全く道理に合っていない。「憲法」をここで出してくる。全く整合性のないはなしで。岸田は私達が思っている以上に卑怯でいかがわしい人間だ。国民を隣人を冒涜していることさえ分からなくなっている。ふざけんな!

 

「同性カップルも異性カップルと変わらない」同性婚を認めないのは違憲 全国の高裁で初判断 当事者は「本当に変わらないのは政治だけ」

 

【速報】岸田総理「同性婚認めることは憲法上想定されず」同性婚認めないのは「違憲」の札幌高裁判決受け

 
 
岸田総理は、同性婚を認めない法律の規定は違憲と判断した札幌高裁判決について「当事者双方の性別が同一である婚姻の成立を認めることは憲法上想定されていないということが従来からの政府見解であり、政府としては、少なくとも同性婚に関する規定を設けないことが憲法に違反するものではないと考えている」と述べました。

そのうえで、「現段階では確定前の判決であり、また他の裁判所に同種訴訟が継続していることから引き続き、この判断も注視してまいりたい」と語りました。

参議院の予算委員会で立憲民主党の石川大我参院議員の質問に答えました。
 

「同性カップルも異性カップルと変わらない」同性婚を認めないのは違憲 全国の高裁で初判断 当事者は「本当に変わらないのは政治だけ」

 
 
同性カップルが国を訴えた裁判。札幌高裁は「婚姻の自由は異性間と同様同程度に保障すべき」だとして全国の高裁では初の「違憲」の判断を示しました。

「異性カップルと変わらない当然の権利が与えられた」初の高裁判断で同性婚を認めないのは「違憲」
同性婚を認めないのは「違憲」。全国で初めて、高裁での判断が示されました。
判決後の会見で、原告のひとり、中谷衣里さん(32)は…

原告 中谷さん

「本当に待ち望んだ判決だったなと、今振り返っても涙が出るくらい喜ばしい判決でした」

中谷さんは2組の同性カップルとともに、同性同士の結婚が認められない法制度が憲法に違反するとして、国を提訴したのは2019年2月14日のバレンタインデーでした。

「不受理で戻ってきた婚姻届けです」

5年前、顔を出さないことを条件に取材を受けてくれた中谷さん。私たちに婚姻届を見せてくれました。

パートナーとは、2014年から一緒に暮らしています。
 
原告 中谷さん

「私たちがことさら同性カップルと言わなければ、異性カップルと変わらない生活をしていて特別なものは何もない」

今回の裁判の焦点は、同性婚を認めないのは「結婚は『両性』の合意のみに基づいて成立する」などと定めた憲法24条に違反するかどうか。

1審の札幌地裁は「合憲」としていましたが、札幌高裁は14日。

札幌高裁 憲法24条1項について

「同性間の婚姻についても、異性間の場合と同じ程度に保障していると考えるのが相当である」

高裁として、全国で初めて「違憲」と判断しました。

原告 中谷衣里さん

「両性というのは、男女間での婚姻を表すものだと再三言われてきて、その判決を聞くたびに社会の中でいないような者にされていることを毎回実感させられてきました」

「同性カップルにも異性カップルと全く変わらない当然の権利が与えられて、この国で家族として、ふうふとして生きていって良いんだと言ってくれる、本当に、本当に前向きな励まされる判決でした」

「変わらないのは政治だけ」 各地で“違憲”判決
同性婚をめぐっては各地で同様の裁判が行われ、判断が分かれています。

憲法24条1項または14条に対し、▼札幌地裁:違憲、▼札幌高裁:違憲、▼東京地裁1次・2次:違憲状態、▼名古屋地裁:違憲、▼大阪地裁:合憲、▼福岡地裁:違憲状態。

東京地裁でも14日、同性婚を認めない法制度は「違憲状態」だとしました。

当事者でもあり、札幌高裁の判決を傍聴した、ゲイの当事者である松岡宗嗣さんは…

一般社団法人「fair」 松岡さん

「若い世代では大多数の人が(同性婚に)賛成している。日本社会はいつでも同性婚を法制化することの準備ができていると思う。本当に変わらないのは政治だけだということをもっと突きつけていかないといけないと思いました」
 
「愛のかたちはその人の生き方そのもの。大切な権利が認められた」
小川彩佳キャスター:

全国で初めての高裁での判断が出されました。

会社経営者・クイズプレーヤー 伊沢拓司さん:

率直に素晴らしい判断だと思います。特に高裁で出たというのは、すごく価値がありますよね。

さまざまな愛のかたちというのは、趣味・嗜好ではなく、その人の生き方そのものですから、大切な権利が認められるというのは当たり前ですけど、その当たり前が実現されなかったというなかで戦ってきた原告団の方々に本当に感謝しかないですよね。

