ご訪問ありがとうございます
うん、確かに当時はそう思っていた。
仕事に家事に、ストレスに、、、
すっかりコロナ疲れでクタクタな日々(笑
GWは仕事も休みなのでのんびりします
(コロナでも休めない職種です💦)
三男が育てているイチゴ。
実が増えて、さらに赤くなってきました🍓
収穫できたらいいなぁ!
少し前、YOSHIKIさんが出ているテレビを見ました。
そこでの一言が
私にとって衝撃であり
私自身のココロと向き合わせてくれた
「忘れたくないことば」でした。
今日は、そのことばを
記録しておきたいと思います。
その番組では、
YOSHIKIさんの壮絶な人生が紹介されていました。
そして、
それを乗り越えて
強くたくましく優しく
生きておられるYOSHIKIさんを拝見し
私は驚き、衝撃を受け、感銘を受けました
番組が進む中で
司会者かコメンテーターの方が
「神様は乗り越えられる者にしか
試練を与えない、といいますよね」
(このことば通りかどうかは不明です💦
こういったニュアンスの質問です💦)
とYOSHIKIさんに語りかけました。
私は内心ドキっとしました
私はこのことばは好きではなかったから。
アスペルガー症候群、ADHDをもつ長男が生まれ、特に小さいうちはとにかく大変な毎日。
お友達に手を出してしまう長男。
私はいろんな人に謝る日々。
無力感、孤独、、、
当時このことばを聞くたびに
「そんなことばで片付けないで!
私はそんな立派な人間じゃない!
私は乗り越えることなんてできない!
むしろ、試練なんていらない!」と
反発する気持ちの方が大きかったです。
司会者のことばで
長男の小さい頃の辛かったことが
ばぁっとよみがえった私は、
テレビの前で固まっていました。
ところが。
YOSHIKIさんの口から出たことばは、、、
「このことば、好きなんです」
。。。。。。
↑
私の頭の中はこんな状態でした(笑
このコメントの続きが耳に入らないくらい衝撃でした(笑
だって、私が思い出しただけで
ココロがギュッとなるあのフレーズを
「好き」だと言う人がいる。
しかも、その人は
私と比べものにならないほど
壮絶な波乱万丈の人生、、、
なのにこの人生に対する前向きさ、、、
なんで
と、いうのが出発地点でした。
そして、この出発点をスタートした「想い」は
さらに深く私の中に響いて
私自身のココロと
向き合わせてくれることとなったんです。
私はなぜあのことばが好きではなかったのか。
当時、私にとって発達障害の子どもの子育ては
「試練」ではなく「罰」のようだと嘆いた。
こんなにも辛く孤独な「試練」を与えた神様を恨んだこともあった。
でも。
今なら分かる。
それは結局、「神様のせいにする人生」であって、「自分の人生」を生きていなかったんだ。
そう、
当時「試練」だと思っていたことは
「試練」ではなかった。
私に与えられたのは「罰」なのではなくて、
「私の人生」に
「発達障害の長男が生まれた」
という事実だけだった。
そんな思いが一気に広がって。
そう、大切なのは
自分の人生を生きること
だと。
誰のせいにもしない。
誰かのためではない。
自分の人生を、
自分の足で生きること。
だ!と。
改めて当時を振り返ると、
誰かのせいにして苦しんでいたのかも?
誰かのせいにするから、苦しかったのかも?
そうなのかも?
そうなのかもしれない。
きっとどんなことが起こっても
自分の人生を大切にできるからこそ、
自分の足で人生を生きていく
強さとたくましさと優しさ
を持っているんだ
だから
あのことばだって受け止められるんだ、、、
私なりのゴールが見えた。のかも。
。。。。
ブラボーサイコーありがとう
↑
またまた私の頭の中(笑
YOSHIKIさんに向かって
泣きながらスタンディングオベーション
いつもながら長文でスイマセン💦
また、
私が個人的に感じたこと、思ったことなので
これを読んで不快に思った方がいらっしゃったら申し訳ありません💦スルーしてください
神様を恨んでいた頃の私と比べて
今の私は辛さや孤独は
少しラクになりました。
力を抜くことも、少し覚えたし
長男自身も成長しているし
こんな未来がくるなんて
あの頃の私は想像できなかったと思います
でも、
あの頃の気持ちは忘れないし、忘れたくない。
YOSHIKIさんのことばも忘れない。
両方、私にとって
「自分の人生」の大切なひとつのピースだから。
単純な私は
すっかりYOSHIKIさんのファンになりました(笑
GWはXJAPANの歌を聞きながら
ゆっくりおうちで過ごそうと思います
最後まで読んで下さりありがとうございました