ヘアードネーションの話題は時々耳にするが、

使用しなくなったウィッグ寄付の話題は聞かない。

 

家内は、がんの治療開始直後、

髪はいつかは伸びるから、

と価格と手入れのしやすさを優先し、

ファッション性を後回しにしてウィッグを選んだ。

でも、とてもよく似合っていた。

 

毎日家内を包み、彼女は毎晩大事にスプレーして

ブラッシングしていたウィッグ。

時々強風に煽られて少しずれ、カクマニが直したウィッグ。

 

納棺の折に身につけさせようと思ったが

斎場の都合で叶わなかった。

鏡台のすぐ脇の押し入れ、家内が毎朝取出し、

毎晩仕舞っていたその押し入れの中で10年を超えた。

 

カクマニは家内がどこかで生きていく気がして、

できれば寄付を、と受け入れ先を探した。

ガンに関係した受け入れ先は1か所だけしか見つからなかった。

 

彼女を活かすつもりで寄付先を探したくせに、

いざとなると、これまでの家内の衣類、手紙、本の処分と異なって

心が大きくザワザワ音を立てながら揺れている。

わずか10か月足らずしか身につけられなかったウイッグなのに。

プロフィール写真を載せてみた。

家内の遺品となってしまったピッケルを携えて

青森県の八甲田山系硫黄岳に登った時の写真。

 

斜面は凍りついていてアイゼンがいい音を立てて斜面に突き刺さった。

ビビりのカクマニは転倒すると滑落する気がして

ザックを置いてカメラとピッケルだけ持って空身で登った。

硫黄岳を降りてそのまま隣の八甲田小岳に登った。

樹林帯では倒木が作った穴に落ちないか怖かった。

 

600メートルに満たない里山で、雪を踏み抜いて穴に落ちたことがある。

周りの雪が落ちてきてかぶさり、胸まで埋まった。

湧水が穴を作る場所なので地元の人は近づかないのだそうだ。

600メートルの低さを舐めて痛い目に遭った。

 

もう一枚はユウレイソウとかギンリョウソウという光合成を止めた植物だ。

 

以前は、雨降りの直後は車で1時間かけて

水滴をまとったこの花を見に行っていた。

雌しべが濃い青で花も茎も透き通るようなピンクっぽい白。

不思議な植物だ。

 

 

 

 

 

 

 

きれいな話ではないので

結論だけ先に書く。

ランプラゾール(タケプロン)で大不調になり

ネキシウムカプセルに代えた話だ。

 

 

 

 

 

7前のある夜中、カクマニは猛烈な腹痛で目が覚め、

這うようにしてトイレに行った。

その翌朝から、家の中でさえトイレに間に合わない

強烈な下痢に襲われ続けた。

 

固形物を食べるとその15分くらい後には

トイレに駆け込むようになってしまった。

1日の回数は20回近くに及んだ。

仕事場では昼食を抜くか、ゼリーを少しずつ食べ、

念のため紙パンツを使ってしのいだ。

 

当時、循環器内科に罹っていたので相談したところ、

症状と採血結果から潰瘍性大腸炎の疑いを指摘された。

 

検査のため同じ病院の消化器内科で診察を受けると、

医師は一瞬で、ランプラゾール(タケプロン)を止めて

ネキシウムにしよう、と言った。

大腸カメラで確認したところ、異常はなく、

そして下痢は翌日には治まった。

 

何のことはない、潰瘍性大腸炎の疑いあり、と言った

循環器内科の医師が処方した薬・タケプロンが原因だった。

この後、カクマニは薬の副作用を確認するようにしている。

 

この副作用について

メラノーマのブロガーさんが記事にしていたことを最近知って、

カクマニもブログに上げることにした。

 

数年前、カクマニは新任の警察官たちと登山団体合同の

つまり山岳遭難防止協議会の冬山捜索・救助訓練を2回受けたことがある。

そのうちの一回で警察部隊が「道迷いプチ遭難」した。

 

部隊は大きく分けて三隊。

登山口からスノーシュー・クライミングスキンを付けたスキーなどで登る部隊と

ロープウェイで山頂まで行き、山頂から下る捜索隊とヘリコプター。

そして救助隊だ。

 

