岸田首相まさかのニヤニヤ答弁 避難所の環境改善問われ「全力で取り組む」連発するだけの軽さ

 
 
一体、どういうメンタリティーなのか。

能登半島地震の対応をテーマに24日、衆参両院で予算委員会の閉会中審査が行われた。「被災者の立場に立って再建に全力で取り組む」と、当たり前にやるべきことを強調する“岸田節”は相変わらず。岸田首相は野党議員の質問に薄ら笑いを浮かべる場面もあったから驚いてしまう。

「29年前の阪神・淡路大震災と(避難所の)状況が変わっていないことを深刻に受け止めるべきだ」

参院予算委で立憲民主党の杉尾秀哉議員から問われると、岸田首相は「避難所の衛生環境の維持・向上のための物資等を『プッシュ型』で届けるよう指示をしたところであります」と主張。その直後、何がオカシイのか「29年前と変わっていないというお話もありましたが」とニヤニヤし、こう続けた。

「現地に行きますと、さまざまなスタートアップ(企業)が水循環を利用したシャワーですとか、あるいは手洗い機器ですとか、こういったさまざまな機器を持ち込み、それが活用されている。2人分の水で100人分のシャワーを賄う、こうした水循環装置を合わせたシャワー等が活用されるなど、環境改善にさまざまな工夫が加わっていることも指摘しておきたいと思います」

国がどのように避難所の環境改善を図るのかを問われているのに、民間と自治体が主導した循環型シャワーの活用という先進事例をさも自分の手柄のように答弁。90分にも満たない現地視察で避難所の劣悪な環境を理解した気になっている姿勢といい、「さまざま」の多用といい、どうにかならないのか。

従来から水とトイレが課題
石川県内ではいまだ約1万5000人が避難生活を強いられ、体育館での雑魚寝やトイレ問題に悩まされている。杉尾氏が改めて言う。

「過去の災害時も避難所の水とトイレをどうするかが問題でした。今回も避難所の劣悪さが指摘されており、私がお邪魔した避難所は『トイレ使用禁止』でした。1台2500万円とされるトイレトレーラーが注目を浴びていますが、導入済みの自治体は全国で20程度といいます。国防予算に5年で43兆円も出すのだから、その気になれば、国が全額補助を出して各市町村に1台は用意できるはずです。被災者への支援物資がどこに集まっているのかなど、情報共有のシステム構築も進めなければなりません」

岸田首相はコトあるごとに「全力で取り組む」と口にする。いい加減、自分の言葉に責任を持つべきだ。

 

「現場へ行ってほしかった」「投票して損した」岸田総理の「短すぎる被災地視察」に対する被災者の言葉

 
「需給を丁寧に把握して(能登半島地震の)復興に支障がないよう計画的に進めて欲しい」と万博に関して中止も延期もしないと断言した。そして平気な顔で被災地を視察した。どんな気持ちで被災地の方と握手しているのか?!
 
 
能登半島地震から2週間を目前に控えた1月14日、岸田文雄総理は被災地視察のため、石川県輪島市などを訪れた。官邸を7時40分過ぎに出発し、埼玉県の航空自衛隊入間駐屯地で輸送機に乗り換え9時30分頃に小松基地に到着、馳知事の出迎えを受け、ヘリで10時30分過ぎに輪島市の航空自衛隊輪島分屯基地に到着した。基地内では被災地で活躍する自衛官・警察官・消防官らの激励を行った。そののち、すぐそばにある輪島市立輪島中学校に開設されている避難所へ徒歩で移動し訪問した。
 
途中、住民らと握手や言葉を交わし、総理は「しっかり希望を持てるように努力します」と発言、住民の女性は涙ぐんで総理の訪問を喜んでいた。女性に話を伺うと「総理に来てもらっただけでもありがたい。能登のことを元気にしてもらいたい」と話していた。

その後避難所を訪問したが、10時45分頃に到着し、11時10分過ぎには避難所を後にした。滞在はわずか30分に満たない短さだ。そして11時30分前には分屯基地よりヘリで輪島市上空の視察を行いつつ、珠洲市へと向かったのである。

