きょうの潮流

 「希望がみえる大会になってほしい」。鳥取から早朝の便に乗ってきた20代の代議員は期待を込めて口にしました。会場までの坂道を息を切らせて登りながら

 

▼居場所がなかったという中学時代。民青と共産党に出合って生き方が変わったといいます。いまは、みずから仲間を増やし悩みを聞く立場に。手を携えて少しでも若者が生きやすい社会へ。そのための確信を深めるため、いろんな経験から学びたいと

 

▼避難所の生活はいたたまれない現状がある。何年も前から群発地震が続いていたのに、いざ避難となったら、物資が足りない、行政の職員も減らされている。被災者や弱者に寄り添い、国民の命や健康を最優先にした政治に早く変えなくては―。石川から来た代議員は訴えるように語りました

 

▼沖縄からの代議員は県民の怒りがふっとうしていると話します。国の代執行による辺野古の米軍基地建設の強行。南西諸島へのミサイルの配備。戦争の準備ではなく平和への準備を明確に示す大会にしようとのぞみました

 

▼なぜ戦争が起きるのか。人間の自由とは何か。自分たちの人生を食いつぶす資本主義をのりこえた先には。東京の青年代議員は、それを模索し、未来への展望をつかみたいといいます

 

▼それぞれの思いを胸に、全国から集った同志たち。日本と世界、そしてわが党の未来にとって、歴史的な大会になる。志位委員長はそう呼びかけました。自民党政治を終わらせ、希望ある新しい日本をひらくためつよく大きな党をつくろう。

 

 

2017年画期的な光景 この熱気を取り戻すときなのに…。『平和で公正で平等な社会が目の前で崩れ落ちていく姿を、われわれは座視するわけにはいきません。山本宣治が貫いた、常に大衆とともに生き大衆のために立ち上がる信念を胸に刻み込みながら、皆さんと一緒にたたかっていきたいと思います。』安住さんこの言葉を思い出すときでは???

 

日本共産党大会に招待された野党代表 下段左から安住淳・民進党代表代行、小沢一郎・自由党代表、吉田忠智・社民党党首、糸数慶子氏(参議院会派・沖縄の風)

 

初参加の民進・安住淳代表代行「大局観に立って一致できる点を見いだす」 あいさつ詳報

 
 共産党の第27回党大会が15日、静岡県熱海市の静岡県熱海市の党員研修施設「伊豆学習会館」で、3年ぶりに4日間の日程で開幕した。大会には95年間の党史上初めて、他党として民進、自由、社民3党が出席。民進党の安住淳代表代行は「違いをことさらに強調するのでなく、大局観に立って一致できる点を見いだす」と述べ、次期衆院選での共闘を進める考えを示した。安住氏の来賓あいさつ詳報は以下の通り。

 みなさんこんにちは。ちょっと緊張しておりますが、しっかりあいさつを述べたいと思う。

 日本共産党、第27回大会の開催を心からお祝い申し上げる。結党以来95年という節目の年を迎え、日本の近代化の中で先の大戦を含む激動の時代を乗り越えてきた御党に心から敬意を表する。

 さて、昨年の参院選では、野党と市民の共闘という歴史的取り組みにより、1人区を含め大きな成果をあげた。ここに改めて熱く御礼を申し上げる。

 また、近年は国会運営においても、安倍政権と毅然(きぜん)と立ち向かい、政策的にも労働基準法改正案ほか10本の改正案を、両党で共同提出するなど、これまでにない共闘を続けてきた。
 
 安倍・自公政権は、数におごり、国民や野党の声に耳を傾ける謙虚な姿勢はまったくみられなくなった。わが党は、政権交代可能な二大政党を目指し、その一翼を担うことを目的に結成された。

 しかし、その道は険しく困難を極めている。野党の力が弱まれば、与党がおごり高ぶるのは自然の摂理といえる。

 安倍政権は4度の国政選挙で「一強」と化し、憲法解釈さえ変更し、特定秘密保護法や安保法などを成立させた。昨年秋の臨時国会でも、これまでにまして強引な国会運営に終始した。皆さん、今こそこの政治の流れを変えなければならない。

 わが党と日本共産党の間には、いまなお考え方に隔たりがある政策があるのは事実だ。

 安全保障、エネルギー、社会保障とその負担のあり方などがまさにそうだ。

 しかし、これらの政策について、完全に政策が一致することは難しいかもしれないが、一つ一つのテーマについて両党が真摯(しんし)に話し合い、それぞれの考えを尊重しながら、ある一定の幅の中にこれらの政策を寄せ合うことは可能だと確信している。

