ハイパーインフレーション(経済に関する覚書) | ぶらっくまーさん

ハイパーインフレーション(経済に関する覚書)

ハイパーインフレーションは起こりません。

 

以上。

 

とすると30文字でエントリーが終わってしまうので、ここから最近考えていることを述べてみたいと思います。資本の配分が市場によって適正になされなくなるとインフレーションが構造的な意味合いを帯びてくることについて。

 

そして後半は日本が今後辿る未来が1960年代のアルゼンチンを参考にすることで分かるので、そのころのアルゼンチンの衰退する様相を述べてみようと思います。

 

まずインフレが構造的な意味合いを帯びていることから。これは調べれば多くの人々が有料無料とに関わらず述べているところなので、影響の大きさの順ではなく面白さの順で述べてみたいと思います。

 

ここ数年の各国中央銀行は大変な緩和政策をとっており、市場に過度に多くの資金が供給されているのは全員が知っていることだと思います。実際に現在世界中で物価高や物資の不足から来る供給不足などで普通に考えれば景気が悪化するということがコンセンサスになると思います。ところで客観的な市場のチャートを5年程度のスケールで見てみると世界中の市場が驚くほどモデレートなことに気が付きます。

 

DJIAは2022年に入ってようやく目に見える下落局面が続くようになりましたが、それでも今の水準はコロナが拡散した後の2020年頃からの莫大な財政出動を始めた時の水準の遥か上であることに気が付かれると思います。パンデミック直前と比べても3000ドル以上高い。日本に関して言えば、パンデミック直前が22000円程度だったと記憶していますから、割合で言えばアメリカ以上に株価が上昇しているのが分かります。そしてこれは世界的な傾向で、ここ数年はポピュリズムが世界中で吹き荒れていて、株式市場が適正な調整を行うことすら許容しないような徹底的な財政出動をどこでも渇望する事態になっています。

 

時節的には英国でもエリザベス・トラス女史が首相になりますが、あの方も完全なポピュリズム的政策を実行しようとしていますね。それどころか今のところは口だけですが、BOEに介入すると宣言しているので、実行出来たら面白いところです。

 

それは良いとして。通常インフレが起こってそれを中央銀行が抑制できない場合には、これは日本でもアメリカでも物価上昇率に賃金上昇率が優ることは滅多になく、その結果消費が冷え込むことで若干の経済の後退を誘発し、そこから賃金や雇用の状況が悪化することでインフレが抑制されていくというのが教科書通りのシナリオのはずです。ところが現在はそれが少し異なっている。

 

日本では労働環境が他国と比べて特殊すぎるため除外して話しますが、アメリカでもそれ以外の国でも雇用環境は極めてタイトです。これはひとつにはコロナ禍でのロックダウンなどからの解放で小売りや飲食店、そして2020年から2021年にかけて落ち込んだ様々な産業が人を雇用する流れが生まれており、労働市場が売り手市場であるということが原因のようです。そしてコロナによって人と接する職業に対して人が集まらなくなっているため、そういう分野では尚更雇用がタイトになっているということがいくつかのデータから示唆されています。

 

そこに加えて、幾人かの市場参加者、特にアメリカの有名ヘッジファンドの責任者のR・ダリオ氏やこのブログにも何度か登場しているJ・グランサム氏等が指摘しているのが、中央銀行が市場に積極的に介入している現代において資産インフレ(資産インフレという言葉は経済学では定義されていない言葉ですが、状況を適切に表現できる便利な言葉なので便宜上ここで用います)が進みやすい。ところで人々は賃金を得た時に消費を行いますが、その余剰をストック(資産)として持ちます。例えば住宅や各種債権や株式などの形でこれらを保有するわけです。

 

そうしたものは上述したポピュリズム的政策も相俟って現実に全く下落する兆候を見せていません。例えば有名なアメリカの中古住宅の価格の指標であるケース・シラーを見れば、2022年に入ってからですら、中古住宅の価格は何と前年比で20%上昇しています。株式も8月の最終週以降は本格的な調整をするでしょうが、少なくともそこまでは歴史上の最高値から10%も下落していなかった。

 

すると、人々は現在の賃金が上昇していなくとも、自らの資産がインフレを起こしているために消費を手控えるという動機が起こりにくい、こう指摘する人々が増加してきているようです。この視点は確かに面白い。そして次第に多くの学者や市場関係者が危惧しだしているのは、中央銀行が引き締めを行う時に政府が巨額の財政出動を行うと、これはブレーキとアクセルを同時に踏むようなちぐはぐな政策の組み合わせで、市場に間違ったメッセージを与えかねないと囁かれ始めています。

 

このエントリーの後半のアルゼンチンの例でも触れますが、こうしたポピュリズム的政策は、豊かな国がある閾値を超えて一気に衰退する時の直前の中央政府が良く行う典型的なものだということになります。

 

そして次の原因は言うまでもなく全世界的なデカップリングの動きです。これほど明瞭に全世界の、特に低~中所得層を苦しめるインフレを後押しする原因を、その影響を最も強く受けるその層自体が圧倒的に支持しているというのが面白いところですが、これほど危険な動きはインフレを大変強く下支えします。

 

以前のエントリーでも書きましたが、例えば日本の食料自給率が低いというのは、ある意味において日本がそれだけ生産性のより高いものに限りあるストックを投入できているということで、私は極論を言えば、食料自給率などゼロを目指しても良いとすら思っています。そこに投じられるストックをより生産性の高いものに投入できるのなら。簡単な話で、ある国が極めて生産性の高い半導体と、生産性のとても低い米を生産でき、この生産性の悪さというのはそこに投入される様々なものに対してのリターンの少なさを意味しますが、例えば人もそこに投入される。

