伊藤詩織さんの功績は大きい。彼女は凜として戦い続けた姿勢は日本に大きな変化をもたらし、元陸上自衛官の五ノ井里奈さんのセクハラ裁判、そしてジャニーズ問題等々へとつながっていった。大きな岩に一滴の水を打ち続けてきた彼女の強靱な姿勢に拍手、そして感動に震える。
性被害者として勇気を持って声を上げ、「TIME」誌から「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれた伊藤詩織が、映画監督デビューを果たした。
タイトルは『Black Box Diaries』。当時TBSの政治部記者でワシントン支局長だった山口敬之から性暴力を受け、誹謗中傷にさらされても負けずに真実を訴え続けた過程を自ら振り返る、パワフルなドキュメンタリー映画だ。
映画は、「性被害を受けた人はたくさんいます。必要だったら、目を閉じて、深呼吸をしてください。私はそれに助けられました」と、観客の中にもおそらくいるであろう、同じ経験をした人たちに配慮するメッセージで始まる。次に出てくるのは、事件の日、ふたりが乗ったタクシーを運転していた男性の証言。続いて、シェラトン京都ホテルで止まったタクシーから、男性がさっさと降り、まだ中にいる女性を無理やり引きずり出す防犯カメラの映像も見せられる。
加害者が強烈なコネクションを持っているせいで、警察に話しても、真剣に対応してもらえなかった。逮捕状が出て、警察が成田空港で山口を待ち伏せした時も、上からのひとことで急遽逮捕は中止に。無念さを乗り越えて、伊藤は民事で戦うと決意。さらに、著書「Black Box」も出版した。そんな彼女にインスピレーションを受け、支援しようとする人たちが大勢いた一方、同じ女性の中にも批判をしてくる人は相変わらず絶えなかった。
だが、強く、勇気のある彼女も、繊細な心を持つひとりの人間だ。映画のはじめのほうには、自殺は絶対にしない、もし自分が死ぬようなことがあっても自殺ではないと親しい人に明るく言うシーンがあるが、後半には、両親に向けて、涙ながらに最後のメッセージを録画する状況も出てくる。「第3者としてこの件を見ようとしてきたけれども、もう耐えられなくなった」と、彼女は告白。それは、最も胸が苦しくなるシーンのひとつだ。
一方で、多くの女性たちから支えられた彼女が、「これまでは裸で前に出ているような気持ちだった。今日は、みんなから一枚ずつ毛布をかけてもらった気分」というシーンには希望を感じ、スクリーンの彼女と一緒になって感動の涙を流してしまう。
性加害、それに対する司法、社会のあり方について、多くを問いかけてくる重要な映画だ。
文=猿渡由紀
性被害告発の伊藤詩織さん、サンダンス映画祭に初監督作品を出品
作品は、2015年に元TBS記者に性的被害を受けた後、伊藤さんが自撮りのiPhone(アイフォーン)に英語で語りかける場面から始まる。
警察の捜査に不信感を抱いた伊藤さんは、録音などの記録を残し始めた。元記者を準強姦(ごうかん)容疑で告訴したものの、検察は不起訴処分に。17年5月に顔出しで記者会見した後に受けたバッシング、民事訴訟で勝訴するまで。スマホなどで撮影した約400時間の映像をもとに、7年越しで仕上げた。
制作のきっかけは17年、スウェーデン人のジャーナリスト、ハナ・アクビリンさんからの連絡だった。ロンドンを拠点にドキュメンタリーを作っていたアクビリンさんは、知人の日本人女性から伊藤さんの話を聞いた。誹謗(ひぼう)中傷を受けていた伊藤さんに、「私たちの家に来たらいい」と弁護士を通じて連絡した。
■上映会、会場から笑いも
17年7月、ロンドンに旅立った伊藤さんは、アクビリンさんの家に住み込み始める。映画を作った経験がない2人だったが、アクビリンさんがプロデューサーとしてかかわり、作品づくりを本格化させた。
監督として伊藤さんがこだわったのは、当事者の目線だ。
性暴力の被害者の話は報道などを通じて第三者から語られることが多い。自分が公の場に出た後は、記者会見の服装などでもバッシングを受けた。「被害者はこうあるべきだ」という固定観念に打ちのめされたという。
作品の中では、悲しみにうちひしがれる場面とともに、友人と一緒におどけたり、大声で歌を歌ったりする等身大の伊藤さんの姿も描かれている。深刻なテーマにもかかわらず、上映中に何度も会場から笑いが上がった。
「サバイバーだから常に泣いているわけでもない。ひとりの人間として、(性暴力が被害者に)どのぐらいの影響があるのか、またはないのかも含め、ドキュメンタリーの中で見せたかった」と伊藤さんは話す。
「当事者として何が伝えられるか考えた」 伊藤詩織さん、初監督映画
「性被害の問題、日本固有じゃない」 伊藤詩織さん、米映画祭に出品
「事件直後の2015年、捜査が信用できないという理由から録音を始めました。(性被害について)公にしたのが17年でしたが、そのときに反発や脅迫が続いた。もともと法律が変わらないといけないと思っていましたが、こんなに被害に対する見方が温かくないものなんだと体感しました。一当事者として何が伝えられるかを考えたときに、ドキュメンタリーという形で伝えられないかと思ったのがきっかけでした」
スマホで撮影、400時間分の映像
――スマートフォンなどで撮影していますね。
「小さいレコーダーとか、周りにあるすべての記録できるもので記録しました。友達にも撮ってもらい、最終的に400時間の映像になりました」
――ドキュメンタリーにするというより、記録に残すところから?
