昨年から物議を醸している、自民党の派閥をめぐる政治資金規正法違反事件。

自民党安倍派こと「清和政策研究会」では、一昨年までの5年間で、6億円を超える収入を派閥の政治資金収支報告書に記載していなかった疑いがあるため、東京地検特捜部が現在捜査を進めていた。

 

しかし1月16日、松野博一前官房長官(61)や萩生田光一前政調会長(60)、西村康稔前経済産業大臣(61)といった刑事告発の出ていた安倍派幹部7人について、東京地検特捜部はいずれも不起訴とする方針を固めたという。

また岸田派こと「宏池政策研究会」も’18から’20年の3年間で、約3000万円の収支を政治資金収支報告書に記載していなかった。同件について18日、岸田文雄首相(66)は記者団に対し、「事務的なミスの積み重ねと報告を受けた」と語っている。さらに二階派こと「志帥会」も、一昨年までの5年間で2億円を超える収入を政治資金収支報告書に記載していなかった疑いがある。

相次いで発覚する政治とカネの問題に、世論の不信感は高まるばかりーー。19日には、安倍派と二階派の会計責任者が在宅起訴され、岸田派でも不記載当時の会計責任者が略式起訴されることが判明した。しかし、議員については、一部を除き実質“お咎めなし”の状態だ。

金額の大きさにくわえ、不記載が常態化していた疑いがあるにもかかわらず、議員の多くが立件されないことについて疑問を覚える人たちも少なくない。Xでは、厳しい声がこう上がっている。

《会計責任者ばかり立件して、肝心の議員のほとんどがお咎めなし》
《秘書、会計責任者が議員の指示なしにするわけ無いやろ》
《会計責任者だって指示がなきゃやれないよね》

そんななか、自民党・平井卓也元デジタル大臣(65)の過去ポストが注目を集めている。というのも’09年11月25日、平井元大臣はXにこう綴っている。

《収支報告書の虚偽記載は、政治資金規正法の中で最も重い罰則(5年以下の禁固または100万円以下kの罰金)。総額5年で3億円の虚偽記載は重犯罪。会社なら粉飾決算で社長が辞任するのは当然だ!秘書の責任で済む話ではない》(原文ママ)

この当時、首相だった鳩山由紀夫氏(76)の虚偽献金が問題視されていたため、平井元大臣のポストは同件を糾弾したものと思われる。そして14年越しで現在、このポストが“発掘”され、Xではこんな声がこう上がっている。

《平井くんさあ、今こそ岸田にこのポストぶつけなよ》
《平井先生、その通り!自民党に見事にブーメランです!》
《平井先生、ぜひ岸田総裁に同じことを申し上げていただきたい!》
《いいこと言うなぁ!!岸田にも言ってください!!》
《自民党が野党時代の平井卓也議員のブーメランが時空を越えて自民の裏金問題に直撃》

 

 

岸田首相 派閥解散のウラに“したたかな計算”…「他派閥に先を越されたら支持率が落ちる!」

 
「宏池会(岸田派)の解散を検討しています」

 1月18日午後、岸田文雄首相は記者団とのやり取りのなかで突然、表明した。
 
「同日の午前には宏池会のパーティー収入およそ3000万円を政治収支報告書に記載しなかったことについて『事務的なミスの積み重ね』と説明していましたが、会計責任者が立件される見通しであることが報じられ、『このままでは自民党が終わってしまう』と解散を決断したようです」(政治担当記者)

 そして19日、東京地検特捜部が、同派閥の元会計責任者を略式起訴したことが報じられた。

「幹部の林芳正官房長官、上川陽子外務大臣、木原誠二幹事長代理などには事前に解散を告げていたようですが、これまで『三頭政治』で政権運営をしてきた麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長への根回しはなかったと聞いています。

 党内からは『派閥の解消はあり得ないと言っていた麻生さんや、派閥離脱をした岸田首相に翻意を迫った茂木さんはかなり不快感を持っている』という声が聞こえてきます。今後は岸田首相と距離を置くことになるでしょう」(前出・政治担当記者)

 岩井奉信日本大学名誉教授は19日放送の『大下容子ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系)で「岸田さんはパニクったのでしょうか」と言及している。

