松本人志問題で揺れる芸能界はこれからどうなるのか? ジャニーズ告発の音楽プロデューサー・松尾潔「おれの歌を聞け」執筆の真意

 
日本で暮らすぼくたちは、「語らない」にかけては年季入りのプロだ。1970年、当時50歳の三船敏郎を起用したサッポロビールのCM「男は黙ってサッポロビール」の美学は、いまもこの国に息づいている。寡黙を美徳とする人たちの土台は揺るぎないようにも見える。冗談じゃない。そんな態度が忖度の空気を蔓は び延こ らせたのではなかったか。
 
 
 
東京新聞記者の望月衣塑子氏は、今回の本をこう推薦する。「性加害を告発する時代の鼓動と、自由と権利を求める音楽が響き合う。新たな歌を全身で感じてほしい」

EXILE、東方神起から天童よしみまで、時代を刻む楽曲を手がける音楽プロデューサー・松尾潔氏は、昨年7月、ジャニーズ事務所への発言をラジオで行ったところ、業務提携先の芸能事務所から契約解除された。山下達郎が所属する事務所だったことから、大きな話題を呼んだが、この松尾氏が、一連のジャニーズ問題と芸能のあり方を論じた書『おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』が、1月12日、講談社から刊行された。
 
ぼくはなぜプロデューサーになったのか
音楽を仕事にするつもりなんて、さらさらなかった。ましてやプロミュージシャンを目指したことなんて一度もない。子どものころオルガンやピアノの教室に通ったのは自発的な意志ではないし、高校の文化祭ではボーカルとベースギターを担当してバンドの真似事をやってみたけれど、当時耽たん溺できしていたアメリカのR&Bシンガーの技量には一生をかけても手が届かないことが身に沁みてわかった。何より、自分は音楽を歌ったり奏でたりするよりは、聴くことに何倍もの大きな愉しみを見出す性質だと、ぼくは10代で気づいた。

だから歌手でもミュージシャンでもなくプロデューサーになったのだろう。そこに至る経緯の説明に紙面を割くのは控えるが、端的に言うなら「なりゆき」が「なりわい」になったということだ。

つい先ごろ、90年代に世界的人気を博した米西海岸の伝説的ラッパー、2PACを銃撃して殺害した容疑者が逮捕され、大きく報じられた。じつに事件から27年が経っている。逮捕されたのはロサンゼルスを拠点とするギャングの元リーダーだった。ぼくは2PACが亡くなった1996年9月はロサンゼルスで仕事をしていたので、故人ゆかりのクラブやレコーディングスタジオといった場所に立ち寄ったときの、ぞっとするような空気感をよく憶えている。そこにはただ恐怖と憎悪の残り香が があった。

ラッパーが登場するずっと以前から、ブラックミュージックはならず者が跋ばっ扈こ する世界だった。ジャズ、ブルーズ、ソウル、R&Bそしてヒップホップ。そんなカルチャーに強く心惹かれて裏口から音楽業界に入ったようなぼくだが、気づけばさらにそこからもうひとつ奥の芸能界の領域に足を踏み入れていた。裏口から入ったのだから、じつは「奥」こそがど真ん中だったのだが。

芸能の魅力は蓮の花に似ている。

蓮の花言葉は、「清らかな心」あるいは「神聖」。

「清らかな心」の由来は、蓮が泥水を吸い上げて美しい花を咲かせる姿から。インドでは極楽浄土が蓮の形をしているという説を聞いたことがある。いっぽう、「神聖」の由来はお釈迦様。釈迦が初めて歩いたときに、その足跡から咲いた蓮の花の上に立ち「天上天下唯我独尊」と言ったのだとか。

ぼくは芸能界それ自体を清らかで美しい場所だとは思えず、清濁併せ吞の みながら泥の中で美しい蓮の花を咲かせるのが芸能だと信じてきた。粗にして野だが、かがやきの素をたしかに含むもの。それを清らかに、また神聖に変えるハッピーな異化作用が「芸能」なのでは。そして、その作用が機能する場所を「芸能界」と呼ぶのではないか。

