岸田首相 次期戦闘機第三国輸出に二重閣議決定 共産・山添拓政調会長「〝死の商人国家〟の批判を免れない」

 
鋭い質疑、これは山添拓さんでなくては出来ない姿勢。弁護士らしく鋭い刃で追究され岸田はオタオタ。さすが「タックン」!
「『平和国家』とはなにか。2005年、外務省のファクト・シートには『平和国家としての実績』が挙げられている。攻撃的兵器を保有しない、防衛費の対GDP比1%程度、武器の供給源とならず武器の売買で利益を得ない――ことごとく壊してきた岸田政権。その自覚もなく、閣議決定でさらなる暴走は許されない」
 
岸田文雄首相は13日の参院予算委員会で、英国、イタリアと共同開発を行う次期戦闘機の第三国に輸出するため、防衛装備移転3原則の運用方針改定を閣議決定する考えを表明した。

これは連立を組む公明党との与党協議を経て個別案件ごとに閣議決定する。「二重の閣議決定でより厳格なプロセスを経ます」と述べた。

具体的な「歯止め策」として輸出は次期戦闘機に限る。対象国は防衛装備品の協定を結ぶ15か国に限り、戦闘が行われている国には行わない意向を明らかにした。

永田町関係者によると公明党の高木陽介政調会長は、岸田首相が同委員会で次期戦闘機に限定し歯止め策を示したことに「明確に丁寧に答えてもらった」と評価したという。
 
自民、公明両党の与党協議は15日にも第三国への輸出容認で合意する方針だ。

一方、同委員会で質問に立った日本共産党の山添拓政策委員長は、第三国に輸出された次期戦闘機が国際法違反の攻撃に投入されかねない恐れがあるとして「歯止めがかけられないのではないのか。儲けを大きくするため、海外に売りさばく発想は『死の商人国家』の批判を免れない」とした。

これに対し岸田首相は「国連憲章に反するような攻撃に使用されるとの懸念にはあたらない。平和国家の歩みは何ら変わるものではありません」と繰り返し強調した。

同委員会終了後、山添氏は自身のXに「『平和国家』とはなにか。2005年、外務省のファクト・シートには『平和国家としての実績』が挙げられている。攻撃的兵器を保有しない、防衛費の対GDP比1%程度、武器の供給源とならず武器の売買で利益を得ない――ことごとく壊してきた岸田政権。その自覚もなく、閣議決定でさらなる暴走は許されない」と投稿した。
 
 

“平和の党”を掲げる公明党は今や戦争大国への道に加担 中国にも見放され揺らぐ存在意義 古賀茂明

政官財の罪と罰

 

 

 国際共同開発した防衛装備品(完成品)の第三国輸出を認めるか否かについて、自民党と公明党の間で議論が進められている。

 

 具体的には、日本がイギリス・イタリアと共同開発する次期戦闘機を第三国に直接輸出することを認めるかどうかが争いの焦点だ。

 ただしこれは表向きの話で、両党の間では事実上これを認める方向では暗黙の了解があり、それを公明党の顔が立つように決めていくプロセスで綱引きをしているという状況だと筆者は見ている。どういうことか解説しよう。

 日本の武器輸出政策と言えば、誰もが思い浮かべるのが、「武器輸出三原則」だ。これを正確にいうと、昭和42(1967)年に当時の佐藤栄作首相が輸出貿易管理令の運用指針として国会で表明した「武器輸出三原則」と昭和51(1976)年に当時の三木武夫首相が国会で表明した「武器輸出に関する政府統一見解」の二つからなる。ニュースなどで「武器輸出三原則等」と呼ぶのはこのためだ。

 これにより、実質的に武器及び武器技術の全面禁輸措置が実施されていたことは多くの人が知っている。

 しかし、これは法律ではないので、時の政府の意向で如何様にも変更できるという弱点があった。

 安倍晋三元首相は、その点をつき、政府だけの判断で、2014年に「武器輸出三原則等」を事実上廃止し、「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。同じ「三原則」でも前者は武器輸出を止めるためのもの、後者は武器輸出を促進するためのものであり、全く異質のものだ。

