最近の吉本興業絡みの松本人志性行為強要報道にも表れているように、多くのメディアは大手芸能事務所を擁護する。その宿痾の根源は、人気タレントに依存して成果を優先し、モラルなど顧みない企業風土だ。そこにジャニーズ事務所の成長と共に歩んだ日本の戦後が凝縮され、性加害事件によって、今、その解体的出直しが迫られているのだ。

 

 

 いまだ被害者への補償は道半ばのジャニーズ事務所の元代表・故ジャニー喜多川氏による性加害問題。しかし、その根源には、多数のスターを抱える巨大芸能事務所とそれにひれ伏したマスコミの“共犯関係”が存在した。

 

 このたび、過去の報道を徹底的に検証し、その罪深き構図を解き明かした著書「メディアはなぜ沈黙したのか 報道から読み解くジャニー喜多川事件」(イースト・プレス)を上梓したライターの藤木TDC氏が解説する。

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 昨年3月、イギリスの公共放送BBCが、ジャニーズ事務所の元代表・ジャニー喜多川(故人)による未成年タレントへの恒常的な同性セクハラを告発する番組を放送した。

 それ以降、日本のマスメディアは蜂の巣をつついたように同事務所の性加害問題をとりあげ騒いだ。結果、同事務所は社内体制ばかりか社名まで変えざるを得なくなった。

マスメディアは何十年も前からジャニー喜多川の性加害を報道

 

 

 当時の事務所代表・藤島ジュリー景子が出席した記者会見には多くのメディアが詰めかけ「あなたはジャニー喜多川の性加害を知っていたか?」と厳しく追及した。しかし会見の中継を見ながら「そんなことは昔から分かっていたじゃないか」という違和感を覚えた人も多かったのではないか。

 そのとおりだ。マスメディアは何十年も前からジャニー喜多川の性加害を報道し、我々はそれを目にしてきた。

「メディアはなぜ沈黙したのか 報道から読み解くジャニー喜多川事件」では、ジャニーズ事務所が設立された約60年前までさかのぼり、同事務所に関するスキャンダル記事を読み込んで、メディアと性加害問題の関連を明らかにした。スキャンダル記事の文脈にはメディアが事務所に懐柔され、その横暴に加担した過程がわずかずつ残っているからだ。

 たとえばジャニー喜多川は1962年に自身が結成した少年野球団の選手に歌や踊りのレッスンを始めた頃から性加害問題で裁判になっている。のちに俳優として人気になるあおい輝彦や飯野おさみが所属していた(初代)ジャニーズのメンバー他、レッスン生の数人が性的行為を強要されたと訴え、レッスン場を提供していた芸能学園の経営者が表沙汰にしたのだ。

 しかし直後、ジャニー喜多川と姉のメリーは当時、芸能界に独占的な力をもっていた大手事務所、渡辺プロダクションの傘下に入り、ジャニーズの4人とその親を懐柔、性被害を証言させなかった。また、裁判の取材に関して渡辺プロが厳しいメディア管制を敷いたため、ごく一部の週刊誌しか報じなかった。

 その後ジャニーズ事務所を大きく躍進させたのは、68年にレコードデビューしたフォーリーブスだ。彼らは少女マンガの少年キャラのような甘いルックスで人気になる。それがジャニー喜多川が求めた少年アイドルの理想像だった。しかしトップスターになっても事務所はフォーリーブスを薄給で酷使したため、70年代に何度も解散騒ぎが起きた。

 彼らの公演の日建てのギャラは200万円から250万円といわれたが、メンバーの月給は20万円程度で、レコードの印税も支払われなかった。解散騒動が報道されるたび、メンバーの誰かが悪者の口車に乗せられたというゴシップが報道された。

 それらの記事の論調から明白にわかるのは、フォーリーブスを少女雑誌の表紙やグラビアに使うと部数が大幅に伸びるため、出版社は彼らの写真を優先的に掲載できるよう、ジャニーズ事務所に忖度したゴシップ記事を載せたという事情だ。

 メンバーのひとり・北公次はのちに暴露本「光GENJIへ」(88年、データハウス)でジャニー喜多川の性加害を告発する。背景には事務所のタレント酷使やグループ解散後の冷淡な態度への復讐心があった。

 フォーリーブスとともに70年代初頭、ジャニーズ事務所を支えたアイドル・郷ひろみも月給の安さを何度も訴え、金にうるさいと週刊誌に叩かれた。すったもんだの果てに郷はジャニーズ事務所を退所し、75年にバーニングプロダクションに移籍する。その過程で出た記事には、母親が「ひろみが、もう死にたいとまでいったんです。その事情は彼が死んでからでないといえません」というものまであった。それは給料問題の背後にあったジャニー喜多川の性行為強要を暗示するように思える。

 80年代、「たのきんトリオ」と呼ばれた田原俊彦、野村義男、近藤真彦の3人が人気になると、ジャニーズ事務所の横暴はますます激しくなる。81年、ジャニー喜多川のホモセクハラの噂を記事にした「週刊現代」に対し、メリー喜多川は強硬に抗議する。当時、同誌の編集者だった元木昌彦(コラムニスト)は、メリーの抗議の直後、突然「週刊現代」から女性雑誌「婦人倶楽部」に異動させられたと証言している。「少女フレンド」をはじめ、少女雑誌を数多く発行していた講談社は、ジャニーズ事務所にけじめを示し、たのきんの写真の使用禁止をまぬかれた。

 

鼻薬を嗅がされたメディア

 その一方で系列会社が発行する「日刊ゲンダイ」には83年から「ドキュメント・ノベル」と称した豊田行二の「ガラスの野望」が連載された。この小説はフォーリーブスの北公次とジャニー喜多川の肉体関係を描いたモデル小説で、いわばジャニーズ事務所への報復だろう。同作は暴露本「光GENJIへ」に5年先んじている。当時は芸能事務所と出版社がまだ丁々発止の関係にあったのだ。

 しかし90年代、光GENJIやSMAPなどトップアイドルを次々と送り出したジャニーズ事務所は圧倒的な権力を手にして出版社やテレビ局を懐柔した。

 その背後にはメディア企業幹部のための接待同様の取材ツアーや、億単位の利益をもたらす利権事業がある。こうした策略も、週刊誌報道の中に、わずかに文章という形で残っているのだ。

 99年、「週刊文春」がジャニー喜多川の性加害を告発する報道キャンペーンを張り、やがてジャニーズ事務所に告訴された。だがその時代、記事を後追いしたり、裁判を詳報するメディアは少なかった。発表されたわずかな記事から裁判の様子をできる限り再現してみると、鼻薬を嗅がされたメディアがいかに及び腰だったかが分かる。

 最近の吉本興業絡みの松本人志性行為強要報道にも表れているように、多くのメディアは大手芸能事務所を擁護する。その宿痾の根源は、人気タレントに依存して成果を優先し、モラルなど顧みない企業風土だ。そこにジャニーズ事務所の成長と共に歩んだ日本の戦後が凝縮され、性加害事件によって、今、その解体的出直しが迫られているのだ。 =文中敬称略

(文=藤木TDC)