刑事告発の有無を報じるネットメディアもあるが、これも刑事告発者の意図を汲んだものという意味では広報化の一端でしかないことは記しておく。本来は検察側、告発された側の取材もしないと極めて一方的な記事になるが、そうした作業をした記事は見当たらない。

もちろん、メディアが広報的な報道をすることを全面的に否定するものではない。それも重要な情報であることは間違いない。ただし、それは取材対象の意図に左右される点、物事の本質を見誤る点で、常に危険性がつきまとう。単に首相の言葉を漏らさず伝えるだけだったり、スクープ意識が先走っているだけだと、報じる側の単なる自己満足で終わってしまう。

一連の事件では、裏金を作っていた政治家が「政策活動費として説明されたので収支報告書に記載しなかった」との説明をしていたことが報じられている。「政策活動費」とは、政党本部が政治家個人に配る資金で、自民党では有力議員を中心に幹事長などに毎年10億円前後の資金が配られ、そして裏金と化している。この「裏金」は特捜部の捜査対象とはならないが、私が出演している情報番組「めざまし8」では、敢えてこの「政策活動費」に焦点を当てて、その問題を掘り起こす内容を伝えている。

スタッフが自民党本部の収支報告書をチェックして誰にいくら支払われたのかを書き出し、法律と照らし合わせ、私を含めて政治資金に詳しい専門家に取材をするなど、「調査報道」的な内容だ。その内容を視聴しつつ、なぜNHKや朝日新聞などの大手メディアでこうした独自の視点での報道ができないのか不思議に思った。

広報化は否定しないが、その加速化は避けなければいけない。メディアに独自の視点が求められるゆえんだろう。

 

 

 

【立岩陽一郎 漂流するメディア】

新年早々に日本を襲った能登半島地震で現在も被災地は厳しい状況が続く。しかし、それを伝えるメディアの報道に違和感を覚える点は少なくない。例えば1月2日、NHKは『岸田首相「一刻も早く現地に救助へ 手段を尽くすよう指示」』というニュースを出し次のように報じている。

《今回の地震を受けて、岸田総理大臣は、すべての手段を尽くして被害者の救出にあたるなど、対応に全力をあげる考えを示しました。2日午前、みずからをトップに「非常災害対策本部」を開き、夜を徹して集めた情報をもとに具体的な対応を協議する方針です。》
これはNHK政治部によるニュースだ。政府首脳の動向を報じる政治部のニュースゆえに、多少政府の広報的な側面が出ることはやむを得ない。しかし、「すべての手段を尽くして被害者の救出にあたるなど、対応に全力をあげる考え」といった表現は取材対象と一体化が過ぎないだろうか? 「みずからをトップに」という表現も検討が必要だろう。さらに「夜を徹して集めた情報」という表現にいたっては感情移入が強すぎる。

例えば、「岸田総理大臣は『すべての手段を尽くして被害者の救出にあたるよう対応に全力をあげる』などと話した」で十分だろうし、「夜を徹して」は要らない。こう書くと、「こんな時に政府批判か?」などとの指摘を受けるが、小欄が問題にしているのは政府ではなく、メディアのあり方だ。今、メディアの政府広報化が加速している気がする。それは、災害においては、仕方ない点もある。なぜなら政府の対応を知らせること自体がメディアの仕事となるからだ。小欄が問題にするのは、一連の「政治とカネ」の問題でもそれが明らかになっているからだ。

東京地検特捜部が強制捜査に踏み切った自民党安倍派と二階派の派閥の裏金問題で、NHKは昨年12月26日、「岸田首相 政治資金問題を陳謝 新組織で再発防止策検討進める」として、次のようなニュースを報じた。

《自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題について、岸田総理大臣は重ねて陳謝し、信頼回復に全力をあげる考えを強調するとともに、来年の通常国会で議論が行えるよう党の新たな組織で再発防止策などの検討を進めていく意向を示しました。》

国会で議論が行えるために新たな組織を設置するとは、要は自民党の野党対策ということになるが、それをあたかも問題解決の一助かのように報じている。さらにNHKはその新組織について、《通常だと1月のうちには国会が始まる。通常国会で責任与党として政治の信頼回復のために議論を行えるよう進めていかなければならない。そういったタイムスケジュールで進めていきたい》との岸田首相の言葉も紹介している。

一連の事件の問題の本質は、「政策活動費」と称して裏金を容認している点、パーティー収入と称して違法な企業献金を得ている実態など、自民党の根深い問題にあるのだが、このニュースからは、そうした実態がうかがい知ることさえできない。それ以上に深刻なのは、自民党内で透明化を進めて国会で野党に説明をする程度の問題に置き換えている感も否めない。

繰り返すが、政府の動きを伝える政治ニュースが政府の広報の役割を担う点は、一定程度は許容せざるを得ない。しかし、ニュースの視点が曖昧になり、メディア自体が問題の本質を見誤ってしまうと、広報化は物事の矮小化を生む。

検察庁リークの記事には必ず「流儀」がある
もっとも、広報化は政治ニュースだけに限った話ではない。一連の地検特捜部の強制捜査を伝える社会部の報道も、実質的には検察庁の広報という側面が強い。

例えば、政府首脳である松野博一官房長官が事実上の辞任に追い込まれた最初の報道は朝日新聞が官房長官にも裏金があったとする「関係者」への取材によるもので、これを朝日新聞の「調査報道スクープ」と評価する声が聞かれた。

