幼少期は、ピアノの先生から出された課題をやるのが面倒くさくて課題はやらないタイプでw
その代わりに自由に曲を作るのが大好きだった。
幼少期の頃から指導してもらう先生には、
自分という人間をどんな人間なのかを理解してもらう努力をした方がいいなと思うし、
引っ込み思案で伝えたりするのが苦手なタイプであれば、
親に言ってもらったりして、
自分という人間を理解してもらうといいんじゃないかなと思う。
私であれば、"5本両手共変形する指で、猿腕骨格。弾くフォームをすると、一般的よりも腕が開きがち"、
このことを幼少期から関わる先生に伝えたうえで、
指導してもらうと断然いいんじゃないかと思うんだ。
でも私は変にプライド高かったから、
知ってもらったなかで指導してもらいたい気持ちと、"隠したい気持ち"が両方あったんだよねw
私の指は、"遠慮した音"で弾けば変形しない、だからバレない。
でも自分のやりたい演奏が、理想が奏でられてないし、骨格の影響から調整がズレたら一気に演奏が不安定になりまくる。
だから変にメンタルやられてw
恨みや嫉妬や自分のいじわるな面が他人に対して誇張された時代もあったんだよね!w
だけど、10年間長きに渡って指導してくれた種田先生や深澤先生は最初のレッスンの時から気づいてくれて。
種田先生は私が18歳の時に、"指立て伏せ"を1日40分、
練習メニューに含めてくれた。
で、それをするようになってから、
以前より指や腕のコントロールができるようになってきて。✨
なのに。
それでも"自分に対する限界"は感じて過ごしてた。
指立て伏せに感謝はあるし、
知れて良かったなって感情はないわけがなく。
なんでかとゆうと、それは自分のなかで、"はらわた煮えくり返った記憶"から。
小学3年生の時に"そんな向いてない指でよく弾くよね"って言ってきた大人(オペラ歌手やってる人)に言われてさ。
それがほんっっとにムカつくを超えて恨みになって。w
そこから派生する"もっとちゃんと奏でたいのに"
のキモチ。
だけど、
そんなこんなあったけど。
今の私は、
だったら"どうがいい?"
って自分が自分に聞く癖があって。
そして、変形させたまま弾ける個性を、自分が"大事にしたい"と思えてるのです。
だいぶ、恨みや憎しみから解放されたなという感じ✨
音=自分
の意識の在り方は、
なにか"違和感"を感じたとしたら、
それは音の世界で言うチューニングがズレてる合図で。
オーケストラや吹奏楽の曲の合奏中にも、チューニングのピッチはズレたりするもので、なので"耳の感覚"を最大限に発揮させながらピッチを合わせて合奏するんだけど、それと同じように、調和の自分で調和の社会で過ごすのです。
耳の感覚を発揮するというのは、
自分が自分の心の本音を自分が聞きながら過ごすということと同じ意識の在り方だよね!
PIANIST NAMUKA