ジャニーズ報道、問われる「沈黙」 朝日新聞「メディアと倫理委員会」

 
 
 故ジャニー喜多川氏による性加害問題は、今年3月に英BBCの番組が問題提起するまで、日本の新聞やテレビが大きく報じることはなかった。こうした「マスメディアの沈黙」が被害の拡大を招いたと指摘された。朝日新聞はなぜ、報じることができなかったのか。社内の関係者から聞き取ったうえで、12月、「メディアと倫理委員会」の有識者委員に問題点や課題を議論してもらった。(司会=久保田正・同委員会事務局長、写真は相場郁朗)

 ■本社編集部門への聞き取り調査

 ◆聞き取り調査の概要

 【対象】

 週刊文春が報じた1999~2000年、性加害が裁判で真実と認定された03~04年、喜多川氏が死去した19年を中心に、芸能を担当する文化部と性暴力などを取材する社会部に在籍した記者や原稿を整えるデスク、部長らに聞いた。今年3月以降については、報道に関わった国際報道、社会、文化各部のデスクと編集局長室の担当補佐を中心に聞いた。計58人に聞き、55人から回答を得た。

 【主な時期の状況】

 週刊文春は喜多川氏による所属タレントへの性加害を「セクハラ行為」などとして報じた。取材する必要があると思わなかった理由として、多くの記者が挙げたのは「芸能ゴシップで、新聞が取り上げるような話ではない」と思い、「重大な人権侵害」という意識を持てなかったということだ。当時は週刊誌報道を一段低く見ていたという声もあった。#MeToo運動が起きる前であり、性加害・性被害(特に男性への)に対する社会の認識も低かったという意見も多かった。

 週刊文春の記事内容をめぐる名誉毀損(きそん)訴訟で、東京高裁判決は「セクハラ行為」が真実だと認め、最高裁もこの判決を維持した。朝日新聞は社会面の1段見出しで伝えた。担当記者は「必要最低限の注意力は発揮できたが、最近騒ぎになっているほどのニュース価値は感じていなかった」と振り返った。

 特別報道チームの記者が08年、この問題を取材した。元タレント数人に取材でき、性被害を受けたという証言が聞けたものの、「被害を訴えるつもりはない」などと話したことから、記事化は難しいと感じ、それ以上取材は進まなかった。

 19年7月に喜多川氏が死去し、朝日新聞は朝刊1面で報道した。生前の人となりや功績を伝える「評伝」を社会面に載せ、「男性アイドル育成 光と影」という見出しの別稿を添えた。別稿では、裁判でセクハラについての記事の重要部分が真実と認定されたことに言及した。

 編集の過程で、一部の記者から「裁判でセクハラが認定されたという部分は必要か」とアピールがあったが、デスクはそのまま掲載した。

 死去翌々日の朝刊の天声人語でも、喜多川氏を好意的に取り上げた。筆者は「セクハラ疑惑のことは頭の隅にあった。しかし、訃報(ふほう)を受けてすぐに載せる新聞コラムで、正面からその点を論じることはしなかった。(執筆当日の朝刊に載った「光と影」の記事は)読み落としていた」と答えた。

 喜多川氏の性加害問題について、ジャニーズ事務所側から圧力をかけられたり、忖度(そんたく)して取材や報道をやめたりしたという証言はなかった。ただ、「取材の大変さが容易に想像でき、おいそれとは手が出せないという腰のひけた思いがあった」という声もあった。

 【ジャニーズ事務所との関係】

 性加害問題とは別に、文化部からは、SMAP解散などいくつかの場面で、ジャニーズ事務所や窓口となるテレビ局から報道への働きかけや取材拒否があり、取材に気を使う存在だったという証言が寄せられた。

 事務所側は長年取材をしている記者にしかきちんと取材対応しない傾向があった。記者が取材してもまともな回答が得られなかったり、特定の記者を通じて聞くよう求められたりすることもあったという。