避難所で生活をされている男性に話を伺った。

「今さら来てもらっても何ができるんやと思って腹が立ちました。馳知事も今まで全く現地に来んし、テレビモニターで被災地のことを見ているばかり。総理はともかく、特に知事にはもっと早く来てほしかった。投票して損した」

また、別の方も

「総理が空から朝市や倒れたビルとかを見たって仕方ない思うけどね。自分の足で現場へ行って見てほしかった。総理は姿勢を低くして話を聞いていたが、もっとゆっくり滞在されて色んな人から話を聞いてほしかったですね」

と話していた。

一方、避難所周辺では石川県警のパトカー2台と警視庁から派遣されている自動車警ら隊のパトカーが2台と警察官らが警戒を行っており、安倍晋三元総理や和歌山県での総理襲撃事件もあってか、石川県警と警視庁だけでなく、大阪府警の警護員らも現地で警護を実施、総勢30名ほどの警護員やSPらが総理周辺の警護を実施しており、避難所周辺は物々しい雰囲気に包まれていた。

被災した人々が希望を持てる支援ができるのか、岸田総理の手腕が問われている。

撮影・取材・文:有村拓真
 
 

首相答弁に思わず「酷な言葉ですよ、正直言って」 能登半島地震から3週間、被災地議員が国会で訴えたこと

 
 
通常国会召集を前に、国会では能登半島地震にテーマをしぼった集中審議が行われた。2024年1月24日午前に行われた衆院予算委員会では、被災地にあたる石川3区が地盤の西田昭二(自民)、近藤和也(立憲)両議員が質問に立ち、復興に向けた要望を岸田文雄首相に伝えた。

SNS上では、特に近藤氏の質問が被災者に寄り添った内容だったと称賛する声が上がっている。被災者生活再建支援金の引き上げに関して答弁した岸田氏に対し、近藤氏が「酷な言葉ですよ」などと訴える場面もあった。

水道の早期復旧に「力強い国からの支援を」
最初に西田氏が16分ほど質問に立った。インフラの復旧の中でも特に断水の早期復旧を求める声が多くの被災者から上がっていると説明し、「力強い国からの支援を是非ともお願いいたします」と要望した。
岸田氏は、発災当初からインフラの応急的な復旧に全力を挙げたと述べつつも、「インフラの本格的な復旧にはまだかなり時間がかかる見通しであります」と説明。水道や通信などの復旧に関する対応に言及した上で、「早期復旧に全力で取り組んで参りたいと考えています」と答えた。

また、西田氏は「能登地域は、農林水産業、観光業、伝統産業を中心に栄えてきた地域であります。本当にこの産業が壊滅的な状況になっているわけでございます。産業の復活を含めた支援を是非ともよろしくお願いいたします」とも話した。

岸田首相は、能登地方の経済について「雇用維持や事業継続の支援、これは不可欠であると考えています」との見解を示し、次のような方針を説明した。

(以下引用)

「明日にも生活となりわい支援のパッケージを取りまとめることにしておりますが、その中でも、農林水産業をはじめとする地方の中小企業等のなりわい再建、これはしっかり盛り込んで参ります」

(以上引用)

26日には1500億円規模の予備費の使用を決定する方向で調整しているとも答え、「被災者の立場に立って生活のなりわいの再建、全力で取り組んで参ります」と締めくくった。

「保険とか共済といった制度への加入も重要」ではあるけれど
次に、近藤氏が39分ほど質問に立った。自らの被災経験について振り返った上で、各避難所で受けた要望を岸田氏に伝えた。被災者の要望の中でも、西田氏と同様、近藤氏も断水の早期復旧を求めた。

(以下引用)

「水の問題というのは命の問題であり、そして過疎地を救うという大変重い問題でございますから、前倒しという希望の光は頂きましたが、勝負の3か月、なんとか年度内3月中に水が来るようにするといったご答弁をお願いいたします」