 そしてその先に、候補者の一本化など国民が納得する選挙協力の形が見えてくるのだと思う。

 私は本日、わが党を代表して日本共産党大会に初めて参加させていただいた。この舞台に立っていることに歴史的使命を感じている。
 
 多くの国民は、強者の論理を振りかざし、右傾化の流れを強め、立憲主義を無視する安倍政権に代わり、弱い立場の人々に寄り添い、ともに助け合うしなやかな社会の構築を目指す、もう一つの政治勢力が結集することを強く望んでいるのでないか。皆さんや私たちはその期待に応えなければならない。

 わが党は昨年5月の党首会談や、年末の幹事長・書記局長会談での合意に基づき、来るべき選挙でできうる限りの協力を行うための話し合いを、積極的かつ具体的に進めていくことをここでお約束する。そして1日も早く体制を整え、皆さんとともに来るべき決戦に備えたいと思う。

 みなさん、違いをことさらに強調するのでなく、大局観に立って一致できる点を見いだすこと。

 その度量と決意で共通の敵に立ち向かうときに初めて、今の政治を動かすことができるのでないか。このことを私は皆さんに申し上げたい。皆さん、市民と一緒になって政治を変えていく運動に立ち上がろうではありませんか。

 歴史と伝統のある日本共産党の今後のますますの躍進をお祈り申し上げ、私の連帯のあいさつにかえさせていただく。おめでとうございました。

 

 

第28回大会 共闘する野党・会派などからあいさつ 立憲民主党国対委員長 安住淳さん 縮まった距離

 

 山宣こと山本宣治は治安維持法の改正に反対し、1929年に開催された帝国議会での反対演説を準備していた折、右翼の男に刺殺されました。

 山本宣治は1928年の第1回衆議院普通選挙で京都2区から初当選しました。

 昭和初期の日本は軍国主義に進み、言論は弾圧され自由は許されず、多くの人々が貧困にあえぎました。山本宣治は、社会の片隅に追われた人々のために命を燃やし、政治家としての人生を全うしたのです。

 「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋(さび)しくない。背後には大衆が支持してゐるから」。この山本宣治の言葉は大山郁夫先生が書き残しました。そして今、日本共産党の国会控室に掲げられております。この書の写しが、穀田国対委員長を経由して私の議員会館にも飾ってあります。

 確かに皆さんと私の間に個々の政策、考え方について見解の相違はあります。しかし10年前、5年前、選挙協力が本格的に始まった3年前、さらに今日と、その距離はグンと縮まりました。

 失礼を顧みず申し上げるならば、そびえたつ山からようやく皆さんに降りてきていただいた。同時にわれわれも、常に弱者に寄り添う視点を持ち続ける政治姿勢を、皆様から教えられてきました。

 今後お互いの距離をさらに縮めていき、国会運営や国政選挙で一体感のある協力をしていきましょう。そうすれば、自然とその先に政権が見えてきます。

 今日、安倍1強政権の中で平和憲法の理念が捨て去られ、集団的自衛権の一部行使が容認されました。「桜を見る会」や森友・加計事件に見られるように、長期政権の弊害が見られます。格差社会も進み、都市と地方の格差も拡大しています。

 平和で公正で平等な社会が目の前で崩れ落ちていく姿を、われわれは座視するわけにはいきません。山本宣治が貫いた、常に大衆とともに生き大衆のために立ち上がる信念を胸に刻み込みながら、皆さんと一緒にたたかっていきたいと思います。
 

自民党政治終わらせ希望ある新しい日本を

強く大きな党つくる歴史的転機に

日本共産党第29回大会始まる

中央委員会を代表して志位委員長あいさつ

 
 日本共産党第29回大会が15日、静岡県熱海市の伊豆学習会館で始まりました。18日までの4日間の日程。日本と世界の進路、日本共産党の未来にとって歴史的意義と使命をもつ大会です。自民党政治を終わりにし希望ある新しい日本をつくる道を指し示し、強く大きな党をつくる歴史的転機にしようと、参加者の意気高い熱気がみなぎりました。

 開会を宣言した志位和夫委員長は、能登半島地震の犠牲者への哀悼の意と、被災者へのお見舞いを表しました。災害関連死の防止、避難所環境の抜本的改善などあらゆる手だてをとることとともに、中長期の課題として、住宅再建や地域産業の復興など被災者の生活と生業(なりわい)の再建まで政治が責任を果たすことを強調。12日までに全国から日本共産党に寄せられた6800万円の救援募金全額を第1次分として石川県はじめ被災自治体に届けたことを報告し、引き続く救援募金の協力を呼びかけました。

 11カ国の大使、外交官が出席し、連帯を深めました。志位委員長が中央委員会を代表してのあいさつ、田村智子副委員長が大会に対する中央委員会報告を行い、大会決議案を練り上げる討論が始まりました。


(写真)大会へのあいさつを行う志位和夫委員長=15日、静岡県熱海市

 志位委員長が中央委員会を代表してのあいさつを行い、大会の中心点について4点発言しました。

 第一は、「いかにして東アジアを戦争の心配のない平和な地域にしていくか」についてです。日本共産党代表団が昨年末の東南アジア3カ国への訪問を通じて得た認識の発展、党の外交方針の発展方向を報告しました。