「スクープ」の定義が、他者が報じていない内容をいち早く報じたこととするなら、これはスクープかもしれない。では、この内容は「調査報道」、つまり記者が資料や証言を頼りに事実を掘り当てた内容なのか? 大阪で司法キャップ(=検察、裁判の元締役)を4年やった私の経験からは、そうは言えない。これは、地検特捜部の「関係者」から記者が得た情報に基づく報道であり、これは「調査報道」ではなく、「当局報道」と言われるものだろう。

そこには「流儀」がある。まず「関係者」。これは特捜部の検事か事務官への取材から得た情報を出す際に使う常套句だ。本来は、「特捜部の」と加えるべきところだが、それを書けば情報を漏らした「犯人」探しが行われるのと同時に、報じた社に出入り禁止などのペナルティーが課せられる。そうすると、特捜部長への取材が禁じられるなど、取材に支障が出る。それを避けるための便法だ。

こうした記事には必ず、「地検特捜部もこれを把握していると見られる」といった文章がつく。朝日新聞の当該記事にもある。これがあることで、「特捜部が捜査している内容」との社内説明ができ、記事化する障害はなくなる。そして、情報を提供してくれた「関係者」へも一定の配慮をしつつ、その顔を立てるものとなる。これは多少意味不明かもしれないが、誰もが自分たちの仕事を世に知らしめたいという思いがある。特捜部の検事、事務官も例外ではない……というより、私の経験では彼ら、彼女らの意識は極めて強い。

TBS「ひるおび」の12月19日の放送で政治ジャーナリストの田崎史郎氏が「検察は朝日新聞とNHKをうまく使っていると思う」と指摘したと報じられているが、そういう点は確かにある。特捜部の検事から、「検察は朝日の一面、NHKのトップニュースは別格だと考える」と聞かされたことがある。もちろん、朝日、NHKの記者とも、口を開けて待っていて捜査情報をもらうわけではなく、日々、さまざまな形で特捜部の「関係者」の守秘義務をこじあけて情報を得ているわけで、同じ番組で弁護士の八代英輝氏が語ったような「検察のリーク」という言葉が示すほど安易なものではない。しかし、記者の作業がどれだけ大変だろうが、検察「関係者」から情報を得たもので、検察の広報的な側面がある点は留意する必要がある。

それは時に、検察の暴走を生むことを私たちは覚えている。通常、あらゆる捜査機関は逮捕までが捜査活動で、起訴の判断ができない。警察、海上保安庁、麻薬取締官事務所も、みずからで起訴の判断はできない。常に検察が捜査の内容を吟味して、起訴するか否かを決める制度だからだ。ところが、地検特捜部にはそれは適用されない。捜査をしている検察官に起訴の権限が与えられているからだ。つまり、地検特捜部捜査には、外部から批判的に捜査内容を検証する作業が入らない。

それが「国策捜査」といった批判を生み、それが政界の不正を擁護する妙な空気を作っている点もある。与論は移ろいやすい。地検特捜部の政治家逮捕に喝采を送った人々が、国策捜査との批判に賛意を示す姿は珍しくない。そして、その繰り返しがメディア不信をも生み出してきた。

「漏らさず伝える」ことは報じる側の自己満足で終わる危険性
一連の事件は、赤旗が報じた疑惑を神戸学院大学の上脇博之教授が刑事告発して動き出したとされる。刑事告発については地検特捜部は直告班というのがあって、そこが受けることになっているが、実際には、それで捜査が動くわけではない。受理するかどうか、受理してどう捜査するかは、特捜部長の判断だ。今回のような大きな捜査の場合、刑事告発は表向きの理由に使った可能性が高い。つまり、告発を待たずに捜査への着手を決めていた可能性が高い(特捜部は「着手報告書」というのを必ず作る)。この辺も、地検特捜部は巧妙に動く。そうした点も、メディアは注視しないと、捜査の進展を大々的に報じるだけでは、メディアはその役割を担ったとは言えない。

ちなみに、刑事告発の有無を報じるネットメディアもあるが、これも刑事告発者の意図を汲んだものという意味では広報化の一端でしかないことは記しておく。本来は検察側、告発された側の取材もしないと極めて一方的な記事になるが、そうした作業をした記事は見当たらない。

もちろん、メディアが広報的な報道をすることを全面的に否定するものではない。それも重要な情報であることは間違いない。ただし、それは取材対象の意図に左右される点、物事の本質を見誤る点で、常に危険性がつきまとう。単に首相の言葉を漏らさず伝えるだけだったり、スクープ意識が先走っているだけだと、報じる側の単なる自己満足で終わってしまう。

一連の事件では、裏金を作っていた政治家が「政策活動費として説明されたので収支報告書に記載しなかった」との説明をしていたことが報じられている。「政策活動費」とは、政党本部が政治家個人に配る資金で、自民党では有力議員を中心に幹事長などに毎年10億円前後の資金が配られ、そして裏金と化している。この「裏金」は特捜部の捜査対象とはならないが、私が出演している情報番組「めざまし8」では、敢えてこの「政策活動費」に焦点を当てて、その問題を掘り起こす内容を伝えている。

スタッフが自民党本部の収支報告書をチェックして誰にいくら支払われたのかを書き出し、法律と照らし合わせ、私を含めて政治資金に詳しい専門家に取材をするなど、「調査報道」的な内容だ。その内容を視聴しつつ、なぜNHKや朝日新聞などの大手メディアでこうした独自の視点での報道ができないのか不思議に思った。

広報化は否定しないが、その加速化は避けなければいけない。メディアに独自の視点が求められるゆえんだろう。

(立岩陽一郎/ジャーナリスト)