(以上引用)

これに対し、岸田氏は「そうした思いはしっかり受け止めながら、こうした実務面での応援、拡充をしっかり行っていかなければならない」などと答えた上で、「現実決して甘くはありませんが、地元のこうした期待や声はしっかり受け止めながら努力を続けていきたいと思います」との方針を示した。

立憲・日本維新・国民が共同提出すると発表した「被災者生活再建支援法改正案」は、住宅が損壊した世帯への支給額を、現行の最大300万円から600万円に倍増させるのが柱。近藤氏は「従来のお金では全然足りない」と、改正案の趣旨を説明。さらに、最大100万円の「基礎支援金」を200万円に引き上げる理由として、生活手段としての車の重要性を訴えた。

これに対し、岸田氏は

(以下引用)

「住宅を再建される被災者への経済的支援のあり方について、能登の実情に合わせて追加的な方策を検討いたします、ということを申し上げた次第です。その際に、やはり災害が多い地域において、保険とか共済といった制度への加入も重要であるという観点、さらには、被災者生活再建支援金は、災害による財産の損失を補填するというものではなく、被災者を側面的に支援するという性格のお金であるということ。さらには、過去の災害とのバランスや公平性の観点から、どういう方策を用意するべきなのか今検討しているところです」
 
(以上引用)

と答えた上で、災害復興住宅融資や税制上の特例対応といった制度と組み合わせることで住宅や車などの支援を考えることは重要だとした。

70歳、80歳、90歳の人がお金借りれますか?無理ですよ
近藤氏は、この岸田氏の発言に対し、「酷」という言葉を使いながら、被災地の実情を改めて訴えた。

(以下引用)

「被災された方に保険とか共済とか、今まで災害の時によく言われますけど、酷な言葉ですよ、正直言って。今更どうしようもできないですから。そして、元々の『被災者生活再建支援法』は生活支援ということですよね、(被災地は車社会で)車はもう生活ですから。ここの位置付けをしっかりと持った上で進めていただきたいと思います。そして、融資という言葉も、これは事業者にも同じなんですけども、融資も酷ですよ。70歳、80歳、90歳の人がお金借りれますか?無理ですよ。貸してくれないですよ、返せないですよ。ですから、できれば、言葉そのものに冷たいという言葉はなくても、羅列されるとやっていけないです。そこはなんとか被災者の方に思いを寄せていただきたいと思います」

(以上引用)

その後も近藤氏は、仮設住宅やなりわい再建支援事業について岸田氏をただした。

近藤氏の答弁に対し、国民民主党の玉木雄一郎代表は同日、「本日の予算委、被災地が選挙区の近藤和也代議士は被災者に寄り添った的確な質問をしていた」とX(旧ツイッター)でコメント。そのほか、「近藤さんの被災者の為の心のこもった質疑」「近藤和也議員の言葉、温かい」などと称賛する声が上がっている。
 
 

社会の歪みのあおりを受ける弱者。能登半島地震が示す日本の未来

 
 
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

自然災害国ニッポンと超高齢社会
能登半島地震が発生してから、3週間以上が経過しました。

15日時点で、輪島市の7カ所で福祉避難所が開設されています。市と協定を結んでいる福祉避難所は26カ所あるのですが、事業所も断水などの被害を受けているので、受け入れられる状態にないそうです。
 
福祉避難所は1995年1月の阪神淡路大震災をきっかけに、地方自治体に設置が義務付けられました。当時、震災を免れながらその後亡くなる「災害関連死」が続出し、その中には日常生活に介護が“必要だった”高齢者がかなり含まれていました。そこで高齢者や障害者など、介護やケアが必要な人たちが、一般避難所に避難したのち必要に応じて移る二次的な避難所の設置が検討され、民間の高齢者・障害者施設と市町村が協定を結び「福祉避難所」を事前指定し、要した費用は災害救助法に基づき国が負担することが決まったのです。

