Netflix「三体」は劉慈欣(りゅうじきん)の画期的SF小説を映画化した作品。

 5年ほど前、タイトルが気になってこの本を購入した。何故気になったかというと、折から書き始めていた一般書原稿の「ド文系物書きの理系学び直し」という大風呂敷で、ちょうどそのあたりを調べたりしていたのだ(お暇な方は下記頁の「目次」をご覧ください)

我々はいま、超人類へ進化している(仮)|937gi(掌篇小説を書いてみよう) (note.com)

 

『ちなみに物理学には古典的に多体問題(三体以上からなる系を扱う問題)という問題点があって、ニュートン理論の万有引力が太陽、地球、月の三体運行にどう相互作用するのかを数理的に解析研究してきた。そして19世紀末にアンリ・ポアンカレの積分法で証明され、ロケットや人工衛星の軌道計算の根拠にもなっている。しかしこれは三体以上の惑星運行について、摂動や数値解析で対処はしてはいるが、状況からカオスの要素(ランダム性)が多く、現在でも科学的不解明部分を残したままになっている。アインシュタインは自然界のこの実ランダム性が不満で、ニュートンに始まる科学的決定論の法則から「神はサイコロを振らない」と愚痴ったが、実際の神(自然界の宇宙的法則)は博打も嫌いではないようで、現実のアルゴリズムはランダムのようだ。』

 などと私は書いたりしていたのだが、こんな面倒くさい内容は小説にはとても出来ないと思い込んで一般書原稿にしていたのだ。だが劉慈欣は、理系で現在でも語られている1950年代のフェルミのパラドックス(膨大な星の宇宙なのに、何故エイリアンからの通信は来ないのか?)から、太陽が三つあるカオス状況の惑星で何度も絶滅しているエイリアンを想定し、実にうまくこなしてSF小説に仕上げていた。

 文化大革命の実態から始まる小説は登場人物が多く読み難いが、素粒子論、多次元論、ナノテクノロジーなど自然科学の内容考証が確かでユーモアも洗練されている。小説の造りもスケールの大きさからも、これはSF小説として群を抜いたオータニ級の作品になっている。

 

 しかしながら今回Netflixで映像化され、小説から多少デフォルメされてはいるが、やはりビジュアルのほうが入っていきやすく、2度3度4度と見返しては楽しませてもらっている。

 私の一般書は「三体」作品では希薄なAIがAGI(自我を持った汎用型AI)になるシンギュラリティーをコアにして、「人間の度し難さ」からの進化(脆弱で幼稚なその現状)をテーマにおいているが、「三体」も文明的に人類を超越しているエイリアンに「人類は虫けら」と呼ばせており、そんなあたりも含めて十分に楽しませて貰っている。

 

 

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