

 岸田総理の任命責任は、当人が気付いているか否かはさておき、途轍もなく重いものなのです。

藤井 聡(京都大学大学院工学研究科教授)