しかしながら、福祉避難所は問題が山積みです。

熊本の震災のときには、ほとんどの福祉避難所が機能不全に陥り、地震発生から1週間たってもわずか70人しか入所できませんでした。熊本市の「要支援者」約3万5,000人(推定)のうち、福祉避難所を利用する人は約1,700人程度と算出されていたのに、たったの70人しか入れなかった。ひと月後でも、300人にしか達しませんでした。福祉避難所も、ケアする人も、被災したことが大きな理由です。結局、176の福祉施設のうち稼働できたのは43施設。被災地だけで対応することのむずかしさが露呈したのです。

そして、今回。高齢化率の高さに加え、断水と停電により一般的な避難所も機能不全に陥ったことはご承知のとおりです。最悪だったのは、国の災害支援が「陸路が使えなくなった場合」を想定していなかったことです。災害時には首相の権限で自衛隊に要請し、高齢者などと搬送することができるのに、岸田首相の対応は迅速とは言い難いものでした。

全国の地方自治体が早い段階で支援に入ったものの、ライフラインが復旧しない状況での支援は厳しく、支援者たちも限界に達しました。
 
また、日本では弱者を優先するため、家族が一緒に福祉避難所に移動することができません。不安な状況で、一人になりたくない、家族と離れたくないという理由から、福祉避難所への移動を躊躇する家族も多かったそうです。いつだって社会の歪みのあおりを真っ先に受けるのは、社会的に立場の弱い人たちです。超高齢社会でありながら、介護などの福祉施設に対する国の支援が乏しいことも、災害時の困難な状況を生んでいる。そう思えてなりません。

石川県の7市町の49%の地区で、65歳以上の人の割合が5割を超えていたこともわかっています。最も高齢化率が高かった輪島市西部の山間にある門前町猿橋では、地区の12人全員が65歳以上だったそうです。

輪島市や珠洲市など被害が大きかった地域は、日本の未来であり、「私」の未来です。

避難生活が長期化する中、災害関連死も心配ですし、人間にとって将来の見通しが立たないことは、想像以上に心身を疲弊させます。

自然災害の国日本は、超高齢社会と防災、減災、救助をどうやって両立させるのか?徹底的に議論し、予算を増やし、実行に移してほしいし、「私」の街では、「私」のマンションではどうするのか?一人一人に考えてほしいと思います。もちろん私も「私」の中の一人です。
 
 

「原発推進」政策で見逃された危険な活断層。なぜ能登半島を大地震が“不意打ち”したのか?

 
 
原発推進政策の悪弊。見逃された能登半島大地震の危険性
今年の新年は地震とともに始まった。言うまでもなく能登半島地震だ(図1)。
 
 
ここに活断層がある可能性が高いことはよく知られていた。

しかし

「能登半島北岸の直線的な海岸線が、沿岸の海底にある活断層の活動によってできたものであることを知る研究者は多かったし、地震は当然想定されるべきだった。しかしそれができず、不意打ちの形になってしまった」

と。

名古屋大学教授で、日本活断層学会会長を務める鈴木康弘氏は地震を受けてそう述べている。

● M7級想定できた-沿岸活断層、認定急げ

1月1日に起きた能登半島群発地震は甚大な被害をもたらしたが、それは想定されていた地震の大きさとは全くレベルの大きな地震であったためだ。その原因が活断層の位置と長さの想定が正しくなかったためだ。続けてその理由についての言い訳を同じく日本活断層学会会長の鈴木康弘氏から聞いてみよう。

「2007年の新潟県中越沖地震も海底活断層によるものだったが、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)を巡る政府の審査では音波探査が過度に重視された結果、大幅な過小評価になっていた」

と。

「音波探査」では海岸沿いの海域の活断層を「活断層認定」するのが難しく、今回の能登半島北岸のように海岸近くにある活断層を音波探査で調べることは難しい上に判定できる新しい堆積物が薄いために見極めが難しいのだと。しかも想定される震度が高ければそれだけ建設費用が嵩んで電力会社の抵抗は大きくなる。電力会社の抵抗はあるだろうが、今なら、海底でも陸上と同じように地形から活断層を地下を掘削して調べることも可能だ。海域を探査船を出して音波を出して海底下の地質構造を調べるが、しかし能登半島北岸のように、海岸近くにある活断層を音波探査で調べることは難しい。

