旧統一教会と最初に接触するのは、選挙の応援が多い。ポスター貼りや電話かけの手伝いから始まり、苦戦している候補者は、派閥の長から信者の票を割り振ってもらう場合もある。選挙にはどうしても人海戦術の部分があり、応援団がない政治家(特に自民党)は、旧統一教会の力を借りなければ選挙を戦えないのだ。
旧統一教会が問題となったのは、7月8日に起こった安倍晋三元首相の銃撃事件がきっかけだ。山上徹也容疑者は犯行動機として、安倍元首相と旧統一教会の関係を語ったと報じられた。自分の家庭を壊した旧統一教会は、岸信介元首相が日本に招いたのだから、孫の安倍元首相を狙った、というのである。
当初は、旧統一教会の韓鶴子ハンハクチャ総裁を狙っていたが、21年9月、関連団体の天宙平和連合(UPF)の集会に安倍元首相が寄せたビデオメッセージを見てターゲットを切り替えたという。
山上容疑者の凶行は許されないことだ。しかし旧統一教会が、安倍元首相にとって岸信介氏からつづく“ファミリー宗教”だったのは確かだ。
なぜ冷戦終結後も関係を継続したのか
旧統一教会は文鮮明ムンソンミョン氏が1954年に韓国で創設し、日本では59年頃から布教が始まった。
文鮮明氏は68年、「国際勝共連合」を韓国と日本それぞれに創設した。名前のとおり、反共産主義を掲げる政治団体だ。当時は東西冷戦の時代であり、日本では日米安保をめぐって学生運動や新左翼の活動が盛んだった時期だ。60年安保改定を進めた岸信介氏は反共親米だから、勝共連合とは「反共」で結びついたと見られている。
しかし、文鮮明氏は二枚舌だった。日本の保守層と手を組む裏で、韓国では反日思想を語っていた。日本に支配された36年の恨みを晴らすため、日本を食いものにするというのだ。日本の信者から霊感商法などで財産を巻き上げる。合同結婚式で韓国人男性と日本人女性を結婚させ、日本人女性に奉仕させる。反日どころか、日本人を侮辱する「侮日」の思想が色濃かった。
実際、霊感商法によって崩壊した家庭、集団結婚した韓国人男性からDVを受けた女性などの被害者が出て、駆け込み寺となった弁護士たちもいる。
91年に東西冷戦が終結し、共産主義の勢力が弱まっても、岸家、安倍家と旧統一教会の関係はつづいた。
自民党内で教団と関係が深い議員が安倍派(清和会)に多いのは、祖父以来のファミリービジネスとして安倍元首相が日本側の窓口を務め、いわば教団の“日本総領事”だったからだ。実弟の岸信夫氏は、教団に選挙を手伝ってもらったと早々に認めた。

 

 

企業不祥事だったら岸田総理はアウト
 

2022年8月10日、予定より約1カ月前倒しの内閣改造によって、第2次岸田内閣が発足した。当初は、安倍派(清和会)を冷遇して岸田派(宏池会)で権力を固めるのが狙いの1つと言われていたが、露骨な安倍派イジメはせず、「派閥のバランスはいい」と評価される人事だった。

 

しかし、8月後半に発表された内閣支持率は軒並み急落した。最大の理由は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題だ。内閣改造のもう1つの狙いは、旧統一教会をめぐる報道を打ち消すことだと言われたが、新閣僚と旧統一教会との関わりが相次いで発覚し、逆効果となった。

岸田文雄首相は7月以来「組織的な関わりはない」「社会的に問題とされる団体との関係は、各議員が丁寧に説明していくことが大事だと思う」と発言している。しかし、例えば企業不祥事で社内の80人以上が関与していたら“組織ぐるみ”と言われるのがふつうだ。組織的関わりを否定して、正面から解決に当たらない岸田首相の姿勢が不信感を抱かせている。

とはいえ、議員と旧統一教会の関わりについて、最近の報道では“新事実”であるかのように報じられているが、政界では公然の秘密だった。

 

