私には3人の息子がいます。

当たり前ですが、長男は第一子。


第一子の子育てって、不安心配だらけでしたえーんもちろん、第二子、三子だって不安や心配だらけですが、比にならないくらい長男のときが1番手探り状態アセアセ



親としてこうあるべき!

みたいな呪い魂魂魂が私を悩ませていました。




その私の身勝手な、ちゃんとしなきゃ!という思い呪いが長男を苦しめていたなぁショボーンと今ならよく理解できます。







長男は自閉症スペクトラム。

アスペルガー&ADHDです。

現在は専門学校に通っています。






幼い頃からお友達に手を出し、些細なことで泣き叫ぶ子でした。順番を待てない長男に

ルールを教えなきゃ!

お友達に謝らせなきゃ!

これじゃただのわがままな子になってしまう!

私は親なんだから!!

と必死になって抱っこして待たせて。


結果、親子で疲れ果てるガーン



小学生になると、自分の思いと違うことがあれば泣き叫ぶ。癇癪。キレる。物に当たる。

癇癪を起こす長男に、イライラしながら

ちゃんとことばで伝えられる子にしなきゃ!

まずは泣き止ませないと!

これも親の仕事!!

と、私も大声を出して注意してしまう。


結果、親子で疲れ果てるガーン










今となっては、

子ども通しのおもちゃの取り合いなんて、よくあることなんだよね、って分かる。

もちろん、手を出すのはいけない。

でも、そうなる前に長男を止めること、他に気を逸らすこと、最悪その場を離れることで防げたことの方が多いんだよねショボーン





小学校でも、例え先生の話を聞かなくても、そこに必死にならなくてもよかったんだ。




その頃は長男のマイナス面しか見えなくて、次は何をするか?!といつも緊張していたし、そこをなおさなきゃ!ムキーって長男を責めてしまっていた。





親がきちんとしなきゃ!


長男が癇癪を起こすと、世間から白い目で見られるのは親である私!




長男🟰私、と同一視してしまって、必死になっていたえーん











長男が毎日のようにトラブルを起こすので、生まれたばかりの三男をおんぶして、長男の小学校の教室まで行っていました。


現在、その三男は中学生になりました。



小学校も中学校も高校も、何もかも初めてだった長男と比べて、たくさんの子や先生を見てきてある程度「学校って、こういうものだ」ということがわかった三男の子育ては気が楽でした。


学校や三男への「妥協点」みたいなものも、やっぱり長男のときと比べてつかみやすかったです。






そして、そんな経験をしてきた今ならよくわかる。






子どもが癇癪を起こしてしまっても、それは親の評価とは直結しない。



子どもといえども、私とは別の人格なんだから。


我が子に私の思い通りの子育てなんて、できるわけない。

まして、発達に特性がある我が子!!







発達障がいがあってもなくても、どんな子でもきっと親は我が子のためには必死になる。


それはきっと本能だと私は思う。





ただ、必死の方向があの頃の私にはわからなかった。


あの頃、私のベクトルは【世間】を向いていた。


私が向くべきベクトルは【】だったんだなぁ。







後悔懺悔することの多い長男の子育てでしたショボーンショボーンショボーン

もしこの子が三男だったら、私の心にも少し余裕を待って子育てできたかもしれないな、と思うことがありました。

もし、がないことはわかっているけど、もしって考えてしまいます。


私が、長男と他の人を比べる必要はなかったのに。

不登校になるまで頑張らなくてよかったのに。



そうしたら今とは違った関係性が築けていたのかなぁショボーン






いくつになっても、我が子です。



長男を加害者にも被害者にもしてはいけない、という思いは今も変わりません。



高校時代には、引きこもりがちで昼夜逆転していた長男も、専門学校へは今のところ通えています。長男自身も成長しています。


私も長男の性格や【世間】が以前よりわかるようになりました。ここをスタートラインにして改めて長男と向き合わないと、と感じています。