 【今年3月以降の状況と対応】

 3月7日のBBC放送時、17日の番組制作者の会見時には、朝日新聞も含めて新聞、テレビはほぼ報じなかった。元所属タレントが被害を訴えた4月12日の会見から、新聞各紙とNHKなどは報じたが、目立つ扱いではなかった。5月14日夜、ジャニーズ事務所が社長の動画と書面を公表してからは、民放テレビ局も含めて大きく報じるようになった。

 社内では、BBCの放送、制作者の会見、被害当事者の会見の予定が入るたびに、国際報道部、社会部、文化部の担当デスクと編集局長室の担当補佐らの間で、どう報じるべきか議論した。

 重大な人権侵害をメディアが見逃してきたという指摘を重く見てBBCの放送や制作者の会見を報じるべきだとの意見が出る一方、喜多川氏のセクハラが認められたことは過去に朝日新聞も報じており、改めて記事にする必要はないのではないかという意見もあった。編集局長室は、他メディアの報道内容をそのまま報じることはできず、朝日新聞として当事者に取材して性加害の事実について裏付けをとる必要があると判断した。ただし、放送後に大きな社会的反響があれば、それを記事にすることもありうると想定し、放送内容とその後の反響をみて最終判断することにしたが、結局、放送や制作者の会見では記事化しなかった。

 放送を受けて、社会部の「子どもへの性暴力」企画の取材班が被害当事者の取材を始めた。

 元所属タレントの会見は実名の告発で、証言も具体的で詳細であったこと、別の当事者にも取材できて被害事実を補強できていたことから、記事化を決めた。一方で、証言内容を完全に証明することは難しく、亡くなっている喜多川氏から反論が得られないことも考慮し、紙面の扱いは社会総合面2番手の記事とした。

 【まとめと課題】

 過去にしっかりした取材・報道ができなかったのは(1)芸能界という特殊な世界の出来事ととらえた(2)週刊誌が報じればよい内容で、新聞のテーマではないと思った(3)「セクハラ」程度のもので、被害者もそれほど多いとは考えなかった(4)特に男性が被害者の性加害は大きな問題だと思わなかった――などの理由から、未成年者に対する重大な人権侵害だという認識を持てなかったという回答が大半だった。文化部と社会部の「縦割り意識」があり、当事者意識を持てなかったとの声もあった。

 裏付けが難しい性加害の報道をめぐっては、被害者側の証言だけでどこまで報道できるのか悩む声がある一方で、捜査当局などの認定がなければ、報道に踏み切らない傾向を問題視する意見もあった。今年3月以降の報道についても、ジャーナリズムの役割を十分果たせなかったのではないかといった問題も提起された。(紙面はいずれも東京本社版)

 ■各委員から(50音順)

 鎌田靖委員(ジャーナリスト)

 宍戸常寿委員(東大大学院教授)

 高部眞規子委員(弁護士)

 二子石謙輔委員(セブン銀行特別顧問)

 森亮二委員(弁護士)

     ◇

 ――マスメディアの「沈黙」が批判されています。

 宍戸常寿委員 「沈黙」という言葉に乗ることで、メディアが自己の責任を矮小(わいしょう)化していないか。テレビだけでなく新聞も、ジャニーズ事務所の力を増大させる構造に加担する側でなかったか。本人が亡くなっており、公平報道の原則への配慮は必要だが、生前の本人をよく知る周辺に取材する、報道界一体で会見を求めるなど真実に迫る努力をしたようには見えない。

 二子石謙輔委員 聞き取り調査で出てきた記事にできなかった理由がみな皮相的だ。抵抗できない少年たちを相手に自分の欲望を満たすだけのために苦痛を与え、多くの人たちの人生を壊した。犯罪以前の人として許されない行為だ。今から考えてこうすべきだったという視点が検証には欠かせない。