旧統一教会と最初に接触するのは、選挙の応援が多い。ポスター貼りや電話かけの手伝いから始まり、苦戦している候補者は、派閥の長から信者の票を割り振ってもらう場合もある。選挙にはどうしても人海戦術の部分があり、応援団がない政治家(特に自民党)は、旧統一教会の力を借りなければ選挙を戦えないのだ。

旧統一教会が問題となったのは、7月8日に起こった安倍晋三元首相の銃撃事件がきっかけだ。山上徹也容疑者は犯行動機として、安倍元首相と旧統一教会の関係を語ったと報じられた。自分の家庭を壊した旧統一教会は、岸信介元首相が日本に招いたのだから、孫の安倍元首相を狙った、というのである。

当初は、旧統一教会の韓鶴子ハンハクチャ総裁を狙っていたが、21年9月、関連団体の天宙平和連合(UPF)の集会に安倍元首相が寄せたビデオメッセージを見てターゲットを切り替えたという。

山上容疑者の凶行は許されないことだ。しかし旧統一教会が、安倍元首相にとって岸信介氏からつづく“ファミリー宗教”だったのは確かだ。

 

なぜ冷戦終結後も関係を継続したのか
 

旧統一教会は文鮮明ムンソンミョン氏が1954年に韓国で創設し、日本では59年頃から布教が始まった。

文鮮明氏は68年、「国際勝共連合」を韓国と日本それぞれに創設した。名前のとおり、反共産主義を掲げる政治団体だ。当時は東西冷戦の時代であり、日本では日米安保をめぐって学生運動や新左翼の活動が盛んだった時期だ。60年安保改定を進めた岸信介氏は反共親米だから、勝共連合とは「反共」で結びついたと見られている。

しかし、文鮮明氏は二枚舌だった。日本の保守層と手を組む裏で、韓国では反日思想を語っていた。日本に支配された36年の恨みを晴らすため、日本を食いものにするというのだ。日本の信者から霊感商法などで財産を巻き上げる。合同結婚式で韓国人男性と日本人女性を結婚させ、日本人女性に奉仕させる。反日どころか、日本人を侮辱する「侮日」の思想が色濃かった。

実際、霊感商法によって崩壊した家庭、集団結婚した韓国人男性からDVを受けた女性などの被害者が出て、駆け込み寺となった弁護士たちもいる。

91年に東西冷戦が終結し、共産主義の勢力が弱まっても、岸家、安倍家と旧統一教会の関係はつづいた。

自民党内で教団と関係が深い議員が安倍派(清和会)に多いのは、祖父以来のファミリービジネスとして安倍元首相が日本側の窓口を務め、いわば教団の“日本総領事”だったからだ。実弟の岸信夫氏は、教団に選挙を手伝ってもらったと早々に認めた。

 

 

私の都知事選の敗因は統一教会のデマだった


実は私自身も、過去に旧統一教会との関係を疑われたことがある。95年に都知事選に立候補したときのことだ。私は初出馬だったが、自分の選挙ポスターを一日で約1万8000カ所に貼った。

すると、国会議員時代の石原慎太郎氏が、自民党の集まりで「大前は統一教会にポスター貼りを頼んだに違いない」と言ったと伝わってきた。私は石原氏のところへ飛んでいき、なぜデタラメを言ったのかと問い詰めた。すると彼は、自分が最初の選挙で旧統一教会の世話になったから「同じだろうと思った」と白状した。私は経営コンサルタントだから、宗教団体ではなくて、軽貨物運送の「赤帽」に依頼して代金を払って貼ってもらったのだ。

ところが、後日TBSの「筑紫哲也 NEWS23」に他の候補者と出演すると、「大前さんは“在日朝鮮人”だという噂がある」と言われた。石原氏の「統一教会が協力した」というデマに尾ひれがつき、私自身が在日朝鮮人だという話になっていたのだ。

