「農道を90キロで爆走」「寝坊して逆ギレ」 加藤鮎子大臣、数々のパワハラを元秘書が告発「当選後に逃げ出した秘書は10人以上」【スクープその後】

 
少子化対策の一環として、国民から新たに「支援金」名目で金を徴収する政策をこども家庭庁が打ち出したことから、最近では「女性版増税メガネ」などと称されることもあるという。国会答弁を見ていて、この人は原稿を読むのが精一杯。見ていて哀れである。
 
 
 自民党のキックバック裏金事件によって若干印象が薄まった観もあるが、実のところ岸田首相の目の「節穴」ぶりはかなりのものだった。 
 
 2023年9月に発足した第2次岸田第2次改造内閣では、直後から不祥事が続出した。

 大ざっぱにまとめると10~11月の短期間に「文部科学大臣政務官が不倫で辞任」「法務副大臣が公職選挙法違反に関与の疑いで辞任」「財務副大臣が税金滞納で辞任」という有様。

 まるでコントのように「教育と不倫」「法律と選挙違反」「徴税と税金滞納」と、担当と問題点がリンクしたあたりが絶妙といえば絶妙な人選なのであった。

 こうした問題とは毛色が違うものの、内閣府特命担当大臣(こども政策・少子化対策・若者活躍・男女共同参画)として初入閣した加藤鮎子衆議院議員もまた、政治家としての資質を疑わせるエピソードの持ち主なのは間違いない。

「農道を爆走するように命じた」「自分が寝坊したのに逆ギレ」など、元秘書が告発したパワハラはすさまじいものがある。さらには地方出身者を見下すような発言も――。

(以下、「週刊新潮」2023年10月12日号掲載記事をもとに加筆・修正しました。日付や年齢、肩書などは当時のまま)

「突撃なんてダメですよ!」

「大将なんだから!」

 2000年11月20日、夜。ホテルオークラ東京で、森喜朗内閣への不信任案に賛成票を投じようとした“大将”を谷垣禎一衆院議員(当時)が必死の形相で押しとどめていた。

 苦衷の表情を浮かべ、たたずむのは「政界のプリンス」と呼ばれ、総理候補だった宏池会会長・加藤紘一氏(61)=当時=。一世一代の大勝負を仕掛けたはずの大将は、涙をにじませ、ただただ唇をかみしめるしかなかった――。

 日本政治史に刻まれた「加藤の乱」でいまも語り継がれる1シーンである。総理の椅子に手をかけようと紘一氏は、仲間とともに時の政権の倒閣を目指した。

 しかし、宏池会は野中広務幹事長(当時)ら自民党執行部の徹底的な切り崩しに遭い、結果、紘一氏と盟友の山崎拓氏だけで不信任案に賛成すると表明。結局、それすらもかなわず、本会議を欠席し、政治家人生が大きく狂うこととなった。
 
“おどは突っ込んで戦うべきだ”と涙
 実は、この涙のワケに、当時まだ20歳を過ぎたばかりだった三女・鮎子氏の存在があったという。

「鮎子さんは乱の様子を伝えるテレビ中継を、青山の自宅マンションで見ていたと聞いています」

 とは宏池会を長く取材してきた政治ジャーナリストの泉宏氏。

「鮎子さんも妻の愛子さんも紘一さんが乱を起こすというのは事前に分かっていて“今日はおど(山形弁で父親のこと)の勝負だ”と身構えていたというんです。しかし、鮎子さんは次第に立場が厳しくなる父の様子をテレビで見ながら感情が激し、紘一さんに電話で“おどは突っ込んで戦うべきだ”と泣きながら訴えたといいます。その娘の言葉が脳裏に浮かび、思わず涙したのが真相でしょう。今、振り返れば、この『加藤の乱』が鮎子さんに影響を与え、紘一さんの後を継ぐ、という強いモチベーションにつながったことは間違いないはずです」