 鎌田靖委員 ジャニーズ事務所が文春側を提訴した時、NHKの司法キャップだったが、ニュースバリューがないと思った。児童虐待、性的虐待の問題だと受け止めることができなかった。性被害に対する意識は今と違って低かったし、メディアもその制約から抜け出せなかった。だからといって責任を免れるわけではない。朝日は子どもへの性暴力について先行した実績がある。もっと早く、深く紙面化できたのではないか。

 ――ジャニーズ事務所との関係は適切だったのか

 宍戸委員 問題の核心は、芸能事務所と新聞の関係ではない。圧倒的に強い事務所とテレビの密接な関係を背景に、少年に対する性加害が繰り返されたのはメディアの生態系の問題だ。そのような構造的問題を取り上げて警鐘を鳴らすという新聞の任務をテレビとの関係で放棄していたのではないか。

 森亮二委員 外からは、癒着していたから報道しないとしか見えない。ジャニーズに限った話ではなくて、IOC(国際オリンピック委員会)など社会的権力、本来の権力である警察なども、「変なことを書けば俺たちにだけ教えてくれないかも」とならないか。メディアコントロールの問題は意識すべきだ。

 二子石委員 報道機関も社会的役割とか使命がある一方で、企業としてはもうけなきゃいけない。しかし、事務所との関係でどちらを優先すべきかは明らかだ。新聞としての役割を忘れて記事化しなかったとしたら非常に問題だ。

 ――BBCの放送(3月)後、日本の報道をどう見たか

 高部眞規子委員 確かに性加害の問題は非常にデリケートだが、被害者が未成年者であることからすれば、早い時期から問題意識を持つべきだった。特に問題なのはBBC放送後の日本メディアの対応だ。横並び意識から、他紙の状況や世論の反響を見て記事化を判断しようとしたために、ジャーナリズムとしての役割を果たせなかった。90年代に比べて性被害への感覚は大きく変わってきた。民事の確定判決もあり、別の形での裏付けはできた。訴訟リスクを恐れ、慎重になりすぎた結果、問題提起が遅くなってしまった。

 森委員 (性被害について)#MeTooの後、声を上げる女性も出てきた。それを追って男性も、という局面でBBCが告発しようとしたのは喜多川氏や事務所ではなく、日本のメディアと社会だ。性加害の側面よりも、メディアの機能不全の面から検証すべきだった。

 ――第2のジャニーズ問題を招かないために必要なことは

 森委員 セクハラは被害者側の言い分だけで報道しなければならないこともある。どんな基準で報じるか検討してほしい。しっかり取材した上での報道であれば、訴訟リスクは会社が取るとはっきりさせてほしい。

 高部委員 どの新聞も報じていないという、横並び意識、事なかれ主義が沈黙を生じさせた。社内でも違う部の仕事だと自らの守備範囲を勝手に線引きせず、記者が自由で多面的な問題提起ができる環境を整える必要がある。記事にする過程で、現場の記者と編集方針を決める幹部とのコミュニケーションのあり方も問われるだろう。

 宍戸委員 もはやグローバル企業にとって、取引先での人権問題を知りませんでした、では済まされない。気づいた時点で社会的責任を果たすことがリスク管理の要諦(ようてい)だ。世の中を取材していて一番気づきやすい新聞が自ら動かず、世の中の反応を待つという姿勢がおかしい。他社と同じ反省や報道を繰り返すのではなく、関係者の言い分をより深く取材し、新たな視点を読者に提示するなど、知る権利に積極的に奉仕するべきだ。

 二子石委員 これまでメディアは不作為に対する罪を問われたことがないのに、今回は沈黙という形で問われた。スクープにはより早くというだけでなく、より鋭く、より深くというスクープもあっていい。時間をかけて、価値のある、深みのあるものを出す。そこに朝日の優位性が発揮されるべきだ。

