「道路だけでなく、家屋や学校などの拠点も地震被害を受けた。避難計画は住民に不可能を強いる」。共産党の山添拓政策委員長も能登半島地震を踏まえ、疑問を投げ掛けた。北陸電力の想定を超える長さ150キロ程度の範囲で活断層が連動したとの指摘なども挙げ、「原発審査の限界を示している。再稼働は断念すべきだ」と求めた。

 

 

 東日本大震災から13年がたち、岸田政権は原発再稼働へと大きくかじを切った。ただ1月の能登半島地震では、地震や津波と原発事故が重なる「複合災害」の危険も改めて浮き彫りに。野党は現在の避難計画などへの批判を強めており、後半国会で議論が再燃する兆しがある。

 ◇脱炭素、円安で転機

 民主党政権当時の2012年に「30年代の原発稼働ゼロ」を掲げた政府の原発政策は、岸田文雄首相の下で大転換した。昨年2月に閣議決定した「GX(グリーントランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」に建て替え推進や新設の検討を明記。既存原発の「60年超」運転も可能とする「GX脱炭素電源法」を同5月に成立させた。

 

 首相が原発回帰の動きを強めるのは、石炭火力発電への依存を減らす狙いがある。日本は欧米から温暖化対策に消極的だと批判を受けており、国際NGOから贈られる「化石賞」の常連国。円安による燃料価格高騰は国内の家計を直撃した。首相は、原発活用論者で知られる嶋田隆首相秘書官(元経済産業事務次官)ら周辺の意見も踏まえ、路線変更へ動いた。

 政府関係者は「今年は再稼働ラッシュになるかもしれない」と語る。中国電力島根原発(島根県)は8月に、東北電力女川原発(宮城県)は9月に再稼働を予定。首都圏への電力供給に向け、政府は東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の早期再稼働も見据える。斎藤健経済産業相は今月7日の参院予算委員会で「原子力は脱炭素電源として重要。安全性確保を大前提に活用を進めたい」と明言した。

 

 

 ◇「絵に描いた餅」

 これに対し、7日の予算委では立憲民主党議員から「能登半島地震を踏まえれば、政策転換は無理なのではないか」との指摘が上がった。

 同地震では多数の道路が寸断され、空・海路による被災地支援も滞った。半島の志賀町にある北陸電力志賀原発は放射能漏れはなかったが、地下で震度5強を観測。施設も被災した。

 原発事故時の避難計画などを定める原子力災害対策指針では、5キロ圏内の住民は避難、5~30キロ圏内は屋内退避の上で状況に応じて避難すると規定する。立民の逢坂誠二代表代行は取材に対し、避難計画について「『複合災害』の可能性を考慮せずに作られている。絵に描いた餅だ」と批判した。

 

 逢坂氏は、愛媛県・佐田岬半島の付け根に位置する四国電力伊方原発や、30キロ圏内に90万人超が住む日本原子力発電の東海第2原発(茨城県)などでも、複合災害時の避難は困難を極めるとの見方を示す。「住民の被ばくが政策の前提になっている。看過し得ない欠陥だ」と憤った。

 ◇「不都合な真実」

 「道路だけでなく、家屋や学校などの拠点も地震被害を受けた。避難計画は住民に不可能を強いる」。共産党の山添拓政策委員長も能登半島地震を踏まえ、疑問を投げ掛けた。北陸電力の想定を超える長さ150キロ程度の範囲で活断層が連動したとの指摘なども挙げ、「原発審査の限界を示している。再稼働は断念すべきだ」と求めた。

 能登半島地震の影響で、放射線量を測定するモニタリングポストも最大18カ所でデータが得られなくなった。2月の衆院予算委で避難計画の在り方などを追及された首相は、「しっかりした緊急時対応がない中で原発再稼働が進むことはない」と説明に追われた。だが、原子力規制委員会による今後の対策指針の見直しは、屋内退避のタイミングなどに絞られ、複合災害が議論される見通しはない。

 「政府にとって『不都合な真実』が出てきた。通常国会後半では一つの焦点になるだろう」。立民幹部はこう述べ、原発再稼働の是非を政府にただす考えを示した。 

 

「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容

 
 
 東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する。
 
午前3時 霞が関 紛糾する会見 1号機爆発まで12時間36分
 午前3時すぎ。霞が関の経済産業省で、東京電力が緊急の記者会見を始めた。会見に臨んだのは本店対策本部の代表代行の小森だった。経産大臣の海江田と保安院院長の寺坂も陪席した。

