今日は残酷な描写が存在するので

苦手な方はここでUターンお願いしますお願い

 

 

昨日の続きですが、祖母の飼っていた

ニワトリは「食用」ドクロ

小学低学年の頃の私は無邪気に「コッコ」

などと適当に名前をつけて庭でニワトリと

遊んでいた。

当時の田舎町はスーパーなど無く、肉は肉屋

魚は魚屋で食材を購入するのが当たり前。

後は町に出掛けて買い出しをするのが日常で

それには自動車の免許は必須だが祖母は

運転免許が無く、”今日は肉の気分”となると

庭で遊んでいる「コッコ」を捕まえて・・

 

そう、解体し「食用」とするのだドクロ

 

ある日のこと、学校から下校した時。

家の庭に白い羽があちこちに散乱していて

「何だこれは!!」と思いながら家の

玄関まで来た時絶望絶望

玄関の上の屋根の上から首に切れ目が有り

鳥肌になった「コッコ」1号が目

血抜きされ、逆さまに吊り上げられて絶命

していた。

あまりの衝撃に何が起きたか分からず

泣きながら家に入り、祖母に聞くと

「今夜のおかず」叫び叫びと一言。

 

子供なので理解不能の事件としか思えず

とにかく今夜のおかずになったニワトリの

成仏を祈るしかなかった。

 

昭和の頃の田舎の町では普通のこと

なのだろうが初めて「シメラレタ」ニワトリを

見た衝撃の光景はずっと脳裡に焼き付いている。

 

自分は肉類は一切食べないがこれがトラウマと

なっている訳ではなく単に動物の肉は

食べたいと思わないのだ。あ~でも少しは

この出来事の影響もあるかもしれないなゲッソリ

命をいただいている事の意味を祖母に

教えてもらったのだな。

私が住んでいた田舎では養鶏も養豚も盛んで

牧場もあちこちに有り、肉牛や乳牛を飼って

いる家は多かった。

いつ聞かされたのか忘れたが豚はすごく繊細で

自分が殺されるのを敏感に察して殺される時

すごい悲鳴を上げるのだそうだチーン

昔からそういった話や光景が頭の片隅に有り

なんだか自分は動物を食べるのは冒涜なのかと

少しは考えているかも。

崇高な使命感などでは無い。ただ苦手なだけだ。

 

おかずになった「コッコ」1号はみごとに

綺麗に解体され食べられる所は全部、内臓も

おなかの中にあった卵の子供(?)も全て

料理され祖母と母のおなかの中に・・。

小さい子供の頃にこういう事を教えてもらい

食べることの意味を頭でなく経験で自然に

考える機会を祖母に与えてもらったニコ

”魔女”だけどすごいグランマだったニヤニヤ

 

昨日の食事

朝:みそ汁、納豆、水分

昼:雑穀米、キュウリの漬物、味玉、ちりめんじゃこ

夜:はちく(たけのこ)の煮物、サラダ、もやし炒め、オレンジ

酒:ワイン500ml(昼の暑さでまた早寝)