 鎌田委員 男性も含めた性的虐待、芸能界に広がる不透明な慣習、ビジネスと人権など、浮き彫りになった課題を継続して取材してほしい。萎縮せず、攻める姿勢を示すべきだ。

 南雲隆・朝日新聞出版コンプライアンス担当 週刊誌の表紙を中心にジャニーズ事務所のタレントを起用してきた。雑誌の部数が減っていく中、ジャニーズを表紙にすると売れるということで、依存が進んだ。性加害に関して、問題意識が低く、これだけ被害が大きいことも分からなかった。週刊AERAでは10月、編集長がこうした経緯を誌面で説明した。

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 かまだ・やすし 1957年生まれ。ジャーナリスト、元NHK解説副委員長

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 ししど・じょうじ 1974年生まれ。東京大学大学院教授、専門は憲法学、情報法

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 たかべ・まきこ 1956年生まれ。弁護士、元裁判官で知財高裁所長、高松高裁長官を歴任

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 ふたごいし・けんすけ 1952年生まれ。セブン銀行特別顧問。同行社長、会長を歴任

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 もり・りょうじ 1965年生まれ。弁護士、専門分野は、プライバシー保護、個人情報保護法

 ■感度磨き、事実伝える「炭鉱のカナリア」に 角田克・専務取締役コンテンツ統括

 議論をうかがい、私たちの抗弁が総じて打ち砕かれました。朝日新聞は03、04年の司法判断を報じたものの、そこに記された重大な性加害を追及しないまま、定型的、慣習的な判断に埋没させてしまった。BBC報道後の対応も取材のアクセルを踏み込むべき機会ととらえるべきだった、との指摘も受けました。国内外の潮流を見極めつつ「真の公共性」の在りかを探り、「個人の尊厳」を常に意識する姿勢を――それこそが読者からの負託であるという新聞の原点を忘れるな、との叱咤(しった)もいただきました。性加害は言い分が対立しがちだという経験則もあり、事実確認はおろそかにできません。一方、個々の記者がより感度を磨き、自らの足で事実を突き止めていく力量を高めるべく、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしながら背中を押し、読者にいち早く取材で裏付けられた事実を伝えていく覚悟です。朝日新聞は社会における「炭鉱のカナリア」であらねばならないとの思いを新たにしました。

 ■ジャニー喜多川氏による性加害問題と報道をめぐる主な経緯

<1999~2000年> 週刊文春がキャンペーン報道

<03年> 東京高裁が性加害(セクハラ)を真実と認める判決

<04年> 東京高裁判決が最高裁で確定

<19年> ジャニー喜多川氏が死去

<23年3月> 英BBCがジャニー喜多川氏の性加害を取り上げた番組を放送

<4月12日> 元ジャニーズJr.のカウアン・オカモトさんが実名で被害を訴える会見

<5月14日> ジャニーズ事務所が社長の動画と書面で見解を公表

<8月29日> 外部専門家による特別チームが調査報告書で性加害の事実を認定し、「マスメディアの沈黙」を指摘

 

「被害前に女性との”経験”は?」『SMILE-UP.』面談で元ジュニアが聞かれた「驚きの内容」

 
失礼その一言に尽きる!絶対に許さんよ!
 
 
’23年のニュースを振り返るうえで、故ジャニー喜多川氏による性加害問題をめぐる一連の報道を抜きに語ることはできない。
 
’23年3月にイギリスのBBCが放送した『プレデター(邦題「Jポップの捕食者」)』をきっかけに、実名で名乗り出る被害者が相次いだ。なかでも平本淳也氏を代表とする『ジャニーズ性加害問題当事者の会』は対立構造の主軸的な存在として多くのメディアで取り上げられた。国連を動かし、会見で自分たちの主張を発信し存在感を見せていたが、今ではすっかり影を潜めている。

一方で同会に属さず個人で活動していたダンサーの橋田康氏が自身のXで、

《合意書にもサインし一通りの流れを終え、これで一区切りです》

と報告するなど、積極的に発信。『SMILE-UP.』(旧ジャニーズ事務所)から提示された補償案に合意し、補償金も振り込まれたという。同社は’23年12月1日、公式ホームページで、性被害の事実確認が終了した35人のうち30人と補償内容で合意。23人への補償金支払いを完了と発表した。継続して被害者との面談を行い、救済手続きを本格化させている。