 このなかで志位氏は、東南アジア諸国連合(ASEAN)が地域を平和の共同体に変えた秘訣(ひけつ)について、“対話の習慣”があり、それは東南アジアの“多様性の産物”であることを報告。米中対立への対応で、大国の関与を歓迎するが、どちらか一方の側に立つことはしないというASEANの「中心性と結束」があると述べ、日本共産党の自主独立と通じるものがあり、日本外交に生かすべき教訓だと指摘しました。

 その上で、日本共産党が提唱した東アジアに平和をつくる「外交ビジョン」を発展させることが重要だとし、2点を提起しました。

 一つは、ASEANと協力してASEANインド太平洋構想(AOIP)を成功させる取り組みとともに、北東アジアが抱える諸問題を解決するための独自の取り組みを強めていく「二重の努力」が必要だということです。

 二つめは、東アジアの平和構築を成功させるためには政府間の取り組みだけでなく、国民的・市民的運動が必要だとし、その運動を大会として国内外に呼びかけることを提案しました。

日本政治打開の道
 第二は、日本の政治の行き詰まりをどう打開していくかです。志位氏は岸田政権が末期的な状況に追い詰められているだけではなく、自民党政治の全体が末期的な状況に陥っていると指摘。「底なしの政治腐敗」「経済無策」「戦争国家づくり」「人権後進国」と、どの分野でも岸田政権に一刻たりとも日本のかじ取りを任せられないことは明らかであり、退陣に追い込むために全力をあげると表明。同時に、これらの問題を生み出した自民党政治そのものを終わらせることが強く求められていると訴えました。

 その打開の道は根本的には共闘しかないが、率直に言って困難もあると指摘。障害を乗り越えて日本の前途を開く二つのカギとして、(1)あらゆる分野で国民運動を起こし、自民党政治を終わらせる国民的大運動を起こすこと(2)日本共産党の総選挙での躍進―を訴えました。

党建設の教訓と展望
 第三に、強大な党をどうつくるかに関わって党建設の歴史的教訓と大局的展望を報告。大会決議案で述べられている党建設の現状「長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していない」点について、党建設の歴史的取り組みをふまえ深い分析を加えて解明を行いました。

 「年平均の新入党者の推移」をみると、1990年代が特に大きく落ち込み、およそ10年間にわたって新入党者の「空白の期間」があり、「年齢構成」でも50代以下がガクンと落ち込んでいると指摘。その原因について志位氏は、客観的要因として「社公合意」以来の「日本共産党をのぞく」の壁、旧ソ連・東欧の旧体制の崩壊とそれを利用した反共攻撃の影響があったと同時に、重大な主体的要因があったと指摘。第17回党大会第8回中央委員会総会(1987年)で、「党員拡大が党建設の根幹」という方針が、「党員拡大と機関紙拡大が二つの根幹」と変更され、党員拡大を事実上後景においやったことが重大な一因となったとしました。

 この方針の誤りは、第22回党大会(2000年)で是正されたが、党員拡大に「空白の期間」が存在し、その困難を打開する特別の努力が必要であることを全党の「自覚」にし、特別の取り組みのイニシアチブを発揮する点で、中央の指導が十分とは言えなかったと表明。▽党員拡大の自覚的な取り組みを継続的に発展させ「空白の期間」をつくらない▽仮に「空白の期間」が生まれた時には、それをただちに取り戻す特別の取り組みを行う▽党員拡大を党の将来を展望しての戦略的課題として位置づけることを今後の党建設の最大の教訓としたいと述べました。

 同時に「党勢を長期の後退から前進に転じる歴史的チャンスの時期を迎えている」とし、客観的条件と主体的条件を全面的に生かし、「党建設の歴史的後退にピリオドを打ち、前進・飛躍へと転じる歴史的大会にしていこう」と呼びかけました。

社会主義・共産主義論の意義
 第四として志位氏は、大会決議案が明らかにした社会主義・共産主義論の意義を三点にわたり述べました。

 第一は、「『人間の自由』こそ社会主義・共産主義の最大の特質」とする大会決議案の解明が科学的社会主義の本来の立場にたったものであることです。

 第二は、大会決議案は未来社会論と「人間の自由」について「三つの角度」から整理しているが、これは国民の疑問や関心から出発し、それにかみ合って党綱領の未来社会論を分かりやすく語る上で最も合理的な組み立てになっていることです。

 第三は、党建設を後退から前進に転じる上で、大会決議案の解明が大きな威力を発揮することです。

 志位氏は、その威力は大会決議案の解明に共感し、少なくない方が党への魅力を実感し、新たに党に入っているという事実が証明しているとし、「大会決議案が明らかにした未来社会論を縦横に語り、強く大きな党をつくる力にしていこう」と訴えました。