<土曜訪問>一門とともに40年 談志の運命を変えた張本人 立川談四楼(たてかわ・だんしろう)さん(落語家)

 
いいなあ~談四楼さん。
 「談志が自民党の議員だったから、党の政治家と知り合って『この人たちに任せておけば安心』と思っていた。でも震災後に見た自民党は全く変わっていた。失望し、批判せざるを得なくなった」。裏金事件でも「検察が期待外れに終わるのか。今後も舌鋒(ぜっぽう)鋭く迫っていくと思います」とニヤリ。「俳優や芸人の政治的発言が敬遠されるが、海外では普通。そもそも政治の話は日常のことのはず。買い物に行けば消費税がかかってくるわけですし」

 そして40年の結論。「ここ、立川流しかなかった」

 今年は師匠ならぬ弟子を書く。「小説『七人の弟子』。弟子らには『実名で書く。あきらめろ』と言ってあります」
 
 
 昨年12月15日夜、東京・下北沢の北沢八幡神社。独演会に登場した立川談四楼さん(72)は、連日報じられる自民党安倍派の裏金事件に触れ「面白いことになってる」と社会派の論客の顔でニヤリ。会場の笑いを誘った後は、師走を代表する古典落語「芝浜」で貧しい夫婦の情愛をしっとり聞かせた。この夜は北沢八幡神社で独演会を始めて40年、250回の記念の会。初回の実現に尽力してくれた地元客も訪れ、会場は拍手と祝福に包まれた。

 顧みれば2023年は「落語立川流創設40年」の節目の年でもあった。しかも談四楼さんこそ、立川談志さん=11年、75歳で死去=が落語協会を脱退し、立川流を創設する原因となった張本人。独演会の後日、下北沢近くの街の喫茶店で、この40年を伺った。

 落語家・談志との出会いは、群馬県在住の中学生の時、テレビで見た「芝浜」だった。「心に届いた」
 高卒後に弟子入り。人気タレントで参議院議員も務めた師匠の付き人として激務の日々。そして自身31歳、前座を経て二つ目時代に落語史上の事件が起こった。

 1983年、落語協会の真打ち昇進試験で、談四楼さん含む弟子2人が落ちたことに談志さんが激怒、一門で落語協会を脱退し、立川流を創設したのだ。談四楼さんは同年、立川流から初の真打ちとなった。

 ビートたけしさんら著名人も弟子入りするカリスマである一方、「反逆児」と呼ばれた談志師匠とは-。

 「パワハラという言葉が当時あったなら、まさにそのもの。でも、毒舌で鳴らしたけれど、褒め言葉もうまい。『あんた、いい』って最高の笑顔で言ってくるから、皆、舞い上がる。弟子の芸への助言も的確」

 芸への探究も見てきた。 「『うまい落語家』だった談志が、立川流創設後は『落語はイリュージョン』とか言い出して、つまりナンセンスみたいなことで、ぶっ飛んでいてめちゃくちゃ面白い。『芝浜』では『(登場人物の)女房が勝手にしゃべった』『芸術の神が降りてきた』と自ら言うほどの境地に至った」

 晩年には相克もあった。弟弟子の立川談春さんのエッセー『赤めだか』の書評を書いたら、激怒した談志さんからクビを宣告される事態に(その後撤回)。

 「理不尽。でも、今ならわかる。老いや病気のせいだったと。談志は老いも含め全てさらしてくれた」

 談志さんは昨年十三回忌。象徴を失って12年後の今、立川流は創設時から数倍増の60人ほどに。談四楼さんは現在、土橋亭里(どきょうていりゅ)う馬(ば)さんに次ぐ2番弟子で、一門のナンバー2に当たる。

 「立川流は談志の庇護(ひご)下にあったので、その死後は危機感があった。でも、よくしたもので、どんどん後進が育ってきた。今は孫弟子が仕切る時代で、ひ孫弟子もいる。だから私はもう一門のことは若手に任せて、個人的に頑張ろうと。自分の弟子8人を見ながら」

 立川流は落語協会脱退後、上野鈴本演芸場など定席(じょうせき)と呼ばれる寄席に出演不可となったため、全国行脚で会場探しに奔走した。「その種が今の各地の地域寄席につながった」

 師匠を描いた小説『談志が死んだ』など、文筆家でもある談四楼さん。付き人として通った銀座のバーで吉行淳之介さんら作家を知ったことが執筆のきっかけで「談志も『お前、文才ある』と言ってくれたから」。

 X(旧ツイッター)もフォロワーは15万人を超える。政治的な投稿が多い理由は、東日本大震災で表面化した自民党の原発政策への不信感からだという。

 「談志が自民党の議員だったから、党の政治家と知り合って『この人たちに任せておけば安心』と思っていた。でも震災後に見た自民党は全く変わっていた。失望し、批判せざるを得なくなった」。裏金事件でも「検察が期待外れに終わるのか。今後も舌鋒(ぜっぽう)鋭く迫っていくと思います」とニヤリ。「俳優や芸人の政治的発言が敬遠されるが、海外では普通。そもそも政治の話は日常のことのはず。買い物に行けば消費税がかかってくるわけですし」

 そして40年の結論。「ここ、立川流しかなかった」

 今年は師匠ならぬ弟子を書く。「小説『七人の弟子』。弟子らには『実名で書く。あきらめろ』と言ってあります」 (増田恵美子)