氷山の一角…。憲法で謳われている権利が侵食され、人権が侵されている。許されない!
 
<砂上の安全網 ①>

 「お父さんが大変なことになっているので、すぐ見に行ってください」

 2015年7月、群馬県桐生市に住む黒田正美さん=仮名=の携帯電話が鳴った。声の主は同市福祉課の職員だった。

◆木くずで起こした火で煮炊きしていた父
 当時、黒田さんは30代後半。父の杉本賢三さん=仮名、当時(61)=と市営住宅で同居していたが、結婚で独立し、杉本さんは単身生活を送っていた。駆け付けると、ライフラインは全て止められ、石油ストーブの燃焼筒に外で拾い集めた木くずを入れてマッチで着火し、わずかに残ったコメを煮炊きしていた。窮状を見かけた近所の住民が市へ通報したのだという。

 杉本さんは料理人として働いていたが、心臓疾患などによる体調悪化で就労困難な状態が続いていた。黒田さんは市福祉課に相談したが、「家族で支え合って」「実家に戻りなさい」と相手にしてもらえなかった。同年8月、杉本さんはやむを得ず市内の実家で暮らす妹、黒田さんにとっては叔母の家に身を寄せる。
 
しかし、以前から折り合いが悪かったため、杉本さんは母屋に入れず、隣接する廃工場に身を置いた。猛暑で知られる桐生市でエアコンも風呂もない住環境は、ただでさえ万全ではない体力を奪った。

◆「家計簿をつけて」「1日800円で生活」
 叔母は無職、黒田さんは当時子育て中で働いておらず、夫の収入も父親を養うだけの余裕はなかった。窮状から脱するには生活保護以外に道はなく、黒田さんは父と叔母の生活保護を申請するため、市福祉課を訪れた。しかし、担当職員は「1カ月、家計簿をつけてください」と告げる。「生活保護を受けている人で1日800円で生活している人もいる。見習うように」と申請させなかった。いわゆる「水際作戦」だ。
 さらに、同課職員が自宅に来て夫の通帳を見て収入を確認し、家賃や車のローン残額などを聞き出した。「なぜそんなことまでされないといけないのか」と憤ったが、ここで職員の機嫌を損ねたら、さらに不利な扱いを受けるかもしれない、という懸念から何も言えなかった。

 見かねた友人から、黒田さんは困窮者支援に取り組む仲道宗弘司法書士(群馬県伊勢崎市)を紹介され、窓口に同行してもらったことで、同年9月にようやく保護が決まった。

◆暴言「社会性のなさから生活保護になった」
 その際、担当職員は窓口で黒田さんに「お父さんの社会性のなさから生活保護になった」と、大声で暴言を吐いたという。窓口は個室ではなく、執務フロアで周囲に大勢の職員や他の来訪者もいた。黒田さんは「悔しくてたまらなかった」と振り返る。

 黒田さんは仲道司法書士の助言で、一連の経過をメモで記録していた。

 「町でぐうぜん父の姿を見かけ、びっくりする。ホームレス状態」「市へ電話をすると、『家族で支え合って』『実家にもどれ』の一点ばり」

 生活保護が決まってからも、杉本さん、黒田さん父娘にはさらなる試練が降りかかった。

  ◇

<連載・砂上の安全網>

 生活保護は「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる。国民の生存権を保障した憲法25条を根拠とする制度だからだ。しかし、桐生市では保護費を1日1000円に分割した上に満額支給しなかったり、受給者から預かった印鑑を無断押印したりするなど、違法性を強く疑われる運用が表面化した。黒田さんの体験から問題点を洗い出す。(この連載は、小松田健一と福岡範行が担当します)
 
 

「市を訴えるってこと?」・・・福祉課職員に怒鳴られた娘、尊厳否定され死んだ父 生活保護めぐり心に傷

 
<砂上の安全網 ②>
 2015年9月、桐生市からの生活保護受給が決まった黒田正美さん=仮名=の父、杉本賢三さん=同、当時(61)=は、直後に心臓疾患の治療のため市内の病院で手術を受けた。
 
 退院後に実家の廃工場に戻れば、再び体調を崩しかねない。主治医は施設入所を勧めた。ただ、桐生市が提示したのは前橋市北部の介護施設だった。桐生市内から車で1時間以上かかるため、子育てに追われる黒田さんは難色を示して近隣施設の紹介を求めたが、担当者に「桐生市内はどこもいっぱい」と断られた。
 
◆保護辞退届書かされ、居場所と収入失いそうに…
 担当者はさらに、杉本さんの生活保護を廃止し、前橋市で改めて申請するよう求め、黒田さんに保護の辞退届を代筆させた。受給者が転居する場合は「移管」手続きで、保護が途切れないようにするのが通例だ。黒田さんは釈然としなかったが、制度に関する知識が乏しかったこともあって、父を施設へ入れることを優先し受け入れた。
 
 ここで問題が生じた。入所に必要な桐生市の介護認定手続きが未了だったため、施設に入所を断られる。居場所を失うばかりか、前橋市から生活保護を受けるまで一時的に完全な無収入になってしまう。
 
 辞退届は入所と引き換えだったため、黒田さんは電話で桐生市の担当者に辞退の撤回を懇請する。しかし、担当者は「施設のご案内をしただけで入れとは言ってない」などと話し、らちがあかなかった。
 
◆担当者との間に存在する上下関係
 黒田さんが書き残したメモにはこうある。
 「○○(担当者氏名、メモでは実名)黒田さんは何をしたいの? 桐生市をうったえるって事?」
 「そうやって○○さんとかにせめられてつらくって市に行く事やtelがくると調子が悪くなっちゃうんですよ」
 黒田さんは市福祉課の窓口でも、他の来訪者や職員に聞こえるような大声で怒鳴られたことが複数回あったという。「(担当者と自分に)上下関係が成立していて、逆らえなかった」
 
◆「まだそんなことをやっていたのか」
 杉本さんは施設入所後に若年性認知症を発症し、17年5月、63歳で亡くなった。黒田さんは一時、市の担当者から電話がかかると体が震えるほど強い精神的ダメージを受け、これまで父のことでは家族にも口を開くことがなかった。
 
 しかし、昨年11月、生活保護費を1日1000円しか渡さなかった事例が報じられると「まだそんなことをやっていたのか」と驚き、尊厳を否定された父の無念を晴らしたいと取材に応じた。
 
 桐生市は昨年12月、制度運用に問題があったと認めて荒木恵司市長が謝罪し、内部調査チームと第三者委員会の立ち上げを表明した。黒田さんの事例について小山貴之福祉課長は「記録が廃棄されており、詳細な把握が困難な状況。引き続き調査し、第三者委員会や内部調査チームに報告したい」とコメントした。
 
 黒田さんは「今ならば、あのころの自分に『もっと周りを頼りなよ』と言う。表面化した問題は氷山の一角と思うので、第三者委員会で徹底的に調べてほしい」。
 
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<連載・砂上の安全網>
 生活保護は「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる。国民の生存権を保障した憲法25条を根拠とする制度だからだ。しかし、桐生市では保護費を1日1000円に分割した上に満額支給しなかったり、受給者から預かった印鑑を無断押印したりするなど、違法性を強く疑われる運用が表面化した。黒田さんの体験から問題点を洗い出す。(この連載は、小松田健一と福岡範行が担当します)