 これまで「宏池会が発足した年に私が生まれた。宏池会にいることが誇りだ」と胸を張っていた岸田首相にとって「苦渋の決断」だったのではないだろうか。この疑問に、ある自民党関係者が答える。

「いえ、そうでもありません。岸田首相は政権延命のために派閥解消を利用したフシがあります。言ってみれば“したたかな計算”がありました。首相には『他派閥が先に解散宣言をしたら、やや持ち直しを見せている支持率がまた下落する』という危機感があったために、先出しジャンケンで先手を打ったのです」(自民党関係者)

 また、19日付の日本経済新聞は、岸田首相が宏池会会長に就いたのは野党時代で、政治資金やポストの面でもメリットは少なかったと報じている。当時、岸田首相は周囲に「派閥なんて古くさいもの」と漏らしていたという。

 岸田首相は派閥に関してドライな考え方を持っていたようである。だが、これをきっかけに、「自民党の派閥解消は決定的」(自民党議員秘書)になったことは評価されるだろう。

 だが一方で「カネが集まらなくなり、議員の不満はマグマのようにたまっていく」(前出・政治担当記者)と言われている。派閥解散後の自民党は波乱含みのようだ。
 
 

岸田首相がまさかの「宏池会解散」宣言の舞台裏安倍、二階両派巻き込み「死なばもろとも」と決断か

 
 
「巨額裏金事件」をめぐる東京地検特捜部による複数の安倍派議員や安倍、二階、岸田3派の会計責任者らの立件に先立ち、岸田文雄首相(自民党総裁)が18日、自らが派閥会長を務めてきた「岸田派(宏池会)」の解散を宣言したことで、自民党が大揺れとなっている。

岸田首相には、「率先垂範の形で自派閥の解散を宣言することで国民の信頼をつなぎ止め、政権危機脱出の足掛かりにしたい」(岸田派幹部)との狙いがあることは明らか。地検捜査の“標的”となっている安倍、二階両派も巻き込むことで「いわば、死なばもろとも」という捨て身の戦略ともみえる。

ただ、捜査対象から外れている麻生、茂木、森山の各派からは「藪から棒に何を言い出すのか」「派閥解散などありえない」などと反発・批判の声が相次ぐ。特に、麻生、茂木両派は岸田首相の政権運営の拠り所だけに、今後の展開次第では両派による“岸田降ろし”につながりかねず、「文字通りの危険な賭け」(自民長老)となりそうだ。

想定外の「岸田派立件」が決断を後押し
岸田首相は18日午後7時過ぎ、首相官邸で記者団の取材に対し、岸田派の今後の在り方について「解散することを検討している。政治の信頼回復に資するものであるならば、考えなければならない」と、なぜか余裕の笑顔も交えて語った。

一連の裏金事件は、自民党派閥の政治資金パーティーでの収入不記載などが捜査対象となったものだ。ただ、朝日新聞が18日朝刊で「岸田派の元会計責任者も立件対象」と一面トップで報道、他メディアも一斉に後追いしたことが、「岸田首相の派閥解散宣言のきっかけとなった」(岸田派関係者)とされる。
 
というのも、政界では「岸田派の立件」は想定外だったため、「自民党刷新本部」の本部長として、派閥の在り方などの「政治改革」に取り組む岸田首相が「火だるまになりかねない事態」(岸田派幹部)となったからだ。

思わぬ暗転に岸田首相は18日午前の官邸入りの際、岸田派の政治資金収支報告書への不記載額が3000万円に迫るとの疑惑について、「事務処理上の疎漏」「事務的なミスの積み重ねであると報告を受けている」などと素っ気ない受け答えを繰り返し、同派事務局もはその後、収支報告書を訂正するとともに、「当時の会計担当者の転記ミスや会計知識の過誤によって生じた」などとするコメントを出しただけだった。

この対応について、野党側は「即退陣表明が当たり前」(立憲民主幹部)などと猛批判。自民党内からも「あまりに無責任」「これまで長期間、派閥の会長だったので、知らないはずがない」などの批判が相次いだ。

このため岸田首相は午前中から昼過ぎにかけて、官邸内でひそかに林芳正官房長官や根本匠事務総長ら岸田派幹部と相次ぎ会談。その席で「派閥を解散したい」との方針を伝え、幹部らも了承したとされる。