こうした問題を補うため、最近は、海底でも陸上と同じように地形から活断層を認定する技術が進んだ。能登半島では「後藤秀昭・広島大准教授ら」が調査し、北岸をほぼ東西に走る長大な海底活断層の存在を指摘していた。これが今回の地震を起こした断層とみられるが、いまだに音波探査による地質調査が重視されすぎているために、後藤氏らの結果は活断層図(図2)に反映されていない。
 
 
それが能登半島に活断層が描かれておらず、地震が不意打ちした理由だ。
 
能登半島大地震をめぐる2つの「不幸中の幸い」
さらにもうひとつ、地震の大きさは活断層の長さに比例して大きくなると述べたが、殊に「海底活断層」は短く認定されがちだ。能登半島北岸沖にある断層の長さも、20km程度の短い断層に分割されるとされていた。短い断層は大きな地震を起こさないとされるために、大地震の危険性を見逃すことになる。

実際、2007年の「新潟県中越沖地震」も海底活断によるものだったが、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)を巡る政府の審査では音波探査が過度に重視されすぎた結果、大幅な過小評価になっていた。電力会社の影響力は単に権力によって原発事故被害者に対して補償金をケチるだけではなく、津波の警告を出させなくしたりしていたように、土木学会や地震の想定にまで判断を歪めていたのだ。

改めて長大な断層による地震発生に対して正しく認識したのは、2016年の熊本地震からであり、M6.5の前震の後、M7.3の本震が起きた。能登ではこの数年間、地震活動が続き、今回の地震につながった。こうした地震は活断層が引き起こす一連のものである可能性が高い。熊本も能登も、前震でも大きな被害が起きたことを考えると、活断層は決して1,000年に一度だけ大地震を起こすわけではない。政府の地震調査委員会はこうした一連の活動について分かりやすく説明して、国民の防災意識を高めるべきだ。

こんな中、専門家も含めて人々の地震に対する理解はひどく遅れている。やっと「プレートテクトニクス理論」と呼ばれる地下のプレートの移動が地震の原因として認められたばかりで、阪神淡路大震災を経験してやっと「活断層の起こす地震」の存在が知られたばかりだ。阪神淡路大震災が1995年だから、「活断層の理解」は、わずか30年ほどの歴史しかないのだ。そしてその探査は「音波探査」しか理解されておらず、地形から活断層を認定する技術はオーソライズされていない。その結果、能登半島では後藤秀昭・広島大准教授らが調査し、北岸をほぼ東西に走る長大な海底活断層の存在を指摘していたが、日本の「活断層図」には後藤氏らの調査結果は反映されていない。何と対応の遅いことか。もし人々が「巨大活断層があって巨大地震の可能性を知っていた」なら、原発はおろかそこに暮らすときに何に注意しておくべきかを考えられたのではないだろうか。

不幸中の幸いだったのは、能登半島の先端近くに予定されていた「珠洲原発」が人々の建設反対活動によって建設されずに中止にされていたことと、志賀原発が2011年3月11日の東日本大震災に伴って、敷地内の断層が活断層の疑いがあり、追加調査のために停止している最中であったことだ。これも危ういところだった。
 
 
というのは2016年4月27日、原子力規制委員会は有識者会合の1号機原子炉建屋直下の断層について「活断層と解釈するのが合理的」とした報告を受理したとしたが、この報告書がくつがえらなければ1号機は廃炉に、2号機も大幅な改修工事が必要となる可能性があったが、これに対して、北陸電力は「鉱物脈法」を用いた評価を提示し、2023年3月3日には、原子力規制委員会は、志賀原発2号機を「敷地内の断層は活断層ではない」とする北陸電力の主張を妥当だと判断したところだった。ところがそれからたった約2カ月後の2023年5月5日に能登半島地震が襲ったのだ。

