御本尊を信じて「唱題する」修行に、すべての修行が含まれている | ゆきまさのブログ

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        (生命変革の実践)

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      〈万人に開かれた実践〉 1

 

 (イタリア代表会議、1992年7月、イタリア)

 

 日蓮大聖人の門下に、富木常忍(ときじょうにん)という信徒がいた。

 

 大聖人が彼に送られた書の中に、末法の正しい修行を述べられた「四信五品抄(ししんごほんしょう)」がある。

 

 その中で、大聖人は、末法の修行は、ー 信の一字を究極とするー と教えられている。

 

 大聖人の仏法の肝要は、形式ではない。「心」である。「信心」が根本である

 

 そして御本尊を信じて、「唱題」する修行に、すべての修行が含まれていると、大聖人は仰せである。

 

 そのたとえとして、わかりやすく次のように述べられている。

 

 ー 日本という二文字に、日本六十六か国の人、動物、財宝のすべてを収めつくしており、一つも残すものがないー と。

 

 同様に、「南無妙法蓮華経」という題目に、法華経の一切が含まれているから、唱題行が、そのまま成仏の直道となる。

 

 それ以外の、形式にとらわれた修業は、枝葉の修行であり、かえって信心を邪魔するものになってしまう。

 

 生まれたばかりの赤ちゃんのように、法門を理解していなくても、題目を疑わずに唱えていけば、自然と、題目の偉大な力を身につけていくことができる。

 

 私たちの唱える題目は、法華経の心であり、根本的な大聖人の魂そのものなのである。

 

 したがって、その意味がわからなくても、御本尊を信じて題目を唱えるとき、大聖人の魂にふれていくことができる。

 

 わが身に、南無妙法蓮華経の大聖人の生命を涌現させていくことができる。

 

 なんとありがたいことか。