事前連絡なしで麻生氏ら反発 
岸田派関係者によると呼び込まれた幹部の多くは「岸田首相は『こうなれば先手必勝だ』と決意をみなぎらせ、反論などできなかった」と苦笑していたとされる。

ただ、岸田首相は、後見人で刷新本部の最高顧問でもある麻生太郎副総裁をはじめ、茂木敏充幹事長ら他の党幹部とも事前調整をしていなかったとされる。だからこそ麻生氏らが不満を募らせ「刷新本部でのこれからの議論に意味がなくなる」「岸田派の抜け駆けは許されない」「トップリーダーの暴走にしかみえない」などの不満、批判が渦まく状況となった。
 
そうしたことも踏まえ、岸田首相は19日午前の官邸入りの際には記者団に対し、派閥解散については「他の派閥のありようについては何か申し上げる立場にない」と踏み込んだ言及を避けた。そのうえで25日にもまとめる刷新本部の中間的取りまとめについても「国民の疑念払拭のためのルールについて検討していく」と説明した。

さらに、自民党が検討しているとされる裏金事件での立件などを踏まえた安倍派幹部の処分についても「捜査結果をみたうえで対応を考える」とかわした。

“派閥完全解散”で手続きも、「同志の絆は残る」の声も
そうした中、岸田派ではすでに派閥解散に向けた対応が詰められている。岸田首相周辺は「政治団体を解散し、事務所をたたむ。政策集団としても残さない」と説明。通常国会召集に合わせて、“派閥完全解散”に向けた手続きを進める構えだ。ただ、同派内には「同志の絆は残る」との声が多く、「幹部を中心に緩やかな政策研究グループとして活動を続ける」可能性もある。

岸田派は1957年に池田勇人元首相(故人)が旗揚げし、現在まで67年近い歴史を持つ自民党内で最も古い名門派閥だ。派閥の成り立ちや目指す政策を踏まえて「保守本流」を自認し、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一各元首相(いずれも故人)を輩出、岸田氏は同派5人目の首相となる。

自らの祖父が池田派結成の有力メンバーだったこともあり、66歳の岸田首相は常日頃「生まれたときから宏池会」と胸を張っていた。だからこそ、政権誕生後もあえて派閥会長を続けていたわけだ。このため周辺は「根っからの派閥人間なのに、伝統ある派閥を解散するというのは余程のこと」(岸田派若手)との当惑を隠さない。

同派は、当時の派閥会長だった加藤紘一元幹事長(故人)とその同志の同派議員らが、2000年11月に起こしたいわゆる「加藤の乱」の失敗で、派分裂という事態も招いた。このため、岸田政権の誕生は宮沢政権以来約32年ぶりとなり、その間は安倍政権をはじめ多くの期間が現安倍派の「清和会」出身の首相となっていた。 

こうしたことから、今回の岸田首相の決断は「長年党内で対立してきた安倍派を完全解体に追い込むのが本当の狙いでは」(岸田派関係者)との臆測も広がる。ただ、「そんな理由での派閥解散なら、政治改革どころか自民党内の闇試合として国民の批判を募らせるだけ」(自民長老)との指摘も多く、今後の展開は極めて不透明だ。

 

「岸田派解散」を首相明言も国民に響かず…派閥の在り方に含み残す発言、SNSで皮肉られる哀れ

 
 
《いつもの検討だろ》《めずらしく決断したのか》……。SNS上では懐疑的な見方が少なくない。自民党の派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、岸田文雄首相(66)が昨年12月まで会長を務めた「岸田派」(宏池会=46人)について18日夜、「解散することを検討する」と発言したことに対する反応だ。さらに首相は19日午前、同会について「政治の信頼回復のために宏池会を解散する」と明言した。

 裏金事件では、「岸田派」でも2018年からの3年間で3000万円超に上る政治資金収支報告書への不記載が判明。東京地検特捜部は当時の会計責任者を政治資金規正法違反罪で略式起訴する方針で、これを受け、岸田首相は派閥の「解散」にまで踏み込んだわけだ。