「そうですね。映像を撮り始めたのは、公で話した後、少し経った17年から。それまでドキュメンタリー番組は作ったことはあったのですが、映画は作ったことがありませんでした。ハナ・アクビリンというスウェーデン人のプロデューサーが、私の弁護士を通じて連絡をくれて。ロンドンに住んでいたハナと日本人の知人が連絡をくれ、日本でこの状況に対応するのは大変だから、とにかく私たちの家に来なさいと」
「ハナが自分もジャーナリストでドキュメンタリーを作っていると、だからどれだけストーリーテリング(物語を伝えること)が大変かをわかっていると言ってくれて、『あ、一緒にできるかもしれない』と思って。『とりあえず行ってみよう』と、ロンドンに住むことにしました」
――今回の映画で一番伝えたかったことは何ですか。
「こういう(性被害の)事件は第三者から語られることがほとんどで、それを当事者目線でどういうふうに伝えられるか。英語の表現しかわからないですが、I wish audience can try survivors’ shoes and see how it looks like(観客の人に被害者の立場になってもらい、どう見えるか考えてほしい)と思いました。特に日本では、被害者はこうあるべきだ、こうじゃなきゃ信じられないという考えが、捜査をお願いした時から感じられたことだったので。記者会見での服装への批判とか、それもいやだから自分の思ったものを着ていったけど、やっぱり見られ方が違うんだということを感じたりしていくなかで、ひとりの人間として、サバイバーだから常に泣いているわけでもないし、それらすべて、(性暴力が被害者に)どのぐらいの影響があるのか、またはないのかということも含めて、ドキュメンタリーで見せたかったのです」
「私は日本生まれ、日本育ちですが、自分の気持ちをはっきり伝えるのに英語のほうが簡単なツールだった。母語じゃないけれども、こうしたい、ああしたいというのがはっきり伝えられる」
観客と歌った名曲
「そうですね、発信もそうだし、受け取る情報もそう。たとえばフェミニズムにしても、他の人の考え方にしても、日本語で受け取る情報量の何十倍、何千倍もある。情報量が変わったし、つながれる人も変わった。自分を救う一つのツールにはなったと思います」
――サンダンスに来て、観客の作品への反応はどうでしたか。
「最初の公開日はリアクションが激しくて。そこで笑う?みたいなところで笑ったり、勝訴したときは一緒に喜んでくれたり。すごくlaugh at me(私をみて笑う)じゃなくて、laugh together with me(私と一緒に笑ってくれる)という感じで、それがすごくうれしかったです」
「質疑応答の後にマイクを置こうとしたら、劇場の人が(映画の挿入曲の)『I Will Survive』を流してくれて。私はうれしかったからそのまま歌って、そしたらみんながステージに来てくれて、一緒に歌って。I Will Surviveという曲も多くの人にとって個人的な、It’s everyone’s story(みんなの物語)と思いました」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240204/21/94288421ca/15/05/j/o0640042615397575858.jpg?caw=800)
映画「Black Box Diaries」の上映会後、質問に答える伊藤詩織さん(左)とプロデューサーのハナ・アクビリンさん(右)=2024年1月25日、米ソルトレークシティー、五十嵐大介撮影
「性暴力は世界共通の問題ですが、その捉えられ方や、家族との関係、社会との関係は日本独特な問題だと思っていました。でも、そうではなかったんだなと。日本だけの問題ではないということをすごく感じました」
――サンダンスでは、弱い立場に置かれた人を描いた作品を重視しているように見受けましたが、来てみてどうでしたか。
「最初に見たのが「Layla(ライラ)」という作品で、ロンドンに住むアラブコミュニティーのドラッグクイーンの話でした。LGBTQの話でも、そこに人種や宗教の話が含まれていてすごく複雑な話でしたが、とても力を与えてくれる作品。すごくいい刺激になりました」
日本の状況「変わった」
「変わったと思います。とくにメディアの見方は。ですが、社会のシステムが変わらない限り、いくら助けを求める人が増えたとしても、救済されない。今回こちらに来ても同じような質問をされて、性被害を告発した元自衛官の五ノ井里奈さんの話をすることが多かったんですが、やっぱり彼女も表に出て話したからこそ、彼女の求める結果、正義が得られたと思います。本来は、最初の段階でそれが報われるべきなのに、性被害の当事者がいろいろなリスクを抱えてやらなきゃいけないのは問題だと思います。それができるということは変わったのかなと思いますが、私たちは被害者に頼ってはいけないと思います」
「最近でいうと、芸能界での(旧ジャニーズ事務所の)性暴力の話がやっとでてきて、ハリウッドで始まったMeTooのようなレベルにやっと達したのかなというのは、長い時間かかりましたけど、感じています」
――これまでつらいこともあったと思いますが、一番の支えは何だったのですか?
「最初はやっぱり、ジャーナリストとして、ちょっと自分と距離を置いてみられたからというのがあります。ずっと当事者という認識を持ちながらやっていたら、たぶん身が持たなかった。映画の中でも少し見せることにしたんですけど、葛藤は何度かありました」
「書くことと、撮ることと、マルチメディアでやるというのは、いろんなメディアの変化があるなかでやりやすいなと思っています。取材するなかでそれがすべてドキュメンタリーになるわけではないけれど、映像から切り抜いたら写真にもなるし、記事に出すこともできる。そのなかで出会った人のストーリーを伝えたいと思って、番組や映画になることもあるし。だからこのまま、パーソナルストーリーテリングをやりたいと思っています」