カクマニは登山口からスノーシューで登った。

後ろには要救助者を運ぶスノーボートなどを携えた救助部隊(主に新任の警官)がいた、

はずだった。

しかし救助隊の警官たちは訓練用品を携えたまま隊列から次第に遅れ、

計画ルートを外れて行方不明になった。

ヘリから無線による指示でも彼らはルートに復帰できなかった。

結局、山頂から下ってきた捜索隊が救助隊を発見した。

 

原因は、GPSは捜索隊しか持たず、救助部隊は冬山用の装備に不慣れで、

体力も不足、部隊全体でお互いに行動中の確認を怠り、

救助隊の地図読み能力の不足…

いや若い警官たちはレクリエーション気分だった、ように思えた。。

 

木の葉がない見通しのいい、しかも足跡がくっきりと残る冬山での考えられない事故。

雪に残るトレースを見るたびに思い出す。

(別の訓練ですがボートには人が乗っています。)

カクマニは心臓のカテーテル術を受けて退院した直後、

病院から数百メートル離れたバス停で吸ってしまった軟弱者だ。

 

メラノーマの拡大切除では全身麻酔で手術を受ける条件として、

麻酔医と執刀医から禁煙を指示された。

やっとのことで約30日「休煙」して手術日を迎えた。

 

しかし病室の窓からはタバコを吸っている白衣の職員たちの姿を毎日見た。

そのたびに、投書するぞ!と彼らを心の中で呪った。

 

それから約5年、タバコは稀に夢にも現れる。

今朝もタバコを吸いたくなった。

吸いたくなるのはタバコの強い習慣性だけが原因ではないと思う。

 

身の回りの禁煙した人たちについて共通しているのは、

禁煙の「目的を持つこと」と「気合」だ。

 

カクマニの禁煙目的は、手術のために強制されたものと同時に心臓発作。

その苦しさ、痛さと、このまま死ぬかも、という絶望感を遠ざけるためだ。

 

目的意識が薄まって気合が足りなくなっていけば、

タバコの毒が姿を現してくるんだろうな。

昨年春、知り合いで同じサークルにいた乳がんのサバイバーAさんから

「複視」で困っている、と電話があった。

カクマニは転移性脳腫瘍を連想し、返す言葉に詰まった。

カクマニも複視を経験し、メラノーマの脳転移を調べたことがあるからだ。

 

カクマニの場合、目の前の人の目と口だけが上下にはっきりと4つに見えた。

顔の輪郭も鼻も普通に1つだった。

それは数分の後に自然に元に戻った。一過性だったのだろう。

その後、複視は現れず、検査で異常はなかった。

(この記事を書いていてその時の様子と似た写真を見つけた。

「中国鍼灸グループ」というサイトだ。)

 

初夏になってAさんから脳の検査を受ける、と電話があった。

彼女は乳がんの全摘から確か10年以上ほど経ていたと思う。心がザワザワした。

メラノーマも乳がんも遅発転移があるからだ。

 

Aさんはお元気だろうか。

間もなくAさんが役員を務めるピアサポートによる

ウエブでのガン相談会がある。

カクマニは参加するつもりだ。

カクマニは2017年に3回の手術を受けた。

身体が自由になるとメラノーマの啓発活動に参加したくなった。

入院先の看護師のリハビリ指導や毎日受けた看護から

希望のようなものを感じたからだ、と思う…。

 

地元にはメラノーマ患者会が無い。

そこで2018年、ガンを横断的に対象にした患者会に入会した。

それからリレーフォーライフ等対がん協会の催し、

公立病院や行政が行う啓発イベントその他に参加してきた。

 

カクマニは、不安を抱きながら病院に行くきっかけを持てずにいる人たちや、

行政からの声が届きにくい人たちに、私たちのガン経験を届けたいと思っている。

 

そのために「正しい知識」とそれを「探すスキル」や

しっかりと相手の「話を聞き」「伝える」スキルを身につけることが必要だと思った。

 

患者会やイベントに参加する人たちの目的は明白で実際的だし、

キャンサーネットジャパンは公開フォーラムで各種がんを

網羅的でしかも標準治療を中心に据えて紹介してくれる。

またガンナビゲーターの養成も行っている。他にも学びの場はたくさんあった。

 