そんな芸能界のエコシステムの危険性と脆弱性は、その世界の住人だけでなくファンも何となく感じていたはずだ。でも「推し」のかがやきに憧れや思いを仮託することで、そこに巣食う人たちも「一線」は守っているはずだと信じこもうとしてきたのが実態ではないだろうか。だが「一線」は儚はかないものになった。いや、昔からそうだったのかもしれない。今はそのことが可視化されただけで。ハーヴェイ・ワインスタイン事件をはじめとする「#MeToo」運動に関連したアメリカの性的虐待事件の数々、イギリスのジミー・サヴィル事件、そしてジャニー喜多川問題。

今なら、見える。

荒れるツイッター
政治家、官邸、芸能人、芸能事務所……彼らのことをメディアやSNSで言うたび、書くたび、支持者やファンからの反論や誹謗中傷でぼくのツイッターは荒れる。これは批判ではなく提言なのだとわざわざ明示しても、そこは見事に読み飛ばされてしまう。

ブロック機能を使わないぼくは、よほど忙しくないかぎりはそれらに目を通すようにしている。ほぼすべてが捨て垢と呼ばれる匿名アカウントだ。日刊ゲンダイ連載「メロウな木曜日」でも書いた通り、匿名で何をどう言われてもさほど気にならないぼくは、大概のことは「言うても匿名だしなぁ」で終わってしまう。鈍感力に恵まれた我が身の幸運を嚙みしめるのである。

目を背けることなく捨て垢ツイートを観察し続けてきた結果、注目すべきデータを手にすることができた。それは、攻撃性の高いツイートの常に半数ほどは、じつは具体的な反論でも誹謗中傷でもなく、「黙れ」「売名か」「退場しろ」「しつこいぞ」「これ以上関わるな」といった口封じともとれるものなのだった。こういうときの「黙れ」は、「臭いものの蓋を取るな」と言っているようにぼくには感じられる。

世界の地獄化を止める唯一の方法
「しつこいぞ」と言うだけのために1週間に数十件ポストする猛者もいるのだから、どっちがしつこいんだか。洒落が利いているにもほどがある。だったらぼくをブロックすれば済むものをと思うのだが、どうやらそういうことでもないらしい。「ぼくの声が聞こえない場所に行く」と「ぼくを黙らせたところまで見届ける」は別物なのだ。

女性として初めて欧州議会議長を務め、ホロコースト体験の優れた語り手としても知られたフランスの政治家シモーヌ・ヴェイユの自伝を読むと、ホロコーストから生き延びた後も地獄だったと述懐している。なぜなら「沈黙を強いられたから」。つまり、自ら黙秘することと他者に沈黙を強いられることは、まったく違う。

だからぼくはしつこく言い続ける。

世界の地獄化を止める唯一の方法は、声を上げることだと。

2020年6月7日、コロナ禍により卒業式の開催が厳しくなった状況の下、米YouTubeは全世界の大学生と高校生、彼らの家族を祝うために「Dear Class of 2020」なるオンライン仮想卒業式を催した。YouTubeらしくケイティ・ペリー、マライア・キャリー、アリシア・キーズ、クリス・マーティン(コールドプレイ)、BTSといった音楽業界の人気者が華やかなパフォーマンスも見せたが、これは卒業式。講演者(Commencement Speakers)の人選にこそ瞠目すべきところがあった。バラク・オバマ元米大統領、ミシェル・オバマ元米ファースト・レディ、コンドリーザ・ライス元米国務長官、ロバート・ゲーツ元米国防長官(実際にウィリアム・アンド・メアリー大学総長でもある)、人権運動家マララ・ユスフザイ、さらにエンターテインメントの世界からレディー・ガガ、BTS、そしてビヨンセ。

なかでも、ビヨンセの10分近くにおよぶスピーチは感動的だった。今でもYouTubeで全部観ることができるので、未見の方にはぜひご覧になることをお勧めする。白眉は終盤のこのくだりだ。

「目標を語るだけで終わりにしないでください。夢を見るだけで終わりにしないでください。行動に移さない人がいても責めないでください。あなたがそうなればいいのですから(Don’t talk about what you’re gonna do. Don’t just dream about what you’re gonna do. Don’t criticize somebody else for what they’re not doing. You be it. Be about it)」

