米山隆一氏、三浦瑠麗氏の投稿に異論「コメンテーターは政治家じゃないんだから…」

 
『かえってイデオロギーが先鋭化してしまう…「自民党の派閥はあった方がよい理由」』三浦瑠璃が語っている。「イデオロギーが先鋭化してしまう」何をいわんやである。こうして延々と言葉遊びを重ねて、最後は「派閥は必要」「自民党政治が真っ当」と言ってのける卑しい人間。国際政治学者ねえ~???米山隆一さん三浦如きのインチキオバちゃまを相手にするこことはない。政権や自民党・維新に媚びを売って「お金頂戴」の人間ですから。
 
 
 立憲民主党の米山隆一衆院議員(56)が9日、X(旧ツイッター)を更新。SNSでの発信に関する国際政治学者の三浦瑠麗氏(43)の投稿についてコメントした。

 三浦氏は8日、自身のXで「政治家はコメンテーターじゃないんだからSNSじゃなくてリアルで仕事をした方がいいと思う。もともと作家さんなら別だけど。SNSは承認欲求のお手軽な道具。呟いたら仕事した気になる。そのうえ支持層を見誤る原因にもなる。有権者はもっと生身での接触を求めていると思う。雑感です」と投稿した。

 この投稿に、“論破王”の異名をとる「2ちゃんねる」開設者のひろゆき氏や、大阪府知事や大阪市長を歴任した弁護士の橋下徹氏らとX上で舌戦を繰り広げたことでも話題となった米山氏は「自意識過剰的に仮想対象の一人かな」と反応し、「それはSNSの影響を見誤っていると思います」と異論。「トランプ氏の力の源泉の一つがSNSである事が典型ですが、今は可成り地方の戸別訪問をしても『ツイッター見たよ!』と言われ、SNSでの影響力は政治家の力の一要素です」と理由を説明し、「コメンテーターは政治家じゃないんだから、自分の好き嫌いに基づいた主張ではなく、事実に即したコメントをすべきだろうにと思います。雑感です」と皮肉を込めた。
 
 

橋下徹「週刊文春は便所紙になるのか」|松本問題「私はこう考える」

 元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏(54)は、松本人志報道について「意義がある」と評する一方で、小誌には役割を問いかける。

「スキャンダルが面白い、それだけでいいのか?」

 

「便所紙になるのか」いかにも橋下らしい下品・下劣名言葉。文春のこの問題に対する報道姿勢には異論がある事はわかる。しかし本質は「スキャンダル」ではない。松本人志というイカレタ自惚れおっさんが「セクハラ」「男尊女卑変異質者」人間として「許されるか否か」、そしてそれに対する吉本興業の姿勢はどうなのか。吉本興業はは中止すべき「万博」=維新との繋がり、松本人志を前面に押し出してのアピール等々「スキャンダル」の一言ではかたづける事のできない犯罪が埋もれているのだ。橋下は松本とは昵懇の中。松本人志のお仲間の三浦瑠璃早々に橋下に媚び発言をする。卑しい人間がこぞって目線を変えようと必死だ。
 

三浦瑠璃
今文春の取材を受けてくれる週刊誌報道批判者の声を載せることは、週刊だけでなく週刊誌を抱える出版業界にプラスだと思います。8人、いい人選。週刊誌が売れなくなってきてからの不倫報道ブームが行き着いた焼け跡を見つめ直し、新たな面白さを追求して欲しいと思います。

 
 
 
どんだけ三浦瑠璃の視点が狂っているか、そして文章の滅茶苦茶な事はダントツ。これで『国際政治学者』で言ってしまう三浦瑠璃の正体がとんでもなく怪しいって事が分かる。橋下徹の発言には早速媚びを売るところなど「詐欺手法」を知り尽くしていると言っていいのではないか。
 
三浦瑠璃
政治家はコメンテーターじゃないんだからSNSじゃなくてリアルで仕事をした方がいいと思う。もともと作家さんなら別だけど。SNSは承認欲求のお手軽な道具。呟いたら仕事した気になる。そのうえ支持層を見誤る原因にもなる。有権者はもっと生身での接触を求めていると思う。雑感です。
 
「身持ちの固さは大和なでしこの美質」って誰が書いたの?編集会議に女子がいて、誰も何も言わなかったんだ。へえ、「日本の女」は身持ちが良いのが美質、あ、そう。
不倫してまっせ、で止めときゃよかったのに。性差別的な記述に謝罪するなら早めにした方がよいんじゃないかな。だって週刊文春は「身持ちの良い」人々が書いてる「権威ある雑誌」になっちゃったんだから。
皆さん、ひとまずカロリーナさんと付き合えて羨ましいとか、こんな綺麗なスタイル許せないとか、ミスコンに出るなんて外見差別の助長だとか、そういうことは脇に置いて、週刊文春編集部の性差別的態度に反対しましょう。
 
 

「派閥解消」は権力闘争…人々が正しさではなく欲望で動いているからであり、政治がそのような人間で出来ている(三浦瑠麗)

 
よくまあ~~愕然とする雑文だ!
 