 とはいえ、18日夜に「解散検討」発言が報じられると、ネット上には《出たよ検討》《お決まりの検討》といった投稿が相次いだ。なぜなら、岸田首相は「遣唐使」をもじった「検討使」と揶揄されるほど「検討」と言う言葉を多用しながら、「決断」を先送りするケースが少なくないからだろう。

 2022年6月1日の衆院予算委で、立憲民主党の議員は、岸田首相が「検討」という言葉を国会で204回使い、安倍元首相(143回)、菅前首相(126回)と比べて多い一方、「決断」という言葉は、岸田首相が7回で、安倍、菅両氏(29回、10回)よりも少ないと指摘。そのため、今回の「解散検討」発言に対しても皮肉交じりの意見が出たということか。
 
■派閥を解散して別の名前のグループを作りますという意味?

 19日午前の「解散」明言に関しても、いよいよ「検討」から早期「決断」に至ったのかと思いきや、派閥の在り方について問われると、「疑念を払拭して信頼を回復するために政策集団のルールについて考えなければならない」と含みを残すような発言もあったことから、再びSNS上ではこんな意見も。

《ん?政策集団のルールを考える?つまり、派閥という名前はなくすけれど仕組みは残すってことか》

《派閥を解散して別の名前のグループを作りますという意味?検討でも決断でもない》

《偽装解散だろ。そもそも派閥を離脱した岸田さんに解散権限ってあるの》

 もはや岸田首相がどんな「決断」をしても国民には響かないようだ。

 

「頭悪いのはあなた」谷川弥一議員 裏金認め議員辞職へ…不遜な“逆ギレ対応”が特大ブーメラン

 
 
1月19日、東京地検特捜部は政治資金規正法違反の虚偽記載の罪で、自民党・安倍派の大野泰正参院議員(64)を在宅起訴、谷川弥一衆議院議員(82)を略式起訴。また、両名は立件されたことを受けて、自民党を離党した。谷川議員は、来週にも議員辞職する意向も固めているという。

所属する清和政策研究会(安倍派)からパーティー券収入の(還流)を受領しながら政治資金収支報告書に記載しなかったとして、特捜部から任意で事情聴取を受けていた谷川氏。

各メディアによると、谷川氏は特捜部に対し、容疑を認める意向を示しており、還流資金の不記載額は4000万円を超えるとされる。

“裏金疑惑”が持ち上がった昨年12月10日、谷川氏は報道陣から疑惑について説明を求められると、持参したメモを見ながら「適切に対応して参りたい」などとコメントしていたのだがーー。

「その際、報道陣から『(パーティー券の)販売ノルマはどのくらいだったか?』『これからの議員活動については?』と質問されると、谷川氏は『だから今言った通りって言っているでしょ』『なんで同じこと何回も言うの』などとヒートアップ。

さらに別の記者から『会派の中でそのようなことがあった?』と問われると、不機嫌な態度で『頭悪いね』『質問してもこれ以上、今日言いませんと言っているじゃない。わからない?』と言い放ったのです。裏金疑惑に対する明確な回答をしないどころか、“頭悪い”と強い言葉を放った谷川氏には批判が集まることに。

しかもその後も12月13日の衆院本会議で目を閉じて堂々と居眠りするなど、まったく悪びれる素振りも見せていませんでした」(政治部記者)

結局、一連の疑惑を認めることとなり、議員辞職の意向を固める事態に陥った谷川氏。“頭悪い”と不遜な態度をとっていたことから、SNS上では再び谷川氏への批判が巻き起こっている。

《頭悪いのは、谷川弥一あなたじゃないですか。長い間お疲れ様でした。ゆっくり休んでください》
《裏金で起訴されるなんて「君、頭悪いね」》
《離党で済ませる自民クオリティ。そもそも除名でもおかしくない。内容を考えると議員辞職が当然だと思う人が多いはず。普通に働いていたら懲戒免職じゃないかと》
 
 

4000万円裏金で略式起訴された谷川弥一議員 関係者が指摘する「学歴コンプレックス」と「負けん気の強さ」の落とし穴

 
 安倍派の政治資金パーティーを巡り、派閥から4000万円超の還流を受けていた疑いで谷川弥一衆院議員が略式起訴された。本人は自民党を離党し、議員辞職する意向というが、なぜこのような資金集めに手を染めてしまったのか。
 
