安倍元首相亡き後、「キックバック再開」は誰が決めたのか? 自民党・裏金問題、追及の仕方に感じた“疑問”

 
星浩氏
「私は40年ぐらい自民党を取材してきてるんですけど、昔の自民党はもう少し真面目だった気がしますね、今回、裏金問題とこの問題(過激ダンスショー)でしょ、裏金問題は『金銭的な腐敗』『構造腐敗』だとすると今回のはもう自民党の政治家の『精神の退廃』という気がしますね、やはり緊張感がない、特に和歌山県というのは二階さんとか世耕さんがいて保守大国でね、自分たちが多少のことやっても『大丈夫なんだ』っていう明らかに『おごり』というか『緊張感の無さ』がこういうところに現れたってことは明らかだと思いますね」
 
 
檀ふみ氏
「もどかしいですね、ちゃんとやってほしい。一昨日ちょうど確定申告の整理が終わったんですけど、本当に大変な思いして確定申告するわけですよ、その書類っていうのが1年で段ボール箱1個あるんですけど、それを『7年間取っておきなさい』と税理士さんに言われてるわけですよ、それが家の物凄く『邪魔』になってるんですね、私達はこのくらいのお金で大事に取っておいて全部見せられるようになっているのに、何で政治家は『見せられないんだ』って思います、政治家の仕事ってそんなに見せられないこと多いのかって、ちょっと腹立たしいですよね……今の政治家は何を考えてるのかさっぱり分からない、どこを向いてるのかも分からないし、とにかく『お金』『お金』『お金』っていう風に、何とかとにかくこの裏金の問題を、どうしてこれが始まったのか?誰が始めたのか?どうして『やめよう』って言ったのにまた復活したのか?だけはキッチリ見せて頂きたいと思いますね『何に使ったのか?』はこれから『凄く大事』になると思いますね」
 
 
 自民党の「裏金」問題に対して、野党やメディアの追及の仕方に疑問を感じることがある。

「安倍派のキックバックはいつ、誰が再開したのか」という点だ。これ、本当に重要だろうか? もう「犯人」はわかっているのに……。
 
 この問題を振り返ると2022年がポイントだ。
・4月 キックバック廃止決定。会長だった安倍晋三元首相が指示

・7月 安倍元首相が銃撃され亡くなる

・8月 キックバック復活?

 となる。

いつ、誰が決めたのか?
 注目は8月であることがわかる。いつ、誰がキックバック再開を決めたのか、責任の所在は不明なままだと新聞各紙は報じた。でも本当にそうか? ここで当時の安倍派の状況を思い出そう。

『漂流続く安倍派、決まらぬ新会長 背景に「二重権力構造」、絡む森氏の意向』(朝日新聞デジタル2023年5月17日)

 安倍氏の一周忌を前にしても新しいリーダーが決まらない。背景には「二重権力構造」で意思決定が難しくなっていると。

 二重構造とは、安倍氏亡き後の派閥運営は「塩谷立、下村博文両会長代理を中心に行っている」のに対し、元派閥会長の森喜朗は「5人衆」での集団指導体制を進言していること。5人衆とは森氏が選んだメンバーで、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長、高木毅国会対策委員長(※肩書は当時)。
 
 いきなりポスト安倍を決めると派閥が分裂する恐れがあるので、突出した人物をあえてつくらず、皆で責任をシェアしながら決めていた。

 つまり「安倍派のキックバックはいつ、誰が再開したのか」の犯人は全員なのである。幹部の皆で“なんとなく決めていた”というなら責任の所在は全員にある。「5人衆」+「塩谷・下村両会長代理」+「森喜朗」の政治責任を平等に問えばよい。