政治家として再起不能になるほどの傷
 紘一氏はこの“事件”で政治家として再起不能になるほどの傷を負った。宏池会は分裂し、さらに、02年3月には、加藤事務所の代表として、また金庫番として権勢を振るっていた秘書の佐藤三郎氏が所得税法違反(脱税)で逮捕される。

 社会部デスクが言う。

「公共工事の『口利き料』などの所得を申告せず、約1億7千万円を脱税したとして起訴されました。佐藤氏は愛子さんにゴルフを指導するなどして接近し、二人の“関係”も取り沙汰されました」

 この佐藤氏が代表を務めていた資金管理団体から、紘一氏は9千万円余りの資金提供を受け、生活費に流用していたとして、東京地検特捜部から政治資金規正法違反の疑いで事情聴取を受ける。結果、その年の4月に議員辞職。翌年の衆院選に無所属で当選を果たすも、その後は政治家として日の目を見ることなく、脳卒中に倒れ、16年、鬼籍に入った。

鮎子氏が父に寄せた言葉
 紘一氏の死後、関係者に配られた『最強最高のリベラル 加藤紘一伝』という書籍がある。山崎氏、愛子氏、鮎子氏によって編纂された同書では鮎子氏が最後にこう言葉を寄せている。

「大平正芳元総理から父が受け継いだ言葉に『大国を治(おさむ)るは小鮮を烹(煮)るが若(ごと)し』という老子の言葉があります。小鮮とは、小魚のことで、『政治は、小魚を煮るときのように、じっくりと国民の声を聞き、丁寧にすすめなければ形が崩れてしまう』という意味だそうです。(中略)今後、私も地域に根差した保守の精神を受け継ぎ、父の行動を範としながら進んでまいりたいと思います」

 父の死から7年がたち、皮肉にも加藤の乱の渦中にいた現・宏池会会長の岸田文雄総理によって、こども相に抜てきされた鮎子氏。だが、彼女の事務所はまさに小魚が煮崩れするように、崩壊の一途をたどっていた。
 
「損得勘定で動いているように見える」
 そもそも鮎子氏が衆院議員として踏み出したのは、紘一氏が倒れた後の14年12月。山形3区から衆院選に出馬し、初当選を果たした時からだった。

 しかし、紘一氏はもともと「世襲反対」論者だったという。

 地元議員によれば、

「鮎子さんが後継指名される前には、紘一さんから“娘が選挙に出たいらしいんだけど、どう思うか”と相談を受けたことがありました。もともと世襲に反対していたこともあり、かなり悩んでおられた様子でした。結局は本人の熱意に負けて、という感じでしたけどね」

 ただ、当選後、地元の後援会や支持者は父と娘の違いをまざまざと感じることになる。地元の古い支援者に聞くと、

「紘一さんは党の役職や東京の仕事は頑張るんですけど、あまり地元には(利益を)還元してくれない一方で、地元の有権者と膝を交えて話し合うような親しみやすさがありました」

 例えば、地元の議員の家に支持者を集めての座談会をよく行っていた。

「私の家に農協や市議、県議らを集めてね。お酒はあまり飲まなかったけど、近所で取れたヤツメウナギの白焼きや芋煮などの田舎料理をうまそうに食べていました。つまみを囲みながら、地元の人の要望を“そうだなあ”と聞いている。世間で言われているプリンスのイメージとは違って、気さくな方でした」(同)

 まさに小魚を煮るようにじっくりと話を聞いていた紘一氏。かたや鮎子氏は、と支援者が続ける。

「そういった座談会を開いて地域の人と交流することはないし、一度でも鮎子さん以外の人や彼女の意中にない人を応援した支持者には、お酌もしなければあいさつもせず、無視して、ぷいっと行ってしまう。損得勘定で動いているように見えました」