 しかし、注意しなければならないのは、この新三原則の決定は突然行われたわけではないということだ。自民党は、それまでの間に、少しずつ例外を作ってきた。

 最初の例外は、昭和58(1983)年1月に作られている。米国の日米防衛技術相互交流の要請に応じ、対米武器技術供与に限って、初めて武器輸出三原則の例外を中曽根康弘内閣が決定した。その後も国際平和協力業務に必要だとか、日米共同開発のために必要だなどという理由をつけては例外を認めた。緩和措置をとった回数は新三原則ができるまでの間に何と21回にも達した(参議院外交防衛委員会調査室の沓脱和人氏の報告書による)。

 

 新三原則では、条約その他の国際約束に違反する場合、国連安保理決議違反の場合、紛争当事国向けについては移転禁止としつつ、平和貢献・国際協力の積極的な推進に資する場合、我が国の安全保障に資する場合には移転を認めるとした。非常に曖昧な規定であり、これにより、武器輸出が認められるケースが格段に拡大する可能性が広がった。

 ただし、あまり急激に拡大すると国民の反発が大きくなるので、新三原則の「運用指針」において、いくつかの制約を設けた。もちろん、その裏には、必要になったらその都度制約を取り払えば良いという考えがあった。

 

 武器輸出大国への転換をさらに大きく進めることになったのが23年12月に行われた新三原則と運用指針の改正である。

 その最大の目玉が、部品しか認めていなかった米国のライセンス生産を行った装備品の米国への輸出を完成品にまで拡大することだった。これを受けて、政府は、地対空ミサイルシステム「パトリオット」と呼ばれるミサイル迎撃システムの対米輸出を決めた。殺傷能力のある武器の完成品輸出を認めるのはこれが初めてで、武器輸出大国化への大きな一歩となった。

 しかし、この時もあえて解禁しないで残した課題があった。それが現在問題となっている他国と共同開発した完成品の第三国への直接輸出だ(部品については23年12月の三原則と運用方針改正時に解禁済み)。

 実は23年に行われていた自公の協議では、イギリス・イタリアとの次期戦闘機共同開発を念頭に置いて、これを解禁する方向で事実上合意していたのだが、山口那津男公明党代表が慎重姿勢を示して、先送りとなった。

 これを見た創価学会員や国民は、いかにも公明党は平和の党だという印象を受けたであろう。しかし、それ以外の輸出解禁事項には反対せず、武器輸出大国化を容認したのだから、平和の党とは程遠い対応だった。その意味で、公明党のやり方は詐欺的だと言わざるを得ない。

 

 そして、今回、それからわずか3カ月も経たないうちに、積み残した次期戦闘機の第三国輸出を可能にする変更が行われようとしている。

 ここでも、一度は2月中に決定という相場感を現場で作らせながら、土壇場で山口代表が「次期戦闘機の第三国輸出を無限定でやることになれば、あらゆる武器が輸出できるようになることにつながる懸念もある」などと発言して反対の姿勢を示した。「平和の党」を演出する狙いだ。しかし、最終的にはこれを認めることになるはずだ。

 

 現に、岸田文雄首相が3月5日の参院予算委員会で、第三国への輸出解禁の必要性を説明したのを受けて、山口代表は記者会見で、「かなり丁寧に、できるだけわかりやすく説明しようという姿勢で答弁された」「国会論戦の場で丁寧な発信をしたことは良い機会だった」などと評価し、「党内でもこれを受け、しっかり理解と議論を深めていくことが大事だ」と語っている。やはり最初から輸出解禁を認めるつもりだったのだ。

 今後も、いかに公明党が「抵抗したか」を印象付けるパフォーマンスが行われる可能性はあるが、結論は変わらない。

 それが公明党の騙しの手口である。

 公明党は「平和の党」であったはずだ。しかし、実際には、自民党と連立を組むことによって、集団的自衛権の行使容認という憲法違反の政策や武器輸出三原則という日本の平和主義の根幹をなす規範の破壊に協力してきた。公明党がいくら言い訳をしても、これまでの実績を見れば、同党は、今や日本が戦争大国への道を進むための原動力の一部になってしまったと言われても仕方ないだろう。

 もちろん、公明党が自ら積極的に戦争への道に突き進んできたとまで言うのは言い過ぎだ。正確に言えば、自民党が前のめりになるたびに慎重姿勢を示して、いかにもこうした動きに反対する姿勢を見せながら、多少の制約をつけたり、時期を少し遅らせたりするという役割を果たしてきたというのが公平な評価であろう。