長年アメリカのR&Bやヒップホップに淫してきた者にとって、“Don’t talk about it, be about it”(理想の姿を語るな、理想の自分になれ)はなじみ深い常套句。そこに「行動しない他者を批判するのはやめましょう」という一節をさらりと織り込むところがビヨンセの女王たる所以。カッコいいってこういうことだよなぁ。すばらしい。まあ教科書英語的には“Actions speak louder than words”という有名な成句が近いのかもしれない。行動は言葉より雄弁、とか、行動あるのみ、といった強めのニュアンスが生まれるけれど。

ビヨンセが「Don't talk」といった意味
ポイントは、歌う大富豪ビヨンセが豊かな語彙を駆使してこの説をよどみなく語ったところにある。ビヨンセが人種を超えたスーパースターであることは論を俟ま たないが、この日彼女は、自分が何よりもまずひとりの黒人女性であることを明言した。

その時点でのビヨンセの最新アルバムは、民主党のヒラリー・クリントンと共和党のドナルド・トランプが争った大統領選挙の年2016年に発表された『Lemonade』だったが、そこで彼女は、政治や人種差別についての自らの考えを臆することなく歌い込んでいる。同年のスーパーボウルに出演したビヨンセは、同アルバム収録曲「Formation」をパフォーマンスするにあたり、(少なくとも外見上は)女性ばかりのダンサー全員に黒いベレー帽を着用させ、それをトレードマークとするブラックパンサー党へオマージュを捧げた。その年結成50周年だった同党は、米カリフォルニア州オークランドで結成され、過激な黒人解放運動を展開した団体。同胞に武装自衛を呼び掛けて警察と衝突しながらも、食料配給や無償医療の推進にも努めた。党員の6割が女性だったと推定される。はっきりと政治色を打ちだしたこのパフォーマンスには保守派が嚙みつき、アンチ・ビヨンセなる抗議運動も生みだすことになる。

そんなビヨンセが“Don’t talk”と言うから、途轍もない説得力が生まれるのだ。その構造を見落としてはならない。そして“be about it”が意味するのは、他人事にせずに自分が当事者になれ、というメッセージ。

日本で暮らすぼくたちは、「語らない」にかけては年季入りのプロだ。1970年、当時50歳の三船敏郎を起用したサッポロビールのCM「男は黙ってサッポロビール」の美学は、いまもこの国に息づいている。寡黙を美徳とする人たちの土台は揺るぎないようにも見える。冗談じゃない。そんな態度が忖度の空気を蔓は び延こ らせたのではなかったか。

ぼくは今、先の常套句にリミックスを施す必要も感じている。

Let’s talk about it to be about it.

理想を語れ、理想の自分になるために。

口をふさぐものは要らない。おれの歌を止めるな。

 

あの10月のジャニーズ会見とは何だったか…Jに楽曲提供もしていたプロデューサーが綴る真実《話題書「おれの歌を止めるな」先行公開》

 
 
 東京新聞記者の望月衣塑子氏は、今回の本をこう推薦する。「性加害を告発する時代の鼓動と、自由と権利を求める音楽が響き合う。新たな歌を全身で感じてほしい」
 
 EXILE、東方神起から天童よしみまで、時代を刻む楽曲を手がける音楽プロデューサー・松尾潔氏は、昨年7月、ジャニーズ事務所への発言をラジオで行ったところ、業務提携先の芸能事務所から契約解除された。山下達郎が所属する事務所だったことから、大きな話題を呼んだが、この松尾氏が、一連のジャニーズ問題と芸能のあり方を論じた書『おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』が、1月11日、講談社から刊行される。

 発売前から芸能界に衝撃が走るこの「爆弾本」の中身を、集中連載にて先行公開しよう。

NGリスト作成直後に起こったこと
 2023年10月2日の記者会見には怒号が飛び交った。

 「東山さん、井ノ原さん、質問させていただけないでしょうか!  先ほどから当ててもらえないんですけど!  皆さんには質問に答える義務があると思います!」

 「フェアじゃない」
「(自分が指名されないのは)茶番だ」
「ルール守れよ」
「順番だろ」
「司会がちゃんと回せ!」
「また会見はあるのか」

 (以上、発言はすべて「WEB女性自身」2023年10月3日投稿記事から)

