【木原事件詳報】捜査継続を願う被害者の母親が告白…事実上終了した再捜査の背後に見え隠れする、嫁の再婚相手の「大物政治家」

 
現在は木原誠二官房副長官妻となっている…
 
 
 2006年、ある男性が自死した。安田種雄さん(享年28)だ。しかし、死亡当時から不審な点が多く、遺族は「他殺」を信じ、苦しい思いと喪失感に苛まれてきた。
 
 一度は再捜査されたものの、1年たたずに縮小。だが、事件から17年経った2023年、種雄さんの死に再び疑問符がつけられることに。

 今回、「真実が知りたい」と訴える被害者の母親が、事件後初めて単独取材に応じ、その苦しい胸の内を吐露した。『「嫁は夫の死亡当日に不倫相手とピース」「義兄はサンダルで弔問」…非常識な嫁家族に対して、被害者遺族が「違和感」を抱いたワケ』に続き、ジャーナリストの横田由美子が聞いた。

種雄さんの死は事件です
 「私は逃げていた。自殺なら諦めるしかない。だからそう思うようにしていたんです」

 涙を流しながら2006年に文京区・大塚の自宅で不審死した安田種雄さん(享年28)の母・かよこさん(仮名・69歳)はそう言葉を続けた。

 一度は自殺として片付けられた種雄さんの死だったが、2023年7月に『週刊文春』が報じたことで、事態は大きく動いた。

 当時、種雄さんの妻だった恵子(仮名)が、その後、種雄さんとの間にもうけた2人の子を連れ、岸田総理の懐刀である木原誠二衆議院議員(53歳)と再婚したこと。また、18年に大々的に再捜査が始まるも、突然打ち切られたこと。その後、警視庁捜査一課の捜査員だった佐藤誠元取調官が実名で「これは殺人だ」と告発したことなどから、種雄さんの不審死は、通称「木原事件」と呼ばれるようになった。

 今回、種雄さんの母親・かよこさんが単独インタビューに応じたのは、「事件を風化させたくない」という強い思いからだ。

 種雄さんの死は「自殺」だと自らに言い聞かせていたかよこさん。その心を溶かしたのは、事件から12年後に訪ねてきた刑事だった。

 「種雄さんの死は事件です。自分は、種雄さんのためにも犯人を捕まえたい。捜査に協力してください」

 初めは断った。
 
血まみれの服を残しておいた夫の気持ち
 「二度と、つらい記憶を甦らせたくない。私たちは、種雄の事件は忘れて生きてきた。『もう、来ないでください』と言って、ドアを閉めました」(かよこさん)

 だが、その刑事は諦めなかった。その熱意に、頑なだったかよこさんの心が次第にほだされていった。「DNA検査をしたい」という求めに、夫の南永さんは息子の骨壺の背後にある戸棚から、事件の晩、種雄さんが着ていた血まみれの服を取り出して渡した。

 「それを見た時、私は涙が止まらなかった。夫は、種雄が殺されたという疑念を捨てていなかったんです。だから服をとってあったの」(かよこさん)

 かよこさんは息子の骨の前で泣き崩れた。そして何度も、何度も、「ごめんね、ごめんね」と謝った。どんなに痛かっただろう、苦しかっただろう――。

 種雄さんの死因は失血死だった。その最期は自らの手で頭上から自分の喉を肺に貫通するほど強い力で刺し、自分の横にきちんと置いて絶命したとされていたが、常識的に考えてもありえない。そもそも種雄さんは、恵子と離婚して子ども2人を引き取り、3人で頑張って生きていこうとしていたのだ。

恵子が再婚した木原誠二衆議院議員
 2018年から始まった再捜査は順調に進んでいるように見えた。芳名録に記されていた名前をもとに、捜査班は、北海道から九州まで、関係者を探し訪ねて聞き込みを続けた。種雄さんの姉を含め、調書にサインをした人も少なくなかった。

 「あと、もう少しで犯人を逮捕できるかもしれない」

 遺族は、捜査員からそんなうれしい言葉も告げられた。

 だが、ある時を境に、風向きが突然変わった。恵子は再婚していた。その相手は、木原誠二という、政府与党で将来を嘱望されている国会議員だったのだ。

 かよこさんは腰を抜かすほど驚いたという。

 ある日のことだった。

 いつものように訪ねてきた刑事が、「お母さん、すみません、すみません」と、謝ったまま顔をあげない。

 「どうしたの?」

 「自分は、この件から外れることになりました」

 捜査が難しくなったのだろうか。かよこさんが黙っていると、刑事は、上司に異議を唱えたが、その上司は彼にこう伝えたという。

 「上からの指示だから、これで終わりなんだよ」

 その後、数十人いた捜査班は、数人に縮小された。遺族には「縮小したが、操作は継続される」と告げられたが、事実上再捜査は止まった。
 
「真実が知りたい」と検察で懇願
 それから5年の月日が過ぎた。諦めかけていた2023年の初夏、「事件について話を聞きたい」と、種雄さんの父親・南永さんを訪ねてきた人がいた。差し出された名刺には『週刊文春』と記載されていた。種雄さんの不審死から17年。遺族の本当の戦いが始まった日でもあった。