 

 しかし、こうした姿勢を公明党が続けてきたことによって、自民党側は、独断で戦争の道を進んでいるのではなく、「平和の党」(公明党)の厳しいチェックを受けながら、日本の平和主義から逸脱しないように慎重に日本の安全保障政策を時代のニーズに合わせて調整しているというイメージを国民に示すことができた。公明党は、表面的には自民党の足枷になるように見えて、長い目で見れば、国民の警戒心を和らげ軍事大国化を円滑に進めるための重要な役割を果たしてきたのだ。

 こう見てくると、平和の党としての公明党の存在意義はもはやなくなったと言いたくなるところだが、同党にはまだ期待されている役割がある。

 

 同党は中国共産党との友好関係が深い。日中国交正常化する前の1968年に公明党創設者である池田大作会長(当時)が日中国交正常化を提唱したことから始まる交流の歴史は、中国側も非常に重視してきた。その証しとして、習近平国家主席は、これまでに山口代表と4回も会談している。与党の代表ではあるが、政府のトップでもない政治家と何回も会談するのは破格の扱いだ。

 これだけ日中の外交関係がギクシャクする中で、同党には本来なら中国とのパイプ役として大きな期待がかかるはずである。

 しかし、もはやその役割は果たせないことが暴露される事態が生じた。

 昨年11月、山口代表が訪中し、面会を切望したにもかかわらず習主席は相手にしてくれなかったのだ。ナンバー2の李強首相も相手にしてくれず、会えたのは共産党序列「5位」の蔡奇政治局常務委員、王毅共産党政治局員兼外相らだった。山口氏は岸田首相の親書まで携えて訪中したのに、この塩対応。屈辱的な結果ではないか。

 さらに公明党に追い打ちをかけたのが、今年1月の福島瑞穂社民党党首の訪中における中国の対応だ。野党でしかもいつ消滅するかと揶揄される弱小政党の党首に会ったのは、何と共産党序列「4位」の王滬寧政治局常務委員だった。王氏は、中国人民政治協商会議全国委員会の主席という要職にある。

 

 中国政府は、明らかに福島氏を山口氏の上に位置付ける対応をとったことがわかる。公明党を軽視するという明確なシグナルである。

 筆者は、たまたま先月上海を訪れたのだが、そこで会った知日派の人たちは、福島氏の方が会談時間も長く、見る人が見れば山口氏よりもはるかに厚遇だったことがわかると話していた。また、公明党に対する信頼感は地に落ちたとも語った。

 

 つまり、同党は、期待される中国との貴重なパイプという役割をもはや果たせないということを言っているのだ。

 もちろん、その原因は、集団的自衛権を自民党と共に容認したことなど、平和主義を捨てた公明党の変節にある。また、福島の汚染水(処理はされても、なお汚染されていることにはかわりがないので汚染水と呼ぶべき)排出を容認したことも大きかったようだ。

 結局、公明党には、「平和の党」としての役割も対中外交のパイプ役としての役割も果たせなくなっているということがわかる。

 存在意義がなくなった政党の行く末は「消滅」でしかない。

 現に、同党の変節に対しては、最大の支持母体である創価学会の会員からも批判が強く、選挙のたびに得票が落ちている。

 2月9日配信の本コラムで紹介した調査では、自民党員の中での支持も、立憲民主党や日本維新の会の数分の1の0.8%しかない。連立の仲間からも見放されているわけだ。

 ここまでの危機に直面しているのだから、いい加減眼を覚ます時ではないかと思うのだが、「与党病」に蝕まれた幹部たちに自浄作用は働かないようだ。

 本当に「平和の党」だと言うなら、ひたすら戦争に向かい、軍事大国・武器輸出大国を目指す自民党との連立を解消し、堂々と平和主義の政策を国民に訴えたらどうか。

 おそらく今が最後のチャンスだ。裏金問題で瀕死状態の自民党に三行半を突きつけ、野党として正論を訴えれば、再生の可能性は十分にある。同じ連立なら、立憲民主党と組む方がはるかに公明党の支持者の声に応えることになるのではないか。

「平和主義を捨てた仮面の党」をやめて、もう一度「平和の党」に戻れば、政権交代に結びつき、結果的に与党入りできるかもしれない。

 是非とも前向きな「変節」を見せて欲しい。