 小森は、開口一番、ベントを実施すると述べ、「午前3時くらいを目安に速やかに手順を踏めるように現場には指示しています」と語った。

 すかさず、記者から疑問の声があがった。

 「3時って、もう3時ですよ」

 すでに午前3時を10分回っていた。

 小森は「目安としては早くて3時くらいからできるように準備をしておりますので、少し戻って段取りを確認してから……」と返すのがやっとだった。

 当初、東京電力は、午前3時を目標にベントをすると考えていたが、準備をしているうちに、あっという間に午前3時になっていたのだ。

 小森はベントについて説明を続けた。

 「まずは2号機について圧力の降下をするというふうに考えております。2号機は、夕方くらいから、原子炉に給水するポンプの作動状況がかなり見えない状況になっています」

 にわかに会見場がざわついた。

 記者の誰もが、1号機の格納容器の圧力が異常上昇したので、当然、1号機からベントすると思っていたからだ。混乱する記者から矢継ぎ早に質問が飛んだ。

 「まず、1号機ではないのですか?」

 「今、1号機の話をしているんじゃないの?」

 小森が答える。

 「圧力が上がっているのは、1号機でございますが、1号機も2倍にいっているわけでなくて……。注水機能がブラインドに(見えなく)なっている時間が長い2号機のほうが本当かと疑っていくべきだと」

 1号機の格納容器の圧力は8.4気圧。設計時に想定した最高圧力の5.28気圧の2倍までには達していないため、まだ猶予がある。むしろ全電源喪失以降、注水が確認できていない2号機のほうに不安要素があるという説明だった。

 しかし、8.4気圧は通常、格納容器にかかる圧力のおよそ8倍にあたる異常な値である。納得できない記者から、質問が投げかけられる。

 「1号機は、もうレット・イット・ゴー(対応必要)の状態なんですよね。2号機はなぜですか? 突然、出たのでびっくりです」

 小森はあくまで2号機の危機を強調する。

 「本当に給水できているかどうかというのが、一番最初に怪しくなったプラントが2号機です」

 「我々が技術的に理解しているものから見て、なかなか説明がつかないというのが2号機であります」

 会見が始まる直前の午前2時半すぎ、免震棟と本店は2号機のベントを優先する方針を決めていた。1号機のベント弁を開ける作業は、高い放射線量のため、準備に時間がかかる。1号機は深刻な状況にあるが後回しにして、まず放射線量が高くなく、作業が可能な2号機からベントを実施するという戦略だった。しかし、刻々と変わる情報の中で、小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた。その後も、小森は繰り返し、1号機ではなく、2号機が危機的状況にあることをことさらに強調するという奇妙な説明を続けた。納得できない記者の質問が、次第に詰問調になり、記者会見は紛糾し始めた。

 会見が始まって30分近くが経った頃だった。突然、東京電力の原子力担当の社員が会見を遮り、怒鳴るように告げた。

 「今、入った情報でございますけど、現場で、RCICという設備で2号機に水が入っていたことが確認できたという話が、今入りました! 申し訳ありません」

 午前2時55分に、2号機の原子炉建屋に入っていた運転員が、RCICの作動を確認したという情報が、免震棟の吉田から東京の本店を経由して、ようやく経済産業省の会見場に届いたのだった。

 すかさず、記者から確認の質問が飛んだ。

 「それを受けて2号機からやるか1号機からやるか判断し直すということですね」

 「そういうことですね。申し訳ございません。申し訳ございません」

 一転して2号機ではなく、1号機の危機がクローズアップされてくる。錯綜する情報に小森は、翻弄されるばかりだった。

 さらに連載記事<1号機爆発まで24時間50分…東日本大震災が発生した「まさにその瞬間」の「福島第一原発」の「あまりに緊迫した状況」>では、発災直後の緊迫した様子を詳細に語っています。
 
 

海洋放出中止・真の復興へ 原発むり!

全国連絡会 東京・新宿パレード

 
 
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から13年を前に「地震大国日本に原発はいらない! ALPS(アルプス)処理水海洋放出の中止と被災地の真の復興をめざす3・9原発ゼロ新宿パレード」が9日、東京都内で行われました。参加した400人が「原発むり!」と、うちわでアピールし「すべての原発いますぐ廃炉」と声をあげました。飛び入り参加する人もいました。

 主催は全労連、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)などでつくる原発をなくす全国連絡会です。

 主催者あいさつした全日本民医連の岸本啓介事務局長は、1月の能登半島地震で志賀原発が過酷事故寸前に追い込まれ、避難計画も全く機能しないことが示されたと強調。「地震大国・日本に原発を建てる場所はどこにもない。これが能登半島地震の教訓だ」と強調し、政府に全原発廃炉の決断を求めました。

 ふくしま復興共同センターの野木茂雄代表委員は、汚染水(アルプス処理水)海洋放出の中止を要求。「岸田政権の原発推進政策への転換は絶対に許せない」と訴えました。

 日本共産党の笠井亮衆院議員は「原発をやめ再エネ・省エネに切り替えるため、世論と運動で自民党政治を終わらせ、希望の扉を一緒に開こう」と呼びかけました。

 福島県郡山市から参加した保育士(28)は、原発事故で高校の入学式ができず、3年間仮校舎の学生生活だったと述べ「人生にも大きな影響を与えた原発をなくしたい」と話しました。