 2023年10月18日、遺族は当時、事件の捜査を担当していた警視庁大塚警察署に「被疑者不詳の殺人」で告訴状を提出、同25日に受理され、3回目の捜査が行われることになった。

 しかし、警視庁は再び杜撰な捜査を恥ずかしげもなく行い、わずか1ヵ月半後の12月16日、「事件性なし」として、捜査終了をメディアに告げた。種雄さんの事案は東京地方検察庁に送付された。

 かよこさんら遺族が地検の検事と面会できたのは、クリスマス当日。

 『週刊文春』が「木原事件」を最初に報じてから、すでに半年近くが経っていた。かよこさんは、床に頭をつけて「真実が知りたい」と訴えた。

 検事は「しっかり調べる」と約束してくれたが、その言葉を信じてよいのか――遺族は期待と不安が入り混じった感情を抱いた。

息子を愛する気持ちは誰にも負けない
 かよこさんは今、毎日、朝夕と種雄さんの遺影に線香をあげ、心の中で息子と会話している。

 「木原(誠二)さんには、嫁(恵子)に捜査に協力して、見たこと聞いたことを全て話すように促してほしい。種雄があのような死に方をしたのに、隣で寝ていて気がつかないなんてあり得ない。それと18年の再捜査の時の刑事さん、どうして捜査が途中で打ち切られたのか教えてほしい。検事さんには、私たちの17年を知ってほしい」

 かよこさんは大粒の涙を流しながらも、力強い口調で訴えた。

 「自分たちには権力もお金もない。だけど、種雄を愛する気持ちは誰にも負けない。できることは何でもやる。一度は逃げてしまった。でももう逃げません」

 そして、もう一つ気がかりなことがある。2人の孫の存在だ。事件の半年前ほどから会っておらず、幼い姿のまま、かよこさんの記憶の中にとどまっている。そしていつか孫たちに息子のことを伝えたいと願っている。

 かよこさんは、逡巡の果てに強い決意をもって語った。

 「種雄の子どもたちに、お父さんは自殺するような人ではなかった。人の悪口や陰口を言わず、たくさんの人から慕われたステキなお父さんだったということを知ってほしいんです」

 愛する息子を突然失ったかよこさんの苦しみは、永遠に癒えることはないかもしれない。いまはただ、真実を知りたい一心だ。
 
 
【木原事件詳報】「嫁は夫の死亡当日に不倫相手とピース」「義兄はサンダルで弔問」…非常識な嫁家族に対して、被害者遺族が「違和感」を抱いたワケ
 
 
 
 2006年、ある男性が自死した。安田種雄さん(享年28)だ。しかし、死亡当時から不審な点が多く、遺族は「他殺」を信じ、苦しい思いと喪失感に苛まれてきた。
 
 一度は再捜査されたものの、1年たたずに縮小。だが、事件から17年経った2023年、種雄さんの死に再び疑問符がつけられることに。

 今回、「真実が知りたい」と訴える被害者の母親が、事件後初めて単独取材に応じ、その苦しい胸の内を吐露した。事件当日の状況を語った前編記事『被害者の母親が初めて明かした「遺族の6500日」…大粒の涙を流しながら「真実が知りたい」と訴える理由」に続き、ジャーナリストの横田由美子が聞いた。

可愛くて、きれいな子だった
「長い間、お線香をあげることができませんでした。どうして、親より先にお前は死んだのかと、恨んですらいた。でも、2018年の再捜査以来、『痛かったろう、苦しかったろう、ごめんね』と話しかけながら、毎日朝夕とお線香を3本ずつあげています。そうして、しばらく息子と会話しているんです」

 そう声を詰まらせながら話すのは、2006年に文京区・大塚の自宅で不審死した安田種雄さん(享年28)の母・かよこさん(仮名・69歳)だ。

 一度は自殺として片付けられた種雄さんの死だったが、2023年7月に『週刊文春』が報じたことで、事態は大きく動いた。

 当時、種雄さんの妻だった恵子(仮名)が、その後、種雄さんとの間にもうけた2人の子を連れ、岸田総理の懐刀である木原誠二衆議院議員(53歳)と再婚したこと。また、18年に大々的に再捜査が始まるも、突然打ち切られたこと。その後、警視庁捜査一課の捜査員だった佐藤誠元取調官が実名で「これは殺人だ」と告発したことなどから、種雄さんの不審死は、通称「木原事件」と呼ばれるようになった。

 今回、種雄さんの母親・かよこさんが単独インタビューに応じたのは、「事件を風化させたくない」という強い思いからだ。

 種雄さんが初めて恵子を連れてきた時のことを、かよこさんに尋ねた。

 「可愛くて、きれいな子だな、という印象でした」(かよこさん)
 