デメリットとして偽装結婚が増えるような話もありますけど、それはまず彼らの権利が守られたうえで、そのあとに取り締まりを考えるべきものですから、なるべく早く法制度になってほしいなという思いが強いです。
 
 

同性婚否認は違憲

札幌高裁判決 二審で初判断

 
 
 北海道の3組のカップルが戸籍上の同性同士の結婚を認めない現行制度は憲法に違反しているとして国を訴えた「結婚の自由をすべての人に」訴訟で14日、札幌高裁は、現行制度について「法の下の平等」を定めた憲法14条、婚姻の自由を保障した同24条1項と2項に反するとの判決を出しました。国への損害賠償請求は棄却しました。

 一連の訴訟で、24条違反とした判決は初めて。全国5カ所のうち、最初の控訴審判決だけに、注目されます。

 斎藤清文裁判長は、24条1項は「異性間の婚姻のみならず、同性間の婚姻についても、異性間の場合と同程度に保障していると考えるのが相当」と指摘。現行制度が同性愛者の婚姻を認めないことは「国会の立法裁量の範囲を超えており、憲法24条に違反する」としました。

 14条に関して、性的指向と婚姻の自由は「重要な法的利益」であるのに、同性愛者は、異性婚と同じさまざまな制度上の保障を受けられず、著しい不利益を受けていると批判。「現時点において、合理的根拠を欠くものであって、差別的取扱い」だとしました。

 判決後の記者会見で原告の中谷衣里さんは「同性間にも異性間と同じように結婚して生きていっていいのだと励まされるもので、国会に対しても議論をして法律を整えるようはっきり明言した。大きな一歩を踏み出せた」と語りました。


 この日、同種の訴訟で地裁最後の判決が、東京地裁(飛澤知行裁判長)でありました。法律上同性のカップルが婚姻による法的利益などを受ける制度が何もない現状は、「憲法24条2項に違反する状態」と判断しました。地裁段階での違憲(違憲状態を含む)判決は5件目です。
 
 

安倍元首相は「1年生議員は選挙のことだけ考えればいい」と言った…日本の政治家が劣化してしまった根本原因

 
危機的な状況を、危機だと理解できていない
 
 
なぜ日本の政治家は劣化したのか
 
なぜ自民党はこうなってしまったのか。政治において空間的・時間的な「ゆとり」が失われたことが、今の自民党の凋落をもたらしたのは確かです。

敗戦直後から1960年代までの政治家には確かに「ゆとり」がありました。東京という空間に着目して政治を考えてみると分かりやすい。

例えば、原さんが『戦後政治と温泉』(中央公論新社)で描いたように、彼らは東京の国会や首相官邸(現在の首相公邸)を離れて、箱根や熱海の温泉地に頻繁に通っていました。東京を離れることで何が起きるか。移動中にものを考える、風景が変わって、意見が変わる。旅館で夕飯をとって、アイデアが浮かんでくる――。こうした行為が、自身を客観視させ、政治家としての考えを豊かにしたんですね。

【原武史・放送大学教授(以下、原)】政治家たちの間に「ゆとり」がなくなってきた背景には、「危機管理」の名目で、「有事や災害など、何か重大な問題が起こった時のために、いつも東京にいなければならない」という空気、圧力が強まったことがあると感じています。
――自民党が裏金問題に揺れています。お二人は今の政治をどのように見ていますか。

【御厨貴・東大名誉教授(以下、御厨)】1988年のリクルート事件と同じように、政治とカネが再び大きな問題になりました。当時、一部の自民党議員が離党して新党を立ち上げ、一定の政治改革が進みました。今は政治改革の動きが全く起きそうにない、野党にも期待できない深刻な状況です。
 
【原】例えば1995年末、首相の村山富市が大蔵大臣の武村正義を呼んで辞意を伝えたのは、伊豆長岡の温泉旅館「三養荘」でした。しかしその後、温泉地は批判の対象となります。2016年4月には舛添要一東京都知事は、公用車で毎週末に湯河原へ通っていたことが明らかになり、大バッシングを受けました。

政治家自身が「危機的な状況」を理解できない
【原】2022年の年末には岸田首相の親族が首相公邸に集まって「忘年会」を開き、週刊誌が報じたことで大問題になりました。これを別の視点から見ると、他で集まれる場所がないから公邸で行ったと言えます。東京を離れることすら許されなくなったことを表す象徴的な出来事です。
 
ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは『職業としての政治』のなかで、指導的な政治家に必要な資質の一つとして「判断力」を挙げました。これは、権力から距離を置くことを意味します。東京という政治の中心から距離を置き、自分を客観視すること。政治に「ゆとり」がなくなることで、政治家自身が自分を客観視、相対化する習慣が失われたのだと思います。

【御厨】スマホの時代になったことも大きい。国会中にスマホをいじる議員が多いのは「無視した」とあとで言われるのが怖いからです。今の自民党の危うさは、ゆとりを失い、国会議員たちがなぜここまで追い込まれているのかを理解できていないことにある。自分自身を客観視、相対化できていない。それが一番怖い。

【原】御厨さんが言われたように、今の危機的な状況を議員自身がまったく把握できていない。今ではリモートやワーケーションという新しい勤務形態が出てきているのにもかかわらず、政界では全く導入されず、通信機器が今より整っていない昭和の時代以上に政治家が永田町に張り付いている。時代から遊離し、ある意味滑稽に見えてしまう。
 
選挙のことばかりを考えるようになった
――なぜ政治家は「ゆとり」を失ったのでしょうか。

【御厨】1990年代の政治改革で導入された小選挙区制が大きな原因だと思います。以前は中選挙区制で、1選挙区から上位3~5人が当選する仕組みでした。選挙区は広く、金銭買収が頻発するという弊害があった。1選挙区1人を選ぶ小選挙区制にすれば政治は良くなると思い、私も大賛成して旗振り役をしていました。しかし結果は違いました。露骨な買収はなくなっても、政治がよくなることはなかった。
 
【御厨】選挙制度が政治家にもたらした影響は大きい。以前、私が安倍晋三元首相にインタビューをした時のことです。「1年生議員にどういう教育をしているんですか」と聞いたとき、安倍さんは「選挙のことだけ考えろ。政策のことを考える必要はない」とはっきり言いました。「小選挙区は勝ち上がることだけで大変。落選したら政策も何もない。だから政策は俺たち長老が考える。お前たちは当選することに集中しろ」と。つまり、若手議員は集票マシーンでいいというわけです。

やはり安倍さんの責任は非常に大きいと思いますね。7年8カ月の在任期間中に政治から議論が失われ、選挙に勝つことで問題を無かったことにしてきた。デモクラシーの基盤が崩れ、若い議員は自身で考えることをしなくなった。だから30年前と異なり、自民党の議員から反乱が起きる気配はありません。党を飛び出して野党を巻き込んで政界再編、改革を進めようとする動きが起きない。
 
政治が言葉を取り戻すしかない
【原】別の見方をすれば、国民の意識が大きく変わった結果とも言えます。政治の民主化が進んだ戦後になっても、1960年代くらいまではまだ、一般国民とは違う存在として政治家をとらえる見方があった。歴代の首相の多くが、旧帝国大学を出たエリートだったことも大きい。彼らは卓越したリーダーシップを発揮し、戦争で焦土になった日本を経済復興に導く存在だった。だから、非常に大きなエネルギーを必要とするし、庶民とは違う人間として温泉地に行くことが承認されていたわけです。

ところが民主化がいっそう進み、民主主義が日本に浸透するなかで――もちろんインターネットやSNSの発達もあると思うけれど――平準化によって、政治家と普通の人々の違いがなくなり、人々が自分たちと同じ目線で政治家を見るようになった。だから湯河原に行った舛添氏の時のように、「自分だけ温泉地に行って贅沢している」という非難が強まったのではないでしょうか。

――今の政治に必要なものは何でしょうか。

【御厨】戦後政治という大きな流れの中で考えると、池田勇人や佐藤栄作が首相だった時代に、政治はずいぶん制度化されてきた。むしろ今は制度化され過ぎてしまったのだと思います。政策は自民党の中で決まり、国会審議は完全に空洞化しています。国会は議論する場ではなく、野党による政府糾弾の場になり、ひたすら与党のスキャンダルを言い立てているだけ。
 
【御厨】昔はもっと面白かった政治劇がたくさん展開されていた。戦前の議会政治ですら言葉に実体がありました。雄弁家として知られた政治家・永井柳太郎(憲政会・立憲民政党所属)、軍部の政治干渉を痛烈に批判した浜田国松(立憲政友会)の「腹切り問答」が好例です。議会は、ギリギリまで言葉で迫っていく場だったんです。

しかし今はものすごくつまらなくなった。国会で議論されることが本当にくだらないでしょう。岸田さんもそうだけど、「検討します」と言うだけで全然回答にならない答弁を繰り返す。だからね、国会がね、取り戻さないといけない。言葉によって、政治の信頼性を取り戻さないといけないと思いますね。
 
