今日の東京新聞です。

 

 

 令和の天皇代替わりに伴い、大嘗祭(だいじょうさい)などに公費を支出したのは政教分離を定めた憲法に反すると市民らが起こした訴訟で、東京地裁は「特定の宗教活動を強制したものではない」と述べ、原告の訴えを退けた。だが、宗教色が濃い皇室行事であり、巨額の公費支出には慎重な配慮が必要だ。憲法との調和が何より求められる。
 

 民俗学者の柳田国男に大嘗祭を批判した一文がある。貴族院書記官長として、大正天皇の代に京都で行われた大嘗祭を見聞した。
 

 「今回ノ大嘗祭ノ如(ごと)ク莫大(ばくだい)ノ経費ト労力ヲ給与セラレシコトハ全ク前代未聞」とし、心ある者は眉をひそめたとも記した。
莫大な経費だけでなく、徹底的に古式を保存し、一切の装飾を除去すべきだとも苦言を呈した。
 

 確かに17世紀の「鈴鹿家文書」の大嘗祭図は高床式の素朴な形式で、奈良・平安時代は床さえなかったという。室町時代から約220年間は中断していた歴史もある。天皇即位では「即位灌頂(かんじょう)」という仏教色の儀式もあったが、これは明治になって廃された。
 

 つまり大嘗祭は伝統儀式ではあるが、神道式祭祀(さいし)の大規模化は明治以降で、天皇神格化にも深くかかわった。原告が「明治憲法下で国家と神道が結び付き、信教の自由や思想・良心の自由が侵害される深刻な弊害を生じた」と主張したのも理由がある。
 

 新憲法の政教分離規定はこの反省から国家と宗教の厳格な分離を図った。過去の大嘗祭を巡る裁判では最高裁は「合憲」だが、1995年の大阪高裁では原告敗訴ながらも、「国家神道に対する助長になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない」と指摘しているほどだ。
 

 2019年の大嘗祭での公費支出は総額約24億円にも上った。大小30もの建造物群が並び、壮大な国家的行事の様相を示した。
 

 柳田国男に限らず、秋篠宮さまも18年に「大嘗祭は身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」と述べられたことがある。天皇家の私的費用である「内廷費」で対応してはとの提案もあった。
 

 皇位継承に伴う行事の重さは十分に理解するが、戦前の宗教的な権威や神聖性を帯びた存在への回帰であってはならない。憲法の象徴天皇制にふさわしい形を慎重に模索してほしい。

 

 

<社説>国の生活再建策 前例とらわれぬ支援を

 


 

 能登半島地震を受け、国は発災1カ月を待たずに生活再建支援パッケージを用意した。その後、支援金増額、支給範囲拡大など修正が相次ぐが、素早い対応、柔軟に見直す姿勢自体は評価できよう。今後も、前例に固執するなど硬直的にならず、高齢・過疎の被災地にとって本当に必要な支援は何かを見極めていってほしい。
 

 支援パッケージには、全壊住宅の再建支援、中小企業の工場・機械などの復旧費補助、伝統産業再生への原材料確保、北陸への旅行費補助、雇用調整助成金の支給要件緩和、心のケアセンター設置など、主に過去の災害支援に盛り込んだメニューが並んだ。各省庁が過去事例との公平性を優先した結果だが、高齢化が進む過疎地という今回の被災地の事情が加味されているとは言い難い。
 

 全壊した住宅の世帯への再建支援も、当初は2004年当時と同額の300万円。しかし「物価高も踏まえ600万円への増額を」とする野党側の提案を、岸田文雄首相が「高齢世帯を対象」との条件付きで受け入れ、石川県を事業主体に地方交付税措置することで落ち着いた。ほかにも、対象外だった半壊住宅や車購入の世帯に対する支援も追加した。
 

 ただ、後継ぎのいない高齢者の多くは、600万円の再建支援金を得たとしても、住宅新築には二の足を踏むのではないか。持ち家にこだわらず、災害公営住宅への移転など、より現実的な対応を支援する多様な選択肢を示すべきだろう。逆に、増額の対象から漏れた若い世代、子育て世帯が住宅再建をあきらめて、地元を離れてしまうことにならないか心配だ。ふるさとの復興を担うのは若年層である。より有効な支援策を考える必要があろう。
 

 岸田首相は発災2週間後に被災地入りし、避難所に身を寄せる高齢者と言葉を交わした=写真。関係閣僚らも続々と被災地入りしているが、被災地でしか分からないニーズはまだまだ多い。例えば、より機動的、弾力的に対応するため、国の復旧・復興支援本部スタッフらを現地に常駐させるのも一つの方法だろう。