「揺れを共有していない知事」と馳浩を痛烈批判したが…忖度し続けてきた地元紙・北國新聞の“責任”《能登半島地震》

 
ひと言で言えば「知事になってはいけない人が知事になってしもうた」だ。維新と手を結んだり、五輪発言調子に乗って暴露したが、こってり怖い人からお叱りを受け虚言だったとか子供の言い訳のような姿勢に徹する。頭まで筋肉マン、年末年始はゆっくり自宅(東京)で過ごすつもりだったのであろう。これだって石川県県民は抗議すべき。県の代表の自宅が石川県でないこと。少なくとも年末年始は石川県民と共に過ごすのが常識だ。知事の仕事をなんと思っているのであろうか??
 
マスメディアも厳しく問わなければいけない。北國新聞があのボンクラの森の爺さんと近しくしていた…。なんじゃいと思ってしまう。北國新聞は今が正念場。地域に寄り添った新聞であればぬるま湯につかっている暇はない。
 
 
 能登半島地震から1か月以上経ち、新聞各紙には検証記事も載り始めた。今回紹介したいのは石川県の地元紙・北國新聞である。
 
 まず北國新聞には「平時」から注目していた。新聞好きな私はかなり前から「北國新聞に注目してごらん」といろんな方に教えてもらっていたからだ。森喜朗(石川県出身)と近く、権力者との一体感があるからだという。森喜朗のバックアップを受けた馳浩知事にも就任以降やさしかった。

 しかし、そんな北國新聞に今「異変」が起きている。能登半島地震をめぐっての検証記事で馳浩知事に対して厳しいことを書き始めているのだ。

 まず1月22日の『初動を検証する』(「1・1大震災 日本海側からのSOS」第2章(13))。

 見出しで『揺れを共有していない知事』『怖さ語れぬ県民の代表』と書いてきた。

《元日の午後4時10分、「あの揺れ」を馳浩知事は少しも体験していない。休暇で東京の自宅にいたからだ。》(北國新聞)

 
専門家が問題視したこと
 このあと、震災の揺れを被災者と「共有」していない馳知事はどう被災地に寄り添い、震災対応の指揮を執ってきたのかと続く。翌日の記事では阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」のセンター長を務める河田惠昭氏に話を聞いている。河田氏は馳知事が元日の発災時に都内の自宅にいたことについて「今回は仕方なかった」と一定の理解を示したあと、むしろ別のことを問題視した。

 それは石川県の「丸投げ」感だ(1月24日)。石川県が国に提出した能登半島地震の被災地支援に関する要望書を見ると、熊本地震の際に熊本県が提出した要望書に比べ、石川県には能動的な姿勢が見えないという。流れに任せたままで、県民(被災者)にビジョンを示すべきだと河田氏は語る。

 1月25日の北國新聞は、震災対応の初動にあたり馳浩知事はなぜ得意の「肌感覚」を発揮しなかったのかと問う。というのも馳知事は震災前から「肌感覚」という言葉を大事にし、最前線の情報を肌感覚でつかむためには週1回くらい上京したほうがいいと北國新聞に語っていたからだ。それならなぜ「災害に直面しながら2週間、県庁にこもっていたのか」と書く。

 さらに翌日(1月26日)には『国難で問われる知事の重さ』『ビジョン示し被災者に希望を』とあらためて。これらを読むと馳浩知事の言動について北國新聞はかなり不満を持っていることが行間から伝わってくる。
 
 
週刊誌も「異変」を察知
 北國新聞の「異変」はもちろん私だけが気づいたわけではない。「週刊新潮」(2月8日号)は『震災対応で「馳浩」石川県知事が“蜜月”「北國新聞」とバトルの理由』と報じた。

 まず、

「保守的な論調の北國新聞は森元総理と近しく、事あるごとにご意見番として紙面に登場してもらっています。その延長上で森元総理の舎弟分である馳さんに対しても、これまで極めて好意的に報じてきました」(石川県政関係者)

