「沖縄県民の大多数が反対しているのにもかかわらず、日米両政府は辺野古の埋め立てにこだわり、かけがえのない生態系を無謀にも破壊している」

 

 

 【ワシントン共同】米映画監督オリバー・ストーン氏をはじめとする各国の著名人や識者、平和活動家ら400人以上が6日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する声明を連名で発表した。「沖縄の自己決定権を支持する」と表明し、日本政府が沖縄県に代わり工事の設計変更を承認する代執行に踏み切ったことも批判した。

 声明は移設に向けた動きを「沖縄県民の大多数が反対しているのにもかかわらず、日米両政府は辺野古の埋め立てにこだわり、かけがえのない生態系を無謀にも破壊している」と非難した。

 

 



沖縄は孤立していない
 

 新知事となられた玉城デニーさん、彼に一票を入れた沖縄のみなさん、ほんとうにほんとうにおめでとうございます。卑劣で愚劣で低劣で下劣な政治状況が続く昨今、ひさかたぶりに山ノ神と一緒に快哉を叫びました。
 

 なぜ沖縄の民意を踏みにじって、辺野古新基地建設にこだわるのか。アメリカに媚を売るとともに将来は自衛隊の基地として使おうとする日本政府、別に沖縄でなくてもいいのだけれど日本がお金を出してくれるので有難く頂戴しようとするアメリカ軍と政府。両者の思惑が合致した結果だと思いますが、民意によって政策が潰されるという悪しき前例を残したくないという、日本政府の考えも大きいのでしょう。
 

 これに対して、平和と民主主義と人権を守るために、非暴力の闘いを続けてきた沖縄の人びと。心から敬意を表します。これからも茨の道が続くかと思いますが、これが成就するためには私たち本土の人間の世論と運動が欠かせません。それなのに米軍による犯罪・事故・人権蹂躙・環境破壊に対して、なぜ「日本の怒り」ではなく、「沖縄の怒り」として片付けてしまうのか。無知・無恥・無関心のなせる業、"NIMBY"(Not in my backyard)、差別意識、さまざまな理由が考えられます。
 

 そう簡単に良くなるようなやわな国ではないことを肝に銘じつつ、粘り強く闘っていきましょう。

 『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』(乗松聡子編著 金曜日)より、世界中から沖縄に寄せられたエールを紹介します。
乗松聡子 (『アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス』エディター)

 むろん沖縄の人権が守られないのは日米安保条約のせいだけではなく、日米安保条約を維持し、その具体的な負担を沖縄に押し付け続けている日本の責任である。沖縄への基地集中を許し、また新たな基地建設を黙認し、沖縄の声に耳を傾けないか他人事として知らんぷりしている多くの日本人の責任である。2015年、総工費2520億円かそれ以上と見込まれた2020年東京オリンピック用の新国立競技場建設計画に「金がかかりすぎる」と反対の嵐が巻き起こり、新聞やテレビは連日トップ扱いで報道した。元オリンピック選手が涙ながらに反対を訴えるシーンも全国に流れ、世論の重圧に耐えきれないかの如くに同年7月17日、安倍首相は計画の白紙撤回を発表した。
 

 かたや辺野古新基地の総工費は「少なくとも3500億円」と政府は発表しており、米側の情報をもとに、1兆円に上るという指摘もある。同じ国家的プロジェクトでも、辺野古基地よりも予算的に低いものを「お金をかけ過ぎた」との全国的な世論が巻き起こって計画を変更させることが可能なのだという現実を、沖縄の人々は見せつけられた。辺野古の基地建設については、いくら沖縄から声を上げても大勢の日本人は他人事として素通りし、報道したとしても概して「沖縄がわがままを言っている」というような報道しかせず、新国立競技場計画を変更したような勢いの世論が起こることはないからだ。国家で起こる「多数決の暴力」が全国世論レベルでも起こっている。(p.10~1)

ジョン・ダワー (マサチューセッツ工科大学名誉教授)

 1945年の、帝国政府が沖縄とその大衆に強いた残酷な犠牲は、このような、沖縄を日本の他地域とは人種的に分けるような差別感を反映していたと言えるだろう。そして、東京の政府が戦後、「パックス・アメリカーナ」における自らの立場を強めるために沖縄を進んで犠牲にしたのは、このような「三国人」的偏見が根強かったことを示している。(p.22)

ピーター・カズニック (アメリカン大学教授)

