正論は誰でも語れる。
正論は
間違いではないけれど
適切ではない!
今の時代ですし、
暴力で法律に裁かれたのは間違いないと思います。
阿部監督の逮捕や暴力への
世論の批判意見を否定はしませんし、
私も小さい頃に
祖父や両親や小学校の担任から体罰を受けて嫌な思いをしたので
暴力は反対!という考えですので
私が娘たちに暴力を振るった記憶は皆無です。
暴力はダメですが、
出来事に対しての対応は
最適だったか?ベストだったか?
阿部監督ぎ常習的な凶悪犯罪だったのか?
と思いますし、
他にたくさん対応の仕方もあったはず?
と感じます。
逮捕という前科がついてしまい、
阿部監督の築き上げてきたキャリアは一夜にして崩壊してしまいました。
良かれ悪かれ、
いざという時に本性や実力や価値観が出ます。
A Iの回答は間違いではないかもしれないけれど、
人間関係や場の空気や感情まで読めない部分に対して、
未熟な人間が
判断と意思決定を委ねて行動した典型的な事例だった様に感じました。
A Iへの質問の仕方(プロンプトの入力内容)はどうだったのか?
阿部監督の長女が、
家族の人間関係や姉妹喧嘩や親子喧嘩の背景や父親の社会的立場まで含めて具体的な情報を客観的に
AIに提供した上での、
A Iの回答に従って行動したのか?
それとも
抽象的に一般論でA Iに質問したことによる回答だったのか?
A Iの回答に従って阿部監督の長女さんが児童相談所に連絡し、
児童相談所から110番通報がいったことは長女さんも予想出来なかったという状況の様ですが、、
結果、、
この児童相談所が絡んだことで阿部監督の日常的な家庭内暴力の常習性を疑われるなど
オオゴトに発展してしまった。
私も有料版A Iを使っているので
いつも実感するのは、
A Iは、
入力している人に寄せた味方の回答をする傾向があります。
A Iは
質問を入力している人を中心とした心地よい結果になるような回答を出しやすい。
今回みたいに、
子どもが親子喧嘩をA Iに相談して
親が警察に逮捕されるということが間違いではない!と肯定されると、
親も先生も子どもへの注意すら出来なくなる。
職場でもパワハラと言われるのを恐れて
上司は部下への注意が出来なくなる。
子どもも部下も
やりたい放題。
まさにそんな風に
阿部監督の逮捕や辞任の出来事を
自分の子育てに当てはめて
振り返りました。
確かに倫理、道徳、正論、法律では
暴力はダメです!
そこだけにクローズアップすれば間違いなく
暴力はダメ!
ですが、
高度な価値観の人は
目先の出来事だけではなく、
未来も思考出来ると思います。
性格によりますが、
カッとなっても
言い方や態度にも気をつけることは大切ですよね。
そんな風な日頃の親子のやりとりがベースにあれば、
子どもも
A Iの回答についての違和感を覚えて、
警察に通報して親が逮捕される
という手段以外の選択肢も含めて
自分での判断と最終的な意思決定をすることができる。
三つ子の魂百まで!
と言います。
3歳までの子育てや価値観形成が
100歳までの人生の価値観の元となる。
子どもの幼少期からの価値観教育の結果と
自らの振る舞いが
時に電流ショートした場面で、
そういういざという時の
たった一つの、
たった一回の、
自分の子どもや
自分の部下の判断や意思決定で、
自分の家庭が崩壊したり
自分のキャリアが崩壊したり
自分の部署や会社が崩壊する。
自分の判断ミスじゃないところで、
身近な身内から
家庭や組織が崩されていく。
阿部監督も気の毒です。
子育て期にはプロ野球の現役選手でしたから
子どもたちへの価値観教育は行き届かなかったのではないでしょうか?
ここからは私のことですが、
24年前、三女が生まれました。
その頃はまだ
哲学や価値観を学び始めてから2年ぐらいの私でした。
当たり前ですが、
高度な価値観や判断基準での意思決定と行動実践の方が
長い目で見て良い結果になる!