 との解説を載せ、「なぜ北國新聞は手のひらを返したのか」と書いている。

 理由として、

・馳知事は昨年の元日も東京でプロレスの試合に出場して批判された“前科”があった。普段から石川県を外すことが多く、県民の不信感が募っていた。
 

・その上で現在、情報発信が上手くいっていない。記者会見もお仕着せの内容が続き、さすがの北國新聞もしびれを切らしたのでしょう。

 という地元メディア関係者の言葉を載せていた。

 
“やりたい放題”だった馳知事
 ここで私が注目したのは「情報発信が上手くいっていない」「記者会見もお仕着せの内容が続き」という部分だ。これは実は昨年来、当コラムでは何度も何度も書いてきたポイントだ。おさらいしよう。

 馳浩知事は地元石川でマスコミに対してやりたい放題だった。昨年1月の定例会見で、自身が元日に出場したプロレスの興行をめぐり、馳氏の意向で石川テレビに試合映像を提供しなかったことを明らかにした。

 理由は、石川テレビ制作のドキュメンタリー映画『裸のムラ』(五百旗頭幸男監督)について、自身や県職員の映像が無断で使用されていたとして、「肖像権の取り扱いについて、倫理的に納得できていない」というものだった。そのうえで石川テレビの社長と議論の場を持ちたいとし、定例会見を拒否した。

 つまり馳知事は『裸のムラ』が気に入らないから意趣返しとして自分のプロレスの映像は貸さない、定例会見もやらないと言っているに等しかった。滑稽だがこうした態度は地元では効果があるのだろう。

 馳浩はなぜそんな強引な態度ができるのか?

 実は、定例会見拒否では「地元メディアの報道姿勢」も問われていた。北國新聞はこの問題ではおとなしかったのだ。北國新聞は馳浩の“後見人”である森喜朗と近いとされるので馳はそんな安心感もあって言うことを聞かないメディアを名指ししているように見えた。まさに「虎の威を借る狐」である。
 
 
北國新聞の独特すぎる「𠮟り方」
 そして記憶に新しい、昨年11月のこれ。

『馳浩知事、東京五輪招致で「機密費でIOC委員に贈答品」 後に撤回』(毎日新聞11月17日)

 この問題が起きたとき、北國新聞は一面コラム「時鍾」でこう書いた。

《「機密」を口にしたら身も蓋もない。触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。》(11月22日)

 馳知事への「叱り方」の角度が明らかにおかしかった。これが新聞、言論機関だというから笑ってしまった。

 
地元紙の責任は…?
 そんな北國新聞は今回の地震の検証記事で馳浩知事の言動や発信に対してイライラしていたようだが、それもこれも平時に馳浩知事の情報コントロールなど傲慢な振る舞いに「加担」していた地元紙の責任はないのだろうか?

 さらに言えばこのタイミングで北國新聞が馳浩に苦言を言いだしたのは「森喜朗がおとなしくなった」ことにも起因していないだろうか。これまで「総理が語る」という企画でさんざん政局を仕掛けていた森喜朗と北國新聞だが、なぜか安倍派のパーティー券裏金問題が報じられ始めた昨年11月末に連載は突如終了してしまった。「森喜朗に聞く」なら今しかないだろうに。森喜朗がおとなしくなった状況で北國新聞は馳浩にようやく小言を言い始めたとも見えてしまうのだ。

 地元紙はどこを向き、誰に寄り添うのか。権力者なのか県民なのか。当たり前のことを考えさせられる。

 最後に、映画『裸のムラ』の監督である五百旗頭幸男氏のツイート(ポスト)を紹介して終わろう。

《「あの北國新聞が現職知事を批判するのか」という驚きや波紋が広がっていると報じられることが、石川県のメディア状況の異常さを証明している》(2024年2月5日)

プチ鹿島