 
 国際政治学者三浦瑠麗氏の全3回短期集中連載「政界再編」。第1回のテーマは自民党。派閥解消が相次いでいるが、一体それは何を生み出すのか。「権力闘争と大義は一体だからだ。権力闘争なき大義には力がなく、大義なき権力闘争には意味がない」。三浦瑠麗氏が派閥の本質を語るーー。

「派閥解消」は権力闘争
 岸田文雄首相の「宏池会解散」宣言を皮切りに、自民党の派閥解消が相次いでいる。宏池会以外に会計責任者が起訴された清和政策研究会、二階派に限らず、森山派や谷垣グループも解散。自民党の「政治刷新本部」の中間とりまとめを受け、派閥解消に反対していた茂木敏充氏率いる茂木派も政策集団への移行を表明した。今回のスキャンダルは派閥の資金集めと議員個人への還流金のあり方、不記載、使途などが問題となっているが、派閥を解消することと政治資金改革はイコールではないはずだ。なぜ自民党は派閥解消に雪崩を打ったのだろうか。

 それを理解するためには、東京地検特捜部が捜査に入って話題となった一連の「パーティー券売上還流金不記載」問題の構造を政治のリアリズムの観点から読み解く必要がある。特捜は独立した行政機関であり、いざ起訴されるとなれば事は司法の場に進み、双方にもし争いがあればそこで決着がつくことになる。社会的注目が大きい事件ゆえに裁判で負ければ責任問題となるため、起訴判断と捜査の権能を併せ持つからといって全くのフリーハンドとはいえないだろう。

 ただ、こうした政治案件を扱う特捜部というものの性質上、その活動自体、社会的注目を惹きつけることを志向しがちだ。特段捜査に役立たないはずの「リーク」が行われることがあるのはそのためと推察できる。今回、清和研のいわゆる五人衆が聴取を受けた事実がメディアに流れたのも、起訴できないまでもその政治的影響が甚大であることを分かったうえでのことだろう。

 そうすると、当然世間は騒ぎだす。とりわけ五人衆や清和研、はてまた自民党を快く思わない人々から、「なぜ起訴を見送ったのか!」という非難の声が沸き起こる。興味深いのは、こうした高位の政治家に関しては政治的思惑で起訴したと思われないよう、先例に照らして保守的な一線を引く一方で、情報の出し方については一定の政治的効果があることを分かってやっているように見える点だ。

 「リーク」のインパクトが大きければ大きいほど、特捜部に張り付いている記者らは「少なくとも○○までは行くのではないか」と事件の大規模化を期待する。その情報が政界記者と繋がってさらに噂話として膨らみ、人びとがソワソワしはじめ、何かを発言したりあっちへこっちへついたり離れたりと権力闘争を呼び起こす。民衆不在といえば不在、世論の圧力を利用していると言えばそうとも言える権力闘争だ。その表れが「派閥解消」の錦の御旗に帰着した。派閥は人のかたまり。誰が求心力を維持するか、誰が民意をつかまえるかという闘争が繰り広げられ、系が安定するまで運動エネルギーが費やされる。
 
大義と権力闘争との関係
 権力闘争よりもまず政治資金改革を実行してほしい、「裏金」を一体何に使ったのか明らかにしてほしいという人も多いだろう。もっともな意見ではあるが、現象面として見れば先に政治闘争が巻き起こることは不思議でも何でもない。また、単に論点ずらしのために派閥解消をやっているというのも少しく一面的な見方であるように思う。

 というのも、権力闘争と大義は一体だからだ。権力闘争なき大義には力がなく、大義なき権力闘争には意味がない。人類の歴史を見ても、人心が揺れ動く動乱の中で、いつどこで誰が「旗」を立てるのかというタイミングと決断が雌雄を決してきた事例は多い。人々が結集するか、そうでないか。残酷なほどそれが露わになったのが今回のスキャンダルの収穫だろう。ひとり正しいことを言えば改革できるわけではなく、適切なタイミングで適切な表現でもって人々を参集させることが大義の実現には必要だ。それは人々が正しさではなく欲望で動いているからであり、政治がそのような人間で出来ているからである。

三浦瑠麗