 10月4日、NHKは、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP)から会見の運営業務を依頼されたFTIコンサルティングが、会見に先がけて特定の記者を指名しないようにする「NGリスト」を作成していたと報じた。

 これに対し、ジャニーズ事務所は翌5日、「弊社の関係者は誰も関与しておりません(略)誰か特定の人を当てないで欲しいなどというような失礼なお願いは、決してしておりません」と声明を発表する。

 だがすぐに、その声明の真偽を問う論議が湧き起こった。無理からぬことだ。仮にその声明がNGリストの存在を知っていたうえでのものだとすれば、ジャニーズの被害者救済への誠実な姿勢や、人権尊重責任の本気度が疑われる。声明の通り知らなかったとすれば、企業としての危機管理能力に大きな疑問符がつく。

 この時点で確かに言えることがひとつあった。ジャニーズがNGリストの存在を知っていようがいまいが、FTIが独断で作成したのであれば、これこそが巷間言われている「取引先企業によるジャニーズへの忖度」そのものではないか。つまり、かつてない多くの人びとが、かの有名な「J忖度」の最新事例をリアルタイムで目撃したことになる。

 5日夜になってもジャニーズ事務所はNGリスト作成への非関与を主張していたが、FTIの担当者は讀賣新聞の取材に応じ、会見の進め方について同事務所と調整していたことを明らかにした。NGリストだけでなく「指名候補記者リスト」も作成していたと認め、「意識が低かったことを痛切に感じている。弁解の余地はない」と語った。

 まさに、詰んだ瞬間、だった。
 
東京オリンピックとジャニーズ事務所
 2020年5月25日。安倍晋三首相は、首都圏1都3県と北海道で続いていた新型コロナウイルス対策のための緊急事態宣言を解除した。日本に暮らす人びとに諸方面で大きな影響を与えた同宣言が全国で解除されたのは、およそ1ヵ月半ぶりのことだった。

 それを見届けるように、翌6月に東京都千代田区大手町に開館したのが、Otemachi One(大手町ワン)である。三井物産と三井不動産が進めてきた大手町の再開発のなかでも最大の目玉となるこの大規模複合施設は、オフィスのほかホテル、宴会場、会議場、多目的ホール、飲食店まで擁するもの。地下鉄大手町駅に直結、並び立つ三井物産ビル(地上31階地下5階)とOtemachi Oneタワー(地上40階地下5階)の両棟を、一体化した低層部が結ぶ。

 三井物産ビルのデザインが水平調で温かみを感じさせるのは皇居側という位置を意識してのこと。一方、日比谷通り側のOtemachi Oneタワーは地面から天空に向かって凜と伸びる垂直線を強調したデザイン。両棟が併せて「伝統と革新」を表現していることは、ぼくのような建築の素人にも一見して容易にわかる。

 タワーの3階部分と頂部6フロアを占めるフォーシーズンズホテル東京大手町は、満を持して9月に開業した。最も安い部屋でも一泊料金が10万円を超えるラグジュアリーホテルだが、開業計画の前提に東京オリンピック需要があったのは言うまでもない。

 当初2020年に開催が予定されていた東京オリンピック。その開催に執着を感じていた者は、エンターテインメント業界にも少なくない。だがその最たる存在となれば、ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川(本名喜多川擴)氏ということになるだろう。

 2013年9月、東京開催が決定してまだ3週間の時点で、ジャニー氏はいち早く五輪に向けての新グループ構想を公表している。2018年10月には、あくまで仮名としながらもそのグループ名を「2020(トゥウェンティートゥウェンティー)」とし、のちにSnow Manの一員として人気者になるラウール(当時15歳)を含むジャニーズJr.の9名をメンバーとして発表。最終的には40名の大所帯グループを目指していると報じられた。

 だがジャニー氏は、1年遅れの五輪開催も「2020」のデビューも見届けることなく、2019年の夏に逝った。享年87。
 
 

