「田中角栄が示した『日本列島改造論』で国民に希望の未来を」元総理秘書官が指摘する“角栄的発想”の必要性

 
田中角栄を今見なおされ立憲民主党は何を思ったのか「田中角栄研究会」なるものを発足した。なんで立憲が?自民党がならば納得もできるが…。ある意味今の自民党の衰退を思うと角栄が偲ばれるのか?でも違うな、立憲は田中角栄研究会の前に立憲民主党がこれからどこを向いて行くのか?しっかりと私達に見せて欲しい。
 
 
 国民の胸に刺さる言葉の力を持ち、官僚を説き伏せて突き進む決断力と実行力を併せ持っていた――。没後30年となった今太閣・田中角栄。毀誉褒貶はあれど、もしこの時代に「角さん」がいれば、現代の苦境をどう乗り越えただろうか。田中内閣の総理元秘書官を務め、『日本列島改造論』の執筆者の一人でもある小長啓一・元通産事務次官が語った。
 
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 総理の器、リーダーの資格には、構想力、決断力、実行力、そして人間力の4つの力が必要だと考えていますが、田中さんはそれらを十分に備えた方でした。それを示すのが「日本列島改造論」です。

 本にまとめるにあたって、私を含めて15人のゴーストライターがチームを組み、最初に田中さんからレクチャーを受けた。田中さんは1日8時間で4日間、全く資料なしでしゃべるんです。頭の中には、これからの日本の国づくりをどうするかが完全に整理されていた。それは通産大臣になる前の25年間、国土開発を中心にした田中さんの政治家としての努力の結晶でした。

 列島改造論には、いろいろ新しいアイデアが入っていました。たとえば地方に25万人都市をつくって東京一極集中を変えていくとか、過疎を解消するために工場誘致を都市の沿岸部だけでなく、地方の内陸部に行って就業機会を新しくつくる。産業再配置で出稼ぎに行かなくても通勤できるようにしようとか。

 従来の国土開発において生じていた人口の都市集中や地方との所得格差、出稼ぎによる家族の分断、公害といった問題に対する田中さんの処方せんが列島改造論でした。ベースにあったのは、日本列島どこに住んでも一定以上の生活ができるようにする「一億総中流」の思想だと思いますね。

〈角栄の列島改造論は実行に移され、新幹線、高速道路、港湾などの物流ネットワークの整備が進み、地方に大規模工業団地が次々に建設された。半導体工場が集中的に誘致された九州は「シリコンアイランド」と呼ばれ、地方の所得も大きく伸びて、一億総中流社会が実現したかに思われた〉

 公共事業に資金が相当投入されて新幹線、道路網の整備は進みましたが、東京から地方へ人の流れが変わったかといえば、逆に「ストロー現象」でより東京集中になった。東京の人口が1400万人を超えたのはつい最近です。産業再配置もいったんは地方に工場が進出したが、1980年代後半にはグローバル化で海外移転が急加速し、産業空洞化と呼ばれる現象が起きた。

 田中さんが目指した東京一極集中を是正し、地方に活力を与えるというテーマは、今まさに日本が直面している課題でもあります。列島改造論では産業再配置という処方せんが書かれたが、それは現在も通用するものだと思います。

 そこで一つ加えたいのは外国企業の位置づけ。日本は治安がいいし、労働力の質が高く、数も多い。投資環境としては決して悪くない。現代日本では、国内企業の工場再配置だけではなく、海外の然るべき企業を日本に誘致することを含め、日本列島全体を“シリコンバレー化”する田中さん的な発想が必要でしょう。
 
 
国民に夢を示した
 田中さんは選挙の時だけでなく、全国各地で街頭演説をやった。大勢の聴衆が集まるわけですが、われわれ秘書官が用意した原稿は3分の1も使われない。ご自身の知識、ご自身の発想でしゃべり、それが的を射ていた。行く先々の地域のニーズが完璧に頭に入っていたからです。目白の田中邸には毎朝、政治家だけでなく、いろんな業界や市民が陳情に訪れていました。