 先の地元議員がため息をつく。

「ある時、鮎子さんの対抗馬である議員の政治活動のお手伝いをしたことがありましてね。昔からの付き合いもあるので仕方なかったんですけど、それに鮎子さんは“許せない”と激高して、以後、あいさつしても目も合わせてくれなくなってしまいました。正直、随分小さい人だなと思いましたよ」
 
半年間で4人の秘書が退職したことも
 地元では不評の鮎子氏について、本誌(「週刊新潮」)は事務所の秘書が大量退職していることを、大臣就任前の昨年から報じてきた。

 今回、改めて取材を重ねると、当選後から現在まで公設秘書、私設秘書合わせて、少なくとも10人を超える秘書が退職しており、ある時期には半年間で4人の秘書が立て続けに辞めたことも分かった。その背景にあったのは鮎子氏の問題行動だったのだ。

 鮎子氏の事務所は東京・永田町の議員会館のほか、地元の酒田市や新庄市、鶴岡市に置かれ、それぞれに公設秘書や私設秘書が配されている。

寝坊して秘書に逆ギレ
「鮎子さんの朝のスケジュールは出かける30分前に秘書が自宅にモーニングコールをするところから始まります」

 とは、事務所の内情をよく知る後援会関係者。

「彼女は朝が弱くて、寝坊して秘書に逆ギレしてくることは日常茶飯事でした。それでも朝の電話に出ないときは時間通りに起こそうと何度もかけるのですが“生活を邪魔しないでください”と嫌味を言われてしまう。そこで電話を控えると“大事な会議なのになんで起こしてくれなかったんですか”となるんです」

 電話をかけていいものかどうか、秘書はジレンマに陥るばかりで、あまりに理不尽と言うほかない。さらに鮎子氏の子どもと一緒に行動する時は大変だそうで、

「例えば、朝、東京に行くために子どもと飛行機に乗る時には、自分が寝坊してバタバタと用意するものだから、子どもの靴を履かせ忘れていることに家を出てから気付いたりするんです。仕方ないので、裸足や靴下のまま東京に行くなんてことが頻繁にありました。その際は鮎子さんが子どもを脇に抱えていくんです」(同)

農道を90キロで爆走させ…
 鮎子事務所に籍を置いていた元秘書はこう証言する。

「気分の波がとても激しい方で、スケジュール通りにことが運ばないと不満が顔や態度に出てしまう。だから、事務所内の雰囲気はとても悪かったですね。秘書がいないと日程がこなせないのに、突発的にスケジュールを変更し、秘書があたふたすることもありました。急に“仙台の国分町に行くから車を飛ばしてくれ”とか」

 予定に間に合わなくなりそうだと、“法律違反”を指示してくるという。

「鮎子さんは寝坊すると、運転する秘書に、一般道を走行中でも“朝なので車がいないから、絶対間に合うように行ってください”と指示を出すのです。普通の農道を90キロで飛ばさせ、高速道路でも“前の観光バスが遅いからあれを抜いてちょうだい”と言って、猛スピードを出させたり。高速道路なのに後部座席でシートベルトをしないこともあって、それが警察に見つかり、運転手が違反点数を食らったこともあったと聞いています」(先の後援会関係者)

 法規を無視するとは、国会議員の振る舞いとしていかがなものか。こうして秘書にきつくあたるのは、彼らを全く信用していないからだと、先の元秘書が語る。

「秘書が良かれと思ってアドバイスをしても聞き入れなかったり、きつく言い返したりしていた。声を荒らげる感じではなく、詰めてくる感じですね。“あなたは褒めるところがない”とか。経費にも厳しく、会合への参加費、食事代や駐車場代は秘書が自費で払っていました」