ということを理論的に知って納得しました。
ところが、
当時、
長女と次女もまだ幼くて
長男の嫁として
嫁姑問題もあったりして
長女の成長期に単身赴任中だった私でしたが、
学んだ価値観やロジックを自分の振り返りに使わずに、
反論や抗弁として
人に使いたいという時期で、
知識的に学んで理屈を言っているだけで自分で実践しないで
学んだことやロジックを
相手に当てはめて
相手への反論や論破や営業トークに使ったのです。
反論への反論をしたりして
言葉の暴力になっていたかもしれません。
私は
素直な子どもたちにも
自分が学んだことを実例の機会を使って気付かせようとしました。
子どもの目線に降りて
子どもにも分かるように説明するのは大変です。
そして子どもたちとの対話の時間を大切にしました。
子どもの反応は正直です。
子どもは分からない時は分からないって言うので誤魔化せない。
自分本位な伝え方の時は
子どもには伝わらない。
相手本位で相手が気付きやすい場面で
すかさず考え方を伝えて気づかせる。
単身赴任の期間も、
毎週の様に
長岡から十日町経由で帰ったり、
東京からは金曜夜に新幹線で帰って月曜始発で東京のオフィスに出勤した。
郡山から長野まで毎週車で往復したし、
時には妻が夜勤の平日の夜も往復した。
たった1時間や30分でも
子どもと直接に対話する時間を取った。
まだ価値観を身につけておらず、
まるで乾いたスポンジのように
娘は素直に私の理屈を聞き入れますが、
既に自分なりの価値観を身につけている妻とは
言い合いになるだけで、
子どもを大切にしているつもりで
妻との家庭を大切に出来なかった私がいました。
特に、東京に単身赴任となった
四女が生まれた頃の3年間が1回目、
親父が亡くなる前ごろの数ヶ月に2回目の、
夫婦間の価値観の相違や危機的なスレ違いが起きて
妻と一番上手くいっていなかった時代を思い出します。
貴重な経験をしました。
その後、
夫婦関係は
やり直しみたいになって。
妻にも子どもたちと話すように柔らかく伝えるようになれた。
部下や同僚にも子どもたちにも
気付きを与える
というスタイルで伝える様になれた。
教えるというスタンスや
こちら側の伝えたいことだけを綺麗に並べるだけではダメ。
子どもたちが中学生になる前の思春期には
単身赴任先の浜松や名古屋からも
毎週末に帰ってきた私。
子どもや配偶者と顔を合わせての
直接の対話の時間は大切です。
転職することで単身赴任を解消することを何度か繰り返しました。
そして、
学んだことは人に向けて使うのではなくて
自分の低水準な価値観を振り返って
高度な価値観比較して入れ替えるための自分の実践をしないと、
ロジックが先行した嫌なやつになってしまうことを理解出来る様になりました。
良い包丁も料理に使わず人に向けるとか、
使い方を間違えると相手も自分も怪我をする。
知識やロジックの使い方を間違える人は、
学べば学ぶほど人が離れていき
自然に周囲から孤立してしまいます。
職場で長居が出来ない。
30歳前後の頃、
そういう苦い経験をしました。
大人が長い間に自然に身につけてきた価値観を他人が強制的に変えようとしても上手くいかない。
妻への価値観の共有は
なかなか上手くいかなかったですが、
価値観形成に向かう子どもたちへの価値観教育は
まずは長女への価値観教育からスタートしました。
我が家の場合は
子どもたち同士の年齢が近かったので
姉妹で姉が妹たちを自然に仕切ることになります。
私は長女を司令塔にしました。
学力や人としての完璧さではなくて、
判断基準を教えました。
思考の分岐点では、
面倒くさがらずに都度逐一
ケースバイケースに合わせて言い換えや例え話を用いて相手目線で具体的に!
それが
子育てや部下育成だと思います。
思いつきやその場しのぎではなくて、
一貫性を持った哲学で
子どもが理解出来る言葉で
子どもの目線にしゃがんで、
子どもたちごとの性格や事例ごとに
子どたちに響く言葉で育てたか?
です。
暴力はいけない。
でも、
今回の阿部監督の事件で
暴力を受けて通報した
という部分以外の振る舞いで
長女の味方は居るのか?
そもそも
事の発端は誰?
通報したのは長女の親孝行といえるのか?
低度な価値観での判断基準で意思決定する子どもを持つ親は気の毒だし、
残念ながら
そうしてしまったのも親です。
甘やかして
しつけをしなかった飼い犬に手を噛まれる飼い主のように、
餌をあげるだけでは躾にはならない。
つまり、
私のような息子を持った私の親父も気の毒だったということになる。
価値観が低度で
低度な思考から
適度な意思決定をする人間が
地位を持つと、
雑で横柄になる。
謙虚さを失って
やがて
地位や居場所を失う。
一時的に天下を取った気分でいても、
指針がないから
長続きしない。
だから今からでも
私は私自身の
判断基準を高度なものに入れ替えていく!
いざという時に
低度な価値観での意思決定にならない様に。
困った時にA Iの回答を聞いて、
自分の思考を加えずに
そのまま鵜呑みにして
自分の人生や家族の人生を崩壊させないために
これからも高度な価値観を学んでいこうと思います。