そして今回、2024年1月1日の能登半島地震で最大加速度が2828ガルもの記録になった地点を調べてみると、志賀原発から直線距離でわずか11キロの距離だ(図3)。もしこの距離で直下型の地震が襲っていたなら、福島原発と同じ形式の「沸騰水型原発」である志賀原発も、同じような事故を起こしていたのではないかと懸念されている。それは2011.3.11の東日本大震災にも匹敵するほどだ。

志賀原発の基準値振動は現在は1000ガルだが、約10年前までは600ガルだった。

もともと北陸電力は沖縄を除く九つの電力会社の中で、もっとも最後に原発を建てた電力会社だ。もともと電力需要が大きくなく、燃料費の要らない水力発電が主力だったのだから、地球温暖化を騒がれる今、無理に原発にせず、そのままにしておけばよかったのだ。ところが沖縄を除く九つの電力会社の中で遅れていることを気にして、無理に費用の高くつく原子力に軸足を動かしたのだ。その無意味な虚栄心が今回の事態をもたらした。

今回の事態は図らずも活断層の存在を隠せないものにしてしまった。志賀原発からわずか11キロの位置で地震の震央があったのだ。しかも原子力規制委員会は、志賀原発2号機を「敷地内の断層は活断層ではない」とする北陸電力の主張を妥当だと述べて赤っ恥を晒したのだ。

「活断層殺し」で短いものとされた能登の活断層
活断層の長さが地震の大きさに大きく関わっていることから、電力会社はその活断層を短く切り刻んで小さな地震しか起こさないものと見做したがる。だから原発の建つ地域の近くでは活断層短いのだ。これが特に顕著にみられるのは、「原発銀座」の異名を取る福井県の原発群だ。

この活断層を小さく切り刻んでいた大地震は起きないとする手法を、業界では「活断層殺し」と呼んでいる。その活断層殺しのおかげであまたある能登半島周辺の活断層は、どれも短いものとされていたのだ。でも今回の地震はそんな「忖度」だらけの地震のではなく、生の地震の現実を突きつけたのだ。それによって日本の過去百年間の内陸地震としては最大の、マグニチュード(M)7・6の能登半島地震が起きたのだ。これは決して予測困難な珍しい大地震ではなかったと日本活断層学会長は言う
 
 
「もう漁業できねぇな。終わりだ」…フォトルポ・能登大地震「地元民が慟哭する」生々しい港の破壊現場
 
 
「かつて輪島には300隻ほどの漁船がいた。これじゃ、もう漁業はできねぇな。これで終わりだで……」
 
石川県北部にある輪島市で釣り船など遊漁船の船長をしていた50代の男性Aさんは、市内の港を見ながら肩を落とす。港では打ち上げられ座礁した漁船が、ひっくり返り船底を見せるなど無残な姿をさらしていた――。

1年の始まりを祝う元旦に北陸地方を襲った能登地震。多くの漁港に致命的な打撃を与えたのが前代未聞の海底隆起だ。100km以上に及ぶ活断層が上下に動いたために地盤が急激に盛り上がった。国土地理院によると、最大4mで隆起し東京ドーム約94個分にあたる4.4k㎡の広大な範囲が海から陸に変わってしまったという。

もともとの海岸線が200mも遠のいた地域もある。平均的な地盤隆起の速度は一年間で1㎜ほど。それが地震直後のわずか4秒から5秒の間に、最大4mの隆起が起きたのだ。単純計算で4000年分の隆起が一気に起きたことになる。