私は母親に電話して、終戦時に陸軍大尉となっていた父の軍人恩給証書をファクシミリで送るよう頼んだ。仲がよかった東京都の自民党員のところへ持っていき、「自民党がデマを流している。これを見ろ」と証書を出し、相手は「すぐにやめさせます」と約束してくれて噂は消えていった。しかし、1度流れたデマの影響は大きく、都知事選の敗因の1つとなってしまった。


選挙に出て目撃した宗教団体の組織力
 

95年の都知事選は、身をもって政治と宗教の結びつきを知る機会となった。各政党へ挨拶にまわったとき、公明党の人から「大前さんの政策(サイレントマジョリティの国づくり)は、私たちと一致している。ここにサインしてくれたら応援します」とわら半紙を渡された。都知事になったら「過去にさかのぼらない」という誓約書だった。

何の過去かといえば、1つには都営住宅の抽選だ。ある地域の都営住宅は、入居希望者の抽選で、創価学会の信者は当選しやすいといわれた。ガラガラまわして玉がポンと出る抽選機で、なぜか学会信者がまわすとアタリの色が出て、信者以外はハズレが出る。都議会の住宅港湾委員会(当時)の委員長ポストは、公明党の都議が押さえていた。

私は誓約書にサインしなかったから、公明党は別の候補者を応援した。しかし、個人的に応援してくれる公明党の議員がいて、そこで私は創価学会の組織力を目の当たりにすることになる。

ある区議会議員が、私の選挙カーが走るルートを考えてくれたのだが、彼が指示した時間に、ある都営住宅沿いを走ると、道路側の窓がいっせいに開いて、たくさんの住民が手を振ってくれた。公明党の区議会議員がアレンジして、創価学会の婦人部が動いてくれたのだろう。ほかの団地やマンションで窓が開くことはないから差は歴然だ。創価学会の組織力が選挙で頼りにされるのは当然だと痛感した。

 

自民党には、選挙のときに頼れる団体や支持層がほとんどいない。公明党にとっての創価学会、日本共産党にとっての「しんぶん赤旗」読者といった熱心な応援団がいないのだ。日本会議や仏教各派、創価学会以外の新興宗教と手を組む機会はあっても、選挙のときに動員力がある応援団でいてくれるほどの組織化はできていない。だから、自民党は「勝共連合」という看板を掲げた旧統一教会が接近しやすかった。

 

弔問外交に意味はない
 

韓国のテレビを観ていたら、8月12日にソウルで、教団の関連団体UPFの大規模な会合が開かれたと伝えていた。21年9月に、安倍元首相がビデオメッセージを寄せたのと同じ会合だ。

教団幹部の開会挨拶では、安倍元首相がスクリーンに映し出され、偲ぶ会のようだった。米国のトランプ前大統領やペンス前副大統領がビデオメッセージで安倍元首相を追悼し、ポンペオ前国務長官は会場で献花台に花を手向けていた。22年は文鮮明氏の没後10年に当たるが、安倍元首相のほうが追悼されている印象だった。もちろん、暗殺の原因が自分たちの教団である話は一切なかった。

日本では1カ月半遅れで、国民の反対が多い国葬が営まれるのだから、しらけた気分になる。「弔問ちょうもん外交になる」という人もいるが、8月末現在で来日する可能性があると報じられているのが、人気失墜中のカマラ・ハリス米副大統領や、政界を引退したメルケル独前首相などで、彼女らが来たところでほとんど意味はない。安倍氏と27回も面会した、渦中のプーチン露大統領が来るわけでもない。国民は安倍元首相の死を悼めば悼むほど、自民党と旧統一教会の関係を問題視するはずだ。

岸田首相や自民党は、組織的つながりを認め、霊感商法や合同結婚式で人々を苦しめている団体とは「金輪際こんりんざい、関係を断つ」と明言し実行しなくてはいけない。自民党の議員が言い訳を続ける限り、内閣支持率はますます低下していくだろう。

 


大前 研一(おおまえ・けんいち)
ビジネス・ブレークスルー大学学長
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号取得、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号取得。日立製作所へ入社(原子力開発部技師)後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し日本支社長などを経て、現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長を務める。近著に『日本の論点 2022〜23』(プレジデント社)など著書多数。