90年前の今日。1933年2月20日,プロレタリア作家の小林多喜二が,特高警察の拷問により築地警察署で死亡。以来,この日は「多喜二忌」と呼ばれている。

 

闇があるから光がある。
そして闇から出てきた人こそ、
本当に光のありがたさがわかるんだ。
世の中は、幸福ばかりで満ちているものではない。
不幸であるから幸福がある。そこを忘れないでくれ。
小林 多喜二 

 

 

きょうの潮流
 

 浅尾大輔著『立春大吉』(新日本出版社)は、小さな町の大きな闘いを描いた痛快小説です。本紙の連載がこのほど本になりました。「日本共産党の歴史の中で、現代の闘いを描くことに挑戦した」と作者はいいます

 

▼町立病院の入院・透析廃止を突如打ち出した町長に対して、6人の高齢女性が立ち上がります。いつも自民党に投票してきた彼女たちが、共産党の若い女性町議と力を合わせ、妨害に負けず、ついに有権者の半数近い町長リコール署名を集めます

 

▼浅尾さんの住む愛知県東栄町がモデルです。「地方でも国を揺るがすような運動を起こせる。とくに、いま時代を引っ張るのは女性たちという思いがあります」と

 

▼小林多喜二唯一の新聞連載小説も女性たちが主人公でした。「都(みやこ)新聞」に連載した「新女性気質(かたぎ)」(のちに「安子」と改題)。家族の生活を背負う内気な姉・お恵と、組合活動に飛び込んでいく妹・安子。対照的な2人の支え合いを描きました

 

▼浅尾さんは「政治的なテーマを書くと紋切り型になる危険があります。僕も毎日飽きずに読んでもらうために苦心した」と話します。「多喜二は失敗を恐れず、政治的なテーマで芸術性とエンタメ性の結合に挑みました。『蟹工船』はそれに成功した傑作です」

 

▼きょう20日は、小林多喜二が殺されて91年。今年も各地で記念のつどいが開かれます。3月17日、東京の杉並・中野・渋谷多喜二祭の記念講演は浅尾さんです。『蟹工船』のエンタメ性を深掘りしたいと意気込みます。

 

 

小樽の街、労働者を愛して止まなかった小林多喜二 旭展望台駐車場脇から木製階段を少し上がった小高い場所に小林多喜二の文学碑は建っている。

 

『碑文』
多喜二が獄中から友人の妻村山籌子に宛てた手紙の一部。昭和5年11月11日の日付。籌子の夫、村山知義は劇作家、演出家、小説家で、社会主義活動に関わった時期があり、籌子自身は童話・童謡作家でした。昭和5年といえば同じく童謡作家の「金子みすゞ」が死没した年でもあります。籌子は、夫だけでなく、小林多喜二や中野重治など獄中にあった作家を、心身ともに支え続けたようです。

冬が近くなるとぼくはそのなつかしい国のことを考えて
深い感動に捉えられている
そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある
そこでは人は重っ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている
ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知っている
赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街を
ぼくはどんなに愛しているか分からない

 

 

『小林多喜二文学碑』
標高190mの旭展望台駐車場の奥の小さい丘に堂々と鎮座する、作家・小林多喜二(1903年~1933年)の文学碑です。
昭和40年10月9日、弟の三吾、小樽高等商業学校の後輩伊藤整や碑の製作者本郷新らを迎えて除幕式が行われました。

多喜二は秋田県の釈迦内村(現大館市)の貧しい農家に住まれ、小樽で伯父が営んでいたパン屋を頼って明治40年、4歳の時に一家で移住。
苦学して小樽高等商業学校卒業後に銀行員(拓銀)になります。
一家の大黒柱として安定した生活が始まりました。
しばらくは平和な暮らしを送っていましたが、同時に日本が軍国主義を強めていた時代で、彼の周辺でも軍国主義を反する人物たちが次々と特高警察に連行され拷問を受けていました。保釈された知人等の証言を聞き彼はペンの力で戦おうと決意。拷問の残虐さを克明に描いた『一九二八年三月十五日』という作品を書き上げました。この本は、その過激さ・批判性から当時発禁処分となり弾圧、彼自身も逮捕されるほどでした。
このことを作品として発表したことで特高から恨みをかうことになります。この後1929年・26歳の時に書いた『蟹工船』『不在地主』は発禁処分に。これらを書いたことで拓銀はクビになり、1930(昭和5)年に東京へ。どちらも軍隊や警察・財閥の実態を告発するような内容だった為、特高警察に常にマークされて何度も逮捕される事態になりました。そして、発売から約4年後の1933年にスパイに密告されて逮捕され、3時間の激しい拷問で亡くなりました。享年29歳という若さでした。

 

 

世の中は、幸福ばかりで満ちているものではない。不幸であるから幸福がある。そこを忘れないでくれ。

 

困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。

 

ささやかな普通の生活こそが「光」

 

資本家は――金利貸し、銀行、華族、大金持ちは、嘘のような金を貸しておけば、荒地は肥えた黒猫のような豊穣な土地になって、間違いなく、自分のものになってきた。

 

「人間の命をなんだって思ってやがるんだ!」 「人間の命?」 「そうよ。」 「ところが、浅川はお前たちをどだい人間だなんて思っていないよ。」

 

困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。

 

宮本徹さん 私も多喜二を思いだしていました。

ナワリヌイ氏が亡くなったという報道を聞いたとき、すぐ頭に浮かんだのは、小林多喜二ら、戦争反対と民主主義を掲げ、権力に虐殺された日本共産党の先輩たちのこと。あきらめない!