 そこでも田中さんは相手の要望を聞き流さず、どの業界や地域がどんな問題を抱えているか、何に困っているのか、ポイントを的確に把握、整理し頭に叩き込んでいた。

〈1993年の角栄の死は日本経済の「失われた30年」のはじまりと重なる。一億総中流は一時の夢と消え、日本社会は格差が広がり、少子高齢化で企業の国際競争力は低下した。高度成長期と全く違う社会・経済環境の中で、財源もない。角栄ならどこから手をつけるか〉

 やはり20~40歳代の中堅世代、社会の実際の担い手が躍動できる状況を作り出していくことがポイントになったのでは。その世代が元気にならないと、日本は元気にならない。田中さんは25万都市構想で具体化しようとした職住近接の環境づくり等、社会を担う中堅世代が活躍できることを政策的に優先しようと考えていました。高齢化が進んだ現在はなおさらです。

 財源については、「政策のアイデアが優れ、国民も“これで行こう”というムードになった時には、一つ負担が増えても、さほど重荷に感じないものだ」と田中さんが言ったことがある。

 たとえば、田中さんが議員立法でつくったガソリン税、道路特定財源ですね。当時の日本の交通インフラの中心は鉄道で、道路はガタガタ。これではダメだ、一刻も早くやらなきゃいけないと、ガソリンから税を取って有料道路に優先的にお金を使う仕組みをつくった。

 あの時、道路は無料公開の原則があるとの反対論もあったが、田中さんは「インフラからも料金を取ってやっているケースがある」とヨーロッパの例を挙げ、「2つの地域を結ぶ1本目は無料道路、料金を払いたくない人はその道路を使えばいい。2本目、3本目の道路は有料にしても何の問題もない」と。それは説得力ありますよ。まさに政治家の議論の原点でしたね。おかげでそれまで数百億円単位だった道路予算が、その後、数兆円規模へと二桁増えた。

 ビジョンに説得力があれば、国民に負担してもらうことは可能なんです。

〈角栄は『日本列島改造論』の結びで目指す日本人のライフスタイルをこう描いている。『二十代、三十代の働きざかりは職住接近の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜大工、日曜農業にいそしむであろう』。国民に具体的な「将来の夢」を示すことができた政治家だった〉

 田中さんは課題に対して逃げるのではなく、全力投球した。われわれにも、「受験秀才は、難しい問題は避けて易しい問題から解き、残った時間で難問に挑戦する。点数を上げて合格するためにはそれでいい。しかし、社会人になったらそうはいかない。難しい問題に直面しても避けて通れないし、対応していかなくてはならない。だから受験秀才ではいかんよ」と仰った。政策を担うわれわれ官僚に対する忠告であったと思います。

【プロフィール】
小長啓一(こなが・けいいち)/1930年岡山県生まれ。元秘書官。岡山大学法文学部卒業。1953年、通商産業省(現・経産省)入省。1971年、田中角栄大臣の秘書官となり「日本列島改造論」の作成に参画。退官後はアラビア石油社長などを歴任し、2007年に弁護士登録。現在に至る。

※週刊ポスト2023年12月22日号
 
 

立民有志が「田中角栄研究会」設立 没後30年、党内保守系集め

 
 
立憲民主党の有志議員が12日、「田中角栄研究会」を設立した。16日は田中元首相の没後30年に当たり、これを機に「国民に寄り添った本来の保守本流の在り方を党内で模索したい」として、田中政治を学び直すという。党内の保守系議員らが集結し、来年の党代表選を見据えた情報交換の場とする思惑もありそうだ。

この日は原口一博元総務相や馬淵澄夫元国土交通相、江田憲司元代表代行のほか阿部知子衆院議員ら、約20人が参加した。

原口氏は冒頭「この30年、日本は衰退した。日本をもう一度取り戻そう」と呼びかけた。田中氏に師事した小沢一郎氏による「どんな敵でも面倒を見る人だった」と回想した発言も紹介した。立民には小沢氏や中村喜四郎氏ら、かつての自民党田中派の流れをくむ議員がいる。

会合では、田中氏に関する著書があるジャーナリスト、後藤謙次氏の話を聞き、意見交換した。