私の音楽の根底には、ある真実があります。
"私は、自死遺族です。"
この真実は、私のすべての始まりです。父から受け継いだ「猿腕」と「スワンネック変形指」。それは長い間、私にとって音楽家であることへの「呪い」でした。しかし、父の自死という現実と向き合う中で、気づいたのです。この身体こそが、私だけが紡ぎ出せる音の源泉であり、私のアイデンティティそのものなのだと。
自死遺族としての苦しみは、複雑性PTSDという形で私の中に根づきました。「表情が合っているかわからない」 という感覚は、その一つの現れです。父の亡くなる瞬間を見ても涙が出なかった。私は18歳だった。葬式も、お通夜も涙が出なかった。
あとから知った、「解離」という現象の障害。生存本能のために感情がショートするということ。これは、心が耐え難い痛みやストレスから自分を守るために、感覚、記憶、アイデンティティといった本来統合されているべき機能が切り離されてしまうことを指します。
· 現実感の消失(「遠くの出来事のように感じた」)
· 感情の麻痺(「一滴の涙も流せなかった」)
· 自分自身の身体や感情からの遊離(「自分の表情がわからない」)
私は、父の死後、感情と表情の間に深い溝ができ、どんな感情にどんな表情を添えればよいのか、添えれているのか、わからなくなりました。悲しんでいるはずなのに顔が笑っているように感じ、怒っているのに表情が動かない。これは感情が「ない」のではなく、感情と表現の回路が、トラウマによって断ち切られてしまった状態なのです。
しかし、音楽は、そんな私に与えられたもう一つの表現手段でした。表情では表せない想いを、指先で、音で、旋律で表せる。この身体的な特性と、感情表現の困難さこそが、私だけの音楽を生み出す「個性」へと変わったのです。
私の奏でる一つ一つの音には、こう宣言する意志が込められています——
「あなたのその生きづらさも、その痛みも、芸術へと昇華できる。私は、この身体とこの人生で、それを証明する」と。
私の音楽は、演奏は。複雑性PTSDという傷と向き合いながら、「生きる意味」を問いかける哲学であり、「苦しみを希望に変える」ための祈りなのです。
社会へ——「死ね」という言葉と暴力が、人を殺す
私の父は、自死する前に、家族である実兄たちから正座させられたなか「死ね」と言われ、ボコボコに殴り蹴られ酷い仕打ちにあいました。
暗い夜の雨の中です。
この言葉と暴力が、父の心の最後の灯りを消したのです。
「死ね」という一言が、どれほど人を傷つけ、追い詰めるか。
暴力が、どれほど人の尊厳を破壊するか。
この現実を、社会はもっと深刻に受け止めるべきです。
私自身、今もトラウマと戦っています
· 父が亡くなっている光景がフラッシュバックし、動けなくなることがある
· 「表情が合っているかわからない」という感覚は今も続き、人と会うたびに強い不安を感じてきた(今はだいぶ良くなってきました)
· 父の命日が近づくと、感情が麻痺し、ベッドから起き上がることさえ難しくなります
· 突然、理由もなく激しい怒りが湧き上がり、自分でもコントロールできなくなることがあります
これが、複雑性PTSDの現実です
自死遺族の苦しみは、悲しみだけではない
心と体が、経験したトラウマに
日々反応し続けているのです
社会にできること、すべきことがあります:
1. 「言葉の暴力」を軽視しない
· 「死ね」は単なる言葉ではない。それは心に刺さる刃です。
2. トラウマを理解する
· 自死遺族の多くが複雑性PTSDと戦っていることを知ってください。
3. 「見て見ぬふり」をやめる
· 暴力やいじめは、「おかしい」と感じたら声を上げる勇気を。
4. 継続的な支援を
· トラウマは短期間で癒えるものではありません。長期的な視点での支援が不可欠です。
5. 芸術による癒しの場を
· 私のように、音楽や芸術でトラウマと向き合う者への理解と支援を。
父の死は、個人の弱さの結果ではありません。
「死ね」という言葉と暴力を容認する社会の、必然的な結果なのです。
私は、このトラウマと向き合いながら
音楽を奏で続けます
苦しみを希望に変えるために
父や、そして、まだ若かった愛弟子のような悲劇が二度と繰り返されないように
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