「松井一郎」万博=カジノが夢洲だとごり押しで決めた

「森喜郎」外苑再開発案に「すばらしい」と

 

余りオツムの良くない鶴の一声で決まった…。なんでこんな無能者が牛耳るの??

 

 

 

連載〈解かれた封印 外苑再開発の真相〉

明治神宮外苑が大規模再開発の波にさらされている。

先人たちが厳しい規制をかけて、100年近く守ってきた都心の緑。誰が何のために、開発への封印を解いたのか。再開発に至った経緯をひもとく。(敬称略)

連載③【密談】2012年~

2012年5月、衆院第2議員会館301号室。東京都副知事の佐藤広と、再開発を担当する都市整備局幹部の安井順一が、森喜朗元首相を訪ねた。

「神宮外苑の再整備について、東京都として考えているイメージをご説明にあがりました」

◆「外苑再開発とセットで」至れり尽くせり
五輪までに国立競技場を建て替えて、五輪後には神宮球場と秩父宮ラグビー場の場所を入れ替えるー。「取扱注意」と書かれた資料には、2024年の今、外苑で進む再開発の原案がイラスト入りで描かれていた。

一通り説明を聞いた森は、満足そうに答えた。「すばらしい案じゃないか。長生きしないと」

スポーツ施設の更新を目的に外苑の再開発を訴えていたという森。当時、もう一つ気にかけていたことがあった。

かつて自身が会長を務めた日本体育協会(現・日本スポーツ協会)をはじめ競技団体の事務所が入居し、「スポーツの総本山」と呼ばれた岸記念体育会館(東京・渋谷)の老朽化だ。

現地建て替えも検討されたが、代々木公園に隣接しており厳しい建築規制があった。

【漫画】中途入社者0からの逆転
【漫画】中途入社者0からの逆転
PR
<企業様向け>ビズリーチ
五輪を機に一体開発を見込む外苑に移転すれば、全てが丸く収まる。「(森との面会は)都の方から『外苑の再開発とセットでやれば』と提案するためだった」。経緯を知る元都幹部は、そう証言する。

◆もし五輪招致がダメでも…
当時、都の内部では、岸記念体育会館の外苑移転を見込んで検討を進めていた。
都知事だった石原慎太郎の周辺は「どうすれば建築規制の厳しい 外苑地区で体育会館を高層化できるか、森さん側と調整を重ねていた」と明かす。高層化できれば余ったフロアを貸したり売ったりして建設費と相殺できるなどのメリットがあるからだ。

後に安井は、都の聞き取りに「(外苑移転は)森氏から石原知事に相談があったのだと思う」と証言している。

森と都幹部の面会では 、「本命はやはり五輪よりも外苑の再開発」だと、うかがわせるようなやりとりも交わされていた。

東京開催が決まるのは、翌年の9月。この時は、まだ招致レースの真っただ中だった。

森「不吉なことを言うようで悪いけど、もしこっち(五輪招致)が×になったらどうする?」

佐藤「神宮外苑全体の再整備は進める」

面会を終えると、森は再び声を上げた。「すばらしいよ」。時間にして、わずか15分間の密談だった。

◆3時間後、次は「都議会のドン」詣で
森との面会から3時間後、安井は都庁にとんぼ返りし、自民党で「都議会のドン」と呼ばれた内田茂(故人)にも同じ再開発案を説明している。

内田は「都議会のドン」と呼ばれ、中央政界にも影響力を発揮していた実力者。都政では都幹部が内田にお伺いを立てる「内田詣で」が日常茶飯事だった。

説明を聞いた内田は、安井らに自民会派内の重鎮2人までにとどめるよう口止めした。外苑再開発の構想は秘中の秘だった。

当時の都の幹部は「外苑の再開発は、森と近い内田、安井が話し合って決めた」とする。岸記念体育会館の移転話も内田が森に持ち掛けたと、都の内部文書には記されている。

内田と外苑再開発との関わりは古い。

ビジネスeラーニングの決定版!
ビジネスeラーニングの決定版!
PR
SATT(駿台グループ)
2003年、明治神宮の依頼で専門家らが外苑再開発の構想をまとめた際、内田の下にも、その一端が伝えられていた。持ち込んだのは内田と旧知の仲だったというゼネコン関係者。内田は「俺が働かないといけない時は言ってくれよ」と関心を示したという。

◆会談の当事者たちは本紙の取材に…
内田の家族は「(外苑再開発について)森先生と話をしたことは聞いている。再開発の議論の中でオリンピック誘致の話も出たとのことだった」と説明。2003年の構想は「承知していない。他の案件も含め、ゼネコン絡みの話を聞いたことは全くありません」と答えた。

都は、都議会で森との面会の事実を認めている。

本紙は改めて、森や内田と面会していた安井に取材を申し込んだが、返答はなかった。佐藤は「お答えすることはない」とのことだった。

森は本紙の取材に、弁護士を通じて「秩父宮ラグビー場の場所の入れ替えについて、もともと森喜朗氏に意見はなかったが、説明を受け、新しく建設されるのであれば、当時ラグビーのW杯開催を控えていた日本ラグビー協会としても、ありがたいことだと思い、そのように返事した」と回答した。

◆2012年の外苑再開発を巡る水面下の交渉
(都の開示文書から、肩書きは当時)
2/28国立競技場建て替えで萩生田光一元衆院議員と都幹部が情報交換
国立競技場建て替えを巡り、当時衆院議員落選中の萩生田光一と、東京都都市整備局幹部だった安井順一との面会記録。森元首相から「競技場施設そのものは国。しかし都が一生懸命汗をかいてくれないと困る。君が調整してくれ」と言われたという萩生田の発言が記されている。

5/10「内田元都議が森元首相に岸記念体育会館の外苑移転を提案」と報告
副知事ら都幹部らの打ち合わせメモ。当時都議落選中だった内田茂から森元首相に「岸記念体育会館も国立競技場の建て替えに合わせて移転した方がいい」という発言があったと記されている。5月15日以降、副知事が森元首相との面会を調整する方針も示されている。

5/15外苑再開発案について都幹部が森元首相に説明
森元首相と安井ら都幹部との面会記録。イメージ図を添えて、都が考えている外苑再開発の構想を説明。このとき既に秩父宮ラグビー場と神宮球場を入れ替えて建て替える計画になっていた。

5/15外苑再開発案について都幹部が内田元都議に説明
内田元都議と安井ら都幹部との面会記録。森元首相との面会から3時間後、都幹部は同様に、再開発の構想を説明している。内田元都議は、現時点では自民会派の重鎮2人までに情報をとどめるよう口止めしたと記されている。

 

【関連年表】

2011年7月 東京都の石原慎太郎知事が2020年五輪招致を正式表明

2012年3月 国立競技場の将来構想を考える有識者会議発足。石原知事や森喜朗元首相もメンバーに

   5月 外苑再開発について森元首相と都幹部が面会

   7月 建て替える国立のデザイン募集

   10月 石原知事が辞意表明

   11月 建て替える国立のデザインをザハ・ハディド案に決定

   12月 猪瀬直樹が都知事に就任

2013年9月 2020年五輪の東京招致決定

2014年1月 東京五輪の大会組織委員会発足、会長に森元首相

2019年4月 岸記念体育会館の新ビルが外苑内に完成