◆「魚を運ぶ手段がないんだ……」

『FRIDAY』記者が現地を訪れると、広大な地域で海が消える自然の猛威をまざまざと見せつけられた(関連画像参照)。

前出のAさんが嘆く。

「数年前、燃料の高騰で『これでは船を出せない』と国会前でデモ行進もやった。それをキッカケに100隻ほどが漁業を辞めたんだ。そこに今回の地震……。輪島の港の隆起は1~1.5mほどで、岸壁は崩れていてもなんとか船の乗り降りはできる。でも漁に出ても(市場で)競りはやっていないし、(魚を保管するための)氷を作る施設も壊れてしまった。(県庁所在地の)金沢や加賀の市場に、魚を運ぶ手段がないんだ……」

深刻な被害は漁港だけではない。内陸でも危険な状態が続いている。

記者がたずねた輪島市・市ノ瀬町では、地震による大規模な地滑りにより川がせき止められ、溢れ出た水が集落や田畑に流れ込み滝のようになっていた。川をせき止める「土砂ダム」が決壊すれば二次災害を招き、さらに甚大な被害を及ぼすことになるのだ。現地では国土交通省や自治体が中心となり、大型の土嚢を積み重ね土石流を防ぐ作業が急ピッチで進められていた。

輪島市内では、少なくとも10ヵ所で土砂ダムが確認されている。地震発生から間もなく1ヵ月……。地元民はいまだに日常を取り戻せず、不安な日々を過ごしている。
 
 

タラ、カニ漁も大打撃「地盤隆起で船が出せない」 石川県の21漁港で海底露出や水深不足に

 
 能登半島地震の影響で、石川県内にある69漁港のうち60漁港が、地盤の隆起や防波堤、岸壁、臨港道路の損傷などの被害を受けた。県の調査で分かった。石川県港湾課によると、漁船以外に貨物輸送船や作業船なども利用する港湾でも、県内12カ所のうち多くが被害を受けている。
 
 石川県水産課の担当者によると、地盤の隆起は「程度の差はあれど、志賀(しか)町の富来(とぎ)漁港あたりから珠洲(すず)市の寺家(じけ)漁港付近まで広くあるようだ」という。
◆海岸線が100メートル以上後退
 イカ釣り漁船の拠点となっている輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港は、海底の一部がむき出しになり、漁船が打ち上げられた。東京大地震研究所などのチームによると、隆起は3.6メートル。同漁港周辺でも海岸線が沖まで100メートル以上後退し、消波ブロックが陸上にあらわになっている。少し南の黒島漁港周辺は、港を含めて以前海底だった部分が完全に海面から出た状態となった。

 県水産課によると、地盤の隆起による海底の露出や水深の不足を確認したのは、23日午後2時時点で21漁港。漁船の転覆や沈没は146隻で、座礁16隻、船の一部損壊43隻、流出28隻、冷蔵庫や魚を選別する機器、倉庫の損傷26カ所も確認した。
 
 県港湾課の担当者は、管理する港湾の輪島港(輪島市)について「1メートルほど隆起したようだ」と話す。漁船が接岸する部分は水深がおおむね3~4メートルあったが、隆起で水深約2メートルになった場所は特に「船を出すのは難しい」とみる。船着き場までの道路も損傷した。

◆損傷しないよう一部の船を移送へ
 県漁協は23日に金沢市内で理事会を開き、輪島港を利用する際に船底が海底に触れて損傷しないよう、一部漁船は金沢港(金沢市)や志賀町の福浦港、富来漁港に移送する方針を決めた。福平伸一郎専務理事によると、現時点で200隻のうち100隻ほどになる可能性があるという。

 漁港の被害で漁師が出漁できず、旬を迎えたタラやカニ漁も打撃を受けている。県漁協企画指導課の若松拓海主任は「漁師さんの収入をどう確保するかが課題」。漁協は理事会で、笹原丈光組合長を本部長とする災害対策本部も設置した。

 県漁協によると能登町や七尾市内など被災しながらも操業している漁協支所は4カ所ほどあり、寒ブリなどを水揚げ。金沢市以南の港では雄ズワイガニの水揚げも続く。若松さんは県内を訪れる観光客も減っていることを懸念し、「他の地域から来ない分、県民に積極的に食べて漁業を応援してほしい」と呼びかけた。(井上靖史)