“票稼ぎになるかしら”
 ある秘書が議員になるため、地方選に出馬しようとすると、鮎子氏は機嫌を損ね、スケジュールを共有しなくなることもあった。

「地元の有力者のもとを鮎子さんが訪問しようとしたところ、その秘書には知らせず“私がここにいるとは言わないで”と周囲に口止めしていました。結局、その秘書はまもなく辞めてしまいましたね。同じ山形県内の国会議員のことも嫌っています。山形2区の鈴木憲和衆院議員は選挙区が減ったときのライバルになるかも、と仲良くしようとせず、元参院議員の大沼瑞穂さんは子育てしている議員でキャラもかぶるので、同じ会合で服装が似ただけで途端に不機嫌になり、滅茶苦茶、悪口を言っていました」(前出・支援者)

 夫婦仲も良いとはいえないという。現在の夫は会社経営者の角田賢明(つのだよしあき)氏だが、

「鮎子さんは子どもをダシに票を稼ごうとする節があって、けんかはいつも子どもを巡ってのことでした。上の子を山形と東京どちらの学校に入れるかでかなり迷っていて、“地元の学校の方が有権者にウケがいい”と鮎子さんは話し、“子どものおむつ交換をしている姿を見せたら票稼ぎになるかしら”と言った際には、旦那さんに怒られていました。支援者も含めて、人を票になるかどうかで見ているんです」(同)

“グレーだけど、バレたときは…”
 議員の資質を疑われかねない極め付きの行動は、秘書と行う「戸別訪問」だ。

 先の元秘書がささやく。

「戸別訪問は選挙が近づいてくると、かなり力を入れて行っていました。選挙区内の住宅街、山間部含めてさまざまな場所まで足を運び、本人は“近くまで来たので、ごあいさつに寄りました。皆さんのために頑張りますので、よろしくお願いします”と握手するんです。訪問先は後援会員ではない世帯で、地域の後援会員が一緒に回ります。その後援会の人が“この地域は加藤さんを応援している人が少なくて”などと説明していました。相手が不在だと名刺を投函して帰ります。鮎子さんは“戸別訪問は法律上、グレーだけど、バレた時は訪問先が後援会員です、とか言っておけば大丈夫”と話していましたね」

 だが、選挙期間内外にかかわらず、戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。

 山形県選挙管理委員会によれば、

「戸別訪問では投票依頼など投票に関わることが目的だった場合に違反になります。状況によっては直接的に“私に投票してください”といった依頼をしなくても、言外にそうと取られる訪問だった場合、公選法に違反する可能性があります。重要なのは、訪問した目的が何か、という点です」

 鮎子氏の場合、来たる選挙を明らかに意識した、自身に票を振り向けるための後援会員ではない有権者への訪問だ。公選法に抵触する可能性は十分にある。
 
“田舎根性では困ります”と差別発言
 そこで加藤鮎子事務所にスピード違反、戸別訪問などについて問うと、

「法定速度を超えてスピードを出すような指示をしたことはありません。(戸別訪問は)日々の政治活動として、地域の声を収集するために地元の方に案内していただいて(中略)さまざまな意見を拝聴することはありますが、選挙違反に該当するようなことはしておりません」

 かようにずさんな事務所の体制ゆえ、退職者が後を絶たないのか。別の元事務所スタッフが語る。

「鮎子さんは選挙を重ねるごとに、経理を担当する紘一さん時代からのベテランの事務員以外の秘書は“どうせ辞めるから”と信頼しなくなっていきました。不信感が募ると秘書に仕事を与えなかったり、意思疎通を図らなくなる。ある秘書に鮎子さんは“田舎根性で仕事をやられたら困ります”などと地方出身であることを見下すように言い放っていました」

 こうした数々の問題行動、発言が野党によって国会で追及されれば、内閣の「辞任大臣第1号」になり得るという見方も当初はあったのだが、加藤大臣にとって幸いだったのは、他の大臣もまた問題だらけだったということだろう。

 もっとも、少子化対策の一環として、国民から新たに「支援金」名目で金を徴収する政策をこども家庭庁が打ち出したことから、最近では「女性版増税メガネ」などと称されることもあるという。

 身内や地元から信頼を得られない政治家が打ち出す「負担増」は、国民の理解を得られるのだろうか。

デイリー新潮編集部