葬儀にも顔を出さなかった嫁
 いつの間にか恵子のお腹が大きくなり、結婚することになっても、「種雄が(恵子のことを)好きならそれでいい」と思ったという。

 恵子が人並み外れて酷薄な女だったことに、当時、かよこさんは微塵も気づいていなかった。息子への愛情で目が曇っていたと言えば、それまでかもしれない。

 しかし、恵子の非情な仕打ちは、かよこさんだけでなく、種雄さんの家族を次々と打ちのめしていく。

 種雄さんの遺体は、検視後警察の安置所に運ばれ、司法解剖にまわされた。かよこさんが息子と対面できたのは、その後だ。

 「顔が真っ黒になっていて、その時に初めて、『種雄は死んだんだ』と実感しました。それまで涙も出なかったのに、溢れてきた。

 種雄にはたくさんの友だちがいて、ひとり、またひとりと訪ねてくるたびに、種雄の死を改めて思い知らされる。最後に父親(種雄さん)の顔を孫たちに一目見せてやりたくて、恵子に電話をかけました」

 一度は切られ、何度かかけ直すとようやく電話に出た恵子は、義母の懇願に対して、

 「はい、わかりました」

 と、冷たい声で答えた。

 しかし、葬儀場に恵子が両親や子どもたちを連れて姿を現すことはなかった。それどころか、種雄さんが絶命した10時間後、自宅近くの居酒屋で不倫相手とピース写真を撮っていたことが、『週刊文春』の取材で明らかになっている。

嫁の兄夫婦はジャージ、サンダル姿で弔問に
 葬儀場には、恵子の兄夫婦が「ジャージにサンダル姿」という出で立ちで現れていた。

 だが、中の様子を窺っている雰囲気で、種雄さんの遺体に手を合わせることも遺族に挨拶をすることもなく、香典すら置かずに、いつの間にか芳名録に記名だけして姿を消した。

 種雄さんにとって義理の親である恵子の両親の対応も、にわかには信じがたいものだった。警視庁の警察官だった恵子の父親は、お悔やみに来なかった。

 事件当日、警察署に移動したかよこさんは、署内で恵子の実父が仲間の刑事と談笑している姿を目撃した。かよこさんが恵子の父の姿を見たのもまた、この時が最後だ。

 恵子にとって種雄さんは夫であり、恵子の父や兄にとって種雄さんは義理の家族にほかならない。にもかかわらず、こうした故人に対する振る舞いは、非常識の域を超えている。あまりにも不自然だ。種雄さんの遺族と友人たちの間には、恵子一家に対する強い不信感だけが残った。
 
親を置いて先に死を選んだんだ
 
 種雄さんの父親・南永さんや姉たちは「種雄は殺された」と主張していたが、かよこさんだけは一人静かに、自殺とする結論を受け容れた――。

 「種雄は、親を先に置いて死を選んだんだ」

 哀しみが深すぎて、そう考えたほうが楽だったからだ。

 線香には、立ち上る煙によって故人と心を通い合わせる意味もあるという。

 しかし、かよこさんは2018年の捜査が再開されるまで線香をあげたことはなかった。線香をあげなかったのは、種雄さんの死を受け容れたくないという気持ちのあらわれだったのかもしれない。

 種雄さんのことを忘れた日は片時もなかった。仕事をしていても、家事をしていても、種雄さんとの思い出がフラッシュバックして幾度となく涙を流した。

後になって知った「衝撃の事実」
 種雄さんは、友人に「うちのチビ子」と紹介するぐらい、かよこさんのことを強く慕っていた。183センチの種雄さんと一緒に写真で並ぶ146センチの母。とても小さかった。

 「チビ子、子離れしよう」

 ある日、種雄さんが家に来てかよこさんに言った。

 「子離れなんて、ダメダメ。お母さんが死んだら、自然に子離れできるから」

 そう笑いあったことが、昨日のように思い出される。

 いつもかよこさんを気遣い、父親や二人の姉とも仲良く過ごしていた種雄さん。だが、妻の恵子との間のトラブルについて、種雄さんはかよこさんに全く伝えていなかった。

 恵子に男が絶えなかったこと。亡くなる半年ほど前から恵子と喧嘩が絶えなかったこと、恵子がその時の不倫相手と子どもを連れて家を出てしまい、行き先を種雄さんが必死で捜していたこと……これらはすべて、後になってかよこさんが知ったことだった。

 「私は逃げていた。自殺なら諦めるしかない。だからそう思うようにしていたんです」

 かよこさんの頑なな心を溶かしたのは、事件から12年後に訪ねてきた刑事だった。

 「種雄さんの死は事件です。自分は、種雄さんのためにも犯人を捕まえたい。捜査に協力してください」

 一度は断ったかよこさんだったが、その気持ちは変わっていく。

 取材・文/横田由美子

横田 由美子(ジャーナリスト)/週刊現代(講談社)