「5人衆」を選んだきっかけ
 さて責任の重さがあらためてわかる森氏だが、「5人衆」を選んだきっかけは派閥運営のためだけでなく、もう一つあった。それは岸田首相だ。

 2021年に首相に就任した岸田氏は事あるごとに安倍氏を頼ってきた。安倍氏が突然亡くなってから岸田首相は誰を頼ったのか。重要人物の一人が森氏である。

《派閥会長だった安倍晋三元首相(当時67歳)が22年7月に死去すると、岸田首相は約1カ月後に東京・虎ノ門のホテル「The Okura Tokyo」内の日本料理店「山里」で森氏らと会食した。内閣改造・党役員人事を控えたタイミングだった。》(毎日新聞2023年10月4日)

 この日の会食では、

「岸田さんが玄関先で『人事をどうしたらいいでしょう』と問いかけると、森さんは今の萩生田光一政調会長(60)や松野博一官房長官(61)ら安倍派内の『5人衆』と呼ばれる議員たちの名前を挙げました。岸田さんはその人事をオーソライズし(認め)続けています」

 と政治ジャーナリストの後藤謙次氏が証言している。岸田首相と森氏の関係は政権の安定に欠かせなくなっていく。

裏金問題を解明するには…
 別の記事もある。こちらは具体的に日付も出ている。

《そこで頼みとするのが森氏だ。「5人を輝く存在にしてほしい」。内閣改造直前だった22年8月3日、森氏は首相との会食の場で萩生田氏ら安倍派幹部の処遇について要望した。5人はそれぞれ要職に就いた。》(日経新聞2023年5月16日)

 安倍氏が亡くなった直後の2022年8月3日、岸田首相が森氏に安倍派の扱いをどうすればいいのか相談したら「5人を使え」と言われた。そのメンバーが「5人衆」とメディアで言われ始めた。「5人衆」誕生には岸田首相の都合もあったのだ。森氏はお気に入り5人の体制を派内でも提案して自身の影響力を盤石にしようとした。それほど森-岸田ラインは固い。裏金問題を解明するには「森喜朗を国会招致すればいい」という声もあるが、岸田首相にリーダーシップがもしあれば可能なのである。
 
「土下座はしていない」と主張
 そして今回「5人衆に入れなかった幹部」が裏金問題では注目される。下村博文だ。下村氏は安倍派の事務総長を務め、安倍氏亡き後の派閥の重要会合にも出席している。しかしなぜか5人衆からは外されている。森喜朗に嫌われているからだ。

 森氏は地元・石川県の北國新聞で「総理が語る」という企画に度々登場していた。昨年8月7日付では下村氏が安倍派の会長になりたいと頼みに来たと語っている。「今までのご無礼をお許しください」と土下座する下村氏に対し「君は私に無礼を働いたのか。その自覚があるなら私は絶対に許さない。帰ってくれ」と言ったと森氏はご機嫌に語っていた。これを1面トップで報じる北國新聞。

 このあと下村氏は土下座はしていないと主張し、森氏に嫌われる理由を、文科相時代に国立競技場の白紙撤回をしたことが要因だと言っている。森氏が招致に力を入れた2019年ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会に整備が間に合わず「それ以来、森氏に恨まれている」というのだ(共同通信2023年9月12日)。新国立競技場建設も森氏の都合だったことが窺える。

「先走り」と「先細り」
 森氏に嫌われて5人衆に入れなかった男・下村博文だが、長い間安倍派の幹部であったことは変わりない。森氏や安倍派の裏金問題のことを知りすぎている可能性がある。政倫審に出席すれば注目されるが現在のところ二転三転している。

『衆院政倫審、下村氏出席見送り 自民調整つかず』(毎日新聞3月7日)

 記事の読みどころはここ。下村氏は、

《記者会見を6日に開くと報道各社に連絡したが、約1時間半後に「別の用事が入った」としてとりやめていた。》

 このあと下村氏は「X」(旧ツイッター)で

《一部報道で、私自身が政倫審出席を見送るようにとられかねない記事がありましたが、私の意思はまったく変わっておりません。》(2024年3月7日)

 と投稿している。ああ、私が追いかけている下村博文劇場そのものではないか。先走るのだが先細りになる繰り返し。そんな人物がキーマンになりかけている。「森喜朗に嫌われた男」も一応見逃せない。

(プチ鹿島)