ただ、面談を受けた元ジュニアの男性によると、質問内容に戸惑う場面もあったという。

「被害状況と後遺症について重点的に聞かれました。それは当然だと思いますが、ジャニー氏から被害を受けた時の年齢、頻度、期間も聞かれました。その中で、『被害を受ける前に女性との経験があったのか』と質問があって……。

これが補償にどう影響するのかが気になります。つまり、女性経験があれば、補償額が少なくなるのでしょうか。考えれば考えるほどよくわかりません。その質問自体が僕にとってはセクハラでしたけど……」

男性は東山紀之社長との面談も希望していたが、調整中とのことで実現には至っていないという。

一部被害者への補償金の支払いが完了する一方で、相変わらず動きを見せていないのが『当事者の会』だ。同会の関係者によると、

「被害者に寄り添った救済をするために自分たちを『SMILE-UP.』に入れてほしいと要望したので、補償を受けてしまうとその可能性がなくなってしまう。ですので、面談の申し込みすらしていません」

と話した。また「お金目当てです!」発言で批判を浴びた石丸志門副代表には悩ましい問題も……。

「石丸さんは補償金をもらうと生活保護が止められることを心配していました。『SMILE-UP.』は良心的な補償額を提示しているようですが…」(前出・関係者)

平本氏と石丸氏が「SMILE-UP.に入りたい」と発言し、考え方の違いから元『忍者』の志賀泰伸氏、元ジュニアの大島幸広氏、元『Kis-My-Fit2』の飯田恭平氏が脱退し分裂騒動に発展。彼らはいま「脱退組」として行動を共にしている。

「『当事者の会』は誹謗中傷が多く寄せられたことで、身を守るために会見もやらなくなり、発信もありません。そうなるとメディアも報じようがありません。このまま世間的には忘れられる可能性が高いでしょう。今後はジャニーズの在籍証明ができない被害者の受け皿になろうとしているようですが…」(全国紙記者)

在籍確認ができない被害者への補償問題は『SMILE-UP.』にとっても重要な課題だけに、同会が再注目される可能性もある。その時はどのようなメッセージを発信するのだろうか。’24年もこの問題から目が離せない。

 

ジャニーズ性加害問題「当事者の会」が悲痛告白――石丸志門氏は「誹謗中傷がやまず変装しないと街も歩けません」【2023年衝撃事件の結末】

 
「我々は命懸けだった。表舞台に立つのは、もうそろそろ潮時だと思っています」…こんな言葉を言わせてしまう日本は間違っている。諦めない戦いを続けて来た被害者と共に歩く姿勢を更に強くしなければ。彼らは命を欠けて声をあげた勇気を抹消してしまうことになる。そして又同じ被害者を生む土壌をつくりだす危険性さえも生み出してしまうのだ。
 
 
6月に、築30年、家賃3万7000円の自宅アパートで、40年にわたる苦悩を告白した石丸氏

スマホの普及でニュースの賞味期限は短くなる一方。気になる“その後”を追跡すると――。

12月1日、「スマイルアップ(旧ジャニーズ事務所)」は、故・ジャニー喜多川氏の性被害者のうち、23名の補償金支払い完了を発表。だが――。

「当事者の会の窓口を通じて、補償金の支払いを受けた人はまだ一人もいません」
こう話すのは「ジャニーズ性加害問題当事者の会」副代表の石丸志門氏。6月、本誌で初めて性被害を告白した。

「誹謗中傷や脅迫がやまず、警察にも相談しています。今は金髪をやめて、髭を生やし、眼鏡をかけて変装しないと、街も歩けません。自分の命を守るためです」(同前)

11月中旬には、当事者の会メンバーが大阪府内で死亡していたことも明らかになった。

「我々は命懸けだった。表舞台に立つのは、もうそろそろ潮時だと思っています」(同前)