 沖縄だけでなく日本列島全体の米軍基地は本質的に、米国の中東と中央アジアへの軍事展開のための前進基地として機能している。かつて米国のベトナム侵攻の時にそうしたように。
日本の他地域ではだめで沖縄に集中する戦略的理由はなく、理由があるとしたら、日本の指導層が米国と同様に沖縄を植民地扱いしているので、自分たちの裏庭に置きたくないものを沖縄に押し込めているからだ。(p.43)

スティーブ・ラブソン (ブラウン大学名誉教授)

 当時沖縄で日常的に行なわれていた抗議集会、デモ行進、座り込みなどはアフリカ系米国人の公民権運動を彷彿とさせた。(p.49)

ガバン・マコーマック (オーストラリア国立大学名誉教授)

 日本の沖縄に対する差別、嘘、欺瞞の歴史を知ったらスコットランド人やカタルーニャ人も驚くであろう。英国やスペインだったら、地域住民の5人に4人が反対しているにもかかわらず大規模な外国基地の建設を進めるなどあり得ない。現在、スコットランドもカタルーニャも、日本における沖縄より大きな自治権を享受してきている。それでも両地域では独立を求める声が高い。(p.55)

ジャン・ユンカーマン (映画監督)

 この映画を制作するにつれて見えてきたことは、辺野古の問題の根源には、この米国にとっての「戦利品」という理解と、日本の沖縄に対する差別が相互に教化し合う形で存在するということだ。日沖、米沖間の関係のこのような性質がなければ、沖縄にさらにもう一つの基地を造るなど考えつきもしないだろう。このような言語道断の計画は、他に解釈のしようがない。(p.161)

オリバー・ストーン (映画監督)

 その原爆から70年がたった。私たちは2013年にともに参加し、カズニックは20年前から広島・長崎の式典に学生とともに参加してきている。70周年の広島の式典は心乱されるものであった。安倍晋三首相が来たことだ。被爆者が「もう、二度と戦争は起こさない」と言っているそばで、彼は日本の若者が遺体袋で戻ってくるようになる準備をしている人間だ。軍事費増大、武器製造輸出、中国敵視、歴史教科書修正といった一連の右翼的政策を推し進めている。
 この男は原爆70周年の広島に何をしに来たのか。最もこの場にいてはいけない人間だ。この男の存在自体、その吸う息、吐く息一つ一つが、平和と核廃絶を訴える被爆者への冒?だ。式典では安倍首相の演説の際、安保法制に反対するプラカードを掲げている人がいた。退場の際は会場中に抗議の声が鳴り響いた。カズニックは過去20年間広島の式典に出てきたが、このような抗議行動を見るのは初めてだ。(p.178~9)

ロジャー・パルバース (作家)

 沖縄からの平和のメッセージは「富国強兵」ではなく、「富国強芸」である。(p.194)

権赫泰(クォン・ヒョクテ) (韓国・聖公会大学教授)

 米国の東アジア冷戦戦略において、「韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が『平和』を維持できたのは、在日米軍の70%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ」と権氏は述べる。(p.231)

海外識者声明全文

 普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさ中、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って作りました。終戦後返還されるべきであったのに、戦後70年近く経っても米軍は保持したままです。したがって、返還に条件がつくことは本来的に許されないことなのです。(p.292)

 戦後ずっと、沖縄の人々は米国独立宣言が糾弾する「権力の濫用や強奪」に苦しめられ続けています。その例として同宣言が指摘する「われわれの議会による同意なしの常備軍の駐留」もあてはまります。
 沖縄の人々は、米国の20世における公民権運動に見られたように、軍事植民地状態を終わらせるために非暴力のたたかいを続けてきました。(p.293)

普久原均 (『琉球新報』編集局長)

 沖縄本島の2割近くを虫食い状態にして、残った所に100万人以上の住民が苦しみもがきながら日常生活を送るという苛酷な重荷を負わせているにもかかわらず、さらに貴重な美しい自然のある場所を餌食にして潰そうとしている。こんな選択を唯一の選択というのが、詭弁でなくてなんであろう。本当にそうなのか、情報、知識をしっかり駆使して実体を見ることが、米軍基地問題に向き合う主権者の姿であろう。国民一人ひとりにどれほどの財政負担をかけて米軍基地が維持されているのか、若い世代の年金負担問題にもかかってくるのであり、見えやすい問題ではないだろうか。(p.313)

 日本国民の多くが、沖縄に米軍基地を置くことに賛成しているというが、多数決によって決せられないものとして、憲法が基本的人権を保障しているのである。基本的人権を侵害しないという多数決の土俵を守るのが、憲法で主権者とされる国民の責任であろう。(p.314)