カクマニは「出会い」とは誰もが一人でガンに向き合っているのではない、

と実感することだ、と思う。

 

ガンを網羅的に学ぶことで、進行期のメラノーマにも

「希望」をチラリと見せてくれることを知った。

 

対ガン啓発活動でたくさんの人との「出会い」と「学び」があった。

出会いと学びが二つ目のキャンサーギフトだ。

 

そしてこのことが更に別のギフトに出会うきっかけになっている。

雪かき中や運動中に、フッと術後リハビリのことを思い出す。

 

カクマニは右腕の肩の近くにメラノーマができて、

切除、拡大切除、リンパ廓清と3回の手術を受けた。

 

ICUを出てしばらくは腕も胸も痛いし突っ張るし、

食事も着替えもままならなかった。

 

看護師から指導を受けて病室の窓ガラスを鏡代わりにし、

ドアの汚れや傷を目印にして腕を伸ばし、

早朝は院内散歩とラジオ体操を繰り返し、

次第に腕の動きがスムーズになった。

 

退院後はリハビリにエアロビ、ヒップホップなどを行い、

雪山登山も再開した。

ただ、片腕では事故に対応できないので、

以前ガイドをしていた山だけを徐々に距離と高度を延ばして歩き回った。

その甲斐あって春には鉄棒にぶら下がる以外、不自由がなくなった。

 

ただ、手術周辺は今でも皮膚感覚がモヤッとし、

腕がチクチクしたり、痺れたり、胸が突っ張ることはある。

 

リハビリで、努力に応じた結果は後からでも追いついてくることを思い出した。

特に途上国で苦闘していた頃は、言葉も仕事の仕方の違いも

努力に応じて少しずつ何とかなっていったことを思い出した。

これが一つ目のキャンサーギフト。

 

そしてこのことが二つ目のキャンサーギフトにつながっていった。

 

先月、1月25日付で役所からワクチン接種券が送付された。

予約のための電話番号は二つ記載され、

カクマニは毎日のように電話をかけ続けたが、2月に入ってもつながらなかった。

電話の曜日も時間帯も指定されていた。

そのうち面倒になった2月10日を過ぎた頃、ようやく電話がつながった。

 

モデルナで申し込むと、電話に出た女性はちょっと驚いた様子で、

3月24日の実施で受け付けると言った。

モデルナだから待ちが長いのか?

質問を受け付ける雰囲気ではなく、

一方的にメモを読むように無表情のまま実施日時・持参物を伝え、

電話を切られた。

 

前回もようやくつながった電話で基礎疾患を伝えたが1か月以上待った。

 

今回は1か月半待ちで64歳以下の一般接種に混ぜ込まれた。

 

姿を見せ始めたステルスオミクロン。

3回目に当たる3月24日は8か月目だ。

他国から4回目接種の声も聞こえるのに、

カクマニ地方では3回目さえまだ先だ。

母の「お父さんに気持ちがなくなった」という言葉を聞いて以来、

突然その言葉が頭に浮かぶようになった。

そしてそれをきっかけに負の連想が始まる。

 

負の連想は、誰かと争って…や、

ここ3年ほどだとカクマニのメラノーマが再発して…とか

何しろ行き着く先は必ず「争い」と「死」を経由して

自分の埋葬までが次々と頭に浮かぶ。

「埋葬」まで妄想して連想を終わらせる、という感じだ。

 

そんな時、カクマニはTPOに合わせて次のことをする。

 

仏語の単語や慣用句の暗記や仏作文、

冬期間の雪かき、夏の草取り、自室の室内ウォーク(マシン)、

スローステップ、エアロビなどの有酸素運動。

 

大体は一定のリズムで1セット15~20分として2セットか3セット行う。

雪かきや草取りは基本的には1セット30分で3時間ほど行う。

 

夜半に目が覚めた時なら横になったまま、

買い物など外出中なら歩きながら呼吸法を主に行うが、

概ねうまくいかない。

集中力が足りないのかもしれない。

 

肩で息をするくらいの時間、運動し続けると、

いつの間にか妄想は治まり、

体には爽快感、心には達成感が残る。

 

これがカクマニの負の連想からの脱出方法だ。