芸能界が発売にビビる「ジャニーズ告発」あの本の冒頭部分を先行公開《音楽プロデューサー・松尾潔の爆弾本》

 
 哲学者・斎藤幸平氏は、この本をこう推薦する。「学び、変わり、声を上げる言葉には、未来への希望と力が溢れている」
 
 EXILE、東方神起から天童よしみまで、時代を刻む楽曲を手がける音楽プロデューサー・松尾潔氏は、昨年7月、ジャニーズ事務所への発言をラジオで行ったところ、業務提携先の芸能事務所から契約解除された。山下達郎が所属する事務所だったことから、大きな話題を呼んだが、この松尾氏が、一連のジャニーズ問題と芸能のあり方を論じた書『おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』が、1月11日、講談社から刊行される。

 発売前から芸能界に衝撃が走るこの「爆弾本」の中身を、先行公開しよう。

パレスチナ危機とどちらが?
 パレスチナが危機にある。2023年11月上旬時点で、ガザ地区の死者はパレスチナ側が1万1000人以上、イスラエル側も1200人以上におよんでいる(双方の当局発表の累計数)。かの地の問題に詳しく、行動する哲学者として知られる鵜飼哲・一橋大学名誉教授が発した「中東は第一次世界大戦が終わってない地域」(サンデー毎日2023年11月5日号)という言葉には身震いを覚える。自分がこの問題の理解からほど遠いところで生きてきた事実を、否応なく突きつけられるからだ。

 2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻も、まだ終わりが見えない。怒りや悲しみの感情を抱いてしまうのは、きっとぼくだけではないだろう。世界は途轍もなく広く、とんでもなく複雑で、どうしようもなく厄介だ。

 世界情勢を伝えることにくらべれば、それ以外のニュースなんてすべて取るに足らないもの―そんな認識からか、政治と経済以外のニュースにほとんど関心を示さない人は結構いるものだ。ぼくが生業とするエンターテインメントの世界も、まさに関心の外に位置づけられることが珍しくない。これは自虐的になって言うのではない。論より証拠、コロナ禍の初期に、時の権力者によって「不要不急」と断じられたではないか。
 
ジャニー喜多川の性加害での死
 ぼくの知る高名なジャーナリストは、ジャニーズ問題についてはメディアの責任が大きいと不満を隠さない。「旧ジャニーズ事務所への忖度が過ぎる」という責任論ではない。世界情勢が緊迫化してキーウやガザでは尊い命が次々に失われているのに、なぜメディアはジャニーズ問題ごときにこれほど時間を割くのかと憤っているのだ。性加害なんて瑣末な問題だろう、と。

 2023年秋、旧ジャニーズ事務所は死の濃厚な気配とともにあった。50代のジャニーズJr.元レッスン生が、40年前、ジャニー喜多川氏からの性被害を母親に打ち明けたところ、母親はひと月後に遺書を残して自殺したと告白した。また、「当事者の会」に所属していた40代の男性が、大阪府箕面市の山中で遺書らしきメモを残し死亡していたことがわかった。

 ガザ地区で戦火に失われた命と、ジャニー喜多川氏からの性被害が原因で失われた命の重みに、元来差はない。あるとすれば距離感、あるいは遠近感が生みだす錯覚ではないか。情報の送り手であるメディアもそうだが、情報を受ける側もまた遠近両用の感性を磨きつづけなければならない。

 だからぼくは言うのだ。芸能と社会的公正を地続きで考えよう。ジャニーズ問題とパレスチナ危機を同じ口で語ろう。政治の話をしたばかりのその声で、あまやかなラブソングを歌おう。ベトナム戦争の時代にあって「何が起こってるんだ(“Whatʼs going on”)」と問いかけ、すぐに「心ゆくまで愛を交わそう(“Letʼs get it on”)」と歌ったマーヴィン・ゲイのように。

 アフリカン・アメリカンの彼が得意とした楽式のひとつが、コール・アンド・レスポンスだ。「掛け合い」といってもいい。もうおわかりだろう。ぼくのコールに読者のみなさんのレスポンスが発せられるとき、この楽式は初めてうつくしい完成を見る。