朝鮮特需を予想した吉田茂
【原】かつての政治家と比べると大きな違いですね。御厨さんの話を聞いて思い出すのが、朝鮮戦争が勃発した1950年6月25日の吉田茂首相の対応です。当時、吉田は東京を離れ、箱根・木賀温泉の塩原又策別邸に滞在していました。いまの政治家なら危機管理の名目で東京にすぐ戻りますが、吉田は記者たちに「まだ正確な情報を得ていないので何もいえない」と答えただけで、この日は別邸から動かず、悠然としていました。

この時、昭和天皇は、これはヤバイと危機感を募らせるわけです。「九州に若干の兵をおくとか、呉に海軍根拠地を設けるとか、とにかく日本の治安に注意してもらわねば困る」と宮内庁長官の田島道治に語るわけです。そんな昭和天皇に拝謁した吉田は、「日本にとってはむしろよい影響があります」と答えています。「企業面がよくなり失業者の減少になる」と勃発直後に言っているんですね。朝鮮特需を見越していた吉田の「先を読む力」はすごいなと感じます。

【御厨】すごいよね。

【原】実はこれには後日談があります。翌年になっても朝鮮戦争が続いて、昭和天皇は田島長官に「朝鮮の状況上はなはだ心苦しく、私が葉山ですきな事をするのは……」と尋ねるんです。それに対して田島は「マッカーサーは休みをとりませぬが首相は終始休みをとります」と答え、天皇も休みをとるべきだと答えているんです(笑)。

戦後政治で無視できないのは、昭和天皇の存在感です。戦後に憲法が改正され、象徴になってもなお歴代の首相や閣僚から内奏を受ける存在だった。天皇が夏に滞在したのは栃木県の那須御用邸です。昭和天皇が那須にいて、吉田茂が箱根にいて、いわば関東平野をはさんで山の上で対峙たいじしている関係ですね。
 
昭和の大物政治家は東京に縛られなかった
【御厨】一種の猿蟹合戦だね。

【原】そうなんですよ。吉田は昭和天皇に対して忠誠心を持っていました。同時に、戦前に昭和天皇が持っていた巨大な権力の空白を埋めるのは自分しかいないと、自身の役割をはっきり意識していた。そんな吉田に対して天皇が複雑な感情を抱いていたことは、田島が天皇とのやりとりを記録した『昭和天皇拝謁記』から読み取れます。再軍備論者だった昭和天皇は、吉田の軽武装論を批判しながらも、吉田に代わる存在はいないことも認めていたんですね。

【御厨】やはりスケールが大きい。今の政治家にも「自分は政治に何をかけるのか」「自分はどういう政治をしたいのか」というこれから先の大きな話を発信していく必要があると思います。これは安倍さんも明示しなかった。菅(義偉元首相)さんも凡百の政治家より優れていることは間違いないけど、目の前の問題をどう決着させるかに終始したと思うね。

【原】吉田茂は全く東京に縛られてないんですね。鳩山一郎や石橋湛山、岸信介、池田勇人など戦後復興期に政権を担った保守政治家たちも同様です。永田町の狭い世界で完結せず、むしろそこから自由になることが、大局的に見れば、政治家自身にプラスになるという信念があったと思いますね。

【御厨】吉田は空間を意識した政治を行った戦後最初の首相だね。僕は『権力の館を歩く』でも書いたけど、吉田は首相官邸が大嫌いだから、目黒公邸(旧朝香宮邸、東京都港区)や大磯御殿(神奈川県大磯町)という空間を利用して政治を行ったわけだね。政治家や役人を呼びつける方法も構造化されていて、吉田なりの政権維持の工夫がされていた。
 
困難な時代にこそ「ゆとり」が必要だ
【原】吉田は1950年に木賀温泉に滞在しましたが、1951年からは大涌谷の冠峰楼に滞在した53年を除いて小涌谷の三井別邸に長期滞在して、サンフランシスコ講和会議の構想を練ったり、抜き打ち解散の準備をしたりするわけです。温泉に浸かって体調を整えながら、政治家や役人を呼びつけて議論する。あるいは東京では見られない風景を楽しむ。敗戦直後の困難な時代でしたが、政治家の東京という空間に縛られない「ゆとり」が戦後日本を前に進める原動力になったわけですね。

【御厨】今の政治に必要なのは「日本をどうするのか」という長期的展望です。この30年間全く出てこないし、行き当たりばったりの政治を繰り返してきた。政治が積分されない、全部微分の政治になってしまったように思いますね。構想のレベルでいいんです。みんなバカバカしいと思っているかもしれないけど、自分がやりたい政治を、政治家が自ら考え、稚拙でもいいから言葉にすることが非常に大切です。それが、政治を少しずつみんなのものにしていくことになると僕は思ってます。