「政治部門は国民のために働く。司法は憲法のために働く」

 



 米国連邦最高裁のジョン・ロバーツ首席判事が述べた言葉です。2018年、ミネソタ大学ロースクールでの講演会でした。日本でいえば最高裁長官です。

 何とも明快です。その続きの言葉も聞いてみましょう。

 「私どもの役割は非常に明確です。合衆国憲法と連邦法を解釈し、政治がその枠内で行われることを保障することです」
 

◆司法は憲法のため働く
 「そのためには政治部門からの独立が必要です。(中略)独立がなければ、生徒に対し、国旗に敬礼することを強制できないとの判決はなかったでしょう」

 「独立がなければ、鉄鋼接収裁判もなかったでしょう。大統領はたとえ戦時下でも憲法に拘束されると判決が出されました」

 前者は1943年のバーネット判決。後者は52年のヤングスタウン判決です。朝鮮戦争の時です。鉄鋼業でストライキになると銃弾も作れません。当時の大統領は鉄鋼業を接収しましたが、連邦最高裁は「大統領にその権限はない」とした判決でした。

 司法が政治から独立している証左です。昔の話だけではありません。ロイター通信によれば、2020年の中絶手術を大幅に制限するルイジアナ州法は連邦最高裁で無効とされました。LGBT(性的少数者)労働者の権利を擁護する判決もありました。不法移民の保護を廃止しようとする当時のトランプ大統領の動きも、司法が阻止しています。

 いずれも保守派のロバーツ氏がリベラル派に回った結果でした。「司法は憲法のために働く」の言葉どおり、憲法理念の実現に力を尽くしたのでしょう。

 でも、米国にも恥ずべき判決があります。例えば44年の「コレマツ判決」。第2次大戦中の日系人の強制収容について、連邦最高裁は「違憲ではない」としました。米国司法省は後に過ちだったとしますが、ロバーツ氏はその原因は「裁判所が政治的圧力に屈したため」と断言しています。

 政治からの独立が司法にとっていかに大事であるか、このエピソードからも読み取れます。

◆政治への同調圧力では
 日本の場合はどうか。昨年秋からの重要裁判を振り返ります。

 例えば1票の格差訴訟。参院選で最大3倍もの格差があっても最高裁は「合憲」でした。1人1票のはずが、0・33票の価値しかない選挙区の有権者が20%超もいるのに…。「違憲無効」とした判事は1人のみ。「違憲状態」としたのも2人だけでした。

 野党の臨時国会の召集要求に長期間、内閣が応じなかった訴訟でも、最高裁は原告の訴えを退けています。こちらも「違法」と断じた判事は1人のみでした。

 集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法の違憲性を巡る裁判で、仙台高裁は「違憲ではない」と。歴代政権は個別的自衛権の行使のみを認めていたのでは…。

 日本では政治向きの話になると、腰が引ける感じです。同調圧力が働くのでしょうか。

 「ニュールンベルグ裁判」(61年)という米国映画があります。被告席にいるのはナチス・ドイツのヒトラー総統でもゲッベルス宣伝相でもありません。裁判官が裁きを受けるドラマなのです。

 世界的に有名な法学者で裁判官も被告の一人でした。民主的で先進的なワイマール憲法の起草にも加わっています。映画では「ヤニング」という名前です。

 なぜ彼がヒトラーに迎合したのか。弁護人は「彼が祖国を裏切れば良かったのか」「ドイツ国民全員も罪に問わねば」「国益のためだった」と熱弁を振るいます。

 でも、ヤニングは弁護人の言葉を遮り、「私は罪深い。彼らの正体を知りつつ、同調していたのだ」と陳述します。自分の責任を認めたのです。米国人の裁判長は彼に終身刑を言い渡しました。

 裁判長が米国に帰国する直前のことです。ヤニングは彼に面会を求めます。そして、裁判長に「判決を尊敬しています」と称(たた)えました。一方で、「何百万人もの虐殺は知らなかった。それだけは信じてください」と述べます。

◆歴史の法廷で裁かれる
 裁判長はこう答えました。

 「ヤニングさん、あなたが無実と知りつつ、死刑にしたのが始まりなのですよ」

 国益であれ、愛国心であれ、誤りは歴史の法廷では許されません。司法が政治部門に同調して、「憲法違反」を見逃すようなことがあってはなりません。

 「ヤニングさん、あなたが…」と歴史の裁判長に言われぬよう、裁判官たるもの、憲法のために働いてほしいものです。

 

 

<コラム 筆洗>30年ほど前、国会取材を担当して間もないころに「ハリラクダ…

 
 30年ほど前、国会取材を担当して間もないころに「ハリラクダ」なる言葉を初めて聞いて、まごついたことがある。自民党の国対幹部が語るには「その日程で、○○法案を通過させるのはハリラクダだ」
 
▼無論、「針の穴にラクダを通すようなもの」の略で、不可能なことのたとえである。キリスト教の聖書にある言葉からきているのだが、切った張ったの政治の世界で聖書の言葉が使われるのがどうも不思議な気がした
 
▼探査機を月面の狙った場所にわずか100メートルの誤差で着陸させる-。宇宙開発とは縁のない時代の人なら、その試みを「ハリラクダ」と笑ったにちがいない。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発した月面探査機「SLIM」の挑戦である。未明に朗報を待った
 
▼結果に「うーん」となる。探査機は月面に着陸したというから成功は成功なのだろう。旧ソ連、米国などに続き、5カ国目の快挙だが、バンザイの声も控えめとなる。太陽電池が作動しておらず、目標としていた高精度着陸ができたかどうかがまだ、分からない
 
▼見事な着地で、日本の技術を宇宙開発競争の過熱する国際社会に見せたかったが、やむを得まい。着地の際にバランスでも崩したか
 
▼JAXAによると「60点」の出来とか。満点とはいかぬともこの道を追えば、針の穴にラクダは通り、探査機はピンポイントの着地を決めるのだろう。