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永田町では珍しい「高卒国会議員」
 谷川氏は1月19日、安倍派の一連の裏金問題で4000万円を超える派閥からのキックバックを政治資金収支報告書に記載しなかったとして、政治資金規正法違反の疑いで略式起訴された。

「安倍派所属議員のうち、多額の還流を受けていた議員は立件される方針でした。すでに同派の池田佳隆議員は4800万円のキックバックを受け取ったとして、政治資金規正法違反で逮捕されています。それに近い金額のキックバックを受けていた谷川議員も立件対象として捜査が進められていたんです」(社会部記者)

 簡単に経歴を振り返っておくと、谷川氏は長崎県の五島市出身。県立長崎東高等学校を卒業した後、家業の製材所を手伝うようになる。1971年、谷川建設を創業し、1987年に長崎県議に初当選。2003年に長崎3区で初当選した。

 つまり、永田町では珍しい「高卒国会議員」なのだ。

 その谷川氏が不評を買ったのは先月10日のことだった。地元の長崎県で一連の疑惑について、ぶら下がりを行った。しかし、質問を重ねる記者に対し、

「頭悪いねえ? 言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日言いませんと言っているじゃない」

 と苛立ちを隠さない様子がテレビなどで報じられ、総スカンを喰らったのだ。

“そうなってたまるか”
「昔からああなんですよ、最初から言わなきゃいいのにねえ」

 と、苦言を呈すのは谷川氏の元秘書である。

「県議時代、議長に就いて威張っていたこともありました。地元の新聞社がちょっと批判的なことを書くとガーッと怒る。その度に秘書が“口は悪いけど人はいいから、申し訳ないね”って菓子折り持って尻拭いに回らなきゃいけなかったんですよ。県の職員や秘書に対してもそう。県議なのに副知事に噛み付いて、ケチョンケチョンに言い負かしたこともある。でもその後、本人が“すみませんでした”って謝りに行って、憎めないところもあるんだけどね」

 もともと負けん気の強い性格だったと、谷川氏の知人がこう語る。

「弥一さんは厳しい人だけど、基本的に努力家です。本が大好きで、歴史小説をよく読んでいた。亡くなった奥さんと新婚旅行に行く時も弥一さんが本を山のように持って行って、そればっかり読んでいて全く喋らない。それで奥さんは呆れちゃったそうですよ。長崎の高校に通った後、故郷に戻って家業の材木屋を継いだんだけど、ある時、東京の大学に行った同級生から“田舎の五島にいたらなんにも出来ねぇだろ”って言われて、悔しくて長崎市に自身の建設会社を立ち上げたらしい。とにかく向こうっ気が強くてね。会社を立ち上げて間もない頃、大手建設から下請けの話があったんですよ。会社としては喉から手が出るほど美味しい話だったのに、弥一さんは“そんなもん受けてたらウチは一生下請けだ。そうなってたまるか”って蹴っちゃった」

 政治家になってからのパーティー券はその谷川建設の関係者である地元の建設業者や谷川建設の下請け業者らに買わせていたという。
 
“1度決めたことは絶対にやる”
 地元建設会社の社員が言う。

「清和会のパーティーの時期になると、秘書さんが来るから義理で何枚か買ってあげていた。“あんたもこんなもん売るのはキツかなぁ”って現金をその場でポンと渡してさ。会場は東京だし行けないから、封筒から出して眺めたら、パー券は捨ててしまうんだけどね。谷川建設は親族に継がせていて、自身は経営にタッチしていなかったけど、カネに困っていたということはないと思いますよ」

 ならば、なぜ4000万円超ものキックバックを受け、裏金作りに勤しんでいたのか。その点、先の元秘書が指摘する。

「ほかの代議士と比べてもお金はたくさんあったはず。わざわざ血眼でお金を集める意味がないよ。それに弥一は金勘定が苦手で、会計担当者や税理士にお金のことは丸投げしてた。細かい計算なんてしたことないんじゃないかな。本人は高卒という学歴に対して随分コンプレックスがあって、負けん気が強い。ノルマについても“その辺の大卒議員に負けるか”って頑張って集めたのだと思うよ。弥一は1度決めたことは絶対にやるし、意志の力は凄いもんなんだ」

デイリー新潮編集部