きょうの潮流
 

 家も店も、家族も失って、前を向いて、がんばろうって気にはなれない。1月1日から時が止まっている―。倒壊したビルに家が押しつぶされ、妻と娘を失った男性がうめくようにつぶやいていました

 

▼甚大な被害をもたらした能登半島地震から1カ月。建物も道路も街も、なりわいも壊され、いまも途方に暮れる人びと。「外に出るたびに現実に引き戻される」。避難所でくらす被災者の声を本紙記者が伝えています

 

▼震災直後の張りつめた緊張感から、喪失感や虚無感がさらに募ってくる。先行きが見えない悲惨な状況のなかで、心と体のケアをはじめ、これからのサポートが大事になってくる。専門家の指摘です

 

▼厳寒のさなかに1万4千人以上が不自由な避難所に身を寄せ、災害関連死も増え続けています。救えたはずの命が守れない。いつまで痛ましい姿をくり返すのか。避難所の貧しさは、いかにこの国が国民の命と健康を軽んじているかをあらわにしています

 

▼泣く泣くふるさとや家族のもとを離れ、孤立感を深めている被災者も。一人ひとりの状況に寄り添った、息の長いていねいな支援が求められます。輪島市では仮設住宅がつくられ、七尾市の市場では1カ月遅れの初競りが行われました。日常をとり戻す動きも少しずつ

 

▼「能登に住み続けることができる希望がほしい」。共産党の志位議長は被災者の痛切なねがいを示しながら、国会で岸田首相に迫りました。いま必要なのは政府が「希望」のメッセージを発信することだと。

 

 

 

主張
能登震災1カ月
命守り生活支える対策強化を

 

 250人を超す死者・安否不明者を出した能登半島地震は1日、発生から1カ月となりました。石川県では1万4000人以上が避難所などで生活を続けています。多くの避難者は体育館などで寝泊まりし、避難長期化で心身ともに大きな負担を強いられています。ストレスなどによる災害関連死も確認される中、被災者の命と健康を守る取り組みを強めなければなりません。住まいや生業(なりわい)を奪われた被災者は生活再建への不安にさいなまれています。希望を持って安心して暮らせる支援策を示し、実行することが政府の役割です。
 

関連死を防ぐ取り組み
 住宅被害は甚大です。石川県内で4万7000棟以上が全・半壊したり、一部損壊したりしました。亡くなった人の多くの死因は倒壊家屋の下敷きになったことなどによるものでした。

 警察庁によれば調査した死者222人の死因の最多は「圧死」で41%です。「低体温症・凍死」も14%にのぼりました。建物にはさまれ身動きが取れず救助を待つ間に、寒さで体力が消耗するなどして亡くなったケースが少なくないといわれます。迅速な救助活動ができなかったことが悔やまれます。

 助かった命が長引く避難生活の中で失われることはあってはなりません。東日本大震災など過去の災害を見ると、発生から3カ月程度まで災害関連死が起きるリスクが高いと指摘されています。

 避難所の生活はまだまだ過酷です。温かい食べ物が届かないところも残されています。洗濯などができず衛生状態を保つのが困難なところも少なくありません。厳しい寒さも体の不調につながります。

 仮設住宅の建設・確保を急ぐとともに、現在の避難所が人権と尊厳が保障されるように改善を進めることが緊急に求められます。現場に支援を届け切るために政府は責任を果たすべきです。さまざまな事情で自宅に残っている人、ビニールハウスで生活する人、車中泊を続ける人など被災者の状態やニーズを把握し、苦難に寄り添った丁寧な対応が求められます。

 とりわけ高齢者は、生活環境の大きな変化で健康状態が急激に悪化しがちです。被災者の心や体の状態が保てるよう対応できる医療・介護・福祉などの体制を支援することに政府は力を入れなくてはなりません。

 石川県内でいまも4万戸超が断水となっているのは深刻です。全面的な仮復旧が4月以降ということが、生活再建の大きな障害になっています。生活にも生業にも不可欠な水の供給、水道の早期復旧に知恵と力を集めることが急がれます。

住宅再建支援の抜本拡充
 被災者の切実な願いは住まいの再建です。被災地は過疎と高齢化が進んでいます。住み続けられる地域を取り戻すために、住宅再建は極めて重要な課題です。

 しかし、政府の示す住宅再建のための支援金は従来と同じく「全壊」で最大300万円です。これでは資材の高騰の中で極めて不十分です。支援対象を「半壊」「一部損壊」に広げ、支援額も600万円以上に引き上げる必要があります。中小業者の支援策も大幅に強化すべきです。深刻な災害の実態に見合う、かつてない措置をとることが政府の責任です。

 

 

能登半島1.1地震

もう話できない

自宅倒れ車中泊「腰痛い」 亡くした人を思う

 能登半島地震の発生から1日で1カ月。石川県の死者は前日から2人増えて240人になりました。安否不明者は4人減り15人に。同県珠洲市では1日、雪が舞う中で自宅や店舗の片付けをする被災者の姿がありました。

 

 同市蛸島(たこじま)町で建具業を営むAさん(78)、Bさん(76)夫妻は自宅が住めない状態のため、倉庫で暖を取っていました。「あそこで2人が亡くなった。ここでも1人…」。Bさんは近所を指差しながらつぶやきます。

 

 Bさんは1月末まで小学校に避難していましたが、1月31日から建具の作業場奥にある部屋で寝起きしています。Aさんは被災直後だけ避難所にいましたが、その後は車中泊を続けています。

 

 「腰が常に痛い。少し頑張りすぎた」と顔をしかめるAさん。損壊した倉庫を修理してまきストーブや調理器具などを運び、生活ができるようにしました。生活用水は、雨どいから流れる水を煮沸して使っています。

 

 同市上戸町で干物を主に扱う鮮魚店のCさん(74)は、珠洲市内の姪(めい)夫妻を亡くしました。頻繁にCさんに会いに来

て、旅行のみやげもくれたといいます。「もう話ができないと思うとショックだ…」と声を落とします。

 

 Cさんにとって「生きがい」の鮮魚店も地震で少し傾き、入り口のガラス戸が道路側に倒れて割れるなど大きな被害を受けました。

 

 仕入れ先の宇出津(うしつ)漁港(同県能登町)も甚大な被害を受けました。「命があっただけ良かったと思う。仕入れ先が再開したら夏ごろには店を再建したい」

 (丹田智之、津久井佑希)