家族の形はそれぞれある。「一緒に」と押しつけられるのは違和感も。ただ、大切な人と暮らしたいという、当たり前の思いを一方的にないがしろにするのはどうか。子どもの成長を考えたとき、やすやすと家族を分離させていいか。世界から問われずとも、自らの頭で考えてほしい。

 

 

 日本で外国人との共生を阻む要因という批判が集まる判例がある。外国人は基本的人権も在留資格制度によって制限されるとの見方を示した「マクリーン判決」だ。46年前に出たにもかかわらず、裁判所はいまだに基準として重視し、出入国在留管理庁(入管庁)の強大な権限と外国人への過酷な処分にお墨付きを与えている。元最高裁判事から「早く見直さないと世界から取り残される」の声が出ている。(池尾伸一)

◆一家4人の中に3つの国籍、父は強制送還に…
 「パパがいなくなっちゃうなんて絶対いやだ」。茨城県に住む小学2年の少年(8)は涙ぐむ。

 少年と母はフィリピン国籍で、父はインド国籍。高2の兄は日本国籍という。

 

 日本人の前夫と死別した母が兄を連れて父と再婚。生まれたのが少年だ。4人で暮らしてきたが、入管庁は超過滞在(オーバーステイ)の父に強制送還を通告。家族は父の在留資格を認めるよう東京地裁に求めたが、昨年10月に敗訴した。家族はいま、父がインドに送られる不安におびえる。
 家族が一緒に暮らす願いを地裁がはねつける根拠として引用したのが、最高裁が1978年に出した「マクリーン判決」だ。

◆在留資格がなければ基本的人権が保障されない
 米国への退去を命じられた米国人マクリーン氏の訴えを退けた司法判断。外国人の在留資格・期間は「外交関係や国内の労働市場など様々な要素を考慮しないとならないので法務大臣に幅広い裁量がある」として、入管庁の命令はよほどの事実誤認がない限り、優先されると判断したのだ。

 法相の権限を最大限に重視するマクリーン判決は、その裏腹で外国人の人権について「外国人在留制度の枠内で与えられているだけだ」と指摘した。

 

 入管庁の退去命令や在留許可の取り消し処分によって、憲法が保障する「表現の自由」や幸福に生きる権利などを外国人が日本で主張できなくなってもやむを得ないという論理だ。在留資格がなければ基本的人権が保障されないとも解釈できる表現。家族状況を考慮しない入管庁の処分が正当化される根拠になってきた。

◆マクリーン判決が基準である限り入管庁は負けない
 2008年の東京地裁判決は超過滞在のフィリピン人一家の強制送還を追認した。その後、入管庁が中学生の長女だけ在留資格を認めたため、親子が分離して暮らすことに。19年の名古屋地裁判決は別の家族について、長男だけ在留を認めた結果、その父や母の出身国を含めた3カ国で家族は暮らすことを求められた。

 

 

 「1965年に刊行された元入管庁幹部の本に『外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由』とあった。同庁はこの意識のまま。裁判所がマクリーン判決を重視する限り、非人道的な入管行政は変わらない」。入管関係の裁判を多く手がける児玉晃一弁護士は言う。

 在留資格を巡る判決は2022年に154件あったが同庁の敗訴はわずか7件。元入管職員で行政書士の木下洋一氏も「マクリーン判決が基準である限り、入管庁はまず負けない。権力維持できるありがたい判決」と話す。

◆「マクリーン判決を引用し続けるのは裁判所の怠慢」
 入管収容のあり方についても同判決をもとに「入管庁の裁量」とした判決があり、期限も定めず何年も収容される状況を助長。適切な医療を受けられず死亡したスリランカ人女性ウィシュマさんなど施設内の病死や自死が続く遠因になる。

 「いつまでもマクリーン判決を引用し続けるのは裁判所の怠慢だ」と批判するのが元最高裁判事で弁護士の泉徳治氏(84)だ。

 

マクリーン判決の誤りを指摘する泉徳治元最高裁判事=東京都港区で

 米国人青年のマクリーン氏は日本文化に憧れ、1969年に来日。英語教師の傍ら、琵琶と琴の修業を続けた。1年たって英語教師としての在留期間を更新しようとすると、入管に拒否され、帰国を命じられた。

 当時は米国がベトナムに軍事介入し、世界中の若者が反戦運動をしていたさなか。マクリーン氏も日本で抗議デモに参加した。入管庁は期間更新を拒んだ理由として、同氏の行動が「日米関係に悪影響を与えると警戒した」と証言した。

◆裁判所が半世紀近くも基準を維持し続けていることに問題
 泉氏は「国への批判を許容するのは民主主義の柱。入管の処分は表現の自由を保障する憲法に明らかに違反しており、最高裁判決がそれを容認したのは今考えれば完全な誤り」と話す。

 泉氏はマクリーン氏が来日した69年、裁判所から米ハーバード大に留学していたが、反戦デモに何回も自由に参加したという。

 さらに泉氏が批判するのは、裁判所が半世紀近くも「よほど事実誤認がない限り入管庁の処分は尊重される」という同判決の基準を維持し続けていることだ。

◆条約に反し「子どもの権利」を侵害している
 判決後、日本は重要な国際人権条約を結んだ。79年に批准したのが、家族が一緒に住む権利を保障する国連の「自由権規約」。94年に批准した「子どもの権利条約」は子どもの最善の利益を尊重し「児童は両親の意思に反して分離されるべきでない」と定める。

 泉氏は「家族を分断するような入管庁の命令は、これらの条約に反し家族や子どもの権利を侵害している。裁判所は厳しく審査し、ケースによっては家族全員が日本に住み続けられるような判決も出すべきなのに、行政に安易に追随している」と指摘する。

 国連の自由権規約委員会は2014年の総括所見で、国際条約で保障される権利が「日本では裁判で守られることが少ない」と勧告している。

◆日本は外国人抜きで成り立たない構造に向かっている
 なぜ、裁判所は外国人の人権擁護に消極的なのか。泉氏は「少数者の権利を守る裁判所の役割を最高裁はじめ裁判所自体がよく分かっていない」と分析する。

 民主主義は国会の多数決で法律をつくるが、多数決原理だけでは救われない人たちがいる。LGBTQや障害者など「少数派」の人々で、投票権すらない外国人もそうだ。「憲法や条約に照らし、少数派の人権侵害があれば救済するのが、裁判所の重要な役割なのに、今の裁判所は役割を果たしていない」という。

 改善策として泉氏がまず強調するのは裁判官に国際人権条約を研修し、重要性を認識させること。さらに国連の「個人通報制度」の導入も有効とみる。人権侵害の被害者自身が国連に通報、国連傘下の委員会が調査し、政府に見解を送付する仕組み。実際、オーストラリアなどでは家族分断につながる送還命令が委員会の見解で撤回されている。

 

 

 ただ、同制度については政府は長年にわたり「検討中」のままだ。

 国立社会保障・人口問題研究所は、外国人が2070年に今の3.4倍の約940万人まで増え、人口の1割を占めると予測。日本社会は外国人抜きで成り立たない構造に向かう。泉氏は「裁判所も行政も国際水準に合わせて人権を尊重しないと、日本は世界の人々から見放される」と語る。

◆デスクメモ
 家族の形はそれぞれある。「一緒に」と押しつけられるのは違和感も。ただ、大切な人と暮らしたいという、当たり前の思いを一方的にないがしろにするのはどうか。子どもの成長を考えたとき、やすやすと家族を分離させていいか。世界から問われずとも、自らの頭で考えてほしい。(榊)