サンジャポ出演弁護士「文春側がさらに強い証言を出す可能性」指摘 松本人志の酒席に「同席した第三の女性が出てきたら」

 
言いたくないけれども、松本人志が画面から消えてスッキリした、あのだらしない気色の悪い声と顔が間違ってチャンネルを変えても出てこない。個人的にとっても良い事だと思っている。全身汚物に塗れているような人だった。
 
「文春側がさらに強い証言を出す可能性」という河西剛弁護士の指摘は可能性としてありえる。だがこの同席女性が証言するかどうかはまだわからない。A子さんが事後にどういう行動を取ったか。これも重要。さらにB子さんが証言台に立つかどうか、これが決め手になるのでは。
 
 
 TBS「サンデー・ジャポン」では25日、ダウンタウン松本人志が週刊文春の発行元、文芸春秋社を名誉毀損で提訴した件について、扱った。

 3月28日に第1回口頭弁論が行われるが、番組出演した弁護士の河西剛氏は「文春側がさらなる強い証言を出す可能性」を指摘した。

 「具体的に言うと、今回の第一弾の記事というのは、A子さん、B子さん以外にもその場にいた女性側がそれぞれ一人ずつ証言しているんですね。この二人は、『その場にいた女性達』という意味で、非常に強い証言の力があって、この二人が仮に今回の訴訟に出てきて、『A子さんと松本さんがベッドルームに行くのを見た』とか、『その直後に性的関係があったという話を聞いた』となってくると、かなり強い証言になってくるだろうなと思う」と説明した。

 さらに河西氏は、「もしかしたら松本さん側が、A子さん、B子さんが誰なのか、具体的に把握できていない状態なのでは」と推測した。

 訴状が具体性に欠けるという指摘があるが、「いまはあえて、具体的な主張をしていないところが松本さん側の戦略ではないか。文春側の証拠を全部見たあとに、それを突くような形で、真実性を松本さん側が争っていくと考えることができる」と話した。
 
 

来月から松本人志と文春の裁判…週刊誌の興亡、この一戦にあり!(元木昌彦)

 
【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】

「週刊文春」は便所紙にはならない。

 橋下徹元大阪府知事は、文春(2月8日号)の「松本人志問題『私はこう考える』」で、文春に書かれた側は、社会的に抹殺され、最後は命を絶つ場合もあるのだから、書く側には覚悟と責任を意識してもらわないと困る、単なるのぞき見趣味では便所紙雑誌だと語った。
 
 昔、新聞紙は重宝したものだった。紙面をろくに読まなくても、弁当の包み紙や畳の下に敷いたり、小さく切って便所の落とし紙にも使えた。

 だが今は、トイレが水洗になったため、新聞や週刊誌は便所紙にもならない。

 したがって、クソの役にも立たない新聞が売れなくなるのは当然である。多くの週刊誌も同様だが、文春だけが時代の寵児足り得ているのはなぜか。それは、週刊誌の原点を守り続けているからだと、私は考える。

 1956年に週刊新潮が創刊し、新聞社系週刊誌をあっという間に駆逐したのは、新聞、テレビができない権力者の金と女問題を暴き、彼らの正体を満天下にさらしたからであった。

 権力者=政治家や財界人ではない。芸能界、スポーツ界、文壇の中にも“ドン”といわれる人間はいる。そいつらの仮面を剥ぎ取り生身の姿を伝える。それが週刊誌の使命だと、私は教えられ、後生大事に守ってきた。

 自分がジャーナリストだと思ったことも、メディアの役割など考えたことも一度もなかった。週刊誌は読み捨て、それで結構。

 だが、世は移り、週刊誌にも社会的責任とやらが求められるようになった。単なる面白ければいいでは世間が許さない。編集現場は大変だ。私ならとっくに放り出している。

 松本人志も権力である。お笑いの世界だけではなく、吉本興業という大芸能プロダクションを実質的に牛耳っているといわれる。その松本が、文春によると、後輩芸人たちに命じて女性たちを集めさせ、「性加害」をしていたというのである。間違いなく世に問う意義のある報道だと、私は思う。

 3月28日から審理が始まるという。松本人志にとってもだが、文春にとっても“週刊誌の興廃この一戦にあり”という歴史的な裁判になるはずである。

 ところで、週刊誌の歴史の中には、便所紙に堕す寸前までいった危うい記事もいくつかはあった。中でも週刊ポスト(1971年7月9日号)が報じた「芸能界相愛図」事件は、最悪だったと私は思っている。作詞家のなかにし礼がポストの記者に、芸能界の乱れた男女関係を話したという内容だったが、なかにしは、記者に脅されて事実無根の内容をしゃべらされたと刑事告訴し、記者が逮捕されるという異常事態になったのである。

 結局、発行元の小学館が謝罪し、なかにしと和解(記者は不起訴)したが、真相は闇に葬られた。

 後年、私は、当時のポストの担当者やなかにし礼にも話を聞いた。心証からいうと、全くの記者のでっちあげではないようだが、なかにしは「私生活を暴露すると脅されて架空の話をさせられた」と譲らなかった。記者は黙して語らなかった。

 このケースやフライデーの「たけし事件」、週刊新潮の「ニセ赤報隊実名手記」などは、週刊誌が便所紙になりかけたといってもいい「恥ずべき記事」であった。 (文中敬称略)

(「週刊現代」「フライデー」元編集長・元木昌彦)