 

もし仮に、世界でこの半導体が100という価値で飛ぶように売れて、一方、コメが1の価値であまり売れることも無いとするのなら、鎖国をして自給自足をするのならどうでも良いでしょうが、豊かな生活をしようと思ったら全ての資源を需要のある限り半導体に投入したほうが有利です。そしてそこで得た利益で、世界中でもっとも美味い農作物だったりエネルギーだったりを買ったほうが豊かになれるのは自明の理です。

 

もちろん、ポピュリストはイデオロギーの対立などから経済の原則よりも安全保障を優先するため、そして困窮する人々は怒りを向ける矛先を常に求めているため、こういう明白な事実があるとしても、デカップリングを推進する。

 

これは一度生まれたら数年というスケールで収まることでは無いので、この1点だけでもインフレの根本的な解決は不可能だと断じて良いと思います。

 

そして最後は脱炭素に関する投資です。後はSDG'Sに関する投資です。私はもちろん、原油の採掘など早く世界が放棄して、自然エネルギーに転換するべきだと思います。けれども投資のタイミングや投入される資金の平準化は当然あるべきで、何もこれほど大変なインフレの時期に一気にそれをやる必要は無いと思います。

 

良いタイミングを考えるのならば、緩和縮小を完了してかなり深刻な不況が発生した時に、既存の原油に依存する古く生産性の劣る産業に替わって新しい産業を生み出すのと、景気を浮揚させる起爆剤となるべくこうした分野に投資をするべきであって(さすがに世界的な景気後退局面が24年頃に来たときにはインフレ率も幾分下がっていると思います)、今のようにインフレを抑制することが最重要な場面でどんどん投資をしようなんて言うのは愚の骨頂と呼んで良い。

 

けれども、ここでも環境保護『派』というひとつのポピュリズム的セクターにリーチする政策なので、二項対立が進む現代ではそういうことを言うと、このセクターの支持を失う為、そういう柔軟な政策変更も不可能なわけです。

 

こうしたことを考えると、インフレは予想外に長期化し、おそらく、私はこの段階でも1年以上前のインフレ率が10%を超えることは無い、という考えを捨てていませんが、それでも一桁台後半のインフレが数年続くことは覚悟した方が良いように思います。

 

さて、最近、海外の少なくない人が現在の日本と今後日本が辿る道を1960年代のアルゼンチンに擬えることが多いので、私もこの考えをかなり以前から開陳していましたが、これについて紹介しようと思います。

 

アルゼンチンは第二次世界大戦後には、その国土が戦場にならず、また、戦間期の間にある程度の工業化も達成していたため、世界でも指折りの富裕国になっており、対外債務も一時的に解消(1952年)されるほどでした。しかしこの国ではポピュリズム的政策が幅を利かせ、このころから労働関係法性が整備され、非常に労働者の発言権が強まり、また、経済に対して政府が統制を強めていくようになります。そうしたことは、独裁者が独断で行ったのではなく、都市に流入した無産階級が単純労働者として雇われ、それらの人々が雇用の安定を求めて独裁者にすり寄ったために彼らの票を当てにした独裁者が実施した側面が強いのです。

 

そしてアルゼンチンはその後保護貿易に転じ、国内産業を育てていきますが、その間に生産性が上昇しつつも、それは同じ時代のブラジルやチリの生産性の上昇に常に劣後し、海外における商品の競争力を急激に失っていきます。

 

この間、賃金は上昇していましたが、それは常にインフレ率に劣後し、実質では賃金上昇率はマイナスで、政情が不安になっていきます。その後もいくらかの政変を経つつ、若干の自由化などが行われます。ただ、労働者の影響力が強く、常に失業率が低いままであっても実質賃金が恒常的に減少する形になっていきます。

 

その歪が極めて大きくなった時に、政府が経済政策の失敗を認め世界との全面的な自由競争に舵を切ります。ところが為替レートでアルゼンチンペソの価値が過大すぎたため、一気に自国の産業が競争力を国の内外で失い、最終的に通貨の切り下げを行って労働者たちに対する保護政策も破綻し、1970年代には輸入品の物価上昇と、長い保護主義の下で競争力を完全に喪失した産業の破綻、それによる更なる輸入の増加と自国の労働者の賃金の減少というスパイラルが一気に来襲します。

 

後は教科書通りの激しいインフレと、そしてアルゼンチンの場合にはスペイン語圏ということがあり、知識人から順に他国へ脱出する事態が発生したため能力のある人間がアルゼンチンに残らなくなり、経済の後退が不可逆的なものになりました。

 

その後現在に至るまでのアルゼンチンの惨状は教科書で見ることも多いのではないでしょうか。さて、このエントリーの最後はアルゼンチンからキャピタルフライトや、更には人自体が流出することがいつ頃から起こっていたのかについてです。

 

実は経済が崩壊の淵にある1970年よりも遥かに以前、1960年代前半には、既に自由競争を放棄した国に未来は無いと判断して、こうした行動を起こす人はいたようです。これを早いと判断するか遅いと判断するのか。

 

また衰退の兆しが見えてから20年後にはもはや経済が大混乱に陥り、アルゼンチンペソが文字通りの紙くずとなったというのは短いと見るか長いと見るか。

 

結局のところ、現代のように人々がエコーチェンバーの中で生きていく時代には、他人の人生を気にしていても仕方が無いので自分がこうした先例から何を得るのか、そこを考えてみるのが良いのかもしれません。